お願いだから
アルバートは、フリード王国の王女を伴って会場に姿を現した。
王女は幼い顔立ちをしているが、身にまとったドレスは目が痛くなるほど派手で、宝石も遠慮なく盛られている。
――自分の隣に立つにふさわしいかどうかはさておき、「見栄え」はする。
「……」
アルバートは、王女の話に相槌を打ちながら、無意識に視線を走らせていた。
探しているのは、ただ一人。
来ていなければそれでいい。どうせ来られないだろう、と心のどこかで思っていた。もし来ていたとしても、一人で壁に張り付いて所在なさげに立っているはずだ。自分のエスコートがなければ、あの女は何もできない。まぁ、後で声をかけてやってもいい。俺が王女のエスコートをしている姿を悲しげな眼差しで見つめる姿を想像すると溜飲が下がった。
だが。
グレイスを見つけた瞬間、アルバートの思考は止まった。
(……違う)
ドレスが違う。
髪型が違う。
それだけなら、まだ許容できた。
だが、決定的に違ったのは、グレイスが周囲の視線を気にしていなかったことだ。グレイスをずっと見ていたアルバートには一瞬で分かった。
背筋を伸ばし、微笑み、隣に立つ男と言葉を交わしている。その表情に、怯えも、遠慮も、縋るような色もない。
しかも隣にいるのは、知らない男だ。見たことがない。親戚か?それともアカデミーの知り合い?その立ち居振る舞いには自信が満ちていて、まるで最初から彼女の隣にいるのが当然だと言わんばかりだった。
胸の奥が、ぐちゃりと音を立てた。耳がキーンとなり、音が遠くなる。
「アルバート様?」
王女が不思議そうに声をかけてくる。
アルバートは曖昧に頷き、答えにならない返事をした。今すぐ問い詰めたい気持ちをどうにか抑え、グレイスの隣にいたエスコートの男が席を外した瞬間を見逃さず、アルバートは一気に距離を詰めた。
「……何をしている」
低い声。
グレイスは一瞬だけこちらを見て、すぐに視線を外した。
それだけで、頭の中が真っ白になる。
「おい、話がある」
腕を掴む。
「離してくださいませ」
はっきりとした拒絶だった。
「何だその似合わない格好は。色気づいて、見苦しい。着替えてこい。俺の顔に泥を塗る気か?」
いつも通りの言葉。
いつも通りの、相手を下に置く言い方。
「そんな態度で婚約者の座にいられると思うなよ。
いいことを教えてやる。俺には――フリード王国から、正式な婚約の打診も来ているんだ。お前との婚約なんて今この場で解消してもいいんだぞ?」
発言が聞こえたのか、周囲がざわつく。
いつも二人の時にしか言わないような直接的な言葉だったが、それを気にしている余裕はもうアルバートにはなかった。
傷つけ。
泣け。
お願いだから、そのまっすぐな目で見るな。涙を浮かべて、視線を揺らして、俺の言葉に動揺するんだ。
そうすれば、また自分の元に戻ってくるはずだ。
だが。
グレイスは、静かに笑った。
「……ふふ」
「何がおかしい」
「いいえ。ただ、よくわかりましたの」
静かに、しかしはっきりと。
「わたくしと殿下は、価値観が違うようですね」
アルバートが言い返そうとした、その瞬間。
「そんな結婚は、不幸でしかありません。
――婚約は解消致しましょう。殿下もそれをお望みのようです」
空気が凍りつく。
「な、何を言っている……!」
「あら、殿下にはもっとふさわしい方がいらっしゃいますわ。私は、自分の人生を、自分で幸せにするのに忙しいので」
はっきりした声だった。グレイスのこんな声を聞くのはいつぶりだろうか。
そうだった、こいつは、昔はずっとこんな風に俺に堂々とものを言うやつだったんだ。
いつからだ?いつから俺たちは変わった?
「ごきげんよう、殿下。手続きはヨークシャー家当主の父より後ほどご連絡いたしますわ。殿下のこれからのご活躍、遠くからお祈りしております」
グレイスは振り返ることなく、その場を去った。生花で彩られた髪と、明るい紫の軽いドレス。その後ろ姿は、アルバートがいつも見ていた彼女とは全く別人だった。
アルバートがかすかに伸ばした手は、何も掴めないままそっと空を切った。




