お前はずっとそのまま
窓から差し込むうららかな日差しに目を細めながら、準備を終えたアルバートは庭園に向けて廊下を歩いていた。
一ヶ月ぶりに、婚約者であるグレイスを迎えに行かなくてはならない。
グレイスと顔を合わせるのは、正直に言って少し緊張する。
少年少女だったときのような気軽な距離感をとることはもはやできず、最近では自分が吐いた言葉によってどのくらいグレイスが反応してくれるかでしか二人の距離感をはかることができなくなっていた。
ドレスが似合っていない。
貧相だ。
地味だ。
俺の隣にいて恥ずかしくないのか。
そういった類の言葉を吐いたときには、グレイスは顔をこわばらせてはっきりと傷ついた顔をしてくれる。それを見ると、あぁまだグレイスは自分のことを愛しているんだと安心すると同時に、ゾクゾクとした快感に似た感覚を覚えることも事実だ。
どうかしている、こんな関係はゆがんでいるというのは自覚している。でもグレイスを前にすると、自分が自分ではないような感覚になり、気づけば心にもないことを口にしてしまう。
自分でも笑えるほどの悪癖だった。
―――あと半年だ。
あと半年もすれば、グレイスが本当に手に入る。結婚してしまえば今の微妙な距離もなくなるだろう。
自分のものになってしまえば、こんなふうにいちいち相手を試すような真似をしなくてもいいのだ。
だからそれまでは。
俺の言葉に振り回されてくれるグレイスを十分に愛でたっていいだろう?
庭園の入り口につくと、春の訪れを祝うガーデンパーティーにふさわしく色とりどりに着飾ったご令嬢たちが目に入る。
ざっと見渡すがグレイスの姿はない。俺の目がグレイスを見逃すわけがない。
待たせるつもりか?と少しいらついた気持ちを抑えもう一度入り口を振り返ると、そこには庭の木々と同化するような色合いのドレスを身に着けたグレイスがじっとこちらを見つめていた。
相変わらず、地味なやつだ。
思わずふっと口角が上がるのを隠しもせず、グレイスに近づいた。
それでいい。
お前はずっとそのまま地味でいて、俺の言葉に一喜一憂していればいいんだよ。
挨拶ついでに嫌味の一つでも言ってやろうかと、自分よりも背の低いグレイスの顔をのぞきこむように顔を傾けた。
ブルーグレーの凛とした瞳と目が合った瞬間、アルバートははっと息を呑んだ。
なんだ?何が違う?何の違和感だこれは。
目をそらし、気取られないように一歩下がってグレイスの全身を眺める。
春の柔らかな緑と同化するような、冴えないグリーンのドレスに身を包んだグレイスは、ぱっと見はいつもと変わらずに見える。相変わらず地味でださくて野暮ったい。華美な露出の一つもないいつもどおりの姿だ。
……気の所為か。
アルバートは一瞬焦った自分を恥じると、それを隠すようにグレイスの出で立ちを鼻で笑った。
「グレイス。しばらくぶりだね。今日のドレスもよく君に似合っている。さながら、咲き誇る春の花園に山菜が紛れ込んでいるようだ」
さきほどの混乱の名残から、すこしばかり饒舌で早口になってしまったが大丈夫だろうか。ま、まぁグレイスを馬鹿にしたことは伝わっているだろう。
「あら、ありがとうございます。独特な褒め言葉をいただいて光栄ですわ」
「なっ……」
瑞々しい唇が弧を描き、にっこりと微笑んで返すグレイスに、アルバートは言葉につまった。
衝撃だった。
貶したのになぜ、とか、こんな風に笑顔を向けられたのはいつぶりだ、とか、山菜ってさすがに例えが下手だったか?とか、自分でも整理できない感情がごちゃまぜになり、次にとるべき行動も表情もわからなくなってしまったのだ。曲がりなりにも王太子教育を受けているものとして、あるまじき失態であった。
「まぁ……そういうことだ!」
自分でも何を口走っているのかもうわからないままアルバートはその場を離れると人混みの喧騒に混ざった。
頭の中は混乱していたが、叩き込まれた社交術のおかげで口はなめらかに動いているようで、きらびやかに着飾る令嬢たちと話しているうちにだんだんと気持ちが落ち着いてきた。
落ち着いてくると、期待していたような反応がなかったグレイスに対して怒りが湧いてきた。
なんだ、あいつ。調子にのっているのか?
華美で露出も多いご令嬢に囲まれている自分を見れば少しは反省するだろうと、両手に花状態のアルバートはグレイスを目だけで探す。どこだ?きっとどこかから俺の姿を悲しげに見つめているのだろう。
お前がそういった殊勝な態度をとるならこちらだって……
グレイスは、デザートコーナーで目を輝かせてタルトを頬張っていた。
なぜだ!?なぜこちらを見ない?
なぜ傷つかない!?
なんだこの気持は。焦っているのだろうか?グレイスごときに?
「アルバート殿下?」
横にいた顔と名前が一致しない、安っぽいドレスを着た令嬢がどうしました?と声をかけてくる。
とっさに何かごまかしたが、何を口に出したかは覚えていない。
令嬢たちがさっと顔を赤らめていたから、何か誉め言葉でごまかしたんだろうと思う。
気づいたときには、グレイスの姿はガーデンパーティーから消えていた。
いや大丈夫だ問題ない。今日のパーティーがおかしかっただけで、グレイスは俺に認めてほしくて必死なはずだ。
そうだ。決まっている。
あと半年だ。
半年すればグレイスは手に入る。
グレイスが俺から離れることなどあってはならないのだ。