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第五話:脱出(1)

 時間の感覚が失われていた。何刻が過ぎたのか分からない。

 ただ、牢に差し込む光が少しだけ変わったことで、昼夜の区別がかろうじてつく程度だった。


 翔真は、女に脱出を提案されてから、どう逃げ出すか考えふけっていた。

 足首の鎖を見つめながら、外せるか試したりもした。

 手で引っ張り、角度を変えて捻り、時には歯で噛んでみた。

 だが、鈍く冷たい金属はびくともしなかった。

 

買い手のつく商品という事もあってか、食事は定期的に運ばれてきた。

 当然、食えたものではない。カビの生えた味のしないパンと水。

 生きていく最低限のエネルギーだけが提供された。



 「考えたって、どうにもならないわ。私たちが何もしなければ、確実に売られる。そうでしょ?」


 向かいの牢から、女の静かな声が届く。

 その言葉に、翔真は目線を向けた。

 彼女は膝を抱えて座りながらも、背筋は伸びていて、弱音ひとつ吐いていなかった。


 「でも、どうやって逃げるんだよ。鍵もかかってるし、あの看守鞭とか普通に持ってたし……」


 「鍵は、あの男が一つにまとめて持ち歩いてる。記憶にある限り、私たちの牢の前を巡回してくるのは、日に三回。次は……たぶん、もうすぐ」


 翔真は少し驚いた。彼女は何も言わなかったが、ずっと監視の動きを観察していたのだ。


 「逃げるには、鍵がいる。でもそれだけじゃ足りない。外に出る方法が必要。そして、運も」


 女はそう言って、藁の山から何かを取り出した。薄くて錆びた、古い針金のようなものだった。


 「それは……?」


 「さっきの食事の皿の端に刺さってた。歯で抜いたら、意外としっかりしてたの。試してみるわ」


 翔真が見守る中、彼女は膝立ちになり、鉄格子の鍵穴に針金を差し込んだ。カチ、カチ、と乾いた音が響く。何度か試すたびに、それが牢の奥に反響していく。


 「こんなの、ゲームの中でもやったことないぞ……」


 翔真が呟くと、彼女はくすりと笑った。


 「私もないわ。でも、やるしかないでしょ?」


 ――カチャ。


 音が変わった。手応えがあったのだろう。女はゆっくりと鉄格子を押す。


 「……開いた」


 その声に、翔真は思わず立ち上がろうとするが、足の鎖に引き戻されてよろける。


 「次は、あなたの番よ。看守の注意を引いて、奴をおびき寄せるの」


 「おびき寄せるったって、どうやって……」


 「でも、やるしかないでしょ?」


 先ほどとまったく同じ言葉を、同じ調子で繰り返した。

 その言葉の裏に、冷静で、それでいて揺るがない意志が見えた。

 翔真は、唇を噛みながらうなずいた。


 「……わかった。やるよ」


 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 廊下の遠くで、扉の開閉する音が聞こえる。ヤツだ――あの看守。


 女はすでに鍵の空いた牢の中で、壁の陰に身を潜めている。


 翔真は、目の前の石壁を見つめながら、喉の奥で唾を飲み込んだ。

 息が荒い。手のひらが冷たく汗ばんでいる。


 やるしかない。わかっている。

 でも、怖い。


 自分より強そうな相手に歯向かうのは、想像以上に怖いことだった。

 目をそらしたくなる。できるなら、また誰かの後ろに隠れていたい。

 そう、いつだってそうだった。

 初めて仕事をバックレたあの日以降、その先にある苦労から目を背け続けてただ楽な方を選んできたのだ。


 でも、あのままじゃ――俺は、“本当に終わる”。


 奴隷として売られ、誰かの所有物になって終わる未来。

腹を割かれ、むごい実験をくり返される日々。

 どこぞで野垂れ死んだ方が遥かにマシに思えた。

 

 それにだ。

 絶望の底で、聞こえたあの言葉――


 「なら、一緒に逃げ出さない?」


 あれは、間違いなく自分に向けられた希望だった。

 誰かが差し出してくれた「選択肢」だった。

 逃げ続けてきた自分が、ようやく手に入れた選ぶ自由。


 翔真は拳を握った。

 息を吐く。震える体に言い聞かせるように、頭を下げる。


 今だけは、逃げるな。

 怖くても、やれ。

 このまま終わるくらいなら、頭の一つくらいぶつけてやれ。


「....ぅぅうわあああああああああああッッ!!!」



上ずった奇声を上げながら、冷たい壁に頭を打ち付ける。何度も、何度も、何度も。

生半可な自傷では見向きされない。

ゼブへの怒り、奴隷商への怒り、今までの理不尽。全てを込めて壁に八つ当たりした。



 「おいおいおいおい、気でも触れたか?……ちっ、商品に傷付けやがって」 


 金属が揺れる音と共に、鍵束の音が近づいてくる。


 ヤツが来る。来た――!


 翔真は、壁に頭を打ちつけながら、チラリと目を上げた。

 格子の奥から、あの灰色の外套。あの下卑た顔。間違いなく、あの看守だ。


 「暴れるなって言ってんだろうが、テメェ!」


 怒鳴り声と共に、鍵が開き、鉄格子が開く音が鳴った。


 ギイィ、と軋む音が心臓を締めつける。翔真の喉が渇く。


 やつが、入ってくる。


 (あと数歩……)


 看守のブーツが、石床を軋ませる。


 「てめぇみたいなヤツは――」


 その瞬間だった。


 影が壁から飛び出した。


 「ッ――!」


 鈍い音。革鞭が空を切る音が続く前に、女が看守の後頭部に何かを思い切り打ち付けた。


 「なっ、がっ…!?」


 油断していたのか、看守はうまく反応できない。

 彼女の手には、いつの間に用意したのか、木片のような獲物が握られていた。


 「今!!」


 彼女の声で翔真が跳ね起きる。演技を捨て、鎖を引きちぎるように飛び出す。


 彼は右手の痛みに構わず、ありったけの力を込めて、看守の鳩尾に拳を叩き込んだ。


 「ぐっ...!」


 看守が呻いた瞬間、女がダメ押しで木片を頭に打ち付ける。看守の体が崩れ落ちる。沈黙。


 二人は、しばらくそのまま呼吸を整えるしかなかった。何も言わず、ただ、鼓動の音だけが、牢に残った。


 やがて、女が静かに呟いた。


 「……上出来ね。そこまでするとは思わなかったけど」


 翔真は額から血を流しながら、それでもどこか勝ち誇ったように笑った。


 「……派手にやらなきゃ、意味ないだろ」


 壁に叩きつけた痛みが、ようやく鈍く主張し始めた。だがそれ以上に、今は“動けた”という事実が、翔真を支えていた。


 「鍵、取れたか?」


 「ええ」


 女が腰から鍵束を取り出して見せる。少し震えていたが、その手は確かに自由を掴んでいた。


 そして――ついに牢から抜け出す準備が整った。






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