47 真意-9
強引に引き寄せられた身体は、抵抗する暇もなく引き寄せた主の腕の中に、あまりにも簡単に捕らわれてしまった。
抱え込まれた背中に首筋に走るのは、大きな手のひらから伝う熱と、痛みを感じる限度スレスレに込められた強い指先の感触。
激しく拍動しているのは、私の首筋?
それとも、課長の手のひら?
「か、課長……」
不意打ちの行動に驚きで開きかけた唇が、更に熱を帯びた柔らかい感触で塞がれた。
な、何を――!
「谷田部、課……っ」
逃れるように引いた僅かな唇の隙間を厭うように、首筋に絡んだ指先に力が込められ、引き寄せられ、再び与えられる感触に、思わずギュッと目を瞑る。
先刻の、ふわりと触れるだけのものではない、感情をぶつけてくるような深い口づけに、思考が漂白される。
抗えない。
文字通り、熱に浮かされたような一方的な行為なのに、抗うことができない。
――ばかっ。
何を、やってるのよ?
さっき、『最高じゃなくてもいい、最良の部下でありたい』って誓ったばかりじゃないの!
なのに、その舌の根も乾かないうちに、これなの?
驚き戸惑いながらも、私はこの瞬間を『幸せだ』と感じてしまっている。
ったく。
相手は、思考回路崩壊中の病人。
あんたが、しっかりしないで、どうするのよ?
僅かに残った理性をフル稼働させて自分に喝を入れ、私は、鼻腔から大きく息を吸い込むと、思いっきり口から吹き出した。
目には目を。
不意打ちには、不意打ちを。
キスの最中に、相手から思いっきり息を吹き込まれたら結果は明白。
「うっ! ごほっ! げほげほっ! げほっ!」
苦しげにむせくりかえりながらも、抱え込んだ私の身体を放さないのは、根性というかなんというか。
「っ……げほっ……なに、するんだ?」
人を抱き枕替わりにして、恨みがましそうに至近距離で愚痴を言わないで欲しい。絆されてしまいそうになるじゃないの。
「それは、こっちのセリフです、課長。病人のくせに何するんですか? 大人しくしていないと、治りませんよ?」
どこかにとん走中らしい理性を取り戻して欲しいと切に願いつつ『課長』の部分に、力を込める。
ドキドキ暴れまわる心臓をなだめすかしながら、どうにか冷静に言えたと思うけれど、耐久時間に自信はない。
ここは、さっさと開放してもらわなければ、心臓が持たない。
『はい、じゃあ、放してください』と、密着したままの体にどうにか割り込ませた両腕に力を込めるが、一向に開放してくれる気配はなく。
「病人、だから」
代わりに、クスクスと楽しげな囁きが耳元に落とされ、そのくすぐったい感覚に、思わず身をすくめる。
み、耳元攻撃は、反則だって!
「……ひゃっ!?」
反応に困って身をこわばらせていたら、またまた身体が引き寄せられ、今度は、首筋に唇が寄せられた。
ちゅっ、と上がるリップ音に、頬が上気する。
こ、こらっ、なにするのよ、このセクハラ上司っ!
「か、課長っ、お忘れでしょうけど、隣の部屋には美加ちゃんが寝ているんですからねっ。大声出して呼びますよっ?」
クスクスクス。
苦し紛れの脅し文句もなんのその、とん走中の課長の理性は戻ってくる気配もなく、更に事態は悪化の一途をたどった。
「……気持ちいい」
「えっ!?」
首筋に顔を埋められたこの状態で聞くには心臓に悪すぎるため息混じりのセリフに、ぎょっと目を見張る。
そ、そんな気持ちよさそうな声で、気持ちいいって言われても。
え、えーと。えーと。えーと。
どう反応すれば、いいんだろう?
ああダメだ、私の理性まで、ぶっ飛びそう。
たらーり、たらーりと、全身に変な汗をかいて静かに悶絶していたら再び耳元に囁きが落とされ、今度は別の意味で固まった。
「冷たくて、気持ちいい……」
って、そっちの『気持ちいい』か!
危ない方向に思考が向いていたのは、私の方らしい。
この人は、病人だ。
高い熱があるのだから、熱いのは当たり前。
他人の通常体温でさえ、ヒンヤリと感じられるのだろう。
そうだ、冷やさなきゃ。
看病という本分を思い出した私は、逃げ出しかけた自分の理性を引きとどめるために、すうと一つ大きく息を吸い込んだ。