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フェイクインザパンツ

 街路樹の先についた晩の雨が揮発して明けの空へ昇っていくにつれ、庭先に眠る犬の体まで持ち上がり吸い込まれそうになった。朝になってやっと道の形が明らかになる街は、いい街だ。みんなこんな朝を待っていた。低血圧はそのままに症状の一切が克服され、科学の成果を享受しながらもその試みを知らず眠る街の人々が浮かべる寝顔は穏やかで、一見して明白な論理の上に立つ一抹の不安さえもそこには混じっていない。彼らは彼らなりに出来事を受け入れ、この街の域を超えた世界の隅々にまで幸福な日々を溢れさせる特殊な才能の持ち主だった。簡単そうにみえて誰も彼もがこうなれるわけでない。僕は成人して初めて買ったタバコをくわえ、再度咳き込んでしまわないよう呼吸を浅く繰り返していた。遊歩道の形がはっきりと目に映りはじめる時刻である。コンビニの横に留めた原付のシートに腰を半分寄りかけている。帰ったら早く寝ようとか考えていた。あとは今年発売されるインディーゲームのこととか、ケツイ2周目のこととか、セックスのこととか。こう頭が大したことに使われないと、それに自ずと行動までも左右されてしまう。だから僕自身この街に住んでいながら、この街の一員という感じはあまりしていなかった。どうも笑い合えないし、軽い自己主張にも怯んでしまう。ときどき90年代の学術論文なんかも読んでしまうからどうも先への不安が拭えないでいる。付け焼刃のインテリ風情には立つ瀬がなかった。うまく吸えていないタバコが撫でるように吹く微風だけで擦り切れてきている。買ってみて初めて分かったが、僕はタバコがどうしても苦手らしいから、吸わないで済んでよかった。目の前で他人に吸われるのは全然構わないのに、自分が吸うとなると途端に煙いのが嫌になってしまうとは何とも気難しい器官が付いている。冗談でもいいからレイプされたい気分だった。ヘルプミーレープミー。太陽は順調に空を滑り、道の輪郭はもうほとんど明瞭になっている。帰るにはいいタイミングだろう。早朝など他に車の通らない時間帯は、原付で走行することによって解放される脳内物質が対向の風と反応し合うため、交通安全課の警察官からもよくノーヘルが推奨される。あまりにさすがだ。加速と直線走行を維持したままで家の布団へと一気に突っ込んだ。丸まった毛布を抱きしめる。外からは動きだす街の鳴き声が聞こえる。唸っても歌っても変わらない地鳴りに似た鳴き声だ。毛布に顔を埋めるとその奥からも聞こえてくるようで、タバコのにおいも返ってくる。この街のことは好きだろうか。嫌いじゃない。では何が嫌いで、こうやって不貞腐れているのか。間違いなく嫌いなのは自分自身だ。だが嫌いと言うほど嫌いかといえばそこまで嫌いにもなれない。それ以前に好きも嫌いもないんだ。自分で吸うタバコが嫌いなだけで、ゲームにしても楽しみに振る舞っているだけな様な気がしてくる。僕はこの街の人たちみたいに特殊な才能の持ち主ではなかった。ただそれだけのことなのだ。たったそれだけということに人生の大半を費やすということは特段珍しいことでもなかった。次に目が覚めたのは夢精したからだった。パンツの表面がぬらぬらというよりキラキラ、お星さまのように光っていた。このパンツを本物の夜空と見間違えてしまうほど小さい、一匹の働きアリのことを思った。

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