02 困惑
世の中には、似た顔が三つ在ると言うけど。まさか、ここまで似ている人間に会うなんて、信じられない。
恒例の、会議室での朝礼の席。いつもなら、社長の長男である専務が人事の発表をする。でも今日は、社長直々の紹介と異例の事だった。
私は、ニコニコ笑顔で新任の工務課・課長の紹介をする恰幅の良い社長の傍らに立つ、谷田部東悟を、食い入るように見詰めた。
身長は百八十センチというところだろうか?
かなり上背がある。
ダークグレーのスーツに包んだ細身の体躯は、無駄な贅肉とは縁がなさそうだ。
でも、ガリガリとしたひ弱な印象は受けない。何か、スポーツで鍛えているような、シャープな印象を受ける。
少し癖のある、強そうな黒髪。彫りの深い顔立ち。
きりりとした眉の下の瞳は綺麗な二重で、少し鋭さを感じさせる。
通った鼻筋の下の、厚すぎない唇。
携帯写真は『似ている』と思ったけど、実物はその比じゃない。
実物は、似すぎている。
そして、何より驚いたのは、その声だ。
「初めまして。今日から工務課の課長をさせて頂きます、谷田部東悟です」
低音の、甘い声音――。
彼の、落ち着いたトーンの声が耳に届いたその瞬間、体に電流が走った。
それは、困惑。
『間違いない』と言う思いと、そんなことはあるはずがないと言う思いが、私の心の中で交錯する。
――こんな。
声まで似ているなんて、あるはずない――。
そう思うけど。
でも確かに、その顔も姿も、そして声までも。私の記憶の中の東悟、榊東悟と寸分違わない。
年月を経たぶん、若干昔よりは雰囲気に丸みを帯びているような気はする。
でもやっぱり、似ている。
正に、瓜二つ。ううん。そのものにしか、見えない。
「東悟……?」
本当に、東悟なの?
でも、名字が違う――。
「ねぇ、梓センパイ。かなり良い線行ってるでしょ、実物の新課長! あの鋭い感じの目が素敵ですよね〜。 声もセクシー、耳元で囁かれたいっ」
「ええ……そうね」
ひそひそと、楽しげに耳打ちしてくる美加ちゃんの声に曖昧に相槌ちながらも、私の視線は、谷田部新課長に釘付のままだ。
東悟の『本物』か。それともよく似た『偽物』か。
その違いを見つけようと、私は必死に谷田部課長を見詰め……ううん、穴があくくらい凝視した。
「え〜と、工務課で一番の古株は、高橋君だったな。谷田部君が仕事に慣れるまでは、しばらく君が補佐してくれたまえ」
心ここにあらずな私の耳に、実にご機嫌さんな社長の声が届く。
え……?
工務課の、古株の高橋?
社長の話なんぞハナから聞いていない私は、その言葉の意味することが脳細胞に到達するのに、裕に三秒はかかったかもしれない。
ぴきぴきぴきっ。
谷田部課長の隣に立つ恰幅の良い社長の、これまた福々しい顔に視線を走らせる。
「じゃあ、そう言うことで宜しく頼むよ、高橋君」
ニコニコニコっ。
営業スマイル全開な社長の笑みに、『ひくひくひくっ』と、何とか引きつり笑いを返しながら、私はその言葉の意味を咀嚼した。
古株の、高橋君……が、谷田部課長の補佐……って、
わ、私っ!?
「は、はいっ!?」
私が、何ですって!?
「それでは諸君、今日も一日頑張ってくれたまえ!」
な、なに!?
一瞬にして脳みそフリーズ状態に陥った私のことなどお構いなしに、その社長の一言で、朝礼は終了した。
ザワザワとした囁き声を残して、皆めいめい、自分の部署に散っていく。
その人並みに揉まれながら、いきなり社長に名指しされて脳みそとっちらかりな私は、動くことも出来ずに言葉もなくその場に固まっていた。
「いいなぁ〜梓ンパイ。課長の補佐なんて、いいなぁ〜」
いくない。ぜんせん、いくないっ!
羨ましそうに私の顔を覗き込んでくる美加に、私はブルブル頭を振った。
だって。
東悟本人なら、これ以上気まずい事はないし、偽物なら、東悟と同じ顔を間近で見なきゃならないんだから、これも気まずい。
どっちにしても、気まずい事には変わりがない。
導き出される結論は、言うまでもなく。
お近付きに、なりたくないっ!
コツコツコツ。
近付いてくる足音に、私は硬直したまま視線が上げられない。
「あ、谷田部課長、初めまして工務課の佐藤美加で〜す! で、こっちが、社長が言っていた古株の高橋梓センパイで〜す!」
ああ、もう。
なんで木村課長は、病気になんかなったんだろう。
というか、よりによってなぜここに、私が居る会社の同じ部のそれも課長として、東悟が赴任するわけ!?
この期に及んでそんな事を考えている私の前で、近付いてきた人影がピタリと止まった。
「――高橋さん」
その声で名を呼ばれて、ドキンと鼓動が跳ねる。
「どうぞ宜しく頼みます」
俯いたままの視界に、握手を求める大きな手のひらが入ってくる。
長い指先も、爪の形さえも、あの頃のままで――。
間違いない。
間違えるはずがない。
おずおずと上げた私の視線の先には。
別れてから、九年間。
どうしても忘れることが出来ないでいた、元恋人の姿があった。