53.九階 〜準備万端いよいよ前進向かう先は十階へ〜
■地下迷宮 九階 ナイラ 治癒術師Lv8 商人Lv3
「落ち着け
むしろ目の前にいる時にこそ
呼べないだろう」
「あ
まあそうですよね
すみません
何となく特別感が急すぎて
ついていけてませんでした」
ドラゴンからきしきしと音が聞こえてきて
ナイラは少し赤くなった
暑さを覚えて両手で頬と耳に触れると
そこが熱くなっていた
「私
赤いですか」
「林檎のようにな」
「ええ?
そこまで!?」
「冗談だ」
「もう! ドラゴン様!」
ドラゴンのきしきし笑いに
今度はナイラもついていって
ふふふと笑った
しかし彼女は笑いを堪えようとするのだ
笑いに持ち上がりそうになる頬を両手で押さえて
ときめきに潤む瞳を隠すためにまぶたを閉じた
「トヤさん
まだ私のこと受け入れてくれるでしょうか
お部屋もくれるって
あの言葉がまだ有効なら良いんですけど」
「なんだ
くれないかもしれないのか?」
「もう迎えには来ないって言われました」
「ああ
あの時のことか」
「あの時!?」
「そういちいち驚くものではない
私くらいに魔力が強くなると
遠くで起きている出来事も
分かるようになるのだ
私の場合は
ここ九階にいても
八階と七階の会話が聞こえる」
はあぁ
と感嘆の吐息を漏らすナイラ
抱えている両膝に顔をうずめて
ぼんやりとした声で呟いた
「トヤさんも
そうなんですよね
便利」
「あの方は普段
魔力を抑えているから
お前には分からないだろうが
私よりもっとすごいぞ
十階にいてもこの迷宮内のすべてのことが
その場にいるように分かる」
「そう言えばラミア様も
そんなこと言ってた……
え?
それじゃ温泉のことも……っ」
がばっと顔を上げたナイラを見て
ドラゴンが呆れたように
大きく口を開ける
「さすがに覗き見が趣味ではないだろう
──まったく
てっきりターナに襲われていた時に
どうして助けに来なかったのかと考えて
傷つくかと思ったのに」
どういう発想やら困った娘だ
とドラゴンは文句を言った
ナイラは横座りになると
困り顔で笑って失言をごまかした
「トヤさんにしてみれば
『自分をめぐって女が二人争ってる』
って感じでしょう
口を挟みにくいのは分かりますよ」
ほう
とドラゴンは感心したように
吐息をこぼした
至近距離からナイラを見つめて
面白そうに問いかける
「あの方がターナを避ける
圧倒的な理由がひとつあってな
何だか分かるか」
「ん?
いえ分かりません
何かあるんですか?」
「あの女はあの方に懸想しているのでな
何度も口説いて何度も断られて
諦めないものであの方も閉口しているのだ」
「…………っ」
それを聞いて
びしっと固まるナイラだ
そう言えば彼女は
ナイラが『あの方』には不要だと
そう言っていた
つまりナイラはラミアにとって
恋敵だと思われているのだ
「ただでさえお強いのに恋心補正!?
それは逃げるのも
ままならないわけですよ!
道理であの話の通じない感じ!
むしろ七階で見逃してくれたのが
不思議なほどじゃないですか!」
「何か得心がいったのか
まあそう興奮するものではない
お前が十階に部屋をもらえば
ターナもあきらめるだろう」
ドラゴンはそう言いながら
ナイラの小さい肩に
ぽんと爪を当てた
エリクサのおかげで
肩の傷は癒えていたが
服までは直らないため
それは破けている上に血まみれで
ドラゴンの目から見ても痛々しい
鏡がないせいかナイラは
特に気にする様子もなく
ドラゴンへ首を傾げてみせた
「十階に部屋をもらうって
やっぱりそんなに重要な意味があるんですか?
はじめのうち
まだ十階だと思ってなかった頃は私
てっきり色んな魔物が
間借りしてると思ってて……」
「マスターは地上で言うところの
キングと同じだからな
同じ階に部屋を与えられるのは
クイーンのみだ
つまりこの迷宮で二番目に
地位と権力を持つということになる」
「ええ!?
そんなの要りませんよ!」
「いやそんなのとは何事だ!
迷宮内でターナ以外は
お前がサブマスターになること
歓迎ムードなのだぞ
もったいない」
「みんな歓迎って!
いつの間にそんな大ごとに?」
「初めてマスターが
お前に部屋を与えることを打診した
あの日にな
普通なら神獣のみ集めて行う会議に
この時ばかりは
一階からも下っ端含めて
総勢五十種は超える魔物たちが
我先にと集い合って話し合った
その結果だ」
「…………ぅゎぁ…………」
「嫌そうだな」
ナイラは見るからに引いていた
座っているから体勢的にはよく分からないが
上半身は後方に倒れているし
眉間に深いしわが寄っているし
それに何より口元が四角く開いていて
不平不満が大いに現れていた
「あの方のパートナーになるのが
不満か?」
「それはなりたいです
でもいきなりナンバーツーなんて」
「みなからお前になってほしいと
願われたのだナイラよ
そこに胸を張れ」
「ん?
それで賛成してくれたみなさまは
同じくトヤさんを
助けてあげてほしいと
そうお考えなのですか
時には地上に
連れて行ってあげてほしいと?」
「そうだ
あの方はな──ご自身で
気付かれてはいないが
六階に一番よく足を運ばれるのだよ
それが何を意味するか
分かってもらえるかな?」
「トヤさんそうなんですか
この迷宮内で地上みたいな階って
六階しかありませんもんね」
「ああ
ナイラのところに
ちょくちょく顔を出したのも
初めのうちは地上への憧憬もあったのだと
私は見ているのだよ」
「ん? 地上への憧れなら
探索者なら誰でもいいじゃないですか?」
いつしか引いていた体勢を元に戻して
ドラゴンと語り合っていたナイラは
ちょっと失礼と断って
荷物ごとテントの中へ入ると
ころりと寝転がってセーブを行った
ドラゴンは気にした様子もなく
話を続ける
「どうしてかは
私もお前に会うまで謎だったよナイラ
だが今なら分かる
お前は何というか──そう
ひなたの香りがするな」
「え?
私がですか?」
ナイラは顔だけテントから出して
ドラゴンに向ける
ドラゴンは楽しそうに瞬きした
「そうだ
おそらくその全体的に
のん気なところが
幸いしているのだろう」
「ぷぅ
自覚はありますけど
改めて言われると
ちょっとしょっく」
「その節回しで肯定しているぞ」
きしきし笑うドラゴン
ナイラも後追いで微笑んだ
そしてテントの中に戻ると
荷物を選り分ける
十階に行く用の装備に
入れ替えるのだ
それまで持っていた傷薬は
すべてエリクサに代えていく
離脱の羽根は置いていこうと
胸ポケットから出した
浮遊の羽根も要らないだろう
靴から外す
地図は置いていこうと思う
十階の情報は
地図に記録されるべきではない
と思ったのだ
おそらくこれまでの探索者も
同じ想いだったのだろう
新しい服がないのだけ心残りだった
でも仕方がない
着の身着のまま
ありのままで
彼に会いにいこう
そうして伝えるのだ
あなたが好きです
と
ナイラはテントから出ると
真っ直ぐに立って
両腕をぐっと頭上に伸ばして
身体をほぐした
ナップザックを背負って
ドラゴンに深々とお辞儀をひとつ
その後持ち上げた顔からは
迷いは消えていた
「よし! 行ってきます」
「健闘を祈るぞ」
ナイラはお互いに親指を立て合って
ドラゴンに別れを告げた




