レライエの進む道
ザバッ
音を立ててレライエは湯船から上がる。この後使用人達が片付けるので、水が飛び散ることを気にする必要はない。薄紫色の髪から落ちる滴で床に水溜りを作りながら両腕を広げて待つ。すぐに側仕えたちに囲まれ水を拭われ、部屋着に着替えさせられる。
今日の部屋着は薄橙色だ。入浴前までは確かにこの色の気分だったが、今は黄緑色の気分に変わっている。レライエは不満を口に出そうとしたが、一瞬早く側仕えに声をかけられた。
「レライエ様、こちらへどうぞ」
新入りの若い側仕えによって鏡台の椅子が引かれている。
「えぇ、行きます」
しぶしぶそのままの服で移動する。
髪を整えてもらうため鏡台の前に座り息を一つ吐く。レライエは鏡を見るのが大嫌いだった。自分の顔は整っていると思うし、周りからも『可愛い』『綺麗だ』と言われる。それでも嫌いだ。
灰とも青とも言える自分の瞳をまっすぐ見てしまう。顔を逸らしたいが新入り側仕えにしっかり頭を押さえられて動けない。イライラが募る。
『レライエ様の髪が金色なら良かったのに』
親戚中から何度言われたことだろう。瞳の色も澄んだ青でないことを残念がられた。最初は意味がわからなかったが、3歳から始まった教育で知っていった。瞳の色と魔力量の関係、金髪だけが王位に就けること、まさに異母姉のことだった。
金髪に紫の瞳、2代続けて王女が嫁いだ公爵家の第一夫人長子、そして第一夫人は侯爵家の長女。異母姉はきっと王子の嫁にと声がかかるだろうなんて、使用人が話しているのを聞いた瞬間怒りで魔力が抑えられなくなり、その使用人を殺しかけた。
レライエの魔力は決して少なくない。王家と深く関わる公爵家にしては少ないかもしれないが、上級貴族と考えると並の量がある。
わたくしには何の問題も無いのに。
鏡の隅に浴室を片付けに行く使用人の姿が映る。
レライエは金の髪も紫の瞳もない。オマケに母親は田舎男爵家の8人兄弟の末子で教養も何もない顔だけの女、第二夫人になれたのは奇跡としか言いようがない。それでも、自分は父親に愛されているという自信があった。公爵だけは、レライエの髪を良い色だと、綺麗だと褒めてくれるのだ。レライエのアレが欲しいコレが欲しいを全て叶え、母が持っていない貴族としての教養も与えてくれる。何より異母姉の扱いとの差は明白だ。
異母姉は教育を与えられず、第一夫人がつけた側近達は何度も即時解散させられ、身につけている宝飾や衣服もレライエが望めば次の日には移動している。唯一ゆっくり顔を合わせる夕食の時間はいつも自分たちを羨ましそうに、うかがうように見つめている。
恋愛結婚の第二夫人と、政略結婚の第一夫人。
なんでも与えられる自分と、なんでも取り上げられる異母姉。
当然だと思っていたし、公爵位は自分が継ぐものだと思っていた。第二夫人の子に家督を継ぐ権利が無いと知るまでは。
異母姉の帰敬式、あの日からレライエの全てが変わった。
異母姉は魔力の扱い方も祝詞も教えられず、祈りの間へ放り込まれた。正しく祝詞を唱えられなければ魔力は早く吸い出され、魔力が扱えないなら流れを止めることもできず魔力枯渇を起こしてそのまま死ぬだろう。公爵がそのために第二夫人の側仕えに異母姉を連れ出すよう指示を出していた。
レライエは自分の帰敬式では異母姉と比較にならないほど完璧に仕上げたい、だから早く祝詞を教えてくれと公爵に頼んだが断られた。初めての拒絶に耳を疑ったが、公爵の口から続けて出た言葉に何も言えなくなった。
『第二夫人とその子は祈りの間へ入らない、だから覚える必要はない。後継ぎは第一夫人との間に男児がいる』
公爵の表情からはいつもの穏やかな笑みは消え、無表情とも言える目で静かに言い切った。レライエはこの時のことを思い出すだけで体から力が抜けていく。
キャアッ
浴室から楽しそうな声が聞こえ、鬱々としていた感情が霧散する。
レライエは自分の筆頭側仕えに鏡越しに視線を送り、筆頭側仕えは一つ頷いて浴室へ向かう。
「わたくし、どうしたら異母姉様に勝てるでしょうか」
消え入りそうなほど小さな呟きを新入り側仕えが拾った。
「レライエ様はハーゲンティ様と何か勝負をしていらっしゃるのですか?」
「そういうわけでは……」
レライエは少し考え、「そうなのかもしれません」と答えた。
全てにおいて異母姉に優っていると思っていた。それが少しずつ違うのだと理解していき、何もかも負けているように感じだす。それでも愛だけは、父親からの愛だけは自分に注がれていると、夕食で公爵家全員と顔を合わせるたびに確認し、勝利の感情で気持ちよく食事をしていた。
だが、帰敬式で死にきれず戻ってきてからの異母姉はまるで別人のようだった。最初の夕食こそこちらに視線を向けていたが、いつものように羨む視線ではなくしっかりと顔をあげ、笑顔でこちらを見ていたのだ。レライエは得体の知れない不気味さのようなものを感じ睨みつけた。きっとこれで異母姉は泣きそうになりながら恨めしそうに視線を外すだろうと思った。しかし異母姉は少し眉を寄せただけだった。その後は何度夕食時に顔を合わせても、一度もこちらに見向きもしなくなった。
レライエは「それはもういらない、あなたにあげる」と譲られたかのような屈辱と、唯一自分が勝っていた愛まで失くしてしまったような感覚に襲われた。
色々なものが取り上げられていたはずの異母姉に、次々と人も物も集まり出し、そのうち公爵の愛も異母姉に注がれるのかと考えると吐き気がする。
「どんなに願っても、わたくしは第二夫人の子。第一夫人の子には勝てません」
努力ではどうにもならないのだ。せめて自分が第一夫人の子に生まれていればなどと意味のない妄想をしては虚しくなるのを繰り返す。
「第一……あぁ、レライエ様は公爵を目指しているのですね。お勉強をとても頑張ってらっしゃいましたものね」
新入り側仕えがなんの気無しに、ニコニコとレライエの心を抉る。
不愉快ですね、いつ入れ替えましょうか。
レライエが感情を抑え、微笑みながら新入り側仕えの解雇時期を考えるが、新入り側仕えはそんな事を露程も思わずそのまま話し続ける。
「優秀だと評価を得られれば、第一夫人と養子縁組をし家督を継げる立場になれますよ。王立学校へ入学するまでに養子縁組をする必要はございますが」
「そんなことが可能なのですか?」
レライエは驚いた。今まで誰も教えてくれなかった情報だ。
「可能です。研究員を多く輩出する家は、より優秀な者を後継にするため第四夫人まで娶って子らを競わせるそうですよ。あとはそうですね、女系を守っている家は女性しか爵位を継げないので、第二、第三夫人が女児を産むと1歳あたりで第一夫人と養子縁組すると聞いたことがございます」
レライエは目の前に道ができたように感じた。第一夫人との養子縁組。貴族とは名ばかりのあの女ではない、本物のお姫様の子になり、爵位を目指せる。
「なりたい」と口から出る前に筆頭側仕えの癇癪まじりの声が部屋中に響いた。
「なんとおぞましいことを言うのですか!」
新入り側仕えが目を白黒させる。
レライエは周囲を見渡し側近達の表情を確認する。側仕官、護衛官、式部官、書陵官、管理官、職種に関わらず側近全員が新入り側仕えを睨んでいた。
レライエは筆頭側仕えを落ち着かせるため、浴室にいた使用人達はどうなったか尋ねることにする。
「おかえりなさい、使用人達は何の話題で盛り上がっていたのかしら」
「大した内容ではありませんでした。レライエ様がお気になさる必要はございません」
「そう、なら良いのです。ご苦労さまでした」
こうして内容を教えられないときは決まって異母姉の話題が出ている。そしてあの使用人達は明日にでも処分されるだろう。このまま話題を変えたかったがそうはいかなかった。筆頭側仕えが再び新入り側仕えに視線を向ける。
「貴女は一体誰にお仕えしているのですか。第二夫人スコックス様の姫君、レライエ様でしょう?第一夫人との養子縁組だなんて、身の毛もよ立つとはまさにこの事。反省なさい!」
「申し訳ございません!」
新入り側仕えが跪く。
レライエはこのままだとこの新入りも使用人達と同じく処分されてしまいそうだなと感じた。自分も入れ替えを考えていたが、誰も教えてくれなかった貴族の常識を彼女は教えてくれた。まだもう少し自分に必要だ。
「良いのです」
レライエは筆頭側仕えを制し、新入り側仕えに声をかける。
「髪を結ってくれてありがとう。今日はもうお部屋に戻って休みなさい」
新入り側仕えが退出するのを見送って、残った側近たちをぐるりと見渡してから筆頭側仕えと向き合う。今ここにいるのは、レライエが生まれた時から側近としてそばにいる者達ばかりだ。第二夫人派、と言うより第二夫人の親戚ばかり。筆頭側仕えに至っては第二夫人の実姉だ。
「レライエ様、なぜあのような話になったのですか?」
「わたくしは公爵になりたいのです」
「レライエ様!?」
レライエは今まで筆頭側仕えのこんなにも驚いた顔を見たことがあっただろうか。両目が飛び出てしまいそうになっている。だがここで引くことはできない。
今の今までぼんやりとしていた自分の望みが、霧が晴れるようにはっきりしていく。ずっとずっと、生まれた時から持っていたレライエの望み。
「わたくしは公爵になって異母姉様を跪かせたいのです」
レライエは怒り、妬み、嫉妬、羨望、色々な感情が混ざり合った表情で側近達を見る。
「主の望みのままに」
側近が全員その場に跪く。筆頭側仕えを始め全員が笑顔だ。
「さすがはスコックス様の姫君、お仕えのし甲斐があります」
「ええ、あの方もとても野心がおありでしたもの」
側近達は口々にレライエが第二夫人にそっくりだと褒めはじめる。レライエとしてはあまり嬉しくないが、側近達は自分が公爵を目指すことについて否定的ではなかっただけ良い結果を得られたと思うことにする。
「公爵を目指すのでしたら、第一夫人の子になる必要がございますね」
筆頭側仕えがそう言った。レライエは自分の希望が受け入れられたと思い喜んだ。
「ええ、なのでわたくし……」
「では、スコックス様を第一夫人にする方法をわたくし達で考えます。レライエ様は何の心配もいりません。今まで通りお過ごしください」
レライエは何を言われたのか分からなかった。いや、分かりたくなかった。
あの女が第一夫人?無理があるでしょう。
自分の側近達は一体何を考えているのだ。第一夫人とあの第二夫人(馬鹿女)の入れ替えが不可能なのは火を見るより明らかだし、第一夫人は使用人のように簡単に処分できる対象ではない。万が一、第一夫人が事故や病気で亡くなったとしてもあの父はきっと第一夫人に相応しい別の高位の女性を娶るだろう。普段の様子を見ていれば分かるはず。城の中では第二夫人をエスコートするが、王城や他領へ向かうときは必ず第一夫人だけを連れて行く。
こんな子供の自分でも母親が第一夫人の器でないことが分かるのに、側近達はなぜ分からないのだろう。
あぁ、こうなるのも当然ですね。
レライエは自分の側近達は「レライエの為の側近」ではなく「第二夫人の為の側近」だと言うことに気がついた。第二夫人が自分の派閥を大きくし、少しでも実権を握るためレライエの側にも自分の意を汲む者を配置したに過ぎない。スコックスの目的とレライエの目的が重なったと思ったから側近達が嬉しそうにしているのだ。自分はきっとこの先、今まで以上に第二夫人の駒として扱われる。
わたくしの帰敬式までは1年と少し。まだ、動けません。
帰敬式を迎えれば、側近の入れ替えは自由になる。その後、今の側近達を少しずつ入れ替えていこう。それまではあの新入り側仕えと少しでも仲を深め、自分の望みを望む形で叶える方法を探すのだ。
レライエは自分が生まれた時から仕えてくれた側近たちに心の中で別れを告げた。