28 逢瀬-4
私が育ったのは、東北の片田舎。
過疎化の影響が大きく子供自体が少ない土地柄で、その上、私は一人っ子。おまけに、両親ともに末っ子と言う境遇だったので、自ずから親戚を見回しても私より幼い『いとこ』は居なくて。
だから、今まで私は、真理ちゃんくらいの年頃の子供と接する機会が少なく、ほとんど皆無と言っても良いくらいに、接触がなかった。
上京し、東悟と出会った大学に通っていた頃も似たような状態で、こうして就職した今に至っても、ご近所のスーパーやたまに利用する電車やバスの中で見かけるくらいしか、子供との接点がない。
そして、そう言う場所で見かける幼子は、決まって賑やかで、パワフルかつ、かなりハイテンション。
唯我独尊。ゴーイング・マイ・ウエイを地で行くようなその姿は、まるで行動が読めない未知の生物・エイリアンのようにさえ感じられた。
正直、近寄りたくはない。
嫌いなのではなく、扱い方が分からないと言う、恐怖心が先に立ってしまうのだ。もしも万が一、泣かれでもしたら、どうしていいのか分からなくて、自分の方が泣きたくなってしまうだろう。
いわば、食わず嫌いならぬ、寄らず嫌い。
結果。私の中では、『子供って苦手だなぁ、関わりたくないなぁ』と言う意識が根強く残り、払拭されることなく現在に至っている。
でも、実際こうして身近に接してみると、なかなかどうして可愛らしい。
もっともそれは、人懐っこい、真理ちゃんの性格によるものが大きいとは思うけど。
以前一度会っている私はともかく、初対面の飯島さんにもすぐに懐いてしまって、真理ちゃんを挟んで三人、お手て繋いで仲良く歩く様はきっと、傍目から見たら親子に見えるだろう。
身長に制限があるから、乗れないアトラクションも多かったけど、真理ちゃんはどんな乗り物に乗っても、全身全霊で楽しんでくれているのが分かった。
心底楽しそうな笑顔を見ていると、本当に、こっちまで癒される。
ギュッと握り返してくれる、モミジのように小さな手の柔らかい感触と温もり。ツインテールを弾ませて、元気いっぱいにピョコピョコと跳ね飛ぶように歩く姿は、まるで子ウサギのよう。
本当に、可愛いったらない。
その破壊的なまでの愛らしさは、ともすれば私の中に負の感情を芽生えさせてもおかしくはない『真理ちゃんが課長の子供』だという事実をも、取るに足らないもののように感じさせる。
ふと、私も、このくらいの年ごろの子供が居てもおかしくない年齢なのだと気付き、ドキッとしてしまう。
でも、無理ね。私にはきっと。
こうして、いつまでも、独りよがりで自分勝手な想いを、断ち切れないでいるのだから。
諦めも要領も悪くて、強欲。
人の親になれるような、自信も資格もない。
第一、相手がいないもの。
「高橋さん。真理、次は、あれがいいっ!」
考えに沈みかけた心を、真理ちゃんの元気な声に掬いあげられて、ハッと現実に立ち返る。
プクリとした小さな指先の指し示す先には、遊園地の定番、メリーゴランド。
何を、ぐちぐち考えてるの。
今日は、私自身も童心に返って楽しむって決めたんだから。
もう、やめ、やめっ!
「よーし、真理ちゃん。メリーゴランドに、レッツ・ゴー!」
「ゴー!」
楽しい時間は、あっという間に過ぎて。
一時間ほどして課長から私の携帯に連絡が入り、私たち三人は、出会った軽食スタンドのテーブルまで戻った。
「あれ? お連れの方は?」
戻ってみれば、そこにあったのは一人ポツリと佇む課長の姿だけで、例の婚約者嬢の姿はなく、不思議に思った私は思わずそう聞いてしまった。
「彼女は、先に帰ったよ」
端的にそれだけをボソリと言って、課長は苦笑した。
「え? 帰ったって、一緒に来たんじゃないんですか?」
何処に住んでいるにしても、ここは公共の交通機関の便がもの凄く悪いから、車でないと帰れないはず。
でも、その疑問は、課長の言葉でスッキリと解消された。
「用事があるとかで、ハイヤーで帰ったよ」
うわ。どこまで帰ったんだか知らないけど、遊園地からハイヤーでご帰宅ですか。なんだかやっぱり、世界が違う気がする……。
と、少し僻み根性交じりで考えていたら、課長がスッと頭を下げた。
「ありがとうございました。おかげで助かりました」
「あ、いいえ、私も、真理ちゃんと遊べて楽しかったですから」
空いている方の手をぶんぶんと振りつつ、チラリと飯島さんの表情を伺い見たら、ニコニコ笑顔で「ええ、俺も楽しかったですよ」と言ってくれたので、ホッとした。
飯島さんが、子供好きな人で助かった。
「さあ真理、お礼を言いなさい」
手招きして言う課長の言葉に別れの時を察知したのか、真理ちゃんは返事はせずに、ギュッと繋いだ手に力を込めてきた。
「真理、これ以上は、本当に迷惑だよ? 一緒に遊んでいただいたのだから、きちんとお礼を言いなさい」
腰を屈めて真理ちゃんの目線で諭すように言う課長の言葉尻は柔らかい。でも、否と言わせない厳しさもあった。
ギュッと口を引き結んで、言葉もなく俯く真理ちゃんの姿を見ていたら、私の方が別れがたくなってしまった。でもさすがに、課長と四人で仲良く遊園地巡りをするわけにはいかない。私の心臓も持たないし、せっかく誘ってくれた飯島さんにも、申し訳ない。
それに、私にはまだ一番の大仕事が残っているのだ。
私は、うつむく真理ちゃんの前に回り込んでしゃがみ込み、その顔に自分の顔を近づけて、自分が出来うる限りの優しい笑顔を浮かべた。
歯を食いしばっているためか、もともとプックリと子供らしい頬の稜線が、ニンジンを食む子ウサギのように膨らんでいる。
あまりのその愛らしさに、なんだか胸がいっぱいになってしまった。
「ねえ、真理ちゃん。また今度、一緒に遊ぼう。この県には大きな水族館もあるのよ。真理ちゃん、イルカさん好き?」
うん? と瞳を覗き込めば、沈んでいた黒目がちのつぶらな瞳が一瞬にして、キラキラと好奇心の色に輝いた。
「うん、イルカさんもアザラシさんも大好き!」
「そう、良かった。じゃあ、約束ね。今度は水族館で、イルカショーを見よう?」
私が差し出した小指に、小さな小指がギュッとからまる。
接しているのはほんの僅かな部分だけなのに、その温もりが心に染みてくる。
「うん!」
久々の『指切りげんまん』とその笑顔は、私の中に、ほんのりと温かいものを残してくれた。
課長親子と別れ飯島さんと二人、遊園地の隣りの動物園を堪能し、再び遊園地に足を向けたころには、抜けるような青空は茜色に染まっていた。
遠くに見える山影は既に、夜の帳に包まれている。
ほどほどに込み合っていた園内も、だいぶ人がまばらになって閑散としていた。
あと、三十分ほどで、この遊園地も閉園時間になる。
今、言わなければ。
楽しかった今日のお礼と、昨日の告白への答えを、今。
「梓さん?」
逃げたら、だめ。
今、言わなければ、きっと言えなくなってしまう。
そんな気がする。
例え、嫌われてしまっても、嘘で欺くよりはずっとマシだ。
俯きそうになる顔をグイッと上げて、足を止めた私を不思議そうに振り返る飯島さんの瞳を、真っ直ぐ見据える。
「あの、今日は、ありがとうございました。ここに連れてきてもらったおかげで、元気になりました。それに……」
飯島さんは応えることはなく、ただ静かな眼差しを向けて、私の言葉を待っている。
「それに、本当に、楽しかった……」
「俺も、楽しかったですよ。とってもね」
穏やかな声が、夕闇の中へしみ込むように溶けていく。
大きく息を吸い込み、息を止めて。
いよいよ、肝心の言葉を言おうと口を開きかけた時。私が言葉を発するよりもわずかに早く、飯島さんの声が耳に届いた。
「最後に、乗りませんか、あれに」
彼のガッチリとした骨太の指先が指示したのは、キラキラと色とりどりのイルミネーションを纏った、この遊園地のメインスポットでもある大観覧車。
「せっかくここに来たんだから、記念に。ね?」
私たちのすぐ横を、賑やかな家族連れが通りすぎる。
「……はい」
その方が良いのかもしれない。
二人きりになれる場所で、ちゃんと伝えよう。
そう思った。