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いつつの四季

いつつの四季04『TOKYOクリスマスカロル』

作者: 藤邑微風

『TOKYOクリスマスカロル』


パシャッ。パシャッ。

スタジオに響くシャッター音だけが、冷え切った空気を震わせる。カメラの奥から覗く男の瞳には、まるで命が宿っていなかった。干からびた水槽に落ちた影のように、ただ焦点を結ぶことなくファインダー越しに世界を見つめている。アイドルたちの笑顔も、その無機質な視線を浴びれば、どこか造り物のように見えた。


「お疲れ様でした。以上で終了です。」


「ありがとうございました〜」


機材のコードを巻き取りながら、スタッフたちの声が遠くに聞こえる。男は重い足取りでスタジオを後にした。ビルの自動ドアが無機質な音を立てて開き、冬らしい鉛色の空が視界に広がる。

肌を刺すような外気も、熱のこもったスタジオから出たばかりの体にはどこか心地よく、吐いた息が白く濃く、空に漂う。


夕方だというのに、太陽の気配はもうない。冬の陽は早々に姿を消し、街のネオンとイルミネーションがそれに代わって人々を照らしていた。駅前の飲食店街は、週末の浮かれた空気に包まれ、人の流れは川のように絶えない。


欄干から見下ろす河川敷には、人の温度が残るような景色が点在している。積まれたビールケース、バス停のベンチに置き去りにされた缶ビール。だがファインダーには人影がない。撮っているのは、あくまで“誰かがいた”あとの風景ばかり。


喫煙所を探して歩を早める。寒空の下、ようやく火をつけたたばこの煙が空に昇る。その手元から、ふと取り出した一枚の写真。現像の途中、意図せず混ざっていたものだった。


「こんな写真、いつ撮ったんだ……?」


見覚えのないその一枚。

クリスマスの夜景を背景に、女が一人、立ち尽くしている。絶望が滲み出たその横顔には、不思議と美しさがあった。悲壮感に満ちたはずなのに、どこか儚く、そして力強い。視線が離せない。

いつの間にか、指先の動きが荒くなり、火をもみ消した。


***


「ごめん。今終わった。うん、週末は有給とったから。うん、楽しみにしてる。それじゃあまたね。」


通話を切った後、ふと心に空洞ができる。

クリスマスを楽しいと思えたのは、いつの頃だったろう。子どものように胸を高鳴らせた夜なんて、遥か遠い過去に置いてきてしまった。イルミネーションのまばゆさが、逆に疲れ切った目にはフィルターのようにかかり、虚飾の輝きが腹立たしく映る。


コンビニに立ち寄り、どうでもいいやと選んだ夕食。いつものようにマンションの重い扉をあけ、くたびれつつあるソファに腰かける。


「あーっ……だめだ。何も食べる気がしない。」


缶チューハイのプルタブを引く音が、狭い部屋に響く。コンビニのサラダはテーブルの上でしなしなと沈黙を保ち、LED照明の水槽では金魚が一匹、ゆるやかに泳いでいた。


「シャンパンとローストビーフならよかったのに。」


そうつぶやいて、ため息をひとつ。

テレビの音が遠く流れ、チューハイのアルコールに心を預けたまま、眠りの淵へと落ちていく。


***


夢と現のあわい、公園のベンチ。

そこは近所の公園。見慣れた場所、なのにどこか異質。


「公園……?」


誰かの声が、視界の外から飛び込んでくる。


「メリークリスマーースだニャン!ここに迷い込んでしまったということはぁ~。ふむふむ。お任せニャ~ン」


「ちょっと待ってよ!」


唐突すぎる登場。猫耳。コスプレ?

しかし動いている……?戸惑いの中、思考が空転する。


まぶたの裏に沈んでいく瞬間、かすかに耳元で「にゃ~……」という気の抜けた声がした。重力の感覚がふっと失われ、主人公は薄い膜を一枚くぐるようにして、静かに“あちら側”へと滑り落ちていった。


***


 目を開けると、そこは見慣れたオフィスのフロアだった。だが、どこか違う。空気が少し薄く、音が反響している。彼女は自分の身体が床に影を落としていないことに気づく。椅子に座っている同僚の背後に回ってみても、誰も気づかない。――ここは夢の中だ。そう理解するのに、さほど時間はかからなかった。


  そして、そこにいるのは――自分。


必死に何かをメモしようとするその姿は、確かに彼女自身だった。幽体の彼女は、まるで演劇の客席に座っているような気持ちで、その様子を見つめた。


「ここは……私の“いま”……?」


 問いかけに答えるように、どこからともなく眠り猫の姿が現れる。書類棚の上に座り、まばたきもせずこちらを見つめていた。


「にゃあ……これは、“いまの君”にゃ。ほんとは、見たくなかったかにゃ~?」


 眠り猫は、しっぽをゆらゆらと揺らしながらそう言った。


「はーん。終わんなかった。あ、そ。はぁ。」


部長が大声でつぶやく。その口調は、いつもの不満と威圧感に満ちていた。


「お前のためにこの重要な企画を振ってやったんだが、こんな中途半端な仕上がりじゃ、意味がないだろう?」


部長は舌打ちしながら、私の作成した企画書を投げ捨てるように机に叩きつけた。


あれ?これ、私が作った企画書だ。必死で何度も修正を重ねて、やっと提出したばかりなのに…どうしてこんな扱いを?


部長の言葉が頭の中で響く。


「最近大丈夫?部長のやつ、あんたが何でもやってくれるからって押し付けやがって。まったく。」


新卒からいつも一緒に昼食をとる仲の同僚が声をかけてくる。


「悪い!今日は彼の家族と一緒に食事でどうしても手伝えないんだ。今度ぜったい埋め合わせするから!」


「うん。彼氏さんの家族と一緒なら仕方ないよ。これくらいなら予定の範囲内で終わるから、私のことは気にしないで楽しんできて。」


私と違って”女”という性を謳歌している同僚。人懐っこい言動に部署の垣根なく交友が広い。しかし一緒に過ごしていると、私含めどこか他人を空気のように扱っている瞬間があることに気づけているのは私くらいなのかもしれない。


突然背景が変わる。

・・・キャバクラ・・・?


「まったく。部下の子がまた半端な企画書をよこしやがって。この俺が気にかけてやってるというのにいつまでたってもね~。今の子は学ぶ姿勢がないんだから。あっはっはっは。俺がちょっと手直しして上に持ってたらすぐ。すぐよ。通っちゃうんだから!みーんな俺がいないとダメなんだから。」


「え~部長さんさすがぁ~。ねぇせっかくだしシャンパンいっちゃう?」



私が残業してまで作った企画書を自分の手柄にしようとしている!?


さらに景色が転換しイルミネーションの通りに投げ出される。


「ね~!おいしかったね~。ごちそうさまでしたぁ♡え?残業?私が抜けたってあの子が全部やってくれちゃうから~?大丈夫でしょ。ふふ。」


仲がいい・・・と思い込むようにしていた友人も裏ではそんな風に思っていたのか・・・。」



気が付けばビルの屋上。街の喧騒が遠のき、冷たい空気が頬をなでた。冬の東京は、すべてがくっきりとしているようで、曇りのない夜空がビルの隙間から覗いていた。


「これって…夢なんだよね…??」


口にしながらくやしさがこみ上げる。薄々わかってはいた。しかし信じたふりをしていないと私が耐えられなかったのだろう。気づかないふりをしていた。彼らは私の事なんて気にしてはいない。


そして視界の隅。白く動くものがそこにいた。


「……また、いたの?」


 柵の向こう、屋上の片隅。段ボールの上に丸くなった白い塊。眠り猫はまるで主のようにそこにいた。主人公の問いかけに、猫は顔をあげ、ひとつ大きくあくびをしてから言った。


「また、来たのかにゃ~」


 その口調は、どこかけだるげで、しかし聞く者の心にじんわりと染み入るようなやさしさがあった。主人公はため息をついて、猫のそばにしゃがみこむ。


「そっちこそ、ずっとここにいるじゃない」


「いるにゃ~。ここ、あったかいからにゃ~」


「……ほんとに?」


 空気はしんとして冷たく、ビル風が吹き抜けるたびに身体の芯まで凍える。それでも、この猫はまるで自分の居場所を見つけたかのように、そこから動こうとしない。


 猫を見つめながら、ポケットから使い捨てカイロを取り出した。中でカサカサと音がして、温もりを手のひらに移す。


「これ、欲しい?」


「いらにゃいにゃ~。ぬくもりは、もらうもんじゃなくて、つくるものにゃ~」


「……なにそれ」


その言葉は突拍子もないようでいて、どこか心の奥を衝くものがあった。


「ねえ、あんた……名前、ないの?」


 猫はまた目を細めて、面倒くさそうに首をかしげた。


「名前かにゃ~いっぱいあるにゃ~。……人間は、名前がないと、寂しくなるにゃ~?」


「うん、たぶん……そうかも」


 主人公は自分の言葉をかみしめるように呟くと、膝を抱えて空を仰いだ。冬の星は鋭く瞬き、東京のネオンにかき消されながらも、どこかで息づいている。


「だったら……つけてあげる。『ノクターン』って、どう? 夜の歌。ちょっとロマンチックすぎる?」


「ノクターン……ふにゃ~、いい響きにゃ~」


 猫は満足そうに目を細めると、ふたたび丸くなって、まどろみの中に沈んでいった。


景色が再び変わる。高校時代の被服部の後輩が立ち上げたブランドお披露目パーティーだ。


「私がこの仕事を目指し、今日という日を迎えることが出来たのは実はある人のおかげなんです。○○先輩!」


スポットライトが私を世界から切り取る。突き刺さる人々の目が痛い。やめてくれ。そんなに出来た人間じゃない。のどがカラカラになる。


「部活で先輩が作る作品は本当に格好良くて、先輩のようなデザインがしたいと思っていました。母を亡くして、目標も何もかも見失っていた私を励ましてくれたのも先輩でした。」


「えっと…。おめでとう。こんな素敵なブランドを背負って立つあなたがとてもまぶしいです。頑張ってね。」


嘘は言っていない。まぶしい。目を開けているのがつらい。そそくさとあきらめて好きでもない仕事をしている私が、こんなきらびやかな場所に来るべきではなかったのだ。


気づけばパーティ会場で背後にいる眠り猫。


「ずいぶんエグいにゃ~。悪気がないのが一層つらいニャン。ふむふむ。あなたにも夢があったんだにゃん。昔は~。」




くるりと回転すると景色も変わる。




レストランのテーブルで、彼との会話が始まる。彼は、何でもなさそうな口調で、突然結婚について話し始めた。


「お前はさ、顔もきれいだし、ちゃんとした大学を出て、社会常識もあるし。これからの俺に必要なんだよ。」彼はため息をつきながら言った。なんだかその口調に、冷たさを感じる。


「これからはさ、妻として家庭を支えてほしいんだよね。仕事なんてやめていいから。どうせ、あんな会社じゃ大した将来も望めないんだからさ。」


その言葉に、胸が重くなる。大学時代、彼は理想の男性だった。気配りもできて、将来も明るかった。だが、今、彼はその考え方を変えてしまった。


彼が見ているのは、もう私ではなく、家庭という“役割”だけだ。それを受け入れれば、夢をかなえることはできなくなる。


「ちょっと、考えさせて。」と私は言う。頭が混乱して、どうしても今は答えを出せない。


その後、レストランを出て、一人で広場に腰掛ける。周りの賑やかさとは裏腹に、心の中は静まり返っている。自分がどこに向かっているのか、わからなくなってしまった。


「もう。夢の中でしょ!?なんでこんなにもリアルで、こんなにも悩まなきゃいけないの。」


くやしさ?怒り?なんともつかない感情に涙と叫びがこぼれる。


「ストップ。動かないで。そう。」


突然呼び止め、カメラを向けてくる男。頭が追い付かず言われるままに動きを止める。


「いい写真だ。今度の展覧会に出してもいいか?街が浮かれているのに、こんなに惨めなツラで外に出てきちまった人間らしさはなかなか撮れない。きれいだ。」


「確かにきれいな景色だけど。」


「いや。あんたがだ。」


いい写真だと思う。男のぶっきらぼうな言動には心底腹が立つが。ちょっと待って。きれい?私が?恥ずかしがるそぶりを微塵も見せず言い放つ男にあっけにとられる。


「名刺だ。今度展覧会がある。見に来たかったら来てくれ。」



***



公園で眠り猫が一匹、丸くなって独り言をつぶやく。


「ん~。本来混ざらないはずの夢が混ざってしまったにゃ~。まぁ、偶にはそんなこともあるかにゃ~。ふぁ~あ。さてさて。私も夢から醒めてひと眠りにゃ~。」


眠り猫は小さく伸びをして、軽やかに眠りの世界へと戻っていった。


***


カチカチと、フォルダを開いて最近の仕事の写真を整理する音が響く。徹夜明けの朝、男は疲れた顔をしていた。先日の仕事先のパーティーの写真を一枚一枚見ながら、ひとつの写真に目を止める。そこには、どこか絶望の底に突き落とされたような顔をした客の姿があった。笑顔を見せたつもりが、歪んだ表情が写り込んでいる。


「まさか、あんな顔を撮るとはな…」と呟きながら、彼はその写真をパソコンの中に仕舞った。


***

目覚ましのアラームが鳴り響き、私は目を覚ます。頭がぼんやりとしていて、夢の余韻がまだ私の中に残っていた。


「はぁ…あんなもの見せられて、会社なんて行く気がするわけないよな~。」


あんな夢を見て、いや、どこか薄々分かっていたんだ。私が会社でも、彼にも、軽んじられていたことを。でも、それを認めたくなかった。すべてを諦めてきたこの人生、少しでもいいから何かにすがりたかった。ほんのまばたきする間に過ぎ去った夢の余韻が、私を投げやりにさせる。


目覚めと同時に動き出す体は、すでに機械的だった。淹れたコーヒーはとっくに冷めていて、残るのは嫌な苦みだけ。顔を洗って、服を着替えるが、食事をとる気にもならない。何もかもが無駄に感じる。家を出て、電車に乗り込む。いつもと変わらない景色が広がっている。小さな変化はたくさんあるのだろうけど、そんなものを気にしていたら、余計な体力を使うだけだ。


昨夜の夢を一つずつ思い返す。それほど鮮明に覚えている夢なんて、久しぶりだ。だんだん、現実と夢が曖昧になっていく。気が付けば、降りる駅を過ぎていた。遅刻は避けられない。どうせ、会社に行っても、あの憎たらしい顔と怒声を浴びるだけだと思うと、だんだんどうでもよくなってきた。


車両に私だけが残り、窓の外の景色をぼんやりと眺める。高いビルが少しずつ減っていき、田畑や一軒家ばかりの風景へと変わる。いつも降りる駅を少し過ぎただけなのに、まるで知らない世界が広がっているようだった。ふと我に返り、電車を降りる。もし、昨日までの私なら慌てて引き返していただろう。今は、それすらもどうでもいい。


携帯を取り出し、会社の番号を押す。


「すみません。今日は会社やめます!」


「何を言っているんだ、君は!」


上司の声が聞こえるが、私は通話終了ボタンを押して、そのまま切った。自分の意思を伝えたのだ。それだけで満足だった。


私は改札を通り、知らない町に足を踏み入れる。いつも通っていた路線とは違う、道を選んでみた。カフェでゆっくりと朝食を取ることに決めた。平日でも、こんな風にゆっくり朝食を取ることはなかった。久しぶりに感じる、この軽さ。


「今日は、何をしようかな。」


あてもなくカバンを探る。


「何だろう、これ…?」


一枚の紙が出てきた。光沢のあるマットな質感の厚紙。黒地に鮮やかな青い海の写真が印刷された名刺。それは、夢の中で声をかけてきたあの男のものだった。


「海か…。それもいいな。」


海という言葉が頭の中で響く。夢の中のことが、現実に繋がるような奇妙な感覚が私を包む。


私はカフェを出て、砂が被ったアスファルトの上を歩く。コンクリートの階段を下りて、浜辺に降り立つ。冬の海は、人影がなく静まり返っている。日がだいぶ高くなり、良く晴れた昼下がり。遮るもののない日差しが温かい。


浜辺を見渡すと、男が一人、波打ち際に向かってカメラを向けている。


「知っている。私はあの人を。」


その瞬間、私の胸がざわついた。見覚えのある、あの顔。思わず駆け出す。


男は足音に気づく事さえなく、何も言わずにカメラを構えている。


「これ、あのっ…!!」


「…!あんたは…!」


私だけが知っているその人がそこにいた。

俺だけが知っているその人がそこにいた。




「ねえ、私のこと、撮ってよ。」




風に髪がなびく。片手で髪を押さえながら、満面の笑みを浮かべて微笑む。


その瞬間、私は夢の中にいるような気がした。

カツカツカツ


古風で雑多な商店街を心地の良いリズムで歩くヒールの音。


カランカラン


「いらっしゃいませ。カウンターでも?」


「ええ。マスター。いい匂いのカクテルを頂戴?」


fin

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