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第六話:脱出(2)

「そろそろ名前、教えてくれてもいいんじゃないか?」


奪った鍵束から足首の錠の鍵を探しながら、翔真が女に声を掛ける。

彼女は少し躊躇ったが、今度は答えた。

 

「リオラよ。リオラ・マクシム」


檻から出てきたリオラの姿が、薄暗がりの中でもはっきり見えるようになってきた。

自分よりは五つほど年若いだろうか。

赤い髪と鋭く澄んだ彗眼がよく似合う、整った顔立ちの女だった。

振る舞いには上品さが残っていたが、身にまとうのは奴隷用のすり切れた麻のシャツとズボン。

肌と髪は汚れ、かなり痩せていた。

先ほどまでの堂々とした口調が嘘のように、彼女の手は小刻みに震え、額には汗がにじんでいる。


「...へえ。いい名前じゃん」


「マクシム家は、この国でも五本の指に入るほどの土地を任されていた有力貴族だったわ。

 でも今は、地位も財産もすべて失った没落貴族。...私がここにいる理由も、そういうことよ」


「...家名の事を言ったんじゃないんだけどな」


それ以上の返答は、リオラからは返ってこなかった。


マクシム家。この世界では有名な名家だったらしい。

何があったのかは知らないが──たぶん、全部を失ったその先で、色々あって、こうなったのだろう。

洋ゲーじゃよくある話だ。


「私は名乗ったのよ。あなたの名前も教えてちょうだい」


翔真はハッとしたが、すぐに俯いた。


「……ないよ、そんなもん」


「名前がない人間なんて、いないわ」


「……ナガノ」


諦めたようにそう呟いた。

名前ではないが。


「ナガノ……なんだか発音しづらいわね。そう……ナーガと呼んでもいいかしら?」


「ナーガ??……まぁ、いいけど」


ナガノからもじって、ナーガ。

単純ではあったが、悪くはない。

ナーガといえば──元の世界では、確かヘビの神様か何かだった気がする。


「こっちの世界だと、ナーガって何か意味みたいなのあるのか?」


どうしても気になって、リオラに訊ねた。


「ええ。おとぎ話に“ナーガ”って魔物が出てくるわ。

臆病者のしっぽ花獣(ビッカ=ナーガ)

逃げてばかりだけど、どんなに強い獣より、最後まで生き残るの」


意外な由来に、思わず目を丸くした。

けれど次の瞬間には、乾いた笑いが漏れた。


「...まぁ、お似合いだな。気に入ったよ、“ナーガ”」


「さあ、早くしないと看守が起きてしまうわ。

 呼吸も整ったし、急いで脱出しましょう、ナーガ!」


改めて呼ばれたその名は、なぜだか心地よかった。

身の丈に合った名で呼ばれることが、これほど嬉しいことだとは思わなかった。


この世界では──「ナーガ」と名乗ることにしよう。

そう心の中で唱え、翔真──いや、ナーガはリオラの手を取った。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

互いに前後を警戒しながら、ナーガとリオラは牢のあった廊下を進んでいく。

先頭は、連れてこられた時に外からの導線を一度見ているリオラが引き受けた。


リオラの話によると、ここはキアリカの街から少し離れた所にある奴隷商の拠点らしい。

ここから脱出さえできれば、キアリカに向かって逃げ切ることが出来る、という算段だ。


「にしても、拠点だってのになんでこんな老朽化してるんだ?」


ところどころ欠けた石畳や、植物の絡まった石柱を見てナーガが苦言を呈した。


「ここは砦で、かつて王軍のものだった。昔父が視察したことがある。今は維持の問題で放棄されているわ」


「へぇ。すげえなお嬢様」


「ちょっと黙ってなさい」


限りなく抑えられた声で、リオラが悪態をつく。


「この扉を抜けたら、外に出るわ。砦は外壁に囲まれているから、門扉を開けるか外壁をよじ登るかね」


リオラが指さした先には、大きな鉄扉が閉じられていた。

内側にかんぬきが差し通っており、外せば開くことはできそうだ。


「...門は論外か。開けた瞬間、絶対バレるだろ」


ナーガが呟き、扉の隙間から外を覗く。


月明かりの中庭に、丸太椅子に座った男がひとり。

見張りのようだが、弩を抱いたまま舟を漕いでいる。


「静かにしてれば抜けられるかもしれない。でも……門の外にもう一人いたはずよ。昼間、馬の世話をしてた男」


 リオラの口調には警戒が混じる。


「...だったら、壁のほうが安全かもな。なあ、見てみろよ」


ナーガが顎で示した先、砦の北東隅にある石壁の一角が、明らかに他と様子が違っていた。


蔦に覆われ、石が崩れかけている。

目測で、なんとかよじ登れそうな高さだった。


「崩落箇所……!?あそこからなら……」


「行けそうだ。俺でも登れる」


運動神経ゼロのナーガでも、踏ん張ればなんとか登れるレベルだった。


「外に出た後のことだけど……方角は?」


「街は南。こことキアリカを結ぶ街道を見つけられれば、あとは下るだけ。追手さえ撒ければ逃げ切れるわ」


「追手ね……なるべく音は立てたくねぇな」


ナーガは壁の高さを再確認するように目を細めた。


 そのとき、背後で小さな物音がした。

 リオラが素早く身を屈め、ナーガもそれに倣う。


……気のせいか。誰かが寝返りでも打っただけのようだった。


「……急ぎましょう。夜明けが来る前に、ここを出る」


「仰せの通りに、お嬢様」


「殴るわよ」


リオラが苛立たしげに返すが、どこか表情が緩んでいる。


「先に登るから、見張りの目がこっちを向いたら知らせて」


「任せろ。“逃げ足”には自信があるからな」


 ナーガはにやりと笑い、崩れた石壁に手をかけた。

 

崩れかけた外壁を飛び越え、ふたりは夜の森へ転がり落ちた。


月が雲間に覗くなか、冷えた土の感触が全身を叩く。

その直後──


「──くっ!」


「リオラ!?」


リオラが足を抱え、顔をしかめている。

着地の瞬間、足首を捻ったようだ。


「だいじょ、ぶ……」


立ち上がろうとするが、右足がぐらつく。

膝をついたまま、彼女は歯を食いしばっていた。


刹那──


「ガルルル.......!」


砦の影から、一頭の番犬が現れた。

全身を黒毛に覆われたそれは、低く唸りながら、二人を睨むように間合いを詰める。


「……まずい」


「行って、ナーガ。私は──」


「まだ吠えてねえ、間に合う……」


「ワンッ!!」


──遅かった。

乾いた咆哮が砦中に響き渡り、夜の静けさを裂く。


「何の騒ぎだ!? 誰か──」


金属のきしみと共に砦の扉が開き、松明の火が夜を照らし出す。

足音が、確実にこちらに近づいていた。


リオラが、震える手でナーガの腕を押す。


「行って……今なら、まだ間に合う……」


ナーガは、何かを言いかけたが──歯を食いしばり、振り返る。


「……悪い」


その一言だけを残し、木々の影に身を滑らせていった。


リオラは、その場に取り残された。

石と根の間に腰を下ろし、顔を覆うようにしてうつむく。


「……そうよね。見ず知らずの私のために、命張る義理なんてないもの」


足音が、ひとつ、またひとつと迫ってくる。

松明の火が、彼女の頬を照らしたとき──


「いたぞォ! 女が逃げてる!!」


(ここまでか……)


目を閉じた、その瞬間だった。


「ヒヒィィンッ!!」


馬の嘶きが夜を裂く。


門の向こうから突っ込んできたのは、一頭の栗毛の馬。

鞍には乗っていない。

背にしがみつくようにして、男が必死に身を伏せていた。


「うわああああああああっ!!!」


ガンッ!!


突っ込む馬に弩を構えた看守が跳ね飛ばされ、地面に転がる。


その馬の背から、泥まみれの男が吹っ飛び──ゴロゴロと地面を転がった。


「っ...いてぇ……おーい、生きてるか、お嬢様」


体中に傷をつけながら、ナーガが立ち上がる。


「……どうして」


唖然とするリオラに、ナーガはにやりと笑った。


「俺、ビビりでヘタレで、逃げ癖しか取り柄の無いやつだけどさ──」

「仲間見捨てて、ベッドで二度寝は流石にできねえわ」


リオラの瞳が、わずかに揺れた。

その手が、ゆっくりと、差し出される。

ナーガの声に、リオラの手が動く。

ナーガはそのままリオラを抱えあげ、乗ってきた馬に乗せる。


「乗ってくれ、そっちは操縦頼む。俺、今ので限界だから...」


バツが悪そうにナーガが後頭部を掻く。


「ふふ……しまりのない英雄ね」


リオラは微笑み、今度はナーガに手を差し伸べた。

リオラの手を取り、ナーガも後ろに乗馬する。


再び駆け出す馬。森の奥へ、夜を裂いて突っ走る。

ここまで気を張り続けたリオラの頬を、一粒の涙が伝った。背後のナーガには見えないように。


「...ありがとう、ナーガ」


「もう一回置いて逃げたら、遠慮なく殴ってくれ」


「ええ、絶対に。顔面に」


「……手加減だけ頼む」


ふたりを乗せた馬は、キアリカの灯を目指して走り続けた。


逃げてばかりだった男の何かが今日、少しだけ変わった気がした。


★おまけ★

『臆病者のナーガ』–しっぽ花獣の物語–

昔むかし、北の草原に、しっぽ花獣(ビッカ=ナーガ)と呼ばれる小さな生き物が棲んでいました。

ふわふわの尾の先に、花びらのような毛を揺らし、跳ねる姿はとても愛らしいものでした。


けれど、ナーガはとても臆病でした。

草が揺れれば逃げ、風が鳴けば穴に隠れ、他の獣たちに笑われてばかり。


ある日、大いなる嵐が来ました。

雷が森を焼き、獣たちは森を守ろうと立ち上がりました。

勇敢な狼も、誇り高い鹿も、みな嵐に飲まれました。


ナーガは逃げました。

雷から、火から、音から、すべてから逃げ続けました。


「役立たずめ」と誰かが叫んだ声が聞こえましたが、ナーガは耳を伏せて、それでも走りました。


やがて嵐は過ぎ、草原は焼け野原になりました。

でも、焼け跡の真ん中に、小さな花が一輪だけ咲いていました。


それはナーガのしっぽの毛から落ちた種が、逃げる途中に落ちて芽吹いたものでした。


人々はそれを見てこう言いました。


「逃げて生き残った者が、最後に希望を残したのだ」と。


それからというもの、臆病な者に「ナーガみたいだな」と言うとき、

それはもう嘲笑ではなく、小さな敬意になったのです。

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