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33 親友-4


 応援してくれる可愛い後輩もいることだし。

 美加ちゃんの熱いエールに、『私も頑張るよ』言った手前、ここは一丁勇気を出して、課長にアタック開始!

 ……なんてことは出来ないのが、やっぱり私、高橋梓。

 結局、何も出来ないまま聞けないまま、時は過ぎて。

 ふと気づけば、いつの間にか鬱陶しい梅雨は明け、暦は夏も近づく爽やかな文月、七月も中旬になっていた。

 行動を起こさなければ良くも悪くも結果は明白で、課長とは、なんら進展があるわけはなく、仕事に追われてそれどころじゃないのが、ありがたかったりするのが正直な気持ちだ。

 お昼休みが過ぎたと思ったら、あっと言う間に午後五時の終業時間がやってくる。

 本日も相変わらず、工務課内は当たり前の残業モード突入で、課長も、当然のごとく私の残業に付き合っている。

 特に無駄話をするわけでもなく、黙々と切りがない図面書きに没頭すること更に二時間が過ぎて、ただ今午後七時。

 ここで、工務課の約半数を占める家庭がある主婦社員が帰路につき、残る私たちシングル組が店屋物で夕飯を取り、更なる残業に勤しむことになる。

 もちろん、私もご御多分に漏れずシングル組の筆頭として、あと二、三時間は残業する予定だ。

 毎日繰り返される結構ハードな業務内容に、若い女の子が多い事もあって、この課から他の一般事務職に移動願いを出す社員もいることはいた。それでも、多くの社員が多少の愚痴をこぼしつつも、このハードな仕事をこなしているのには、それなりの理由わけがある。

 なにせ、仕事のメインでもある加工図面書きは、それこそ一本の線を書くところから始まり、嫌になるくらい練習を重ね。寸法の出し方から材料の取り方及び発注まで、その一つ一つを自分で体験して、失敗を重ねて身に付けてきた正に経験がものを言うお仕事。

 人間、自分が苦労をして積み重ねて得たスキルを、そう簡単には手放せない。

 それに、なにより、自分が担当した建物が完成した姿を実際目にした時の、あの感動。

 自分がその一端を担ってこの建物を作り上げたのだと言う、誇りと達成感。あんな気持ちを一度でも味わったら、もういけない。

 どんなに面倒くさい図面でも、残業続きでも、『よし! 書いてやろうじゃない』と言う闘志が、フツフツとわいてくる。

 自分はこの仕事に出会えて幸運だったなぁと、しみじみ感じ入りながら、届いた店屋物とセルフサービスのお茶をデスクに持ち帰り、さて今日のメニューのオムライスを食べよう! と『いただきます』をした所で、帰り支度をしていた美加ちゃんが声をかけてきた。

「課長、先輩。あたしは大木鉄工に完成図面を届けて、そのまま直帰しますんで、お先に上がりますねー」

 大木鉄工は、美加ちゃんの担当工事の下請け会社で、会社から車でも一時間半はかかる場所にある。社長と奥様、そして社長の弟の職人さんの総勢三名の個人会社。自宅の隣りに工場があるので、今の時間帯に尋ねても、応対してくれるのがありがたい。

 工期に余裕がある工事ならば、『図面を宅配で送って後日に電話で打ち合わせ』と言う形を取る事もできるけど、今回は大分締切りが押していて、一日でも早く加工に入りたいのだ。

 今夜のうちに図面を手渡せば、明日の朝一で、材料の裁断加工に入れる。締切に追われている時の一日は大きく、後でモノを言う。

『締切厳守』が、この業界の大原則。

 鉄骨を組み上げるその当日に製品加工が間に合わなければ、計り知れない信用喪失と大きな金銭的損害を被る。信用を失えば、次の工事受注は無いかも知れないのだ。だから、自然とスケジュールは前倒しに余裕を持って進めるのが通例だった。

「ご苦労様。車が込む時間帯だから、気を付けて」

 本日のメインディシュッの和風魚定食を自分のデスクに置いた課長が、いつものニコニコスマイルで応じる。

「本当、慣れない道だから、気を付けてね。私は十時くらいまでは残業しているから、何か図面の説明で分からないことがあったら、すぐに電話してね」

 私が声をかけると、美加ちゃんはニコリと破顔した。

「了解しましたー。ばっちり安全運転で行ってきますね!」

 若いと言うのは素晴らしい。

 この時間になっても、元気いっぱいエネルギッシュな美加ちゃんのパワーにあやかり、私も、もうひと頑張りしよう。

 なんて自分に喝を入れていたら、美加ちゃんがスッと顔を近づけてボソッと耳打ちしてきた。

「先輩。今夜は、残業する人少ないですからね。頑張って下さいねっ」

「はいはい。頑張って柱詳細図を仕上げますよ」

 美加ちゃんが何を頑張れと言っているのか分かっているけど、敢えて知らないふりでピントのずれた返事をしつつ、ウンウンと相槌を打つ。

「だーかーらー。そうじゃなくって」

「分かった分かった。ほら、約束の時間に間に合わなくなっちゃうよ。あ、でも、慌てないで行くのよ」

「分かりましたー」

 少し、頬を膨らましながらしぶしぶ頷くと、なんだかんだと言っても仕事熱心な美加ちゃんは、今日最後のお仕事へと向かって行った。

「彼女は、若いのに似合わず、仕事熱心なだな」

 スピード重視の食事が終わり、冷めかけたお茶をすすりながら、課長が感心したように呟いた。

 この呟きの聞こえる範囲内に他の社員はいないから、おのずと私に向けられた言葉だった。

「そうですよ。私が退職したら、彼女がシングル筆頭の古株ですからね。頼もしい限りですよ」

「……それは、退職する予定があると言うことなのか?」

 え?

 何気なく放った他愛もない言葉に対して、思いもかけず課長から真剣な声音で質問が返ってきて、ドキリと鼓動が高鳴った。

 恐る恐る、質問主が座る課長席に視線を向ければ、そこにあるのは至極真面目な顔をした谷田部課長。

 声も真剣なら、その表情も真剣そのもの。

 いつものニコニコスマイルは何処かへ影を潜めている。

 え? これはもしかして課長、何か誤解をしている?

 その、あの、私が『寿退社』をするとか思ったり……してないよね?

「もしも、もしもの話です。別に退職する予定はありませんよ、今の所」

「そうか……。なら良いんだが。今君に辞められたら、フォローしきれないからな。もしもそ言う予定が決まった時は早めに伝えてくれ」

 なんだ。

 やっぱり、そういうことか。

 一瞬、ヤキモチでも焼いてくれたのかと思って、ドキドキしてしまった。

「はい。分かりました」

 そして落ちる沈黙。

 再び図面台に向かい、黙々とシャーペンを走らせるも、落ちたままの沈黙が痛い。

 もしかして、課長、怒っていたりするのだろうか?

 そんな気がして、図面台の陰から、隣で自分の図面台に向かっている課長の表情を伺い見る。

 もちろん作図している間もニコニコスマイルを浮かべている訳ではないけど、やはり、その表情はいつもよりも不機嫌に見えた。

 や、やっぱり、怒っている?

 私、何か、怒らせるようなこと、やっただろうか?

 思い当たるのは、食後の会話くらいだけど……。

 うー、やだなぁ、この雰囲気。

 そんな居たたまれない沈黙に包まれたまま数時間が過ぎ、時計は既に午後九時半。

 私と課長以外の社員はみな退社してしまい、落ちた沈黙はますます深くなる。

 私も帰りたいところだけど、まだ予定の所まで図面が上がらない。

 ふう――。

 我知らず、ため息が口から漏れ出した時、その沈黙を破ったのは、私の携帯電話の着信音だった。

 仕事中はマナーモードにしてあるため、ブルル、ブルルと、振動をする携帯電話を、制服のベストのポケットから取り出し、着信窓に視線を走らせる。

 そこに表示されているのは、『佐藤美加』。

 美加ちゃんだ。

 何か、図面で分からない事でもあったのだろうか?

 とにかく通話ボタンを押して、耳に当てる。

 でも――。

「もしもし、美加ちゃん?」

 呼びかけてみても、反応がない。

 あれ? 切れているのかな? それとも電波障害?

 携帯の画面を確認しても、アンテナは三つ綺麗に立っているから、少なくとも電波障害ではなさそうだ。

「もしもし? もしもし、美加ちゃん、聞こえる?」

 私の様子を不審に思ったのか、「どうした?」と、課長が席を立って、歩み寄ってくる。

「あ、美加ちゃんからなんですけど、なんだか、電波が悪いのか良く聞こえなくて……」

 訝しげな表情の課長と目配せし合ったその時。

「……パ……イ」

 微かな声が、耳に届いた。

 喉の奥から絞り出すような、まるで泣いているみたいな掠れた声音に、ドキリと背筋に戦慄が走る。

「美加ちゃん? ごめん、良く聞こえないの。もう一度言ってもらえる?」

「梓……先……っ」

 電波障害なんかじゃない。

 間違いない。

 美加ちゃんは、電話の向こう側で、泣いている。

 背筋に走った戦慄が、悪い予感と共に、ゾクゾクと全身に悪寒を広げていった。





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※ただ今、アルファポリスにて連載中です。
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