演目6 夢の終わり
「たすけ、て……」
やっとの思いで絞り出した声は、肺から漏れる空気の音に混じって言葉にならなかった。
ぼくはここで本当に死んでしまうんだろうか……
そう考えた、そのときだ。
『ガッ……グギャアアアアア!!!』
縦に細められていたドラゴンの瞳が大きく見開かれ、悲鳴のような咆哮が轟いた。
ズンッと地面が揺れて、ドラゴンがよろめく。
「大丈夫。ボクが、助けてあげる」
力強い声が聞こえた方を見上げると、すぐ横にアクアが立っていた。
真夏の海と同じ色をした瞳は、真っ直ぐにドラゴンを睨みつけたまま。
一歩を踏み出したアクアの手には、炭になって消えたはずの聖なる剣が握られていた。
「キミのことは仲間のボクが助けてあげるから。だからもう、1人で頑張らなくてもいいんだよ」
ぼくを守るように立つアクアが、何故だがとても大きく見える。
ああ、ああ。そうか。
聖なる剣に選ばれた勇敢な少年は、アクアだったんだ。
ぼくにはもう、こんなに頼もしい仲間がいるんだ。
もうぼくが1人で頑張らなくても、助けてくれる仲間ができたんだ。
ぼくはもう、勇敢な少年のフリをしなくてもいいんだ……
ぼくが重くて持ち上げることもできなかった剣を、アクアは軽々と振り上げて、ピタリとドラゴンに突きつける。
ドラゴンは怯んだように、ズシンと地面を揺らして後退さった。
少しの間、睨み合うアクアとドラゴン。
先に動いたのは、ドラゴンだ。
アクアを睨みつけていたドラゴンが、ゴオォという低い唸り声と一緒に炎を吐き出した。
危ないと叫ぶ間もなく、炎はアクアを呑み込んでしまった!
――と、息が止まりそうになったのは一瞬だった。
すぐそこまで迫っていた炎の塊は、アクアが振るった剣に薙払われて、跡形もなく消えてしまったのだ。
そこからはもう、冒険活劇を見ているようだった。
ドラゴンの爪も牙も尾も炎も、アクアには届かない。
逆に、アクアが剣を振るうたびに、ドラゴンは一歩ずつ下がっていく。
ぼくよりも小さなアクアと、象ほどもある大きさのドラゴンなのに、ぼくの目にはまるで正反対に見えていた。
アクアが小さな体を動かすたびに、ぼくの胸は興奮で高鳴っていく。
怖かったことも、死ぬかと思ったことも、アクアを見ているうちに全部どこかへ吹っ飛んでいった。
「アクアっ! がんばれーっ!!」
思わず飛び出した声援に応えるように、アクアが剣を振り上げた。
小さなアクアが大きく構えた途端、頭上の剣は空気を震わせながら、眩く輝き出していく。
そして、彗星のように尾を引きながら、アクアの剣がドラゴンへと振り下ろされた。
『グゴォ……アアォァァァァ……!!』
断末魔の叫びが響く。
ズウゥゥゥン……と地面を大きく揺らしながら、ドラゴンが倒れ伏した。
揺れがおさまると、この場の全ての音が消えてしまったみたいな静けさが訪れた。
やった……
アクアが、勝った……!
『さてさて皆様、ドラゴンを倒した勇敢な少年に盛大な拍手を!』
クラウンの声で、ぼくはハッと我に返る。
そういえば、ここはサーカスで、これはサーカスの演目だった。
ぼくは力の限り手を叩いて、アクアの健闘を褒め称えた。
振り返ったアクアは、キラキラと輝くような笑顔で、ドラゴンを倒した剣をぶんぶんと振り回している。
『最後までお楽しみいただけましたでしょうか。これにて当サーカスの公演は終了です。それでは皆様、良い現実を……』
クラウンの声が消えるのと同時に明かりが消えて、薄暗くなった中にぼくとアクアだけが取り残された。
桟敷席も丸盆も、いつの間にか消えてなくなっている。
アクアの持っていた剣も、老婆からもらった雲飴の瓶も、何もかも全て。
まるで、ここには最初から何もなかったかのように。
「助けてくれてありがとう。騎士みたいで、すごくかっこよかったよ!」
全てが消えて、最後に残ったアクアの手を強く握り締めた。
そうしないと、なんだかアクアまで消えてしまいそうだったから。
「ううん。ラルドが応援してくれたから頑張れたんだ」
アクアが首を振る。
強く握った手が、同じくらいの強さで握り返された。
「ずっと1人で頑張ってきたラルドを守るのは、ボクの役目だと思ったから。……でも、ここでお別れかな。もう夢の時間は終わりみたいだね」
真夏の海と同じ色をした瞳が揺れていた。
ぼくの手を握るアクアの手が緩み、するりと引き抜かれる。
「いやだ!!」
繋いだ手が離れようとした瞬間、逃がすものかとぼくはアクアの手をぎゅっと握り直した。
美しい青緑の瞳が、まん丸に開かれていく。
「夢の時間が終わりなら、現実の世界へ帰ろう! ぼくと一緒に!」
「…………ダメなんだ。あのね、本当はボク、ここから出られないんだよ……」
「だったら!」
困ったように笑うアクアを無理やり引っ張って、ぼくは歩き出す。
どっちに行けばいいのかなんてわからないけど、とにかくここではない場所を目指せばいい。
「アクアがここから出られないなら、出られるどこかを探しに行こう。絶対に、ぼくが見つけてあげるから!」
「………………うん」
雲飴の占い師によれば、ぼくは『周りを幸福で照らす灯火の運命』らしい。
この何もない暗闇の世界にアクアが取り残されるのならば、ぼくがアクアを照らす灯火になればいい。
アクアを幸福まで導く、小さな光に……