22 告白ー6
平気で嘘をつける性分ではないと思う。
でも、嘘も方便。
ここはなんとか嘘をつき通さなければ。
フリーズ状態の脳みそをフル回転させて、それだけを念頭に置く。
第三者に『谷田部課長との関係』を問われれば、それはもちろん。
「上司と部下の関係です……けど?」
若干、語尾が変なふうに掠れたけど、なんとか少しばかり口の端を上げて、それだけは言うことに成功した。でも飯島さんはまだ納得の行かない様子で、「本当に、それだけですか?」と問いかけてくる。
それだけじゃないけど、それは言えないんです。などと本音が言えるわけもなく、私は更に強張る口の端を上げて、嘘の言い訳を続けた。
「ええ、もちろん、それだけの関係ですよ。いやだなぁ、いきなり真剣な顔で何を言い出すのかと思ったら、飯島さんったら。谷田部課長は結婚されていて、可愛いお嬢さんもいるんですよー」
内心の動揺を悟られまいと、おどけて言う私の言葉に、飯島さんは心底ホッとしたように大きく息を吐き出した。そこでチクリと感じる罪悪感。
やっぱり、嘘は後味が悪い。
それに、一つついた嘘は、又次の嘘を呼び、雪だるま式に増えていくのが常道。そんな罠に、足を突っ込みたくはないけれど。
「なんだぁ、そうかぁ。俺は、てっきり……」
飯島さんは、少し照れたようにポリポリと鼻の頭をかきながら、ぼそぼそと言葉を続ける。
「いや実は、ホテルのフロントでお二人を見かけた瞬間、俺、『ああ、トンビに油揚げをさらわれた!』って、思ったんですよ。ああしまった、遅かったかって悔しくて」
「トンビに油……?」
何に、何がさらわれて、悔しいって?
意味が分からずキョトンとしていると、飯島さんは初めて見る、苦笑めいた表情を浮かべた。
「だって、高橋さんと谷田部さん、二人の間に流れる雰囲気が、こう何だかやけにいい感じで……。だから、てっきり二人は付き合っているのかとそう思って慌ててしまって……。いやぁ、なんだ、そうかー!」
一人で何やら納得してウンウン嬉しそうに頷いている飯島さんの顔を、ある予感を覚えて、私は呆然と見つめた。
まさか。まさかとは思うけど、この話の流れはもしや。
我知らず、ごくりと喉が大きく上下する。
「じゃあ、何の遠慮もいりませんね。では、改めて言わせてもらいます」
「は、はい?」
何を? と声に出す暇もなく、飯島さんはメガトン級の大きな爆弾発言を投下した。
「俺、初めて会った時から高橋さんに惚れてました。もう一目惚れです。良かったら、付き合ってもらえませんか? ってか、付き合って下さい!」
ピー! っと、頭のどこかでエラー音が聞こえた気がする。
今、何を言った、このお人。
私を、ずっとなんですって?
所謂一般で言う所の『愛の告白』というモノをされたのだと、エラー中の脳細胞は上手く認識してくれない。
だって、こんなこと、生まれて初めて。東悟との時は、いつの間にか付き合うようになっていて、こういうストレートな告白は無かった。だから、どう反応していいのか全然分からない。
「あ、あの私……」
飯島さんは、いい人だ。とってもいい人だと思うけど。
ああ、どうしよう。どうしたらいいんだろう。
「好きな人でも、いるんですか?」
真っ直ぐな、きっと嘘をついたら見透かされてしまいそうなくらいに真っ直ぐな瞳が、狼狽えまくる私を、情け容赦なく射抜く。
私は今も『東悟』を、思いきれないでいる。
谷田部課長に、惹かれずにはいられないでいる。
でも、本当のことなど言えるはずがない。だからやっぱり、口からこぼれ出すのは嘘ばかり。それが何だか切ない。
「好きな人は、いません。でも、今は仕事に専念したいんです。だから……」
『付き合えません』と、ぴしゃりと断れない自分のこの優柔不断さが恨めしい。
「仕事は、好きなだけしたらいいんです。俺だってそうですよ。でも仕事と恋は別物だと俺は思います。別に仕事に専念したって、恋はできるでしょう?」
「それは、そうですけど……」
ああ、どうしたら、分かって貰えるだろう。
どうしたら、この人傷つけずに、諦めて貰えるだろう。
若干、告白ショックから回復しつつある脳細胞で一生懸命考えを巡らせてみるけど、悲しいかな経験不足で、まったくいい考えが浮かばない。
やっぱり、正直に好きな人が居るって話した方が良いのかな?
でも……。
グルグルと、出口のない迷路に迷い込んだように、いくら考えても答えがでない。ほとほと困り果てていると、飯島さんは再び、真っ直ぐな瞳で静かに問いかけて来た。
「高橋さんは、俺のことが嫌いですか? 年下は嫌だとか?」
「そ、そんな、もちろん嫌いじゃないですよ。仕事上では尊敬してますし、今日お話しを伺って、とても楽しい方だって分かりましたし、年も別に気にならないし、嫌いだなんて、そんなことないですっ」
って、何を力説してるんだ私は!
そう自分に突っ込みを入れても後の祭りで。
私の力説を聞いた飯島さんの表情は、ぱあっと輝いた。
「そうですか! それを聞いて安心しました。嫌いじゃないなら、好きに昇格する望みはありますよね」
「え、あ、あの……」
ああ、果てしなく深い墓穴を掘ってしまった。
自分の優柔不断さと、あまりの要領の悪さに思わず眩暈を覚えたその時、
「ええと、お取込み中、申し訳ない」
背後から、聞き覚えのある声が降ってきて、思わずキャッと飛び上がりそうになってしまった。
カクカクカクと、まるで糸の切れた操り人形のように、ぎこちない動作で後ろを振り返れば、そこには声の主・谷田部課長の佇む姿があった。
ニコリと微笑みを湛えたその表情からは、課長の心の中を伺い知ることはできない。
今の話、聞かれてしまったの!?
すうっと、首筋の当たりの血の気が一気に引いて、思わず背筋に震えが走った。
「飯島さん、申し訳ないですが、時間も遅いことですし、もうそろそろお開きにしませんか?」
やんわりと話の終了を提案する課長に、飯島さんは挑戦的にすら見える、真剣なまなざしを投げつける。
「谷田部さん、今の俺の話、聞いてましたよね?」
私からは死角になっていて気付かなかったけど、飯島さんからは、課長が来るのが見えていたのだろう。
「ええ、まあ、『初めて会った時から』あたりからは、聞こえていましたが……」
語尾を濁す課長に、飯島さんはあくまで食い下がる。
「谷田部さんは、どう思います? 俺と高橋さんが付き合うことを、反対されますか?」
見事なまでに、直球で質問をぶつけてくる飯島さんに向けられる課長の眼差しはなぜか穏やかで、私の心の中にモヤモヤとしたものを増殖させていく。
「私は、部下のプライベートなことまでは関知しませんので、それはご当人どうしの問題でしょう。別段、私がどうこう言う筋合いのものではありませんよ」
感情を排したような静かなトーンのその言葉が、一瞬にして、私の全身に、冷水を浴びせかけた。
課長の言っていることは、正論だ。ごく当たり前の一般論。
でも、課長の口から発せられたということだけで、その破壊力たるや東京タワーをなぎ倒すゴジラ並だった。
あまりのショックに、言葉が出ない。
「上司である谷田部さんもこう言ってますし、高橋さん、どうでしょう、一度試しにデートをしてみるっていうのは?」
「え、あの……」
「一度デートしたからって、恋人にしてくれなんて言いませんから。ほら、今日みたいに、友達と遊びに出掛けるような軽いノリでいいですから、ね?」
そうだよね。
うん、飯島さんとなら、きっと楽しいデートになりそうだよね。
課長も、ああ言ってることだし、デートしてみるのもいいかなぁ。
ダメージを受けている所に、押しの一手で押しまくられて、なんだかもう自分で自分の気持ちが分からなくなってきてしまった。
でも、やっぱり、即決はできない。
だから、少しずるい答えを選んでしまった。
「少し、考えさせてもらえませんか?」と。
飯島さんは、いつもの陽気な笑い声を上げながら、「じゃあ、いい返事がもらえるのを楽しみに待ってます。いつでも良いから、電話してください。あ、メールじゃなくて声を聴かせてほしいかな」と言って、私に携帯電話の番号を教えてくれた。礼儀として、私の番号も教えたので、めでたく電話番号交換が終了し、波乱含みのパーティの二次会は、お開きとなった。
タクシーが来る間、酔い覚ましにコーヒーでも飲もうか、と言うことになって、代行で帰るという飯島さんとナイトラウンジで分かれ、私と課長は二人で、同じフロアにある喫茶コーナーに足を運んだ。
酷く苦く感じるアメリカン・コーヒーをすすりながら、課長も私も、何も言葉は発しなかった。
課長は、昔はともかく、会社では必要以上の無駄口を叩くような人じゃないし、私は、とてもじゃないけど、おしゃべりをする気にはなれなかった。
たぶん、今、何か言葉を発したら、胸の奥で出口を求めてグルグルと渦を巻いているこの感情が、堰をきって溢れ出してしまうだろう。
それが、怖かった。
「結局、まともな食事をしそこなってしまったな……」
ふと、思い出したように、課長が自嘲気味な呟きをもらした。
「……はい」
「何か、食べていくか? と、言っても、この時間だから、食べられるものは限られるだろうが」
私は、ただ小さく『否』と、頭を振った。
今日、ここへ来る前の私だったら、きっと喜んでお供しただろうけど、今の私にその覇気はない。
「そうか……」
もうすぐ午前零時。
シンデレラの魔法は、すぐに消えてしまう。
どうせ消えてしまうものならば、最初からないほうが良いのだろうか?
それとも、一時でも、幸せな夢を見られた方が良いのだろうか?
どちらが、より、幸福の領分に近いのだろう?
二人だけを乗せたエレベーターが、夢の世界から現実へと降りていく。
週末が明けて月曜日が来て、また慌ただしい毎日が繰り返される。
それは、退屈で、とても幸せなこと。
それ以上を望んだら、きっとバチがあったてしまう。
ぼんやりと見つめていた、まだ消えきらない町の灯が、不意にぐにゃりと歪んで滲んでいく。
ばか、泣くな。
こんな所で、泣くんじゃない。
あんたが泣くことなんて、何もない。
頬を伝い落ちるモノを悟られまいと、階下の景色を見ているふりで表情を隠したのに。
ふっと、頬に、温もりが触れた。
長くて繊細な指先が、濡れた頬を優しく拭っていく。
「梓……」
耳元で、静かなテノールが甘い囁きを落とす。
だめだ。だめ。
流されたら、だめ。
そんな微かな抵抗は、力強い腕に引き寄せられ、その懐に抱え込まれて、あまりにも脆く崩れさった。
真摯な黒い瞳に、視線を絡め取られて。
躊躇うように、そっと触れた唇が、徐々に熱を帯びて深みにはまっていく。
触れたいと、望んでいたのは、たぶん私の方。
なのに、触れてしまえば、否が応でも気づかされてしまう、変えようがない残酷な現実。
何もかも捨て去って、溺れてしまえたらどんなに楽だろう。
でも、どう足掻いたところで、私は私以外の人間にはなれない。
不器用なのも、頑ななのも、全部私と言う人間の変えようがない本質。
だから。
その腕の戒めが緩んだ瞬間、私は、スルリと抜け出してエレベーターの隅に背を寄せた。
「や……だなぁ、課長ってば、何酔っぱらっているんですか? これってセクハラですよー」
もう泣き笑いのぐしゃぐしゃな顔で、それでも笑って。
このキスにどんな意味があるかなんて、考えちゃだめだ。
これは、ただの酒の席での、偶発的事故みたいなものなんだから。
「梓、俺は……」
顔を見なくても分かる、きっと苦しそうな表情をしているはずのこの人を、これ以上惑わせたらいけない。
「今日の所は、ビギナーズラックで、大目に見てあげますから。でももうだめですよ。今度やったら、狸親父に言いつけますからね!」
広がる闇は深く、
募るだけの想いは、虚空を舞い落ちる季節外れの淡い雪のように、ただ静かに心の深淵に降り積もっていく。
いつか、この雪も、溶ける日が来るのだろうか。
それとも……。
今の私に、答えは見えない――。