56.迷宮から地上へ 〜今宵好きな人と初めての地上〜
■地下迷宮 十階→九階→地上
トヤはすぐに
寝台から彼女を抱き上げ
近付くとひとりでに
開く扉をくぐって
九階への階段を上がった
「サザー
転送陣を使うぞ」
「トヤ様
どうぞご随意に
──おや
ナイラは?」
「……私を助けるべく
毒を飲み身を浸した」
「それはまた」
「内側の毒は抜いたが
外側は自分で
湯浴みさせようと
思ってな」
ドラゴンは
低く唸って告げた
「ここにある転送陣は二つ
八階へのものの他には
地上に繋がっているものしか
ありませぬ」
「知っておる
どうした
気乗りせぬようだ」
「四階の温泉を使うより
地上へ向かう方が早かろうと
存じますが……トヤ様
自ら地上へ御出でですか」
青年は軽く頷いて答えた。
「ああ
問題ない
陽の光を浴びると
影が落ちないのが
厄介だったが
闇で偽造できるようになった
人間にこの迷宮の主だと
看破される心配はあるまい」
「……では
どうぞご利用ください
ご無事で」
「うむ
礼を言う」
「……ふ」
「どうした
何か愉快げだが」
「いえ。何もございません」
ドラゴンは尾を引いて
広間の奥の小部屋への
道を開ける
トヤはナイラを抱いたまま
きらめく硬貨を踏みしめて
そこへ入った
光霊玉がひとつでも
充分に隅々まで
照らせている小部屋は
白い石でできており
床に金文字で円陣が描かれている
それを踏むと
光の精霊の力が
足下からほとばしる
純粋な光の奔流に呑まれ
トヤはわずかに
眉をしかめた
「……」
「トヤさん……?
光は苦手ですか」
「気にするな
使えぬほどではない」
「……はい」
ナイラは本調子であれば
もっとあれこれ
反論していたところだろうが
今は目を開けているのも
億劫だったため
素直に言われた通りにしていた
青年の短い詠唱が行われる
「飛ばせ
陣よ」
──まただ
ナイラは
自分の中から
存在感が消えていくのを
覚えて両手を握った
それなのに
自分を抱いている
彼の両腕の感触だけ
やけにしっかりと
残って感じられる
やがて芯から
自身の感覚が戻ってくると
彼女は両目を開けて
すぐに驚いて
身をすくめた
青年が至近距離から
彼女を覗き込んで
微かに笑っていたからだ
「転送は苦手か?」
「あ……いえ
その
……ありがとう
ございました」
「気にするなと言ったぞ」
「はい」
「宿はどこだ?」
「宿は──」
ナイラが軽く道順を告げると
トヤはすぐに分かったようで
まだ彼女を抱いたまま
すぐに
九階直通の
転送陣を後にした
転送陣は屋外にあり
苔むした石段に
彫られた溝が
少し焦げていた
■地上 銭湯→宿屋
「お風呂使います
呪い落としの洗い場にも
もう入れますよね?」
宿屋に寄って着替えと入浴券を持ち出したナイラは
宿からほど近いところに建つ銭湯のカウンターで
番頭にそう尋ねた
緑の粘液が付着している彼女の髪を見て
番頭が深くうなずく
「うちのウリを分かってくれてるとはうれしいね
もう入れるからその呪い
ゆっくり落としていっておくれ」
「知ってますよ~
いつか使いたいと思ってたんです
はい
ありがとうございます」
迷宮でこうむる状態異常の中には
伝染する性質のものもある
毒などがまさにそれだ
これを無力化するには
特別な設備で洗い流さなければならない
けれど長い時間をかけるつもりはなかった
ナイラは自分が風呂に入っている間に
トヤがひとりで迷宮に戻ってしまうのではないかと
心配していたのだ
(──宿屋の私の部屋で
待っていてくれるようにと
お願いしてはおいたけれど)
地上が苦手なら帰ってしまうかもしれない
彼が迷宮に戻る時には
一緒に行きたいと
考えているナイラだった
湯冷めしないように熱めの浴槽に
短時間入り銭湯を後にする
「あれ
トヤさん?」
「きれいになったな
思ったより早かった」
「待っててくれたんですか
ありがとうございます」
合流したのは銭湯を出てすぐのところだ
人待ち顔で立っていたトヤを改めて見やって
宿で待たなかったのかと問うたナイラ
トヤは軽くうなずいて言った
「最初は言われた通り
お前の部屋で待っていたんだが
廊下も一階もうるさくてな
落ち着かないから出てきたんだ」
「──ああ
あそこの一階
居酒屋ですもんね
なるほどああいう
うるささが苦手なんだ」
人はお酒が入ると開放的になって
大きな声で色んな話をするんだと
訳知り顔でナイラが言った
トヤは呆れた表情でナイラへ問う
「お前はああいうのも平気なのかナイラ?」
「私ですか? うーん得意ではないけど
仲間がいれば座ったって感じです
ひとりではちょっとハードル高いので別の
もう少しおっとりしたお店に入りますね」
まだ洗い髪が乾いていないナイラに
歩み寄ったトヤが興味深そうに首を傾げた
「おっとりした店? そんなのあるのか」
「そうそう
喧騒の代わりに
ゆったりした音楽を堪能できる
──レストランって言うのかな」
「そこに連れて行ってくれないか
お前どうせ腹も減っているんだろう」
彼のその提案に彼女は上機嫌だ
「わあ
そうなんですよ
もうぺこぺこ!
付き合ってくれるんですか?
うれしい!」
ぽてぽてとのんびりした足取りで歩き始める
進行方向を指さして
口にする話題は風呂のこと




