話はそれからよ
カラン――――と軽やかな鐘の音とともに鮮やかなブルーのドアが開く。
晴れやかな陽気で賑わう城下の中心地から一つ道を曲がったその先に「ティファニーズビューティーサロン」はあった。
白を貴重とした明るい店内にはずらっと化粧品の小瓶が並び、バラの絵や蜂蜜、植物などそれぞれの絵が書いたラベルがついている。
店内で一番目を引くのは、天井から引かれた真っ白なカーテンで区切られたスペースの奥に見える床から天井まで一面にはられた、磨き上げられた大きな鏡。
グレイスは公爵令嬢。化粧品はいつも母がお抱えの商人が家へと卸しに来る、おそらく最上級のものを言われるがまま塗りたくられていたので、こんな風に城下街のおしゃれなお店に自ら足を運び、化粧品を買いに来るなんて初めての経験だった。
お嬢様は少々お待ちを、と慣れた様子でカウンターの奥の小部屋に声をかけるクレアを横目に、ワンピースがひっかからないようおそるおそる店内を散策してみる。
バラのラベルがついたシリーズだけでも、大きさの違う瓶が6個もある。触れたら壊してしまいそうで、手は出さずにまじまじと商品を観察していく。
お店がまるごとキラキラしていて可愛らしく、お気に入りのはずのスミレ色のワンピースもくすんで見える。大きな全身鏡にちらっと映った自分の姿を見て、グレイスは場違いだと思われていないかとそわそわしていた。
「グレイスお嬢様」
店員との話がついたのか、クレアがにっこりと満面の笑みでグレイスを呼ぶ。
カウンターに目を向けると、そこには迫力満点の長身の美女がいた。
エメラルドグリーンのド派手なドレスを身にまとい、白に近いプラチナブロンドのつややかな髪を盛りに盛って結い上げている。同色のまつげがばさっと開くと、その奥にある紫の宝石のような目がグレイスをとらえた。
「ひっ!!」
条件反射で思わず一歩後ろに足を出すと、それを察知したクレアががしっと肩をつかみ、美女の方へ押し出した。
「好きにやっちゃってください」
「クレア!?待って待って助けて!!」
主に忠実であるはずのメイドにあっさりと裏切られ、ギラギラとしたオーラを放つ謎の美女を涙目で見つめる。
美女はカウンターに肘を付き、クレアによって押し出されたグレイスのことを頭の天辺からつま先まで、バッサバサの白金のまつげに囲まれた目を細めて値踏みするように見ている。
そのままカウンターの横の出入り口から、10cmはあろうかというピンヒールをカツンカツンと響かせながら店内のスペースへと出てくると、おもむろにグレイスの顎をつかみ上を向かせた。
まるで口づけでもするかのような距離感に、グレイスの脳内は処理落ち寸前だった。
顎を持ったまま顔をぐいっと左右に傾けられると、その手はそのまま肩を通り下へ下へと動き出す。
肩から体のラインを通って腰へ、そのままドレスごしに足までをさっと手でなぞられた。
何が、起きて、いるの!?
グレイスは驚きのあまり声も出せず、ガチガチに固まったまま、目の前の長身の美女を見上げた。
そして違和感に気づく。
ちょうど目線の高さにある大胆にあいたVネックから覗く胸の膨らみは、あるにはあるのだが、なんというか、膨らみというよりはどう見ても立派に育った大胸筋であったし、肩に掛けたうっすらと透けるショールの下では隠しきれないがっしりとした肩幅が主張していた。
「え、、おと……男!?いった……!!」
口を開いた瞬間に閃光の速さでデコピンをされた。
「なにか言ったかしらぁ?痩せこけた貧相なウサギみたいなお嬢さん?」
あまりの痛さに悶絶し、痛みが落ち着いてからようやく今のがデコピンだったことに気づいた。おでこを銃で撃ち抜かれたと思った。
真綿に包まれて育てられ、もちろんデコピンなんてされたこともないグレイスが恨みがましい目で見上げると、目の前の美女もとい謎の人物はつややかな赤い唇をにぃっと上げて笑っていた。
「気を取り直して。私はこのサロンのオーナー、ティファニーよ。いい女になりたい子には協力は惜しまないわ。よろしくね」
ティファニーは、さきほどのデコピンはなかったことにしたようだ。にっこりと妖艶な笑みを浮かべて挨拶をした。
「……ヨークシャー公爵家のグレイスと申します。本日は、色合わせというものがあると伺って参りました」
グレイスはおでこを抑えていた手をようやくおろし、ぼそぼそと挨拶を返した。もう怖い。似合う色とかいいからもう帰りたい。そんな思いを込めてクレアの方をちらっと見てみるが、あいも変わらずいい笑顔で有無を言わさず首を横に振られた。
逃げ場はないということだ。
「色合わせね。いいわ。でもまず、あなたがいい女になりたい理由を教えてもらうわ。話はそれからよ」
ティファニーは部屋の片隅にある応接セットにグレイスを案内した。
手を軽く上げて店員に目配せをすると、またたく間に目の前には繊細なティーカップと色とりどりのお茶菓子が並んでいく。
丁寧に淹れられたお茶は紅茶よりも赤みがかっていて、口をつけるとフルーティーな香りときつめの酸味に少しびっくりしてカップを口から離した。
「ローズヒップティーよ。肌にいい成分が豊富なの。飲みづらいようならお砂糖をいれるといいわよ。甘酸っぱくてぐっと飲みやすくなるから」
ティファニーは慣れた様子でお茶を楽しんでいる。グレイスはまだ慣れないその味に、テーブルの真ん中にあった角砂糖を2つ溶かしてようやく美味しいと思うことができた。甘くないお茶はどうも口になじまない。
「口にするものってとても大事なの。あなたの体を作るのは今まで食べてきたものよ。さっきチェックさせてもらったけど、肌のかさつきとその貧相な体は食生活直さないとどうしようもないわね」
なるほどさきほどの奇行はボディチェックだったのか。一言言ってくれればいいものを。
「でも私、食事には気をつけておりますわ。太らないように野菜をたくさん食べておりますし、量も少なめにしています。まぁ、お菓子は好物だからよく食べますけど…」
「それよ」
グレイスが答えると、ティファニーが机からぐっと乗り出して顔を覗き込んだ。
「あなた、自分の体に必要なモノをわかっていないの。まぁ食事指導は長期的にやってかなきゃいけないし、おいおいやっていきましょう。ここで出しているお茶もお菓子も体にいいものを私が選んでいるから、好きに楽しんでちょうだい。さて、じゃあそろそろあなたがここに来た理由を教えてもらおうかしら」
ここに来た理由、などと言われても、私だってクレアに今日いきなり連れてこられただけなのだ。明日夜会があるからキレイになりたいです!のような明確な理由などはない。
しかし特にありませんなどと言おうものなら、またあのデコピンがとんでくるかもしれない。
ちらっとクレアを振り返るも、にこにこと笑っているだけで助け舟は出してくれなさそうだ。
「そうですね、私は髪も瞳も地味な色合いなので、どういった色が似合うか知りたいと思いまして」
「なるほどね。自分にどんな色が似合うか知りたい。自分に興味を持つことってとても大事だもの。それも最初の一歩だわ。さ、じゃあ次はもう一段階踏み込んで聞くわよ。なんで急に自分に似合う色が知りたいって思ったのかしら?」
「うーん、自分に似合う色が知りたいって思ったのは、その、最近ドレスアップしたときに、ええと……ドレスはとても素敵だったと思うのですけれど、あまり、その、似合っていないと言われたというか……」
さすがに人に言われた嫌味を自分から口に出すのははばかれて少し口を濁すグレイスの背後で、クレアがさきほどとは違う冷たい笑みを浮かべて口を開いた。
「グレイスお嬢様の婚約者が、ドレスアップしたお嬢様に向かって貧相だとか幽霊みたいだとふざけたことを仰ったようで」
テーブル越しにグレイスを見つめていたティファニーの眉間にぎゅっと深い皺が寄った。
「あらぁごめんなさい、ちょっと耳が一瞬遠くなったみたい。もう一度教えてくれる?ドレスアップした女の子に向かって?」
グレイスはおろおろとクレアを止めようと振り返って手をのばしたが、笑顔の裏に深い怒りをのぞかせたクレアは容赦なく言い放った。
「貧相で幽霊みたい、と」
「……なぁるほど。わかった、よぉーくわかったわ」
地を這うような低い声に、ぎぎぎっと錆びついた人形のようにグレイスはティファニーに向き直った。
「つまりいい女になってそのクズみたいな男を見返したいってわけね!いいわ、私が全面的にサポートして絶対にぎゃふんと言わせてやるわよ!!」
ティファニーはガタッと音を立てて椅子から立ち上がると、大きくガッツポーズをとって高らかに宣言した。
クレアはよくぞ言ってくれたという様子でぱちぱちと拍手を打ち鳴らし、店員たちはやれやれいつものことだというようにスルーしてそれぞれの仕事を進めている。
「え?いや別にぎゃふんとかは。私は似合う色がわかればそれで……え?ねぇ聞いてる?」
こうして、本人だけが全く熱くなっていないまま、グレイス改造計画は幕を開けた。