おやすみなさい、私。
朝だ、多分。
鉛のような体を捩らせると、くっついてしまった瞼を持ち上げる。
朝が来た。いつぶりだろう。
見覚えのないベッドと干し草の香り。目をこすろうとした私はうまく体が動かないことに気付く。手元がもつれた。指が目玉に突き刺さった痛みに悶えていると、ガチャンと何かが割れた音がした。
見ると、これまた見覚えのない小太りの女が私を見て目を丸くしていた。
女は「ぐえっ」と首を絞められたような声をあげて床を蹴ると、足早に俺の部屋らしき場所から走り去った。
「大変ですううううう!!!!!!お目覚めになりましたわああああ!!」
肥えた体に似合う大声を張り上げながら走り去る女。嵐のような去り方に私は思わず口を開けっぱなしにしてしまう。そして口を開けたまま部屋を見渡す。
よく手入れの行き届いた剣が二本。レイピアが三本。汚い麻袋が数個。そして回復薬の瓶が転がっている。それらが何であるかはわかるものの、自分との関連が全く見えない。
後はほこりをかぶった汚い平民向けのインテリアが目覚めた私を出迎えている。
部屋は汚いくせに、置いてある装備がどれも上等で何とも不釣り合いだ。
部屋の探索をしてやろうと腰を持ち上げた途端、私は思いっきりしりもちをついてしまった。骨の軋みと乾ききった口内から察するに、私はしばらく寝込んでいたらしい。
床の回復薬も、おそらく私のために使われたものだろう。独特な配合をしたスパイスや竜の血の臭いが漂っている。
体は動かない、ここがどこかもわからない、そして病み上がり。
よくない状況であるのにも関わらず、私は芯から冷静でいられた。私がどんな人となりだったかなど全く持って記憶にないが、本能は落ち着き払っている。
さっきの小太り女、「お目覚めになりましたわ」などとのたまっていたが、丁寧な言い回しをするほど私は身分が高かったのだろうか。それにしては、部屋の内装が貧相すぎるが。
考えられるのは、何かしら大きな功績を残した一般人か、元々金持ちだったが没落した家の生まれか。
「うぐっ・・・」
と、突然、私は後頭部の痛みに襲われた。すぐさま頭をなでると、掌にべっとりと血がついている。見れば頭にはターバンの如く包帯が巻いてあるではないか。
なんで自身の怪我にも気づかなかったのだろう。それにかなり大怪我だ。私が寝込んでいたのはこの怪我によるところが大きい。
手についた血はどす黒い。おそらく傷に呪いが付与されているのだろう。着実に相手をしとめるための手立てだ。厄介なやつに命を狙われていたのか。過去の私は。
「もおお!どうしていつまでも寝てたのおおーー!!」
その時、痛みが引かずに脂汗を浮かせている私に、何かが飛び掛かかった。
次から次へと何なんだ。勘弁してくれ。その何かのせいで私は前のめりに倒れた。そいつは怪我をしている私の背中でぴょんぴょん跳ねている。
ふり返ってみると、栗毛色の髪をした小さな少女が私を見降ろしていた。見た目は幼いが、賢者にしか許されない衣装を纏っている。相当手練れな魔導士だと一目でわかった。小さな背中には浄化のルーンが刻まれたバオバオ-ルの杖が背負われていた。
「馬鹿馬鹿!!寂しかったんだからああ!!」
完全に幼女の玩具状態の私は、なすすべもなく倒れている。私は父親でもやっていたのだろうか。
やはり記憶にない。
「こら、デイミス!!やめなさい!」
「えーーーー!」
先ほどの衝撃で頭の傷が開き、血が流れ始める。温かな自分の血を感じながら私は白目をむいていた。
デイミスと呼ばれた少女は、甲冑をきた女性に持ち上げられる。
「ごめんね、アル。大丈夫?」
アル。うん。誰?
ここは話しを合わせるべきだろうか。心底心配そうにのぞき込む女性に私は無理に微笑んで見せた。
誰だろうこの娘は。肩でぷっつりと切った短髪にジャンヌダルクのような甲冑。今にも旗を振り回して戦いそうな勇ましい出で立ちをしている。
「いやあ、悪かったね。あたしのレイピア勝手に置いてもらっちゃって」
甲冑は部屋に置いてあったレイピアを手にとった。
幼女と甲冑娘。自分に馴れ馴れしいということは、仲間か何かだろう。賢者と剣士がいるということは。何かの集まりだろうか。
「ねえ、キーラ。アルどうしちゃったの?デイミスが上に乗っても全然怒らなかったよ。それになんか変だよ」
「アルは疲れているんだよ。あの戦闘を生き残ったからね・・」
ここは空元気でも見せておいた方がよいのだろうか。ただ余所行きの笑顔しか見せられない私に近づき、キーラが包帯を巻きなおしてくれた。
「まだ血がでてるね。デイミスの魔法でもどうにもならなかったから。おそらく呪いだろうって話だけど」
近くで見ると、キーラの顔にも疲労の表情が伺える。
「前のデイミスなら、何とか浄化できただろうけど、今は腐敗の進行を止めるので手いっぱいみたい。でもデイミスも頑張ってるから・・辛いだろうけど、許してあげて」
絞り出すように告げられる。デイミスは無邪気に部屋の中をくるくる見渡していた。
「前の・・デイミス?」
「もうこの話はやめよう。全部、終わったんだし」
包帯を巻き終わると、キーラは微笑んだ。
「あたしも魔法とか馬鹿にしないでやってみる。もしかしたら、みんなが元に戻る方法があるかもしれないから」
ダメだ。話が見えない。何かしらの危機を乗り越えたメンバーということか。ここにいるのは。
全部終わったってどういうことだ。私が能天気に記憶を無くして寝ている間に何があった。
ますます混乱する私に新たな訪問者がやってきた。
「目が覚めたって聞いたんだけど」
オールバックの髪を撫でつけ、姿を現したのは革のジャンパーをクールに着こなした色黒の青年だった。大きな剣を背中に背負っている。ワイルドな雰囲気の青年は、ちらっと私に視線を寄こした。その後しばらくじっと視線を外さずにいたかと思うとこう言った。
「久しいね、アルちゃん」
にへっと人懐っこい笑顔を向けてくる。残念ながらどう答えたらよいか、わからない。
「なんだよ、俺が一番だと思ったのになあ。みんなアルが好きな」
ベッドに何の遠慮も無しに座ってくる。この男とは親しかったのだろうか。
「ねえリズ。呪い解けると思う?」「無理」
間髪入れずに言い切るリズ。キーラは顔を曇らせた。
「アルちゃんに掛かってるのは、なかなか複雑な呪いでね。自分で解くのが一番だろうけどいまのところ、難しい。回復薬とデイミスに遺ったなけなしの浄化魔法で食い止めるしかないな」
「何よそれ・・」
「魔王様の最後の断末魔ってね。最悪な置土産だったってわけかー」
苦しそうなキーラと比べて、リズはどこか楽しそうだ。デイミスは話しに入っていけないのか無邪気に笑いながら部屋の剣を触っている。
「ねえ、なんでそんなに楽しそうなの?デイミスもあたしもアルも大怪我して死にかけて・・。あんただけいつも平気そうに構えてるのはなんでよ・・」
「そりゃあ俺、強いもん。怪我しなかったし」
怒気を孕んだ言葉を聞いても、涼しい顔で受け流しているリズ。強いもんというのも虚勢ではなさそうだ。
キーラは、ぐっと湧き上がる怒りを奥歯で噛みしめているようだ。
「あたしはどんなに時間がかかっても、魔法を習得するって決めたから。アルもデイミスもあたしが助けてみせる」
「できるの?」
姿勢を崩したままリズが呟いた。
「俺が作った回復薬、ブースト薬、痛み止め。最後は足りないからって素材まで直に齧ってさ。あれにはちょっと引いたよ」
楽しそうに話すリズに、キーラの表情がさっと変わる。それを見るとリズは更に楽しそうに続けた。
傍から話を聞いているだけの私だが、このリズという男が褒められた性格ではなさそうなのがわかる。
そしてなんの記憶もないが、戦闘を終えて疲弊した集団であるのはわかった。重苦しい空気とリズの楽観的な空気が混ざって気味が悪い。
「やめてよ」
「俺は言ったよね?やめろって。お素材までバリバリ行くのはお勧めしないって」
「いや・・」
「確かに素材直摂取だと回復が早いかもしれない。その代わり細胞が融け崩れて、中毒になりやすい。君みたいに脳みそが薬漬けにされた依存症患者に、魔法のお勉強なんてできるのかな?」
「うるさい!」
キーラが叫ぶと、近くにいたデイミスがびくっと体を震わせる。そして火がついたように泣き出した。泣いたデイミスを近くに寄せて頭をなでるリズ。
「俺はさ、単に君の依存症が心配だっただけだよキーラ。気を悪くしたなら悪かった。でもだからってこんな小さな子を怖がらせるのはよくない」
「悪かったなんて思ってないくせに・・」
キーラはボロボロ涙を零した。さっきまで私に無理して微笑んでいたのだろう。私は満身創痍の仲間?であるらしい者たちを、遠くから眺めることしかできない。
「どうか泣かないでくれ。君の剣技は素晴らしい。魔法なんかなくても剣があるだろう」
「よくもそんなことが言えるね!!」
キーラは甲冑の右腕の部分を掴むと勢いよく抜いた。すぽんと音がして腕が抜ける。しかしそこにあるはずの肌はなかった。
「腕を無くした、何もかもなくなった。あたしには剣を振るうこともできない・・」
苦しそうに呟く彼女に、リズはわざとらしく顔を覆った。
「あー、そうだった。無神経なこと言っちゃったね。可哀想に」
険悪な雰囲気の仲間たちをただ見ることしかできない。「私」はこんな状態のとき、どのように声をかけていたのだろう。
と、戸惑う私にリズが突然鋭い視線を向けた。
「今日は止めないんだね、アル。恒例の夫婦喧嘩も見飽きたかな?」
「え・・えっと・・」
「いつもなら、直ぐに止めに来るのにね」
喉が渇く。絞り出した声は掠れてうまく届かない。性格に似合わない優しい表情でリズはうんうん頷いている。
「私は・・その・・」
「わたし?」
キーラが怪訝そうに私を見る。デイミスも涙を拭いてこちらを見つめる。
「ねえ・・あんた、そんな喋り方だっけ」「アル・・やっぱり変」
記憶がないのがバレたらきっと仲間は悲しむだろう。笑顔を貼り付けてみるが、それに反して焦りのせいか私は滝のように汗を流していた。
「俺はそういうの嫌いじゃない。凄い戦いだったからね、心を閉ざしてアイデンティティーが揺らぐのも無理はない」
「なに?どうしたの?」
ああ・・ダメだ。
「申し訳ない。覚えてないんです。私が誰かも、ここがどこかも、何が起こっているかもわからない」
言ってしまった。顔を上げると、気まずそうにしているキーラと手を叩いて笑っているリズの姿があった。
「魔王討伐ののちに記憶を無くした勇者か。相変わらず面白いなアルちゃん」
「うそ・・ごめんね。あたし、いろいろ知らないのに好き勝手やっちゃって」
驚くべきことに、記憶がないことを告げても、みんな平然としている。修羅場を潜ってきた彼らのことだ。もう記憶喪失くらいでは驚かないのだろうか。
デイミスがトコトコ傍にやってくると、私の服の端を掴んでこう言った。
「デイミスね、アルのお友達なの。びっくりした?」
「あ・・うん・・」
返事をすると、デイミスはニコニコ笑った。
「あのね、そしてね、これからもお友達なんだよ」
無邪気で可愛らしい姿を見ても、キーラはどこか悲し気だ。
「反応が薄くてごめんね。旅してるといろいろあるから。あんたが記憶喪失になるのこれで5回目よ。まあ、今回は長そうだけどね」
私は彼らのことを何もしらない。どうやって戦ってきたのかも覚えていない。
きっとそれは恐ろしい戦争だったのだろう。記憶を手放したほうがましだと言う程の、苛烈な戦いだったのだろう。満身創痍の仲間の力を再び借りる。アレイシスはそれを望むだろうか。
いつか、記憶が戻るとして。私の中のおぞましい記憶は何を聞かせてくれるのだろう。
「ねえ、アル。デイミスお腹空いちゃった。アルもなんかたべよ」
デイミスが私の手を引きながら笑った。