34.九→十階 〜やっと到達したらそこは異質な部屋でした〜
■地下迷宮 九階→十階 ナイラ 治癒術師Lv8 商人Lv3
九階には
地上と行き来できる転送陣があると
ドラゴンからは聞いていた
それを使って一旦地上に戻り
身支度を整えてから
改めて十階へ──
九階でドラゴンに
先へ進むことを許された探索者一行は皆
その方式で一度は地上へ戻ったのだという
その後
九階に戻ってこなかったもの
戻ってきたが十階からは帰還しなかったもの
結果はその二つに分かれた
彼らはこの地下迷宮を踏破できなかったのだ
そんな迷宮を踏破する初めての探索者に
自分はなろうとしている
それどころか
サブマスターにまで
ナイラは緊張しそうになる自身の
弱い心を振り払うために
首を左右に振った
下へ続く階段を
踏み外さないように注意して
慎重に降りる
罠の類はないというのがドラゴンの談
それを降り切ったところには
重厚な扉がひとつ
構えていた
いつもなのか
それともナイラが相手だからか
鍵はかかっていなかった
特に軋む音もしない
それをくぐって中に入る
いよいよ履き古した靴底が
最下層の床に触れた
■地下迷宮 十階 ナイラ 治癒術師Lv8 商人Lv3
暗いが
ものが見えないほどではない
明かりとまでは言えないが
自ら薄ぼんやりと淡い水色に発光する
調度品のおかげで
視界が確保されている
調度品
そう
十階はそれまでと大きく異なり
まるで人間が生活していくために作られた
部屋のような造りをしていた
タンス
寝台
洗面台
テーブルに椅子が一脚
いや椅子は壁際にも
もう一脚ある
部屋の中央に
凝り固まっている黒いものは
闇だ
調度品を囲って発光しているのは
色目からして冷気の精なのだろう
闇と冷気を併せ持つ属性は終
ナイラはトヤの姿を探した
「トヤさん? いるんでしょう?」
返事は返らない
明かりを灯したい衝動を
ぐっと堪えて
更なる暗がりの中へと
足を踏み入れていく
調度品の乏しい明かりが
届かなくなっていく
服の血を乾かしておいて良かった
濡れたままでは
この冷気のただなかで
風邪をひいていたかもしれない
濃い闇にとらわれて
まったく前が見えなくなると
ナイラは
自分の目が見えなくなったのか
それともまぶたが開いてないのか
判別がつかなくなった
それで片手を持ち上げて
目元に触れてみた
何度かまぶたをぱちぱちと開閉する
開いている
なのに視界は閉ざされている
仕方なく彼女は荷物から
手探りで空っぽの精霊石を取り出した
その石に闇を呼び込む
すると室内の黒が
石に吸い込まれるように集まって
冷気の明かりが一層強まって見えた
部屋の中央で闇に隠されていたのは
大きめの水たまりのようなものだった
部屋の中に唐突に配置された水たまり
もちろん普段からあるものではないのだろう
何の役目があって
いつからここにあるのか
ナイラにはそのどちらも分からない
水たまりは
大の男でもひとりなら入れるサイズだ
発光してはいるがこちらは緑色
緑と言えば十中八九
毒を宿していることを表す
水たまりの縁には
脱いだ靴が揃えられており
まるで投身自殺の後の現場のようだった
嫌な予感がしたナイラである
「トヤさん?
まさか……トヤさん
トヤさん!」
──ひとの部屋で騒ぐのは誰かと思えば
お前かナイラ
たどり着いたんだな
ここまで
その声は隣にある靴から伸びた
半透明のトヤの映像から聞こえてきていた
ナイラは膝立ちして
彼の映像に向き合うと
左手で水たまりを指し示す
「トヤさん!
まさか
この中にいたりしませんよね?」
──いるが
お前が気にすることじゃない
さっさと立ち去れ
最後に軽く咳き込む様子が見て取れた
だがナイラにはそれは
やけに苦々しく感じられた
「いやです
どうして毒の水たまりなんかに
身投げしてるんですか?
立ち去れってどうして──
私にお部屋をくれると
言ってたじゃありませんか
もう時効なんですか?」
あえて口にすると
それはあまりにも重大事で
ナイラの心の中でつらかった
彼女はそれを振り払うかに
首を左右に振ってから
小首を傾げて告げる
「色んな魔物に助けられたから
自力でとは言えませんが
それでも私
ようやくここまで来れたんですよ
よくやったでしょう?
ごほうびほしいなぁ
この際お部屋じゃなくてもいいんです
一緒に……そう
一緒にお茶でも飲みましょう?」
──お前……
この部屋を見てもなお
そんなことが言えるのか
心底意外そうに聞いてくる彼
彼女は改めて周囲を見回した
「どうしてですか?
片付いてて良いお部屋です
椅子も二つあるし
ああでも給水設備ないんですかね
大丈夫ですよ
私
茶葉もお水も持ってますから」
──お前はもう少し
危機感というものを……ぅっ
げほっ
かがみ込んだ彼が口から
黒っぽい液体を吐き出した
明かりが乏しくて分かりづらいが
血に見える
「トヤさん!」
水たまりの縁に手をかけて
彼の名を呼ぶ
すると両手の平が一瞬かゆくなり
次いでじりじりとした痛みを
宿すようになった
──生憎と俺はこの毒に囚われている
ヒトの身で入れば死ぬだけだ
さっさと地上へ戻れ
十階へ到達した記念の品が欲しければ
物入れから何でも好きに持っていくが良い
「そんなもの欲しくない
どうしてそんなこと言うんですか?
みくびり過ぎですよ」
ナイラは涙を堪えて鼻をすすった
「これまでにも何度も会ってるのに
私のこと分からなさすぎです
絶対、何がなんでも助けてみせます」




