1. 街の中心で叫びましょう
バツン!という音が聞こえた。
まるで今まで眠っていたかのような。
本に集中していた時に後ろから肩を叩かれたような。
そんな感覚に陥り、私はビクリと跳ね上がって周囲を思わず見回した。
「うわっ!どうしたのモカさん」
隣にいたカフェが飛び跳ねた私に驚いて顔を覗き込んでくる。
この子は私の連れである大剣士……という事を今改めて再認識した。
何かがおかしい。まるで、今、やっと私が私になれたような。今までの自分は自分でなく、誰かに操られていたかのような。勿論今までの記憶からなぜ今ここに居るかまでの記憶だってしっかり残っている。
ただ、私と繋がっていた大きな『何か』がたった今途切れてしまったことだけは理解したのだった。
……よし、とりあえず改めて私という人物を振り返ってみよう。
私の名前はモカ。家族はいない。狂戦士の肩書を持つ、しがない女の子。身長は百二十一、体重は……忘れた。背中に引っ提げたプレデターアックスは全長二百五十センチの超大型の戦斧で、数々の戦いを共にしてきた愛用の中の愛用。我が伴侶と言っても過言ではない。
そして。
「もしもーし?モカさん?」
隣にいるカフェは高身長ナイスバディをゆったりした紅葉色の上着とミニスカートで更に強調して絶対領域たるフトモモとハイソックスのコラボが非常に熱いスラッとしたこのなんだくそ足長いなこのすべすべしやがっておらスリスリスリスリ「モカさん!モカさん!?」このけしからん足を持ったカフェは身長がなんと百七十五センチもある。私よりもでかいのだ。
かなり魅惑的な身体であるにも関わらず私というコブがいるせいで男が寄らないかわいそうな女である。
「歳上の女の子のセクハラは嬉しいだろ?ん?」
「モカさん違うの!スカートの中に入るのはやめて欲しいだけなの!周囲の目が!周囲の目が!」
この可愛らしいメスは私の近所に住んでいた幼なじみであり、私より三つ下の可愛らしいメスなのである。
そう、私より三つも下の分際でこのナイスバディを手に入れているのであり、それは即ち私にセクハラして欲しいという意思の現れではないのだろうか。
「もー!モカさん今日は触りすぎ!おしまい!」
「チッ、分かった分かった。逃げるもんでもないですしなー」
「モカさん!!」
天下の往来でこんな下らないトークをしているのはこの世界では私たちしかおるまい。
私はベンチから降り、数歩だけ歩いたり色々な法則を無視して私の背中に存在する斧を背負いなおしたりする事で改めて大地を踏む感覚や普段の雰囲気が今までと違うことを感じていた。
妙にリアルなのだ。
いや、今までも勿論リアルではあるのだが、それでも何か……薄くて見えないが絶対に破れない障壁が自分と何かの間に必ず入っていて、それが今唐突に無くなったと言うべきか。
産まれてからずっとあったそれが今急になくなった。世界は更に色づき、何もかもが鮮明になっている。
悪いことじゃない。ただ、違和感は確実に頭に残っていた。
「ま、モカさんがスケベなのは昔からだしいいけど。今日はどうする?」
セクハラをされまくった後でも、私のどこかぎこちない動きを察したのかカフェは心配そうにこちらを伺っている。
本当によくできた娘だこと。
私が育てた。
「特にやることは無いけど、この鎧の縫い目がほつれてきたから服屋に行きたい」
「……そのメイド服本当に気に入ってるんだね……」
「こんなに可愛い鎧なのに何が気に入らないんだ!?」
私の装備をどこか引いた様子で見る分からず屋につい声を荒げた。
何を隠そうこの鎧、防具屋でもない服屋がおふざけで作ったメイド服とブレストアーマーを組み合わせて作ったメイドアーマーと呼ぶ鎧であり、その耐久性など普通の鎧以下なのである。
しかし私は一目で気に入り、身長の問題でサイズはなかったのだがオーダーメイドでメイドアーマーを(ギャグではない)作ってもらった。
大金を積んで様々なエンチャントや祝福を与え続けたそのメイドアーマーは今や見た目とは裏腹に堅牢な鎧と化しているのだった。
しかし、カフェが少し嫌そうにしているのはやはりメイドという存在が必ずしも健全なものばかりではないというのを理解しているからだろう。
だから私にメイド服を着て欲しくないのは分かるが、かと言って私はメイド服を脱ぐ気にはならない。
「とりあえず服屋に行こう。予備のメイドアーマーはあるけどこっちの方がなんか着心地いい気がするし」
「そういうものかな?それ着た回数多かったとか?」
「いやこれ着てカフェと交尾した回数が多かっ」
「最低!!最っ低!!サイッテー!!!!」
あまりの怒りで私を無視しながら服屋に向かうカフェを追いかけながら、こういうジョークは控えようと誓ったのであった。
ーーー
「はい、お直し代で十二シール。……アンタ本当にこの服好きねぇ……」
「おばちゃんが作ったんでしょ」
「いやまあ、そうなんだけど……愛用してくれてるなら服屋冥利に尽きるってことかしらね」
「そゆこと!じゃ、お願いします!」
服屋にメイドアーマーを預け、代わりのメイドアーマーを着た私は未だに怒っているカフェと手を繋ぎながら街を歩く。
この街を寝城にしてからしばらく経ち、幼女の大斧使いと保護者の大剣使いとしてそれなりに名も広がってーーー私は幼女じゃないと必死に伝えたが背伸びをしたい年頃と勘違いされたまま、私もそれなら利用させてもらおうと日々を過ごしーーー私達を知らない人々はもういないくらいに、この街の人間になっていた。
旅人や他国の商人などは珍しげに見てくることもあるが、大したことではないらしくすぐに自分達の目的を果たすため移動などを始める。
誰だって生きるのに必死だ。珍しいもののために自分の人生の時間を費やせるほど人々は裕福ではない。
少なくとも、この街では。
そう、だから私達を今ガッツリ見ているあのよく分からない若造はこの街の人間ではなく、尚且つ忙しい人間ではないはずなのだ。
つまりどういうことかと言えば。
「そこのお嬢さん達!ちょっと待ってくれ!」
私達美少女二人を使って何か良からぬ事をしようという不埒な余所者に違いないのだ。
「カフェ」
「うん、分かってる。無視しよう」
若造を無視して進み続けるが、諦めずに私達の後をつけ始めたのを狂戦士の嗅覚で察し、カフェに声をかけた所カフェもそれを察したらしく私の手を少し強く握って歩みを早めた。
「……いや、カフェ」
「分かってる。このまま行くよ」
若造は私達を逃がすつもりはないらしい。徐々に速度を上げて近づいてきた。
「カフェ、カフェ、やばいよあいつ小走り気味だ!」
「モカさん振り向いちゃダメ!」
恐怖に耐え切れず走り出すと、何がなんでも逃がすものかと若造も走り始めた。なんだあいつ!?
しかも早い!私達もそれなりに鍛えているので敏捷性には自信があるが、それでも奴のスピードの方が上回っている。
ついに私は腕を掴まれ、思わず振り向いて奴の顔を見る。若造の真剣極まりない表情を見て全身に恐怖と鳥肌が駆け巡り、もう片方の手で繋いでいたカフェの手を強く握りながら、全身全霊で叫び声を上げた。
「誰かー!!誰か助けてー!!」
「誘拐です!この人誘拐です!!」
武器を振り回すだとか腕を振り払うだとかそういう動作を忘れる程度に恐怖心を抱いたのはどれくらいだろう。
思わず手を離した若造から少しでも早く離れるためにカフェに抱きつき、カフェも私を守るように抱き締めてくれる。
「ち、違う!俺は、」
「テメー!真っ昼間からモカを誘拐しようたァいい度胸じゃねえかああ!!」
「天下の往来で小さい女の子を狙うなんて!私達が我関せずに徹するとでも?舐められたものね!」
「モカを知らないで手を出したならこの街の奴じゃねえな!どこの奴か調べ尽くしてやっからなあ!」
「衛兵が来るまで大人しくしろ!」
悲鳴を聴きつけた周りの頼もしい大人達が四方八方から飛び出し、若造をあっという間に囲んで縛り上げている。
そして、「大丈夫か、モカちゃん?」などとおっちゃん達が私に声をかけたタイミングで、トドメと言わんばかりにカフェのお腹に突っ込んでいた(計画通り過ぎて笑っていたわけではない)顔を周囲の人々に少しだけ見えるように、ゆっくり傾け。
「……私、だれにも、なんにもしてないよ……なんで、いじわるするの……」
頬を伝う一筋の滴。
理不尽な恐怖を味わった事で、悔しさと、悲しさと、恐怖が入り混じってくしゃくしゃになった泣き顔と、少しでも動けば今にも溢れ出しそうなほど目に溜まった涙。
果たしてこれを見て何人の人間が『恐怖に押しつぶされそうな幼女と、彼女を守ろうと必死に抱きしめる女性を襲おうとした暴漢』に容赦をしようと思うだろうか。
少しやり過ぎではないかと思うような怒号と何かを叩いたり蹴ったりするような音が聞こえ、おばちゃんとおっちゃん達に囲まれてお菓子やらなんやらを腕いっぱいに持たされた私はしゃくり上げる演技をしながらカフェとその場を後にしたのだった。