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何にも染められない白

 休みの日の駅で彼女を見かけた。

 瞬間、喉に苦味がこみ上げた。


 彼女は真っ白いモコモコの上着を着ていた。アイボリーや薄いグレーなんかではなくて、真っ白。

 

 別に彼女が嫌いなわけではなかった。

 彼女はただの正直者で、言いたいこと言う人で、何かと目立つ存在だった。

 決して間違ったことは言わない。しない。しかし、その正しさが一緒に働く仲間を追い詰めていた。彼女はそのことに気づかないだけで、もちろん悪い人ではなかった。

 私は彼女を嫌いなわけではなかった。

 派手めの化粧も似合ってしまうほどの顔立ちの良さはもちろん長所だと思う。羨ましいほどくっきりとした二重だし、まつ毛も長い。

 だから、眩しいくらいの白も着こなしてしまう。彼女の美しさは強さの何よりの証みたいだった。

 どんな色も跳ね返す白は何者よりも強い。


 彼女が異動になったのも、その強さのせいだろう。

 強い正義感。清廉潔白。ウソをつけない。

 彼女はそれを振りかざして人を傷つけていることに気づけていない。

 何かにつけて他人をズルいという。 


 別に彼女が嫌いなわけではなかった。

 一緒にランチをしたり、雑談したり、愚痴ったりして、私が彼女とも円満に過ごすことで、職場は丸く収まっていた。


 でも、私も彼女にうまく異動を促せるように画策した一人だった。

 きっかけは同僚の体調不良。そして、その同僚と彼女は激しい言い争いをしたこと。

 復帰した同僚の仕事に口出しをし、同僚が休んでいる間、彼女がいかにとばっちりを受けたかを切々と話した。


「いつも損な役回りをさせられる。ズルい。ちゃんと仕事をしてほしい」


 それが彼女の言い分だった。


「悲劇のヒロインとは仕事はできません」


 同僚にそう吐き捨てられた彼女は、もちろん反論した。


「どこが悲劇のヒロインなの? どちらかといえば休んだそっちでしょ?」


「いいえ。こちらには体調を心配して休ませてくれる仲間がいますから、不幸で孤独で可哀想な悲劇のヒロインじゃないです」


 同僚はひどく冷静に言い返した。ヒステリックに言い合う時期などとっくに通り過ぎていた。胸の奥にため込んでいた怒りは冷たい軽蔑に変わっていた。


「いつも損して大変で周りは助けてくれないって騒いでいるじゃないですか。自分はすごく可哀想なんだってアピールしてるじゃないですか。充分悲劇のヒロインだと思います」


 彼女はめずらしく黙ってしまった。


「そんな風に見ていたんだ……」


 しばらくして、彼女が小さく呟いたのを聞いた。

 さすがに落ち込んでいるように見えた。

 でも、肝心なことには気づいていない。

 同僚の言ったことは間違っていないこと。

 損な役回りを作り出しているのは自分だということに。


 そして、翌日から職場の雰囲気は最悪になった。


「どうせあなたも嫌いなんでしょ?」 


 休憩時間、二人きりの時に彼女がそう言い捨てたことがあった。


「あなたも悲劇のヒロインぶってるって、思っているの?」


「そんなことないですよ」


 私は苦笑いする他ない。 


 彼女の仕事に対する厳しさが日に日に増していく。

 しかも、意固地になった彼女が一人で仕事を抱え込むものだから、問題もちらほら出始めていた。

 ここまでの経過は、人事部には報告済みだった。でも、報復的な異動なんて彼女の正義感を刺激するだけだ。パワハラで訴えられてもおかしくない。

 だから手を打った。

 異動先に既に所属している若い男性社員との接点を増やし、取引先の数名に彼女を褒めてもらい、異動先のほうが給料がいいという話を吹き込む。あながち嘘でもない。

 そうして、異動先の印象を爆上げしたのだ。

 三月、彼女は辞令をすんなり受け入れた。


(ちゃんとわかっている)


 彼女が嫌いなわけじゃない。

 彼女が全て悪いんじゃない。

 仕方のないことはたくさんあって、どこにも悪者はいない。

 

 なのに、私は逃げ出していた。

 休みの日の駅で、白いモコモコの上着を着た彼女を見かけた、その瞬間。


(なんでお前がここにいるんだよ)


 脳裏に浮かんだ言葉が私の脆い建前を壊していく。

 白すぎる白の眩しさに崩れていく。


(なんでお前がこんなところにいるんだよ。気持ち悪い)


 もしかしたら人事に異動の相談をしたことがバレたのかもしれない。あの手この手を使ったことを、誰かが漏らしたのかもしれない。

 いや、そんなこと、どうでもよかった。

 もはや他部署の人間になった彼女の正論を聞きたくない。もう二度と。

 彼女への罵声が沸々と沸き上がってくる。


 ついてくるなよ。

 追いかけてくるなよ。

 近づくな。

 私の前に現れるな。

 二度と、二度と現れるな。

 消えろ。

 

 私は無心で歩いた。猛烈に速く歩いた。彼女に気づかないふりをして、後ろを振り返ることなく改札を出た。

 急用を抱えた人間を装って駅外の階段を駆け下りる。

 駅前の交差点に着く頃、ようやく振り返った。

 背後に彼女はいなかった。見回しても姿は見えない。

 安堵が胸にこみ上げる。


 私は、別に彼女が嫌いなわけではなかった。

 そのはずだった。

 嘘も大嘘。

 自分にそう言い聞かせていただけだった。


「さよなら」


 正しさとのお別れだ。

 認めるしかない。

 

 正論ばかり言う彼女が嫌いだった。

 白すぎるほど白い彼女が嫌いだった。

 私は彼女が嫌いだった。


 



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