この二人こそ、王国中の羨望の的
とある国のとある王城、そこには一年後にこの国の王子との結婚を控えた、一人の令嬢がおりました。
「おいで、グレイス」
微笑んでこちらに手をのばすのは、濃い金の髪にエメラルドの瞳の流し目が女性を惑わしてやまない我が国の第一王子アルバート。
「はい、殿下」
そっと華奢な手を添えるのは、腰まである豊かなウェーブの銀髪に、神秘的なグレーの瞳、抜けるような真っ白な肌の儚げな容姿をした婚約者、グレイス。
今夜は隣国からの使者を迎える公務として、アルバートとその婚約者であるグレイスはいつもよりもきちんとした礼装で会食に臨んでいた。
滞りなく食事を終え、ここからはお酒を交えて、というタイミングで未成年の二人は先に退出を許されたのだった。
「それでは、我々はここで。フリード王国のみなさまには、また明日のお見送りの際にご挨拶に伺います」
にこり、と完璧な笑顔でアルバートが退出を告げると、隣に佇むグレイスともども優雅な礼をしてその場を後にした。
グレイスを恭しくエスコートするアルバートの姿に、周囲はほうっとため息をこぼす。
物腰柔らかで誰もが見惚れる王子と、控えめに寄り添う美しい婚約者。
この二人こそ、王国中の羨望の的。
一年後には盛大な挙式が予定されている。国を挙げてのお祭り騒ぎとなるだろう。
時期王妃という世の女性が最も手に入れたい立ち位置を手にした女性、それが私、公爵令嬢グレイスだ。
フリード王国との会食を終え、自室に戻るために王城の廊下を歩く。
さきほどまで笑顔で私をエスコートしていたアルバート様は、無言で歩を進めている。
どうせ振り返ることもないだろうと、ようやく公務を終えた安心感から下を向き小さくため息をついた。
伝統的な厚い生地で作られたクラシカルな深いグリーンのドレスに、大きなリボンがつま先に縫い付けられた豪奢な靴が目に入る。
(とても美しいわ。ドレスも、靴も。)
ぼんやりときらびやかな自分の衣装に気を取られていたため、アルバート様との距離が少し離れてしまっていることに気がついた。
焦って少し早足で後をついていくと、アルバート様が靴音に気づいたように振り返った。
「まだいたのか。もう今日は用はないからさっさと公爵家に帰ってくれ」
うんざりしたような表情で吐き捨てるように言われた言葉に足がすくむ。
「あぁ。それから、次の夜会ではもう少しまともなドレスを選べ。貧相なお前がそんな年寄りが着るような地味なドレスを着てたらどう見ても幽霊にしか見えん。俺の隣に立つのであれば恥をかかせるな」
アルバート様の美しい柳のような眉がぐっとゆがめられ、まるで汚い虫でも見たような表情で言い放った。
「はい、大変失礼いたしました殿下。それでは、おやすみなさいませ」
顔を見ていられず、そっと目をそらす。不愉快そうな視線はいつまで経っても慣れるものではない。
足音が遠ざかり、アルバート様がこの場を離れたことがわかると、そっと顔を上げて詰めていた息を今度は細く長く長く吐き出した。
しかし、今日の公務は思ったよりも無事に終わった。
アルバート様はドレス姿の私を見たときに一瞬眉をひそめられたが、周囲にはメイドがいたのでそれ以上は指摘されなかったし、食事をしている間は陛下や隣国の使者もいるので穏やかでお優しく、理想の婚約者そのものだった。
最後の嫌味くらいはかわいいものだ。
なにより、そんなことは言われなくても自分が一番良く知っている。
グレイスは王子の婚約者に選ばれてからここ数年ずっと、重鎮の貴族たちに揚げ足をとられないようにクラシカルな色と形のドレスを着用している。同年代の女の子のように、トレンドにのったひらひらと薄い生地やきらめく装飾などに興味がないわけではないが、はしたない、王族に連なるものとしての品位が、などと揶揄されることを考えれば最も無難な形のドレスに落ち着くのは致し方ないというものである。
「ドレスも靴も、最高級のものですのに。私なんかのせいで地味ですって。申し訳ないわ」
グレイスは重いドレスの裾を指先でそっとつまむと、自嘲気味につぶやいた。
王城の正面玄関まで一人でむかうと、すでに公爵家の馬車が手配されていた。
中では幼少期から私付きのメイド、クレアがいまかいまかと待っていたようだ。
馬車に近づくと、急いでドアを開けて飛び出してくる。
「グレイスお嬢様!お一人でいらしたのですか?」
「ええクレア、公務はさきほど無事終わったわ」
「あのクズ…いえ殿下はエスコートすらしないなんて。どういったおつもりなのでしょう」
「クレア、だめよ。ここはまだ王城なんですから。それよりもはやくドレスを脱ぎたいの。帰りましょう」
ちょっと疲れてしまって、と言えばクレアはそっとブランケットをかけてくれた。
馬車の窓からカーテン越しに見える王城の明かりをぼんやりと眺めながら、次にアルバート様に会う夜会について考える。
来月の半ばということは、一ヶ月ほどは彼に会わなくて済むということだ。
王城から離れるごとに、緊張から解き放たれ全身がゆるむ。落ちる瞼に抗うことなく、グレイスはそっと目を閉じた。