酸素に触れても、なお赤い。
こんばんは、遊月です!
とうとう最終回を迎えることができました。今回は『約束』をテーマにしたお話でしたが、皆様も、忘れている約束、ありませんか?
本編スタートです!
「……んぅ、」
目を覚ますと、そこは真っ黒な部屋。照明はついているけど、家具から床から天井に至るまで、全部が真っ黒にペイントされている部屋だった。
こんなところ、わたしは知らない。なんでここにいるんだっけ……思い返そうとしたとき、首筋に熱い痛みを感じてしまう。
『約束したのは、私の方が先だったのに』
暗い声で囁かれたあと、いきなり意識がなくなって。
ここは……あの人の部屋なの?
「おはよう、藍ちゃん♪」
真っ黒なドアが開いて、純白のワンピースを着た女の子が入ってきた。黒いお皿の上には、パウンドケーキのようなものが置かれている。あれからどれくらい時間が経っているかはわからないけど、お皿の上から漂うバターの香りに、思わずお腹が鳴ってしまった。
「ふふふ、お腹空いたの? じゃあ食べさせてあげよっか。今の藍ちゃんは、手使えないもんね」
「え…………?」
彼女の言葉に促されるように両手を見下ろしたとき、一瞬何がなんだかよくわからなかった。
わたしの肩からぶら下がっていたのは、途中からズタズタの布切れみたいになった、真っ赤な垂れ幕みたいなモノだった。右肩からも、左肩からも、そんなモノがぶら下がってて。
「え、え、えっ、えっ、えっ!?」
なに、これ。
て、手は?
腕はある、肘は、えっ、あれ、どこ? なんで、何これ、布? 待って、嘘でしょ、なんで、わかんない、え、怖い、夢、嘘、えっ、動かない、重い、手は? わたしの手は? え、どこにあるの? なんで動かないの、手だよね、手なんだよね、なんで?
意味がわからず困惑するわたしを見ながら、彼女は軽く笑う。
「すっごい寝てたからね、イタズラしちゃった♪ ごめんね、ちゃんと言うと藍ちゃん嫌がりそうだから、寝てる間にやっちゃったの」
可愛らしい笑顔で、その子はわたしの足を指さしてくる。なんで、なんでこんなことされなきゃ、え、誰なの、なんなの、嘘だよね、嫌だ、嘘、ねぇ、ねぇ!
夢だと思った。
目を瞑っていれば醒める、きっと朝になったらまた部屋には夏希がいて、コーヒーを飲ませてくれるに違いない。そうだよ、そうに決まってるよ、だから……
「だーめ、朝ごはんはちゃんと食べなきゃ」
瞑った目を、無理やり開かされる。瞬きもできなくて開きっぱなしの目から涙が出てくる。そしてそのとき、ようやくわたしは、自分の身体が全然痛まないことに気付いた。
「な、に……したの……?」
「痛いの嫌かなって思って、お薬使ったの。ちょっと頭がクラクラするみたいなんだけど、痛いのはなくなるってお医者さん言ってたよ?」
率直に、痛みがないというのは怖かった。
痛いのは嫌だ、だけど、何もないのは怖い。自分の身体が自分のものじゃなくなってしまったみたいな感覚に陥る。けど、目の前の子はもっと怖かった。
泣きながら首を振るわたしの口を無理やり開けて、涎が付くのも構わずに口にパウンドケーキを入れてくる。美味しいけど、それどころじゃなかった。
強引に入れられて、更に奥に押し込まれてくる。嫌だと言いたい口もうまく動かなくて、当の女の子は嬉しそうに笑いながら、またぐりぐりと入れてくる……その繰り返しだ。怖い、苦しい、嫌だ、助けて、そう言いたくても言わせてもらえない。わたしの意思なんて関係なく強引にされることなんて、夏希と付き合ってから全然なかったから怖くて仕方ない。
やだ、やめて、苦しい……
「ぁ、すけ……て…………」
「…………藍ちゃん、その夏希って子に会いたいの?」
「…………っ!」
いるの!? ここに、いるの!?
思わず恐怖も忘れて彼女に詰め寄ろうとしたわたしに、その子は一瞬呆れたような顔をしてから「会いたいんだね」と溜息をつく。
「じゃあいいよ、ちょっと持ってくるから」
少し元気のない声で部屋から出た彼女は、数分くらいしてからひとりで戻ってきた。え、夏希は? 連れてきてくれたんじゃないの?
「ねぇ、夏希は? ねぇ……!」
「ん~大丈夫だって、持ってきたから!」
彼女は心底面倒臭そうに、手に持っていたものをわたしの膝に乗せる。ズシッ、と重いそれは、黒い球に見えた。よく見ると、それは…………
「う゛っ……、おぇ、うぅぅ………っっ、」
食べたばかりのパウンドケーキが、喉や鼻を通って身体の外に戻っていく。そのまま、精気のない瞳でわたしを見つめる夏希の真っ白な顔に降りかかっていく。
嘘でしょ、何これ、えっ、おかしいよ、変だよ、どうなってるの? ツンとした臭いと滲む視界が、現実感をどんどん奪っていく。けど、目の前の影は平然としていて。
「ねぇ、藍ちゃん」
「……う゛、…………っ、」
「小さい頃にした約束、覚えてる?」
「ぇ、え゛…………?」
黄色くなった夏希をわたしの膝から取り上げて、女の子はじっとこっちを見つめてきた。
「手紙とかも、あんまり交換しなくなっちゃったよね。お互い新しい友達とかもできてきちゃったし、届くまでに時間もかかっちゃってたもんね」
「え、えっ、え……?」
うそ、嘘でしょ?
「でもね、私はずっと覚えてたよ? 全部、ちゃんと」
「そんな……、そんな、こと……っ、」
「私たち、約束したよね、絶対にまた会おうって?」
「なん、で……?」
「それはさ、私の台詞だよ」
低く呟いた約束の人の顔からは、感情と呼べるものが削げ落ちていた。
「なんで他の人と恋人になってるの? なんで他の人の子どもなんて作ってるの? なんでそこで他の人に依存するの? なんで他の人と生活してるの? なんで他の人に私たちの約束の話をしたの? この子も、電話して藍ちゃんと関わるのやめるように言っておいたのに、逆におじさんたちに会おうとするし……!」
「え、それって……?」
「この子……な、夏希?ちゃんはね、おじさんとおばさんに会って、藍ちゃんとふたりで私から逃げるつもりだったんだって。両手両足の指を全部潰したらやっと泣きながら言ったの。嫌だよね、横入りしたくせになんで私から逃げようとするの」
無感情な声で言いながら、彼女は夏希を蹴る。
「前の人だってそう、私の藍ちゃんを勝手に妊娠させといて、それだけでもう藍ちゃんを自分の奥さんだなんて思ってたみたいでね? 聞いて、指輪なんて買ってたんだよ? 怖くない!?」
「なに……それ……?」
「酔ったフリしてここに連れてきたとき、『待ってる人がいるから』とか言って帰ろうとしたの。他の男みたく襲ってくれたらそれをネタに藍ちゃんと別れさせられたのに、うまくいかないよね」
「ねぇ、なつみちゃん?」
「あとさ、藍ちゃん。約束したときに言ったこと、言ってみて?」
怖かった。
目の前に立っているのは、本当に別れが嫌で泣いていた子なの? それとも、その皮を被った別の何か?
「ぜ……絶対、……また、会おう、って」
「それと?」
「と?」
それ以外の言葉なんてない。会いに行く、会おう、そういうことしか言ってないはずだ、え、ううん、ほんとにそう?
『わたしたちには、■■■■■があるから――――、』
思い出した、もうひとつ、何か言っていた。
何かがあるから、絶対に一緒にいられる……でも、そんなの小さい子どもの約束なのに……っ!
「赤い糸なんて、なかったのかな」
それは、消えてしまいそうなくらい、小さな声だった。
「わかってたよ、もう手紙がなくなった時点であの約束は無効だって。でもね、私にだっていろいろあったんだよ? 親友だった藍ちゃんに縋りたくなるくらい、いろんなことが。
覚えてるかな、私ね、藍ちゃんがあの男の人と付き合ってるときに1回会ってるんだよ。声かけようとしても気付いてくれなかったけど。それですぐ男の人と腕組んで、幸せそうに笑っちゃって……遠かったなぁ、あのときの藍ちゃん」
寂しそうな瞳。
声なんてかけてくれたらよかったのに、と言えないような悲しげな揺らぎが瞳に浮かんだのも、一瞬。すぐにギョロリと剥かれて、わたしを真正面から見据えてきた!
「でもね、思ったんだ。糸が赤くなくたっていい、赤くない糸なら、赤くすればいいんだ、って。その為なら何でもしよう、って」
くすくす、と愉しそうになつみちゃんが笑う。
「他の糸なんて全部切って、血でもなんでも、塗りつけたら赤くなるでしょ? だったら、それでいいんだぁ……♪」
恍惚とした顔が近付いてきて、わたしの汚くなった唇に重なってくる。舌で口内を弄ばれて、残った胃液も飲み込んでいるのがわかった。
「これが、藍ちゃんの味なんだね」
嬉しそうに笑うなつみちゃんの声が、少し遠くなる。
視界が、暗くなっていく。
もう、全部わからなくなってくる。
でも、もう、いいのかも知れない。
だって、逃げられないんでしょ、もう?
「これからはずっと一緒だね、藍ちゃん……♪」
意識が途切れる前に聞いたのは、心の底から喜んでいるのがわかる、そんな声だった。
前書きに引き続き、遊月です!
百合です、このお話は百合なのです。スプラッターではありません、百合のお話です。
幼さがゆえに、無垢さゆえに、人はどこまでも狂えるのかもしれません。そう考えると、少し怖くなりますね。
忘れている約束が過去からあなたに追い付いたとき、きっとあなたは……
ご閲覧ありがとうございました!
また別の作品でお会いしましょう!
ではではっ!!