第三話:落とし子
ガタン、と背中を打ち付ける音で目が覚めた。
小刻みに揺れる狭い空間が、馬車の荷台だと理解するのにさほど時間はかからなかった。
体を起こしながら、まだぼんやりとした頭を働かせる。
思い出したかのように、自分の右手に目線をやった。
右手は手首から包帯をぐるぐるまきにされ、ガッチリと固定されていた。
人差し指はまだくっついているようだが、じんわりとした痛みを感じる。
「お、目が覚めましたかい」
御者台の方から声がかかる。見てみれば、森から抜けた時に出くわした旅商人のような男だった。
見た目は30代後半くらいで、顎にはヒゲをたっぷり蓄えている。
小綺麗な装束を来ている所から、商人なのだろうことがわかる。
「指は応急処置ですみませんね。生憎ポーションを切らしてまして。
薬草を塗った包帯で止血しときましたんで、すぐに治療を受ければもとに戻るでしょう」
男はそういって、こちらに向いてはにかんだ。
「あ..ありがとうございます。なんか小さくて可愛いヤツに噛まれてしまいまして」
「あぁ。そいつは多分バルミッチですな。ここらでよく見かけるんですが、
可愛いナリして悪食雑食。見た目に騙される新人冒険者が後を立たないんですよ」
あの齧歯目はバルミッチと呼ばれてるらしい。
獲物を見つけると仲間を呼び、群れで食事にありつくそうだ。
あの場から逃げられなかったらと考えると、ぞっとする。
「あたしはゼブ・カーレン。ここらで商いをやっとります。
お兄さんは、新人冒険者って感じじゃあなさそうだ」
異世界から来ました!……とバカ正直に答えていいものだろうか。
やめておこう。頭のおかしい世捨て人と思われるのがオチだ。
名乗る名前はどうしようか。"翔真"だけはイヤだな。
「……僕はナガノといいます。実は、遠い田舎から旅をしてまして。この辺のことはよくわからないんです」
「ふむ。遠いといいますと、オーリエのあたりですかな?」
「ええ、そのあたりです」
適当に話を合わせる。
ゼブのにこにこした顔がより一層広がった気がした。
「そ~でしたか。こりゃ遠路はるばるご苦労なことで!目的地はどちらなんです?」
「実は、目的地も決めずに旅をしてまして。自分が今どの辺りにいるかもわからないんですよ」
「へえ、珍しい方もいるもんだ!この辺はアルメイヴ王国近郊の名も無い森で、
王都セリオ―ンとキアリカって街を繋ぐ街道の途中ですよ。向きはキアリカ方面ですな」
アルメイヴ。ファンタジーものにありそうな国名だ。
話を聞くに、ここは異世界って事で間違いないだろう。
現在地の国の名前、大まかな場所も把握できた。
何より、文字は全く読めなかったが、現地人と普通に会話できるのが大きかった。
もしかしたら、案外うまくやっていけるかもしれない。
そんな希望が、ほんの少しだけ胸に灯った。
「怪我もされてますんで、キアリカまででよければこのまま送って差し上げますよ」
「すみません。お言葉に甘えさせてください」
「なに、あたしもキアリカに用があるんでね。ついでですついで!」
見ず知らずの者に偏見もなく、恩着せがましくもない。
こんなに上手く事が運んでいいものだろうか?
商人といえば計算高く、見返りなしでは動かないイメージが強い。
何か打算があるのかもしれないな。
街に着いたら仕事を手伝わされる、とかかな。
「ところでナガノさん、珍しいシャツとズボンですな。生地も麻製じゃなさそうだ」
「え?ああ、これはその……ちょっと」
突然の核心を突かれた質問に、思わず中途半端な回答になってしまった。
少しの沈黙の後、ゼブがあごひげを撫でながら話し出す。
「ナガノさん――あなたひょっとして”落とし子”じゃないですかな?」
「はぃ?落とし子?」
「七大神の一柱、”混沌”と"運命"を司る神――"フェイン"の気まぐれによって、
外界から産み落とされる存在の事を"落とし子"と人は呼びます」
「七大神……?フェイン……?」
「たまに現れるんですよ。出自も素性もわからない、しかし未知の知識で人々を驚かせ、凄まじい爪痕を残す者が」
”フェイン”という人物に心当たりはなかった。
仮に今の話が真実だとして、転移した時に、そのフェインからアクションがあってもいいはずだ。
それとも、本当に神の気まぐれで呼び出されたとするなら。
自分はこれからどうすればよいのだろうか。
「落とし子は遥か昔から、世界に大きな変化をもたらす者として知られています。
良い変化も、悪い変化も。大いなる力で一国を救った者もいれば、
世界を揺るがす混沌を招いた者もいるといいます」
仮に自分がその落とし子なるものだとするならば……
他にも異世界召喚された人間がいるということになる。
今後の方針として、他の落とし子を探すことを目標にいれるのもいいかもな。
他の落とし子なら、元の世界に戻る方法だって知ってるかもしれないし。
どちらにせよ、今は身分を隠しておいたほうがいいだろう。
「まさか!僕は田舎村から旅してきたタダの無知蒙昧ですよ。そんな高尚なものじゃありません」
と、ゼブに返した。彼は高らかに笑いながら、
「ダハハハ!失礼!戯れが過ぎましたな。
落とし子なんてのは本当に稀ですからね。ま、そうそういませんよ」
なんとか疑いは晴らせた様だ。
良い方にも悪い方にも転がる存在なんて、多分歓迎されてないだろうからな。
この世界をもう少し知るまでは、身の振り方は慎重に考えよう。
「さ、キアリカまではもう少しかかります。お兄さんは横になってていいですから、ゆっくり休んでてくださいな」
ゼブは変わらずはにかみながら、御者台から水筒を手渡してくれる。
親切な商人だ。序盤からこの暖かさに触れられたのは、かなり大きい。
感謝しながら水筒を受取り、水を一口あおる。
「何から何まですみません……この御恩はいつか必ず」
「いいんですよ。気にすることじゃありません」
色々身の回りの事を知れて安心したのか、眠くなってきた。
街に着いたら、ゼブに手伝える事でも聞いて、この世界について学ぼう。
ああ、指の治療もしないと、な。
「見返りならもうたくさん、いただいていますから」
ゼブがなにか言ったような気がするが、深く深く沈んでいく意識に、声は届かなかった。
「ナガノさん。このあたりにオーリエなんて村はないんですよ」