決意を込めて覗き込む
その日、気合の入ったグレイスはさっそくティファニーズビューティーサロンで公爵家の権力を振りかざして化粧品を大量買いしようと鼻息粗く意気込むと、パチンとまたもやデコピンをくらった。
「ひどいいいなんでですか、せっかくやる気になったのに!私だってこんなキラキラした化粧品買ってみたいです!」
おでこを抑えて恨めしげに見つめると、ティファニー様は私が手を伸ばしかけた化粧品の瓶を遠ざけるようにさっと横にはけた。
「落ち着きなさい。あなたにはまだ10年早いわ。基礎の基礎から始める必要があるの。スタートラインのはるか手前にいると思いなさい」
ティファニー様はふんと鼻で笑うと、私の後ろにいるクレアにむかってちょいちょいと手招いた。
「ねぇちょっと、クレアちゃん。この子公爵令嬢なんでしょ?なんなのよこの残念さは」
「お嬢様は人前では完璧なご令嬢ですが、素はこちらです。お可愛らしいでしょう?」
「見た目はずいぶん大人びてて儚げなのに、詐欺レベルでうまくやってるわね。……まぁでも、こっちのが生きてる感じするわ。ただのお人形さんじゃつまらないもの」
「ティファニー様の前では取り繕わなくてもいいと自然と判断なさったんでしょうね」
「あら光栄」
二人は私にも聞こえる声量でこそこそと話すものだから、むむっとむくれてしまう。
ティファニー様が今日も今日とて高いピンヒールをカツカツならして正面に立つと、もう一度私の足元から頭までをじろっと見たあと、顎に手を当ててふむふむと考え込んだ。
「そうねぇ全体的に悪くはないけれど、ちょっと堅苦しい印象があるのよね。まずは食事改善と姿勢矯正で女性らしい柔らかい雰囲気をつけていくのはどうかしら。それぞれのパーツは個別でやっていきましょう。しばらくここに通ってもらいたいけど大丈夫?」
グレイスが頷くと、ティファニー様は満足気に微笑んだ。それからクレアを手招きし、紙の束を手に少し話し込むとこちらに振り返った。
「とりあえず、あなたには血と肉を作る食材が圧倒的足りないわ。肌がくすんでるのはそのせいよ。クレアちゃんに細かいところは伝えておいたから、あなたは出されたものをつべこべ言わずに完食すること」
「わかりました。太りませんかね?」
真面目な顔で聞いてみると、ハンっと鼻で笑われた。
「そんな心配は出るとこ出してから言いなさい」
言い返したいが、自らの控えめな体型のせいでぐうの音も出ない。悔しさを込めた目できっとティファニー様をにらんだがケラケラと笑われてグレイスのやり場のない怒りは募るばかりだった。
公爵家に帰ると、クレアはさっそく料理長と今後のメニューの相談に向かった。
一人になった部屋で、鏡にそっと近づき、そこに写る自分をまじまじと見た。グレイスが思う堂々としたいい女とは程遠い自分が鏡越しにこちらを見つめている。
鏡にそっと右手をつき、もう一人の自分と手を合わせる。
私、変わると決めたのよ。まぁ……なんというか、なりゆきで流されてではあるけれど、でも自分を好きになるって自分で決めたの。
決意を込めて覗き込む自分は、心なしかいつもより好ましく見えた。
夕食の時間になり、食堂に向かう。
いっぱい食べろって言われたもの、今日は全力で食べてやるわ。いったいどれだけ出てくるのかしら、メインのお料理が二品も三品も出てきたらどうしましょう。食べ切れるか緊張するわ。
鼻息荒く席に着く。
もともとグレイスは食が細い上に、貴族女性が求められる折れそうに細い腰を実現させるために食事は控えめにしていたため、普段の夕食はコンソメなどのあっさりしたスープと多めのサラダ、メインの肉や魚料理にはあまり手をつけずにその分付け合わせのパンなどでお腹を満たしていた。
さっそく給仕された皿を見ると、いつものコンソメスープではなく、魚介と野菜が煮込まれたクリームシチューが目の前で湯気を立てている。
それ以外でいつもと違うのは、パンの数が少なめなことと、サラダに卵や豆が具材として出されているくらい。いつもの食事のマイナーチェンジといった印象だ。
このあと、肉の塊でもくるのかしら?
そう不思議に思ってついきょろきょろと周囲を見渡すと、クレアと目があった。
目線から私が不思議に思っていることを感じ取ったであろうクレアはにっこり笑って教えてくれた。
「ティファニー様より、いきなり無理をしては続かないし身体も驚いてしまうので、まずは普段の食事をベースに必要な食材を足していく形で、と仰せつかっております」
グレイスは初日だからと気合いを入れて食べまくってやろうと思っていた自分が少し恥ずかしくなったが、正直この気遣いはありがたい。
「いわく、お嬢様は血を作るような食材と、筋肉や髪を作るような食材が足りてないとのことでした。栄養のあるレシピをいろいろ聞いてきましたので、これからのお食事を楽しみにしていてくださいね」
普段は何を食べているかはあまり気にせず、食べる量をなるべく少なめにすることだけ考えていたのだが、血や肉を作ると聞くと一口一口につい気合が入りしっかり味わうことができた。
グレイスはいつもよりも少し食べ応えがあり、いつもより食材数が多い栄養たっぷりの夕食を時間をかけて堪能したのだった。
クレアは私が完食するのをしっかり見届けると満足気に微笑んだ。
「お嬢様、就寝前の紅茶ですが、紅茶には眠りを妨げる効能があるそうでして、本日からはティファニー様からいただいたハーブティーを用意してお部屋に運ばせますね」
「ハーブティーって今日いただいたあの赤くて酸っぱいお茶かしら?お砂糖を入れたら美味しいのだけど、まだちょっと慣れないのよね」
「いえ、寝る前におすすめのハーブティーを別でいくつかいただいております。香りもきつくないですし、味もクセがないのできっとお気に召しますよ」
「……ねぇ、クレア。やっぱりお菓子はだめなのかしら?」
「お嬢様はお菓子がお好きですものね」
「そうね、頑張らなきゃいけないときに、ご褒美にお菓子があると思うと頑張れるのよ。王城での授業なんて、休憩で出てくるお菓子のために我慢したと言っても過言ではないわ」
クレアはくすくすと軽く笑いながら、手際よくハーブティーを用意していく。
「ティファニー様から、好きなものはやめなくていいけれど、量や材料は見直してもいいかもねと仰せつかっております。パイやマカロンよりは、サロンで召し上がられたようなナッツやフルーツが入ったものがおすすめだそうですよ」
「ほんと!?じゃあお菓子禁止にはならないのね!よかったわ、食事改善と聞いてからそれが心配だったの」
ふーっと息を吐きだすと、やわらかい夜着に着替えたからだでベッドの上でぐっと伸びをする。
「クレア、今日、わたしを連れ出してくれてありがとう。なんだか今日一日が刺激的すぎて、夢みたいだわ。明日起きたら全部夢でしたって言われても私は驚かないわよ」
「夢じゃないですよ、お嬢様。ふふ、お嬢様がいい女になられるのが楽しみですね。私もお嬢様の美しさを磨き上げることができてうれしいです」
クレアはそう言うと、紅茶よりも柔らかい色合いのお茶をそっとテーブルにおき、就寝の挨拶をして部屋を出て行った。
一人になった部屋でお茶に口をつける。
「私も、実は楽しみだわ。」
就寝前のハーブティーは、ほのかに甘みのあるあっさりとした優しい味で、グレイスはそれを飲むと今日一日のことを思い出しながらすぐに夢の世界へと旅立った。