37 親友-8
メール、WEB拍手等での温かなメッセージを、ありがとうございました。
とても励みになっています。
スローペースになるかと思いますが、更新を再開したいと思います。
読んで下さった方に、少しでも楽しんで頂けたなら、嬉しい限りです。
やっぱり課長の声って、電話越しだと耳元で聞こえるせいか、いつもより低く感じる。
安心できる、良い声だなぁ……。
――と、一人ささやかな幸せに浸りながら、「おやすみなさい」と返事をしようとしたその時。
「あ! 先輩、もしかして谷田部課長からですか?」
ガラリ、と引き戸を開ける音と共に美加ちゃんの声が背後から飛んできて、ビクリと体をすくませた。
み、み、見られた……?
『携帯電話を耳に当ててうっとりしている自分の図』を思い浮かべて、たらーりたらーりと嫌な汗が背中を伝い落ちる。
「あ、うん。谷田部課長だけど、美加ちゃんも出てみる?」
あはははと、内心の動揺を引きつり笑いで誤魔化して問うと、美加ちゃんは「はい。変わって下さい」と、微笑んだ。
「あ、課長。今、美加ちゃんと変わりますね」
電話の向こうの谷田部課長に断りを入れて携帯電話を差し出すと、美加ちゃんは更にニッコリと笑みを深めて受け取った。
「あ、谷田部課長。今日は、本当にありがとうございました」
ああ、ちょっとは元気になったみたいで、良かった……。
ホッと胸を撫で下ろす。
「はい。もう平気です。はい、そうですか」
美加ちゃんと課長の会話を聞くともなしに聞きつつ、遅すぎる夕飯の支度をしようとエプロンを付けながらキッチンに足を向ける。
やっぱりメニューは、手早く簡単に作れて美味しい、雑炊みたいなのが良いかな?
確か、冷凍したごはんと鶏肉があったから、シメジとシイタケ、後は冷凍食品のゴボウ&人参ミックスを入れて。あ、元気が出るように、根ショウガをすって入れてみよう。仕上げは卵を落として半熟に。うんイケそう。問題は――。
「美加ちゃん、鶏肉とキノコの雑炊にしようと思うんだけど――」
食べられる?
と、振り向きながら何気なく聞こうとして電話中だったことに気づき、ハッと口を押えた。
美加ちゃんは電話口を手で押さえて、
「はい、鶏肉もキノコ類も大好きですー。メニューは鶏肉とキノコの雑炊ですね?」
と、聞き返してきた。
「あり合わせだから正式なメニュー名は無いけど、まあそんな所ね」
美加ちゃんはコクコクと頷き、再び携帯電話を耳に当てて口を開いた。
「と、言うことで、課長も、梓先輩特製の鶏肉とキノコの雑炊を食べに来てくださいね!」
――はい?
今、何を言ったんだ、この娘。
『と言うことで』、課長が、なんですって?
妙なセリフを聞いた気がして動きを止めたまま、楽しげな表情で電話を続けている美加ちゃんの顔を、まじまじと注視する。
「はい。三十分ですね」
――何が、三十分?
胸騒ぎを覚えつつノロノロと、言葉の意味に考えを巡らせた。
「あ、ついでに、せっかくだから三人で酒盛りしましょうよ。ビールとおつまみの買い出し、お願いしますね」
さ、酒盛りっ!?
どこで、誰が、酒盛りっ!?
脳内漂白モードで、酸欠の金魚よろしく、口をパクパクと開け閉めする私のことなどお構いなしに、事は着々と進んでいく。
「はい、お待ちしてまーす」
プチリ。
美加ちゃんは通話ボタンを切ると、にこやかな笑顔で「はい」と、携帯電話を私に差し出した。
「と言うことで、課長の分も雑炊、お願いしますね先輩!」
「……」
私は、無言でそれを受け取り、くるりと踵を返してキッチンに向かい、鍋に水を張り火にかけ、材料を切り分けにかかる。
ええ、もちろん三人分。
夕飯は会社でオムライスを食べているけど、色々あって、さすがに私もお腹が空いたから一緒に食べちゃおう……。
どうやら、課長もここで、『私の部屋』で一緒に夕飯を取るらしい。
ついでに、おつまみとお酒持参で、酒盛りもしちゃうらしい。
あまりと言えばあまりの事の成り行きに脳細胞が付いて行かず、包丁を持った腕だけが律儀に、『食材を切り刻む』と言う慣れ親しんだ動作を繰り返す。
そうだった、この娘は、この手の事には俄然張り切る『しきりたガール』だった。
「あーずさ先輩っ」
黙々と料理を進めていく私の左隣に、美加ちゃんは、ニコニコと顔を覗かせる。
「……何?」
「そんな怖い顔で、怒らないで下さいよぉ」
「怒ってないよ」
「だって、眉間に縦ジワよってますよ?」
ギク、ギクッ。
「……」
うう、だから、飯島さんにも「考えていることがモロに顔に出る」なんて言われるんだわ……。
課長の鉄面皮。少し分けて欲しい。
「いいじゃないですか、今日くらい。傷心の後輩のために、楽しく酒盛りしましょうよ!」
ええ、ええ。分かっていますとも。
ここまで段取り組まれちゃ、今更課長を追い返す事なんかできないし。
この知能犯めっ!
チラリと、軽く睨みを聞かしたら、美加ちゃんは悪びれもせずに『エヘヘ』と肩をすくませた。
「……別に、良いけど、美加ちゃん?」
「はい?」
「あなたは、お酒飲んじゃ駄目よ?」
「えー、なんでですかぁ?」
「鎮痛剤と化膿止め飲んでる人は、お酒は飲めません。ついでに、運転して帰らなきゃいけない課長にも、飲ませるわけにはいきません」
「えー、そんなの、つまらないじゃないですか!」
「と、言うことで、何の障害もない部屋主の『私だけ』、美味しく酒盛りさせていただきます」
「えー、えー、ずるい先輩!」
かくして、三十分後。
谷田部課長は、例のご近所のコンビニの白いビニール袋を二つぶら下げて、我が部屋を来訪なさった。
さすがに常識人の課長は真夜中に玄関のチャイムを押すことはなく、駐車場から「着いたので、今から伺います。部屋の前まで行ったら、ノックしますから開けて下さい」と私の携帯に連絡を入れてきた。
こんな気配りができる常識を持ち合わせた人がどうして、美加ちゃんの無謀ともいえる誘いにホイホイと乗ってきたのか、そこが不思議だ。
だから、いざ玄関のドアを開けた瞬間。
「こんばんは。その、こんな夜分に申し訳ない……」
と、てんこ盛りの白いビニールを二つを両手にぶら下げて、所在無さ気に佇んでいる課長の何とも形容しがたい神妙な顔を見て、思わず笑ってしまった。
「いいえ。買い出し、ありがとうございます。さあどうぞ、狭い所ですけど上がって下さい」
って、課長はもう知っているんだっけ。
「いや、俺は、ここで失礼するよ。さすがにこんな時間に、部下とは言え独身女性の部屋へ上がらせてもらう訳にはいかないから」
どこぞで聞いたセリフを口にして、課長は少し苦笑気味に口の端を上げた。
『どこぞ聞いた』とはもちろん。例の週末パーティの後に、『夕飯を相伴させてくれ』と粘る課長に私が言ったセリフだ。
意外に、気にしてくれているのだろうか?
だとしたら、何だか嬉しいような、気恥ずかしいような。
「何言ってるんですか? もう課長の分も食事の用意、出来てますよ? 食べて頂かないと、こちらが困ってしまいます。それに、欠食部下が約一名、お腹を空かせて待ちかねていますから、お早くどうぞ」
そう言う側から、
「課長ー、早く食べましょうよー。お腹空きすぎて、ヒモジイですよぉ……」と、
美加ちゃんの心底ヒモジそうな情けない声が背後から飛んで来て、課長と二人顔を見合わせて、思わずクスリと笑い合う。
悪びれないと言うか得な性格と言うか、本当に憎めない娘だ。
「ほら、課長、遠慮はナシで、どうぞ上がって下さい」
手を伸ばして、課長の手からぶら下がっているビニール袋を一つ取り上げて、さあさあどうぞともう一度促す。
「それじゃ、遠慮なく」
「はい、どうぞ」
久々に一人きりではなく、誰かと同じテーブルを囲んで一緒に食べた『お家ごはん』は、とても美味しかった。
料理の腕以前に、料理は一人で食べるよりも誰かと一緒に食べた方が断然美味しいのだと言うことを、しみじみと再認識したその後。
結局、美加ちゃんも、美加ちゃんに強引に飲まされた課長も、もともと飲むつもりだった私も、三人で仲良く酔っ払い。美加ちゃん主導の『酒盛りパーティ』も宴もたけなわとなっていた。
時計の針は、もう午前二時。
ちなみに今日は木曜日。いや、日付けが変わったからもう金曜日だけど、言うまでもなく明日も仕事があるから、遅くとも七時半には家を出ないと間に合わない。それを考えたら、もういい加減に寝ないといけないのだけど、如何せん、主役の美加ちゃんが元気ハツラツで、寝る気配がない。それどころか、やたらと課長に私の事を売り込む始末だ。
「先輩って、お料理上手ですよねー。もうお嫁さんに欲しいです、あたし! ねぇ、ねぇ課長も、そう思いませんかぁ?」
「そうだな」
よせばいのに、課長も、ニコニコ笑顔で調子を合わせるものだから、美加ちゃん節はますます絶好調で。
「ね、ね、ね。そうでしょう? 課長もそう思うでしょう? だからいっそ、先輩をお嫁さんに貰っちゃいましょうよぉ!」
お酒が入っているからか、言っていることがストレートになってきた美加ちゃんを課長から引き離すべく、私は、ほろ酔い加減で重くなった腰を『よっこらしょ』と気合いを入れて上げた。
「美加ちゃん、もうそろそろ寝ようか? 明日も会社があるし、美加ちゃんも少しは寝ないとケガに触るよ?」
「えー、まだ眠くないですー」
「でも、寝るの!」
「ぶうぶうー」
豚の鳴きまねをしながら、口を尖らせる美加ちゃんに手を貸して立たせると、隣の寝室へと連れて行く。さすがに酔いが回ったのか、千鳥足の美加ちゃんをどうにかベッドに座らせ、布団をめくってトントンと叩く。
「ほら、ここね。美加ちゃんはベッドを使って。私は布団を敷いて、隣の床に寝るから」
「はぁい。わっかりましたぁ……」
右腕を庇いながら、コテンと横になった瞬間、さすがに眠気が襲ってきたのか、すぐにスースーと気持ちの良さそうな寝息が聞こえてくる。
お酒でほんのり上気したその顔を見つめながら、本当に無事で良かったと、心底思った。
「おやすみ、美加ちゃん」
そっと寝顔に声をかけて、明かりを消し、寝室から隣にDKに足を向ける。
さて、残るは、もう一人。
鼓動が早く感じるのは、きっと、回り始めたお酒のせい。
今日は、美加ちゃんもいるし、私がドキドキするようなことは、何も起こらない。
そう自分に言い聞かせながら、課長の待つDKへと足を踏み入れた。