48 真意-10
「課長、熱が高いんですから、冷やしましょ? 氷で冷やしたほうがもっと気持ちいいですよー?」
極力優しく聞こえるように、努めて冷静に。
がっちりと抱え込まれた身体の隙間に割り込ませたままの両手に、ギュムッと力を込め、その戒めをどうにか解こうと試みる。
が、意識的なのか無意識なのか、私の首筋と背中に回された課長の両腕には、それを拒むように更に力が込められ、そればかりかフリーだった足にまで足が絡んできて、ホールドは強化。ますます身動きがとれなくなってしまった。
ううっ。
だーかーらー。
私は、抱き枕じゃないっつうの。
「冷たすぎるのは、好きじゃない……から、こっちがいい……」
ワンテンポ遅れてぼそりと落とされた抑揚のない声音からすると、半分は夢の世界にいる様子だが、ちゃんと意識はあるらしい。
「課長~~、苦しいから放してください」
意識があるならと、今度は、情けない声で情に訴える作戦に出てみる。
「うん……苦しい……」
って、そりゃそれだけ熱があったら苦しいでしょうけど、放してくれないことには看病できないんですけど……。
寝不足プラス、アルコールの入った私の脳細胞では、次善策は何も浮かばない。
「……はあっ……」
特大の溜息とともに、私は全身の力をすうっと抜いた。
無駄な抵抗はあきらめよう。
いい加減、力を入れっぱなしの両腕も疲れたし、病人にいらぬ体力を使わせるのも気が引ける。
こうなっては仕方がない。
『鳴かぬなら、鳴くまでまとうホトトギス』って言ったのは、徳川家康だったか。かの御仁にあやかることにした。
かなり心臓に悪い状態だけれど、このまま、課長が完全に眠ってくれるまで静かにして待っていよう。
まさか、熟睡すれば放してくれるだろうし、今更あせる必要もないよね――?
などと、余裕のあるふりで、高をくくっていたのが大間違いだったかもしれない。
トクン、トクンと、
脱力した身体中に感じる、自分のものか課長のものか定かじゃない少し速めの規則正しい鼓動は、やたらと安心できて、疲れた身体と心を眠りの世界に甘く誘った。
――だめ、課長の頭、冷やさないと。
六時くらいには、美加ちゃんも起こしてあげないと。
それから、会社に欠勤の連絡を入れて、課長を病院に連れて行って……。
のろのろとした緩慢な思考は、いつの間にやら闇に飲まれてしまった。
酷く、甘ったるい夢を見た気がする。
甘ったるくて、懐かしい夢。
夢の中の私は、まだ十八歳で。
最近付き合い始めた、初めての彼氏『榊先輩』の一挙一動に、ドキドキハラハラ。
からかうような先輩の言動にいちいち律儀に反応しては、更にからかわれ。
顔を真っ赤に上気させた私は、せいいっぱいの抵抗を試みる。
『先輩の、いじめっ子! そういうふうに意地悪ばかり言ってると、私だって怒りますよ!?』
常ならば、『怒ってみれば?』と、ニコニコと満面の笑みで更にからかう言葉が返ってくるところだけれど、今回はなぜか驚きの声が上がった。
いつもと違った反応を引き出したことが嬉しくて、思わず笑ってしまう。
「……あはは、珍しく驚いてるんですか?」
「ああ、驚いてる……」
やったね。
いつも驚かされてばっかりだから、たまにはこんなこともないと、不公平よね。
「うふふふふ」
私はニンマリと頬の筋肉を緩めて、先輩の身体をギュッと抱きしめた。
って、ん?
なんでこんなに熱いんだ?
「先輩、熱でもあるんじゃ――」
榊先輩?
そこで、ぱちりと目が覚めた。
と、同時に、ぎくりと身体がこわばった。
おそるおそる視線を上げれば、同じように身体をこわばらせている人物と至近距離で視線がかちあった。
私が抱きついているのは榊先輩じゃなく、谷田部課長。
しばし呆然と見つめあった後、二人同時にあらぬ方へと目が泳ぐ。
うわーっ、うわー、気まずいっ!
「す、すみませんっ。つい眠りこけちゃったみたいで、失礼しましたっ!」
ばっと、課長の身体に回していた両腕を引き剥がし、自分の身体引きを起こし布団から床に『しゅたっ!』と正座する。
や、やばい、あのまま寝ちゃったんだ私。
「ね、熱はどうですか、課長?」
ひきつり笑いで問うと、課長はゆっくりと半身を起こした。
「熱? あ、ああ。だいぶ楽にはなったが……」
どうしてこんな状況になっているのか?
腑に落ちない様子で、課長は、眉間を指先で揉みほぐしながら唸っている。
さっき抱きついた時の感じからすると、夜ほどではないにしろ、まだ熱はありそうだ。
「それは、良かったです。でも今日は大事をとって、会社は休んで――」
そこで、肝心なことにはたと気がつく。
カーテン越しに差し込んでくる、外の日差しは明るい。
朝というよりこれはむしろ、昼間?
「ええっ!?」
ぎゃーっ、寝過ごした!?