表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
26/49

26 逢瀬-2

 刻一刻と、『その時』が近づいていた。

 暴れ出した鼓動と共に高まっていく初めての感覚に、全身がピリピリと張りつめていく。

 力を込めて握りしめた手のひらから伝わるリズミカルな振動が、早まる鼓動に拍車をけて、更に私を追い詰める。

「うっ……」

 あまりの緊張感と恐怖感の合わせ技に、思わず口からうめき声が漏れてしまう。

 怖い。

 怖すぎるっ。

 ギュッと握りしめた両手に、救いを求めるように更に力を込める。

 女歴二十八年で体験するこの恐怖。

 やっぱり、よすんだった。やめておくんだった。

 後悔しても後の祭りで。

 ことここに至ってしまえば、今更、逃げ出すことなどできはしない。

 パニック寸前の脳細胞でも、そのくらいは理解できる。

 でも、怖いものは怖いのだ。

『大丈夫。ぜんぜん怖くないから、平気ですよ』

 飯島さんの陽気な笑顔に、コロッとその気になった自分の浅はかさが、恨めしい……。

 この手のことは、はっきり言って得意じゃない。否、得手不得手以前に、大っ嫌いだっ!

「高橋さん、目を瞑っていたら、何も見えませんよ?」

 俯いて、ひたすら体を強張らせている私にの耳元に、笑いを含んだ飯島さんの明るい声が落ちてくる。

 そんなこと言っても、体が言うことを聞かないんですってば!

「ううっ……。どうせっ」

 手足にめいいっぱい力を込めているせいで、思うように声が続かない。

「どうせ?」

「どうせ、メガネを外したら、何にも見えませんからっ」

 見えないことが、余計に恐怖感を煽ってしまう。なら、目を開ければ良いようなものだけど、防御本能と言うヤツが勝手に反応してしまうのだ。

「でも、全く見えない訳じゃないでしょう? ほら、ほら、目を開けて」

 って、人の頬っぺたをつっ突くんじゃない、好青年!

 いや好青年の皮を被った……ガキ大将めっ!

 心の叫びは声にはならず、次の瞬間、体を包んだ浮遊感に全身が凍った。

 ひ、ひ、ひえーーーーっ!!

「うーーーーっ!?」

 ストンと気分は垂直落下。そしてすぐさま右に左に斜め上。

 変幻自在で体にかかる重力と遠心力の相乗効果の荒業に、声にならない悲鳴を上げ続け。

「ほら、目を開けて!」

 飯島さんの声に励まされて、おそるおそる開けた目に飛び込んで来たのは、一面のブルー。

 その色彩に視界を満たされた瞬間、すべての音が消えた。

 そこここで上がっていた悲鳴や歓声。

 自分の荒い呼吸音すら消えたその瞬間。

 ああ、綺麗だなぁ……。

 と、確かに感じた。



 飯島さんが私を連れて行ってくれたのは、県北にある県で唯一存在する『遊園地』だった。

 規模はさほど大きくなく、動物園と併設されている老舗のテーマパークだ。

 今日は、折しも土曜日。

 それも晴天のお昼時となれば、親子連れやカップルで大賑わい――、かと思いきや、不景気な世情を反映してかそれほど人出は多くなく、どこかのんびりとした空気が漂っていた。

 遊園地内の軽食スタンドでハンバーガーセットを買い込み、パラソル付のテーブルセットの一つに私と飯島さんは陣取った。

 周りを見渡せば、幼い子供連れの親子が、賑やかにテーブルを囲んでいる姿が目に入る。

 楽しげにじゃれあう子供たちと、それを見守る両親の慈愛に満ちた笑顔が、脳裏に懐かしい思い出を甦らせる。

 私が小さい頃。

 まだ父が現在で、母は忙しく仕事に追われることもない専業主婦だったあの頃。あんな風に家族水入らずで、遊園地に連れてきてもらったことがある。

 楽しくて、温かくて、そして、幾ばくかの切なさを内包した懐かしい記憶――。

「しかし、本当に初めてだったんですねー高橋さん」

 愉快そうな飯島さんの声に、ハッと現実に引き戻される。

「あ、あはははは……」

 ジェットコースターから、ヘロヘロの体で飯島さんに抱えられるように降りてきたのは、ついさっき。

 まだ、足元がフワフワしている。 

 怖かったけど、なんだろうこの感覚。

「あれは、けっこう癖になるんですよ」

 ビッグ・サイズのコーラのカップを口に運び、ゴクゴクと美味しそうに飲みながら、飯島さんは笑う。

 そうか、『怖いけど、又乗りたい』。

 そう感じるこの感覚を『癖になる』と言うのか。

「そうですねー」

「じゃ、食べ終わったら、もう一回チャレンジしてみますか?」

 少し意地悪そうにニヤリと口の端を上げる飯島さんに、ブルブルと頭を振る。

「食べた後に乗ったら悲惨なことになりそうだから、遠慮しておきます」

「それは、残念。高橋さんと二人で、またあの目くるめく感動を味わいたかったのに」

「あ、あははは……」

 確かにある意味、『目くるめく感動』には違いない。



 飯島さんと、遊園地。

 意外と言えば意外だけど、似合っていると言えば似合っているかもしれないこの組み合わせ。

 始めこそぎこちなくてギクシャクしていた私も、飯島さんの飾らない底抜けの明るさに引っ張られて、いつの間にか、このひと時を楽しんでいた。

 明るくて、行動的で、楽しくて。

 こういう人を、ネアカって言うのだろう。

 今まで、私の周りにはいなかったタイプの男性だ。

 少し強引だけど、嫌味がないから、その強引な行動も思わず笑って許せてしまうようなところがある。

 この人は、きっと男女の別なく友人が多いのじゃないだろうか。

 学生時代に比べれば、社会に出て揉まれた分、いくらか対人関係に進歩の跡が見られる程度の私からすれば、美加ちゃんとはまた違う意味で、羨ましい存在ではある。

「でも、よかった」

「はい?」

 脳内で飯島さん分析に勤しんでいた私は、今までとは違う穏やかなトーンの声に引き寄せられて、彼の顔に視線を走らせた。

 相変わらず、まっすぐ向けられる視線は、声と同じように穏やかで優しい。

「笑ってくれて、よかったと思って」

「え?」

 その言葉の意味が分からず、小首をかしげていると、飯島さんは鼻の頭をポリポリと書きながら、私の疑問に答えてくれた。

「今朝電話を掛けたとき、高橋さんの声がものすごく沈んでいるような気がしたんです。ああ、何か嫌なことでもあったのかな? って。で、実際コンビニの駐車場で会ってみれば、泣きはらしたような目をしているし、ああ、これは何かあったなって」

 それで少しでも笑ってほしくて、断られるのを覚悟で強引にデートに誘ったのだと、そう言って、飯島さんは笑った。

『何があったのか?』とは、問わない彼の優しさが、ありがたいと思った。

『明るく陽気で仕事ができる大手ゼネコンの現場監督さん』

 この人は、思った通りの人だ。

 ううん、それ以上に、人の痛みを察することのできる優しい人。

 正直に言って、私はこの人が好きだ。

 もちろん、『LOVE』ではなく『LIKE』。

 情愛ではなく、友愛。

 だからこそ、伝えなくてはいけないことがある。

 今が、それを伝えるときだ。

 ぎゅっと、膝の上で両手を握りしめ、私は意を決して口を開いた。

「あの、飯島さん……」

「はい?」

「昨日のお話しなんですけど――」

 本当は、昨日の二次会で告白されたときに、きちんと答えなければいけなかった自分の気持ちを伝えるべく、言葉を続けようとしたその時。

 ピョコピョコと、視界の端に、何か見覚えのあるものが動くのが見えた。

 あれ?

 脳裏をよぎる既視感に、ドキンと、鼓動が跳ね、ゆっくりと視線を巡らせる。

 私から見れば前方。

 食事スペースの脇の煉瓦敷きの通路を、元気に歩いてくる小さな人陰に、さらに深まる既視感。 女の子だ。

 パステルピンクのワンピースに赤いサイドポーチを肩から斜にかけた、とても可愛らしい女の子が、私の方に近づいてくる。

 好奇心と希望に満ちあふれた黒目がちの大きな瞳と、ほんのりと上気したプクリと丸みを帯びた頬。彼女が動くたびに、ツインテールの髪がひょこひょこと上下して、その白い頬をサラサラと撫でる様は、まるで子ウサギのようだ。

 少女の面差しは『ある人』を思い起こさせ、私の鼓動はますます大きく跳ね回った。

 まさか。そんな偶然、あるわけがない。

 他人の空似よ。他人の空似。ほら、子供って、みんなよく似ているもの。

「高橋さん? どうかしましたか?」

「あ、いいえ、なんでもないで――」

 不安を払拭するように呟いたその言葉は、最後まで発することができなかった。

 なぜなら。

「あれ、お姉さん。パパのカイシャのドウリョウの高橋さん?」

 私のテーブルの前で足を止めた少女が、ニッコリと邪気の無いエンジェル・スマイルでそう声をかけてきたからだ。

 キュッと下がる目じり。

 小首を傾げる様は、まさにエンジェル。

「えっと……」

 確か、名前は。

「真理……ちゃん?」

「はい、谷田部真理ですっ。パパが、おセワになってます!」

 少女はあの時のように、『ペコリ』と礼儀正しくお辞儀をする。

「あれ? 谷田部ってもしかして課長の谷田部さん?」

「はい、カチョウの谷田部東悟ですっ」

 珍客乱入に、目を丸める飯島さんの呟きに、その子、真理ちゃんはニコニコ笑顔で大人顔負けの挨拶をした。

 ドキドキドキと、鼓動が限界点で暴走する。

 この子がいるってことは、十中八九。

「真理、一人で先に行ったら迷子になるって……」

 少女を追って歩いてきたその人、谷田部課長は、私と飯島さんに気付いて、さすがに絶句した。

 そして、課長の腕に手を添わせて優雅な足取りで歩いてきた、美しい女性に、視線が釘付けになる。

 おそらく何某のブランドであろう、品の良いライト・ベージュのワンピーススーツに身を包んだその人は、私たちに気付くと、自然なウェーブのかかった栗色の髪をフワリとなびかせて、課長の隣で微笑んだ。

 香水だろうか。風に乗って届いた甘いフローラルの香りが、鼻腔をくすぐる。

「東悟さん、この方たちは?」

 凛と、澄んだやわらかい声が、凍りついてしまった私の鼓膜を震わせる。


 なんでまた、こんな所で、こんな状況で鉢合わせするのか?

 宝くじも当たったことがないのに、なぜ、こんな天文学的なぶち当たり方をするのか。

 ――やっぱり、週末は呪われている。

 今度ばかりは、私はそう確信した。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。


※ただ今、アルファポリスにて連載中です。
(こちらはR18バージョンになりますのでご注意ください)

■HOMEへ

― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ