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16 追憶-6


 機関車レストランを出て、車で三、四十分ほど走った所で、今までスムーズだった車の流れが微妙に停滞し始めた。と思ったら間もなく徐行運転になり、ついには止まってしまった。助手席の窓に顔を寄せて、ズラズラと蟻の行列状態で連なる車の列を眺める。

 二車線の道路の両側は緑豊かな自然のままの山林で、人家は見当たらない。反対車線の車は滞りなく流れているから、私たちのいる車線に何らかの問題が生じているのだと思う。

 考えられる原因は、道路工事かもしくは『交通事故』くらいだ。そこまで考えを巡らせた所で背筋に嫌な汗が流れ落ち、反射的に自分のジーンスの腿の上でギュっと両手を握りしめた。

――交通事故は嫌いだ。

 好きな人はいないだろうけど、私は大っ嫌い。

 その原因は、父の死にある。

 大工だった私の父親は四年前、私が中学二年の時に、車の衝突事故で亡くなった。

 つい昨日まで当たり前に目の前に在った家族が、『父親』という存在が突然跡形もなく消え去ってしまった。その時のリアルな恐怖と理不尽さに対する激しい憤りが甦ってきて、未だに背筋を凍らせる。

 当時は車を見ただけで全身に震えが走り、ましてや車に乗るなんて論外だった。あれから四年あまり経った今では、さすがに当時ほどの拒絶反応は示さない。免許を取って自分で車を運転しようとは思わないけど、こうして他人が運転する車の助手席に乗って『ドライブを楽しむ』、なんてこともできるようになった。

 でもやはり、こんなふうに交通事故を連想させるような場面に遭遇すると、どうしても恐怖心が甦ってきてしまう。

 これが、時と共に薄れはしても完全に消えることのない心の傷、『トラウマ』ってやつなのかもしれない。

「どうした? 気分でも悪いのか?」

 運転席から心配げな声と視線を向けられて、「平気です」と、ぶんぶん頭を振った。

 いけない。

 なんでも悪いほうに先読みしてオロオロするのが、私の悪い癖だ。

「工事でもしてるんでしょうか? こんな所で渋滞するなんて……」

 私の問いに、先輩は「ああ、なんだ」と口の端を上げた。

「これは自然渋滞だよ」

「自然渋滞?」

 工事や事故じゃないってこと? 

 先輩は、原因を知ってるのだろうか。

 小首をかしげていると、先輩は茶目っ気たっぷりにウンウンとうなずいた。

「そう、世界一周の旅に出かける人たちの、順番待ちの渋滞だ」

「世界一周の旅?」

「そう、徒歩で行ける、世界一周の旅」

「徒歩で……?」

 意味が分からずキョトンと目を丸めていると、車の列が流れ出した。

 そして、間もなく到着したのは、先輩の言葉通りの正に『歩いて世界一周の旅』ができる場所だった。


『ようこそ、歩いて行ける世界一周の旅・スモールワールドへ!』

 はつらつとした女性のアナウンスと賑々しいBGMが流れる中、ほどほどの人波を縫うように、その場所に一歩足を踏み入れた瞬間、思わず「わぁっ!」と歓声を上げてしまった。

 目の前に、東京駅が建っていた。

 もちろん、ミニチュア版だ。

 でも、その精巧さと言ったら、さっきの蒸気機関車の比じゃない。何しろ、そこには、行きかう人間の表情まで詳細に再現されているのだ。

 少し疲れたように背を丸める中年サラリーマン。ハイヒールで颯爽と闊歩するOL。テニスラケットを抱えた制服姿の高校生のグループからは、楽しげにおしゃべりをする声が聞こえてきそう。

 うわー、うわー、うわーっ! なにこれっ!?

 精巧で緻密なだけじゃない。この人間観察の鋭さと、そこはかとなく漂うユーモアセンスはただモノじゃない。もう『よっ、職人芸!』と拍手喝采したくなるほどの見事さで。これを作ったのは、きっと建築物と人間が大好きな人に違いない。

 大工という父の職業に影響されたのか、幼い頃からドールハウスや建築物の模型が大好きな子供だった私は、今でもその手の雑誌を愛読している。つい先日も、母のスネを齧っている分際でと悩んだ末に、世界遺産のミニチュアとセットになっているカルチャー雑誌のシリーズを予約したばかり。

 ここでは、その超デラックスバージョンが、目の前で見られてしまうのだ。

 馬に人参、猫に鰹節、私に建築模型。

 ああもう、たまりません。

 思わず身を乗り出して、ただただ食い入るように見入ってしまう。

 はぁ……。本当、見れば見るほど――。

「かなり凄いだろう?」

 感動のあまり言葉が出ない私の代わりに、先輩が気持ちを代弁してくれた。

「はい、すごいです、すごすぎます! こんなテーマパークがあったなんて知りませんでした。本当、すごいっ」

 思わず、両手握りこぶしで力説してしまう私に、先輩は柔らかい笑顔を向けてくる。その表情があまりに優しげで、ドキンと鼓動が大きく跳ね上がる。

「あ、あの、どうして、私が建築模型が好きだって分かったんですか?」

 照れ隠しの質問に、先輩はニヤリと少し人の悪い笑みを浮かべた。

「さあ、どうしてでしょう?」

「教えて下さいよ。気になるじゃないですか!」

 断然からかいモード全開の笑顔に、ちょっとばかりムッとして語気と視線を強める私の反応に表情を改めた先輩は、「実は……」と、声のトーンを落とした。

  さっきまでとは違う真剣なまなざしに、何を言われるのだろうと、ドキドキしてしまう。

「は、はい?」

 姿勢を正す私の顔に、真剣な先輩の顔がスッと近づき、ポソっと静かな爆弾が投下された。

「俺エスパーなんだ。で、考えていることは全部お見通しー」

「は……?」

 エスパーだぁっ!?

 そんなことがあるわけないでしょうがっ!

 カラカラと陽気な笑いが頭上から降ってきて、私のコメカミにピキリと青筋が浮く。

「榊……先輩っ、私をからかって遊んでますよね?」

「うん」

 うんって、そんな楽しそうに言わないでよ。なんだか、それでも良いかって気になっちゃうじゃない。

「ほら、次行くぞ」

 頬を膨らましてそっぽを向く私の手に、さりげなく大きな手のひらが重なり、そのまま次の展示ゾーンへと引っ張られていく。

「先輩って、子供のころ、女の子に意地悪した口でしょう?」

「さあて、どうだったかな? 気になる子には、ちょっかいをかける質ではあったかな」

 やっぱり、そうだと思った。

「あ、呼び方だけど、その先輩ってのは、ナシな」

「そんなこと言われても、先輩は先輩ですから」

「んじゃ、東悟で。俺は、梓って呼ぶから。OK? さあ、はいどうぞ」

 私の言うこと聞いてないよ、この人。

 さあ、はいどうぞって言われても、いきなり呼び捨てになんかできるわけない。そう思うのに、期待の眼で返事を待たれたら、言ってみようか? なんて思ったりして。

「何事も練習練習。さあ、言ってみ?」

 スッと更に顔が寄せられ顔に血が上り、思わず、そぞろ歩きだった足が止まる。

「と、東悟……先輩?」

 更に距離がつまり、目の前、五十センチ。

「先輩は、ナシ」

 ズイっと更に近づき、その距離実に、三十センチ。

 うわー、イケメンは近くで見てもイケメンだぁ。

 って違うっ、顔が近い、近いってばっ。

 公衆の面前で何をするんだこの人!

 これ以上近づいたら、きっと貧血を起こして倒れてしまう。それを回避しようと、なけなしの勇気を振り絞り、おずおずと口を開く。

「……東悟……さん?」

「さんは、いらない」

 スッと近づく限界点。近づき過ぎて、もうピンボケになった先輩の息遣いを頬に感じて、プチリと心の中で、何かが切れた。

「東悟、東悟、東悟、東悟-っ!」

 やけっぱちの名前連呼攻撃で、ぜえはあ息が上がってしまった私の脇を、若いカップルがクスクス笑いをもらしながら通り過ぎていく。その声にハッと現実に引き戻され全身に駆け巡るのは、これでもかと自己主張する羞恥心。

 あああああ。

 恥ずかしい。恥ずかしすぎる。

 いい年して何やってるの、私たち。

 恥ずかしさでもう脳内パンク寸前の私に、これでもかと、先輩の追い打ちがかかる。

「良くできました。んじゃご褒美を」

 笑いを含んだ声と共に唇に走ったのは、今までに経験したことがないほどの、柔らかい感触。

 それは本当に一瞬の出来事で、何が起こっているのか理解する間もなく、その感触はすぐに消えてしまった。

 近づきすぎてピンボケだった先輩の顔が少し離れて、呆然と見つめる私の目の前ですっきりと像を結ぶ。くっきり二重の黒い瞳が少し照れたような色をたたえて、それでも真っ直ぐに私の視線を捉える。

 そして先輩は微かに口の端を上げて愉快そうに笑いながら、今日何度目かのセリフを吐いた。

「良くできました」と。 

 もう、自分の敗北を認めざるをえない。私は、この人には敵わない。

 そしてたぶん、愛さずにはいられないだろうと、

 驚きや羞恥心よりも、もっと心の奥深い場所で、私はそう感じていた。



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※ただ今、アルファポリスにて連載中です。
(こちらはR18バージョンになりますのでご注意ください)

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