31 親友-2
お昼時の社員食堂は、いつものごとく、賑やかなざわめきで溢れていた。
長方形のアイボリーのロングテーブルがずらずらと並ぶ、シンプルな社食の一番奥まった角の席。
私と美加ちゃんは、他の社員から少し離れた内緒話には最高のポジションに陣取り、今日のランチ・メニューの味噌カツ定食を平らげたた後、食後のコーヒーを飲みながらOLの憩いのひと時の『おしゃべりタイム』を満喫していた。
美加ちゃんにとっては、興味津々の週末パーティの結果報告を、私から聞き出す絶好のチャンスなのだ。
「本当は、金曜の夜に、よっぽど電話しようかと思ったんですよー。でも、もしも課長と良い雰囲気に突入してたら、お邪魔虫になっちゃうし、土日は、私が彼氏とお泊りデートで電話できないし。もう、気になって、気になってぇ」
場所柄をはばかってか、向かい側に座った美加ちゃんは、私の方に顔を寄せて声を低めた。
それでも、瞳にはキラキラリンと、期待と妄想と言う名のお星様が輝いている。
「あ、あははは……。彼氏とお泊りデートだったの、素敵ねぇ」
何とか話をそらそうと話題を振ってみるけど、さすがは美加ちゃん。こんなに美味しいネタを、見逃してはくれなかった。
かくかく云々と。
課長の婚約者嬢のことは敢えて触れずに、
私がパーティの二次会で飯島さんから告白されたこと。
忘れ物をして土曜日に遊園地デートをする羽目になり、おまけに課長親子と鉢合わせしたことを順を追って簡単に説明すると、美加ちゃんは、驚き半分納得半分と言った微妙な表情を浮かべて、綺麗に整えられた眉根を寄せ、
「へぇ、飯島さん、とうとう告っちゃったんですかぁ。それにしても、課長と先輩の関係を、一目見ただけですぐに見抜くなんて、大ざっぱな朴念仁に見えて意外と鋭い奴だったんですねぇ、あの色黒のお人」と、しきりに感心していた。
とうとう?
その言葉の意外さに驚いて、まじまじと、相変わらず素敵に可愛らしいその顔に見入ってしまう。
もしかして。
「……美加ちゃん。飯島さんの気持ちを、その、知っていたり……するの?」
「はい、ばっちり知ってますよー」
美加ちゃんは事もなげにニコニコと、一見天使のような、その実少し人の悪い『小悪魔スマイル』を浮かべた。
な、なんで、当の本人の私が知らないことを、美加ちゃんが知っているの?
いくら、『社内恋愛情報通の美加ちゃん』でも、取引会社の現場監督さんの片恋情報まで網羅できるとは思えない。
メイク技術ばかりか、読心術もマスターしているんじゃないでしょうね、この娘。
声もなくポカンと間抜けに口をあけて、驚愕の眼で見つめていたら、美加ちゃんはペロリと舌を出して種明かしをしてくれた。
「ほら、あたしも何度か飯島さんの担当工事をしたじゃないですか?」
「うん。二回……くらいだっけ?」
「おお、さすが先輩! 後輩の工事の担当監督まで把握しているー」
ヤンヤヤンヤと手を叩く真似をする美加ちゃんの様子に、苦笑してみせる。
もちろん、いくら一番の古株とはいえ、工務課全員のお仕事情報を把握している訳じゃない。美加ちゃんは私が新人教育した子だから、自然と気になって見ているから覚えているだけ。
「全部じゃないけど、まあ、美加ちゃんの工事は覚えているわね。で、その二回がどうしたの?」
人見知りをしない美加ちゃんと、『一見』人当たりが良い飯島さん。打ち解けて、プライベートな話をしたとも考えられる。もっとも、それなら飯島さんの興味は美加ちゃんに行きそうなものだけど。
なんでまた私なのだろう?
何度となく、ループしては、そこで思考が止まる。
『あなたはきっと、自分の良さを分かっていないんですよ』
飯島さんは、ああ言ってくれたけど、どんなに考えてもやっぱり分からない。
「飯島さん、あたしと初めて会ったとき、なんて挨拶したと思います?」
「え? えーと、初めまして?」
でしょう、一般的には。
「そう、初めまして。そこまでは良いんですけど、その後ですよ問題は」
『高橋さんは、お元気ですか? 今は、どちらの現場に? 彼女の仕事ぶりは見事ですよね。ちなみに、今、彼氏とか、居たりしませんよね?』
と、あの邪気のない好青年スマイルで質問攻撃をしたのだとか。
「あたしも、あんなに分かりやすい人、初めてでしたよ。でも、何度も先輩と組んで仕事をしているのに、良くも今まで黙っていましたよねー。押しが強そうに見えて、意外とヘタレくんなのね」
「あ、あははは……」
たしかに、変に押しは強い。
それにしても。
知らぬは、私ばかりなり、だったのね。
しかし、さすがの飯島さんも、美加ちゃんにかかったら形無しだ。
「ったく問題は課長ですよね」
と、美加ちゃんの興味の矛先が課長に移って、ドキリとする。
ふ、触れないでほしいなぁ。
突っ込まれたら、嘘をつき通す自信がないわ……。
そんな私の心配は、ばっちり的中し、美加ちゃんトークは炸裂した。
「いくら飯島さんの邪魔が入ったからって、せっかく雰囲気ばっちりのシチュエーションだったのに、課長ったら何もアクションを起こさないなんて、意外と根性なしですねっ。男だったら、こうもっとグイグイっと! ね!?」と、今度は、ぷんぷんと頬を膨らます。
ねっ!? って、私に同意を求められても困ってしまう。
それに、……アクションは、起こしたんだけど。
さすがに、美加ちゃんにも、『帰り際、エレベーターの中で思いっきりキスしちゃいました』なんて言えない。
美加ちゃんを信用していないからじゃなく、あれはやっぱり酒の席での事故。私自身が忘れたいことだから、今更話題にはしたくなかった。
「それで、どうするんですか、飯島さんへの返事は?」
フツフツと湧きあった様子の美加ちゃんの怒りの矛先は、再び飯島さんに向けられた。
「きっぱり断った……んだけどねぇ。何だか『諦めませんから、そのつもりで』とか言われちゃってね。頭痛いのよ……」
「げ。マジですか? うーん。爽やかに見せかけて意外と粘着君? ってか何気に俺様入ってます?」
『爽やか系粘着俺様』
眉をひそめる美加ちゃんに、「そ、それはあまりに気の毒よ」と笑って見せるけど、当たらずとも遠からず。
的を射た酷評に、どうしてもヒクヒク顔が引きつってしまう。
妙に喉が渇いて、冷めたコーヒーカップを口に運ぶ。
「で?」
頬杖をついた美加ちゃんは、チラリんと、意味ありげな眼差しと疑問符を投げてくる。
「え?」
「他にも、何か、ありましたよね?」
妙に迫力のある低い声音に、うげっ! っと、思わず口に含んだコーヒーを噴き出しかけた。
「な、何もないわ……よ?」
ゲホゲホと、むせくり返りながら涙目でなんとか声を絞り出す。
す、鋭い。
「……ふーん。隠すんだ。隠しちゃったりするんだ。先輩だけは、あたしに嘘を付かないって信じてたのに……」
くすん、と、悲しげな瞳でウルウルと見つめられては、もう降参するしかない。
明らかに、ポーズだと分かっていても、無下にできないこの性格の脆弱さが恨めしい。
「……婚約者が、いたのよ」
敢えて伏せていたことを、ボソリと吐き出す。
「え? 婚約者って、飯島さん、婚約者がいるのに、先輩に告ったんですかぁ!?」
美加ちゃんは若干ピントのずれた驚き方をして、声を荒げた。
そのとたん、ピッと周囲の視線が集まり、『あははは』と笑顔を振りまき、身を縮める。
「……声、でかいよ、美加ちゃんっ」
「……すみませんっ」
二人でぼそぼそ、頭を寄せて囁きあう。
「違うのよ。婚約者がいたのは、谷田部課長の方なの……」
「え? 婚約って、奥さんは?」
訝しげに眼を瞬かせる美加ちゃんの反応は、最もだと思う。私だって、もの凄く驚いたよ。 奥さんに会ったらそれはそれでショックだと思うけど、それを飛び越して、婚約者だもの。
「奥さんは、真理ちゃんの出産で亡くなったんだって……で、今は婚約者がいて、真理ちゃんと課長とその婚約者さんと三人で仲良く一緒に、遊園地に来てた――のと、ばっちりバッティングしたと言うわけよ」
一瞬の間があって。
「ええええーーーーっ!?」
さすがに美加ちゃんも予想外だったのか。
彼女は、素っ頓狂な叫び声を上げ、ガタンと大きな音を立てて椅子を押し倒しながら立ち上がった。