演目1 ヒゲの紳士と恐ろしい魔女
幻想的で、ちょっとだけ怖い。
そんな、サーカスみたいなお話です。
ぼくの父さんは、立派なヒゲの紳士だ。
ツヤツヤのシルクハットと、雄々しい鷲の飾りのステッキが良く似合う。
父さんよりも格好良くて完璧な紳士を、ぼくはまだ見たことがない。
だからいつか、父さんが新しい母さんを連れてくるのは当然だと思ってた。
父さんに相応しい、美しくて優しい女の人が、いつかぼくの新しい母さんになるのだと、ずっと思ってたんだ。
「はじめまして」
なのに、父さんが新しい母さんだと言って家に連れてきたのは、恐ろしい魔女だった。
血走った目はギラギラとぼくを睨みつけていて、真っ赤な唇はぎゅっと固く結ばれている。
ぼくは一瞬で、猟犬に目をつけられたウサギの気持ちを理解した。
その女は、珊瑚色の髪と真珠色の肌に、波のようにフリルが重なった海色のドレスがよく似合う、とても美しい人だった。
だけど、それが余計に恐ろしい。
思わずぼうっと見惚れてしまうくらいの美しさなのに、あんなに冷たくて恐ろしい目をしてぼくを睨みつけているんだから。
きっと、この女は魔女なんだ。
魔女は父さんを惑わせて家に入り込み、ぼくを追い出そうとしているに違いない。
「どうした。ご挨拶をしなさい」
父さんはすっかり魔女に惑わされている。
あんな恐ろしい顔で睨む魔女に挨拶しろなんて、どうかしているとしか思えない。
「ぼ、ぼく…………イヤだ……!」
「ああ、こら! 待ちなさい!」
ぼくは走ってその場から逃げ出した。
背中に父さんの声が届いても、そんなものは無視して一目散に走り続ける。
走って走って、父さんがぼくのために造ってくれた迷宮庭園のいちばん奥にある、ミモザの木まで走り抜けた。
「う、う……うわあああん!」
辿り着いたミモザの木の根元で、ぼくは小さなこどもみたいにうずくまって、みっともなく泣き喚いてしまった。
だって、どうしても我慢できなかったんだ。
ぼくの母さんは、3年前に死んでしまった。
父さんの誕生日プレゼントを買いに行って、街で事故に遭ったのだ。
母さんが買った翠玉のカフスは帰ってきたけれど、母さんは帰ってこなかった。
父さんは今でもそのカフスを大事にしている。
母さんは、美しくて優しい人だった。
ふんわりと微笑んで、ぼくの頭を優しく撫でてくれる温かい手が大好きだった。
母さんが死んだとき、ぼくも父さんも溶けて消えてしまうんじゃないかというくらいたくさんたくさん泣いたけれど、辛い気持ちも時間が少しずつ癒やしてくれた。
父さんは、泣いてばかりいるぼくを喜ばせようと、母さんが好きだったミモザの木をゴールにした迷宮庭園を造ってくれた。
ぼくは、泣いてばかりいた父さんを守れるよう、強くなることに決めた。
ぼくは父さんがいたから、父さんはぼくがいたから、母さんがいない寂しさを少しずつ忘れていけた。
そうやって心の痛みが和らいできた頃、父さんからお願いをされたんだ。
「この家に、新しい母さんを迎えてもいいだろうか」
その人は、父さんが経営している会社で、父さんの仕事を手伝ってくれている人だと教えてもらった。
母さんが死んで辛くて悲しくて仕方なかったときにも、たくさん助けてくれた優しい人だと、父さんは少しだけ恥ずかしそうに言っていた。
ぼくは悩むこともなく頷いて、父さんのお願いを聞いてあげた。
ほっとしたように、照れながら笑った父さんはとても嬉しそうだった。
母さんが死んでから、父さんがあんなふうに幸せそうに笑ったのは初めてのことだ。
お願いを聞いてあげて、本当に良かった。
それにぼくも、父さんを笑顔にした優しい人が新しい母さんになってくれるなんて、ちょっぴりワクワクしていたんだ。
なのに、父さんは騙されていた。
優しい人だなんて嘘っぱちだ。
あんな恐ろしく冷たい目で睨んでくる魔女が、優しいわけがあるもんか。
「う……うぁ…………うっ、う、ひっく……ひっく……」
涙が次々と溢れてきて、喉も変なふうに震えだしてしまって止められない。
母さんが死んだときも、こんなふうに止まらなかったっけ。
もうとっくに涙なんて涸れて出なくなってるのに、苦しくても泣くことしかできないんだ。
そのうちに疲れて寝てしまって、起きたらまた悲しくなって泣いてしまう。
そんなことを思い出しながら、ぼくの意識は段々と遠くなっていった。