大賢者3
※不快な表現があります。
キーラは魔法薬に頼るようになった。
「本人は、みんなの役に立てるなら幸せ。俺たちも役に立つ仲間がいて幸せ。みんな幸せだろう?いいじゃないか」
リズに魔法薬を貰っていると聞いた。しかしもう、私はキーラもリズも責められなかった。きちんとした配合なら摂取してもそこまで体にダメージは入らない。リズの頼みもあって、私たちは魔法薬の調合に時間をかけた。素材がなければ三人で取りに行った。
アレイシスは、はじめこそ反対していたが、キーラの精神状態を知ると、やむを得ないといった風に協力した。
私は全て知っていた。それを懺悔しようと思う。
キーラは魔法薬に依存し、近いうちに肉体を崩壊させるだろうと。そして魔法薬だけでは飽き足らず、更なる力を求めだすだろうと。苦痛を紛らわせるために、欲求は加速し、それを満たすために求めるようになるだろうと。
その手っ取り早い相手はリズだった。リズはキーラの一番の協力者だ。キーラは「自分の気持ちを理解しようとせず、戦場で自分以上に大活躍している」私たちを避け始めた。
リズはキーラを受け入れ、彼女を慰めて恋人のように振る舞った。いつでもキーラの味方だと囁き、力を与えた。
リズは非情な部類の人間であったし、容赦のない一面もあり、避けるべき人格を有していた。
しかしそんな人間が自分を助けて求めている。その事実にキーラは溺れていたのだろう。
リズの話術は巧みで、やり口もスマートで行動にブレがなかった。
中途半端にキーラを憐れんでいる私より、いっそ清々しいほどの邪悪だ。彼がなぜキーラを受け入れるのか尋ねたことがある。しかし私は尋ねた瞬間にそれを後悔した。
「キーラは欠けてはいけない人材だ。彼女の身体は時機に壊れる。それを蘇生するための手立てだよ」
「そう・・。そこまで考えていたのね。あなた」
あまりにもおぞましい行為だ。リズのこの言葉で私は彼の目的のほとんどを理解した。キーラとの恋人ごっこは通過点に過ぎないらしい。思いっきり彼を罵倒できればどれほど爽快だろうか。それができないのが悔しいと言うと、話が早くて助かると、リズは微笑んだ。
キーラに愛を囁きながらも、本質は別にあったということだ。私が女性だからだろうか。この手の話しにはいつまでも慣れない。
「セックスは好きだよ。でもそれを利用するのは可哀想すぎるかな」
いくら非情だと自負している彼でも罪悪感はあるらしい。この戦いが終わるまで彼女を守り抜き、生き残ればちゃんと責任はとるし、妻にすると言った。
彼のことだから罪悪感や責任といった言葉は嘘なのだろう。キーラの身体がよほど気に入ったのだろうか。
「体じゃないさ。あの硝子みたいな存在が可愛いと思ってね。ちゃんと性格で選んでいるよ。あの歪みを愛してやれるのは俺だけだから」
「あなたのそれは愛じゃないわ。ただの興味でしょ」
リズはキーラから魔法薬の経過を聞き出し、その後すぐに肉体関係を持っていた。キーラが意識を手放すまで外で待っていてくれと言っていた。キーラの物悲しい声とベッドの軋みを聞きながら、私は外で頭がおかしくなりそうだった。
全て終わって部屋に入ると、彼は裸の上から直にコートを着て、「やあ」と私に挨拶した。
キーラは眠っている。蕩けきった顔のまま、リズの膝に頭を乗せていた。
「多分、そろそろ生まれると思うんだよね」
リズが愛おしそうにキーラの身体をなでながら言った。私はキーラの身体を拭きながら、何も言えなかった。ところどころキーラの身体から黒煙があがっている。それからばきっと音がして彼女の肩辺りが文字通り崩れた。それからすぐに青白い光を放って元に戻る。
もう肉体の限界だった。
キーラはよく体を鍛えているからか、そこまで腹部の膨らみは目立たなかった。子供がいるのに肉体関係を続けていいのか聞くと、彼は「どんな子供でもいいだろう。育てるわけじゃなし」とあっけらかんとしていた。キーラが求めて来たしと、あくまで彼女のせいにしていた。
すやすやこの男の膝の上で眠っているキーラを見ていると、涙が溢れた。
「彼女、自分の妊娠には気づいていないのね」
「気づかせるのは逆に可哀想だ。俺の子供を身ごもったなんて知れば、発狂するだろうし」
彼女は狂ったままにしておかなくてはいけない。生き残った全員で決めたことだ。だが、狂った彼女に何をしてもいいなんてことはない。
人権や安全を無視しなくてはいけない。英雄譚みたいにスマートな勝利は現実にはあり得ないよ。リズはいつもこう言っていた。勝った方が正義だから、いいように歴史を改ざんできる。描かれていないところに戦いの本当の姿があるのだ。
「デイミス、キーラは俺のだから。間違っても取り上げたりしないでね」
彼はキーラに対して、非常に歪んではいるが確かに愛情らしいものを感じているそうだ。
私には信じられないけれど。
彼女が本格的に産気づいたとき、私は来るべき時が来てしまったと頭を抱えた。自分の身体よりも戦いに興味がある彼女だ。安静にしているようにと告げたが、暴れて手がつけられなかった。激しく嘔吐し、腹部の痛みを訴える彼女を、私は呪縛の魔法でしばりつけた。
もはや聞き取れない声で罵倒を繰り返す彼女をただ縛って鎮めることしかできなかった。
このときの討伐はアレイシスとリズに任せた。
帰還したアレイシスはキーラの状態をしると、青ざめていた。彼にもキーラのことは伝えてある。「デイミスが決めたのならそれは正しい」と彼は言っていた。
「キーラにも死んでほしくないから」
そしてこうも言った。「リズは面倒がっているけれど、強い。僕やデイミスを凌ぐほど。あの強さはちょっとおかしいよ」
帰ってきたリズは悶え苦しむキーラと私のところへ真っ先に向かった。泡を吹きながら、もはや人がいるかも認識できないキーラを見て、リズは満足そうに手を伸ばした。
大剣に血がついている。敵の返り血を浴びたままリズはキーラに歩み寄った。
私はキーラに眠りの呪文を唱えた。そしてどうしようもない思いで、リズの前に立ちふさがってしまった。
「リズ!しばらくキーラに近づかないで。その子に罪はないのよ!?」
「知ってるよ、そんなこと」
「その子」はもうキーラからでてこようとしていた。キーラのように何も知らず、何もわからず、発狂出来たらどんなにいいだろう。
「もう時間がない。早く始めるに限る」
リズが大剣を離すとそれはふっと煙のように消えた。それから彼は予め血で描かれていた魔方陣の布を広げた。吊るされたキーラの真下にそれを置く。
この男は我が子を生贄にするのに、何のためらいもないのか。
あまりにも恐ろしい男を占星術は選んだものだ。まさに悪魔そのもの。
彼が行っている儀式は錬金術により編み出されるものだ。私は魔術を極めた大賢者なので、錬金術のことはあまり知らない。リズはどちらも精通していたし、使い方もよくわかっていた。魔術は自分の魔力を要とした戦術、技術であるが、錬金術は違う。魔法薬を生成する際に用いられる材料などは一般人が「カガク」と名称づけたものによって作り出されていた。
魔術と違い目に見えて成果がわかるし、「何かが欲しければそれと同価値のものと交換する」
など、仕組みも単純でわかりやすかった。そして禁忌に振れやすいのも錬金術だ。
魔術にも禁術は存在するが、「生き返らせる」「死体を利用する」など人の道に外れた魔術は原則として作られることはなかった。それもあって、錬金術師は変わり者が多いと言われている。
そう。原則として魔法は禁忌に触れることはできない。
つまりこの儀式はキーラの命と同価値の「キーラとリズの子供」を生贄にしてキーラを存命させるものだ。
誰一人欠けることなく、この無駄のない勇者パーティーを存続させるには、キーラの命は不可欠。そこで「命と同価値のいらない命がないなら作ってしまおう」ということらしい。
私は彼の口ぶりからそれに気付いていた。
彼は儀式を続けなくてはならないので、生贄を見張っておく役割は私に託された。
「よく見て置いてね。俺くらい力のある魔術師、錬金術師はおそらくこの先も現れない」
彼は自信たっぷりに私に告げた。もはや彼の瞳には自分の子供なんて映っていない。自分の儀式の成功を見届けたいという想いだけだ。
生まれてきた子供は黒い髪をしていた。泣きもせずにぐったりとしている。私はリズに言われた通り、子供を布でくるむと、キーラの前の床に置いた。そして魔方陣から出る。
大丈夫だ。まだ温かい。まだ死んでいない。
まだ儀式に使える。
リズが呪文を唱えている間、私は頭の中であらゆる暗記した文献のページを開いては閉じていた。儀式の妨害、錬金術と魔術の関連。命を交換の儀式に際、他に何を犠牲にできるか。
キーラは眠ったままだ。私の魔法が効いている。
やっぱり子供を犠牲にすることなんてできない。そこらに捨ててでも、誰かにまかせてでも子供だけは殺すことができない。
キーラは自分が必要ないと思い込んで、心を病んでしまった。そして今、本当に必要ないと判断された命が殺されそうになっている。
私はもう一度過ちを繰り返さなくてはいけないのか。また見捨てるなんてできない。見捨てないためにここまで力を溜めてきたのではなかったのか。
リズの呪文の声が響く。よく聞いていると、儀式もあと少しで終盤だ。
見れば子供の身体から細い糸がキーラに伸びている。魂か命の糧か。それが入るたびにキーラの顔色が良くなっていく。生命力の吸収が始まっている。
だとしたら、チャンスは儀式の終盤しかない。
私は全力で魔方陣の中へ飛び込んだ。
今は「子供」と「キーラ」の魂が入り混じっているところだ。キーラの身体へ子供の生命力が移動すれば、それで儀式が終わってしまう。
だから二人の命がゼロになる前に。私が二人の生命力の不足分を補えばいい。もうギリギリの賭けになるが。
「主よ」
子供の生きる力に頼った、実に身勝手な魔法。子供の生命力が完全に取られる前に私は二人の間に割って入り、呪文を唱える。
魔方陣の中は暴風が吹き荒れ、魂と生命のやり取りが行われている真っ最中だ。私の体からも命の糧が飛び出し始める。薄れる意識を魔法で無理やりたたき起こす。
私の命はキーラと子供の中へ少しずつ吸収されていく。
(キーラ。あなたは自分を必要ないといったけど。存在価値がないから、足手まといだって言っていたけど。そんなことはないわ)
生命力を吸われ、体が崩れ始める。それを私は魔力で上書きした。魔法は私の崩れた体の上を纏い、新たに再構築を行う。
このくらいできなくて何が大賢者だ。
魂が粗削りされ、残り僅かという時に私は魔方陣から脱出した。そして儀式の終わりを悟る。
リズに気付かれないように荒い息を整える。
これで彼の思い通りになったじゃないか。勇者は四名から誰一人欠けることはなかった。私は大賢者だ。魔王討伐までこの体、倒れることはない。
やがて暴風は晴れ、魔方陣には前のめりに倒れるキーラと産声をあげる子供が残された。
儀式を終わらせたリズは、全身から汗をかきながらそれを見ている。
明らかな動揺の色が見られる。そしてすぐに私を睨んだ。
「君は俺に協力してくれるんじゃなかったのか?」
私はリズを睨み返した。泣いている子供を拾い上げる。
「協力したわ。生贄が逃げないようにしたし、キーラの蘇生にも成功した。何か問題でもあるの?」
生命力が足りず、それでも必死に生きようとする子供。私はその額に指で結界の文字を書く。
「それともなに?貴方もそのへんの不埒な男と変わらないってわけ。お荷物の子供が生きているのが、そんなに都合が悪いのかしら」
「君とは友達だって・・思っていたんだけど」
珍しくリズは目を瞑って項垂れていた。いつもの余裕そうな笑みや意地の悪い雰囲気が消えている。私の腕の中の赤ん坊へ視線をやっていた。
「私もあなたは仲間だし、友達だと思っているわ。だから友達に自分の子供を殺してほしくなかっただけ。友人なら当然止めるわよね」
「そうだね。君の言う通りだ。正しいと思うよ、君は」
素直にリズが頷いている。あまりに見覚えのない光景に、私は戸惑った。彼は思いついた提案を確証があったときのみ言葉にする。本当の意味で私たちに相談することはなかった。いつも一人で戦っている、そんな印象だ。
私たちが傍にいるのに、ずっと独りで手を汚しているみたいに。
「私たちの力を信用して。あなたみたいな天才にとって、私たちはみんな馬鹿に見えるかもしれないけど。私はこのくらいの蘇生魔術で死んだりしないし、自分の子供を犠牲にしなくても、こんな風にいくらでも方法があるのよ。あなた、一体何に拘っているの?」
死んだりしないし、というくだりは虚勢だ。
私はリズへの警戒をといて、子供をリズに手渡した。生命力が足りないせいか、未熟児だ。彼は子供を受け取ったが、けして顔を見ようとしなかった。
「デイミス、俺はね。一人で戦っているわけじゃあない。どれもこれも、勇者の物語も俺の目論見も、魔王の討伐も。全部通過点に過ぎないんだ」
やっぱりリズははぐらかす。
私たちのことを心から信用することはないのだ。巧みに周囲を翻弄して、聖剣の勇者を貶めて、剣士を誑かして子供まで殺そうとしたこの男。
リズが指を伸ばすと、赤ん坊はそっとそれに触れた。リズはそれを見て、ぐっと奥歯を噛みしめる。痛みに耐えるように苦しそうに。
「この子は連れていけないよ」
私に赤ん坊を手渡した。
「君はこの戦いで死ぬよ。馬鹿だね、デイミス。君は自分の命の価値をこれから知るだろう。そこの肉の塊や俺に抱かれてよがる女と、価値が違う」
手渡した後はいつものリズに戻っていた。罵倒の内容が些か愚痴のように聞こえる。
「困るよ。この世界には馬鹿しかいないのか。どこに行ってもつまらないな」
私は確信していた。リズは重大な何かを隠している。
そしてそれは魔王討伐より重大なことだろう。目標のその先を見ている。もしかしたらそれは何十年後か、何百年後か。
錬金術師はずっと先を見ている。