『次の世界までさようなら』
「そんな細い腕で米兵が殺せるものか」
私は鼻で笑ってやった。しかし彼は顔色ひとつ変えずに、依然として手に持ったいびつな拳銃を眺めている。いつもと同じ、狐のように妖艶な目つきだった。
「腕で殺すのではない、武器で殺すのだ」
拳銃を見つめたまま呟く。彼は入念にその拳銃の手入れをしていた。しゃくとり虫のように動くトグルを引っ張っては、弾丸をいれる薬室を確認している。
「それは?」
「祖父の形見だ、先の大戦に従軍していた。帝国だった独逸のものを鹵獲したらしい」
「形だけは、我が国のものに似ているな」
「ああ、だが構造はまるっきり違う」
「それにしても、お前がそんなものを持っていたところで」
「『意味が無い』だろ」
彼は初めて拳銃から目を離して、尋ねた。
「君の軍服はどこにある、出陣は明日だろう?」
「俺の部屋の戸棚にしまってある……が、なぜだ?」
「いいや、なんでもない」
そうしてまた視線を拳銃に戻して、小さく呟いた。
「生きて、帰ってきてくれよ」
「それは、難しい頼みだな」
私は特に何も考えずにそう答えた。
「やつらはこの島まで迫っている。ここで止めなければ本州が危ない。この命は、お国のために捧げるつもりだ」
しばらく沈黙が続いてから、彼は口を開く。
「そうか」
その目はどこか悲しげで、そんな彼を見ると、頭の隅に追いやっていた不安がまたぶり返してくる。
「心配性なんだよ、お前は」
そう言いながら、その不安をかき消すように、贅沢に伸びた彼の髪をわしゃわしゃと撫でた。
それでも彼は不満げだった。
「見せたいものがある。ついてきてくれ」
彼は拳銃を和服の懐にしまい、縁側から立ち上がった。
彼につづいて、月の光に降られながら深夜のあぜ道を歩いた。辺りに響くのは私たちの足音だけで、それさえも耳にとどく前に夜闇に吸い込まれていく。
私の家からだいぶ離れた納屋の前にやってくると、彼は足を止めた。
「ここだ」
重い両開きの扉を押し開ける。
「先に入ってくれ」
彼に言われるがままに足を踏み入れるも、中にはわらの束がそこらに転がっている程度で、目立ったものは何も見られなかった。
「何も無いようだが」
カチャリという金属音が鳴って振り返ると、彼はいつの間にか取り出した拳銃に、弾倉を込めていた。
「おい、何をやって──」
言い終わる前に、引き金は引かれた。耳をつんざく銃声が納屋の中にこだまして、弾丸は右足を貫いた。痛みに悶えながらその場に崩れ落ちると、間髪入れずに二発目が左足に撃ち込まれる。
「いったい、何を」
声を振り絞っても、彼からの返事はない。見えたのは、彼の手に握られた短い刃が、月光で煌めくところだった。
束になったものをばさりばさりと切る音が聞こえる。彼はそのはさみで、自らの頭髪を削ぎ落としていた。愛らしかったぼさぼさの頭が、私と同じ、武骨な丸刈りに揃えられていく。その光景を前にして、私はうずくまって両足を押さえていることしか出来なかった。
彼はすべての髪を落としきると、私の前に包帯を置いて引き返した。足音が遠のいていく。
「頼む、待って、くれ」
かすれ声で、そう叫んだ。扉を開きかけた彼が動きを止める。影がゆっくりと振り返った。
「宗十郎」
名前を呼ばれて、力なく顔を上げると、彼の頰は涙に濡れていた。
「明日、僕は死ぬ。君は」
彼は最後に微笑んでみせた。
「生きてくれ」
狭まっていく月の光に、手を伸ばす。私が声を出す間もなく、その扉は閉じられた。
私が他人様の納屋で重症を負って、包帯を手に倒れているところを発見されたのは、彼が私の軍服を見に纏い、戦地に赴いた後だった。
私はすぐさま出撃を志願した。彼の下へ向かわねばならないと思った。だが両足を負傷した少年兵にそんなことが許可されるはずもなく、志願は取り下げられた。
それから先の日々を、私はなるべく彼のことを考えないようにして過ごした。
そうして二ヶ月後、戦争は終結した。居間のラジオで玉音放送というのを聞いて、家内は重い表情をしつつも、内心は安堵し喜んでいるように見えた。私だけが正座で、拳を握りしめながら、放送が終わった後もその場から動けずにいた。
その一週間後、私の元に一通の手紙が届いた。焼け野原となった戦場から回収されたもので、差出人は不明だが、宛名には私の名が書かれていたとのことだった。
それは一丁の拳銃に括りつけられていたらしく、手紙はその拳銃とともに送られてきた。
震える手で、その手紙を机に広げた。血と泥で汚れたそれに記された、几帳面な文字を、一文字ずつ指を添えて読み取っていく。
「拝啓、伊波 宗十郎様へ
まず初めに、貴方に対しての所業を謝りたいと思う。本当にすまなかった。許してくれとは言わない。それほどのことを、私はしたのだから。
貴方は、近所に住んでいるというだけの一つ下の私を、嫌な顔もせずによく面倒を見、可愛がってくれた。優秀な兄という重荷を背負う末っ子の私にとって、貴方だけが、私に優しさをくれた、唯一心を開ける人間だった。
そんな貴方に、私は生きてほしかった。貴方のような人が、こんな理不尽な争いごとで死んでしまうのが、堪らなく嫌だと思ったのだ。
だから、私は先のことを貴方に謝ったが、後悔はしていない。周りにとっては知らずとも、私にとって正しいことをしたと思っている。
これで最後になる。貴方は生きて、生きて、生き続けてくれ。それが私の願いだ。望みだ。生きた理由だ。死ぬ理由だ」
文章はそこで終わっていた。最後の方は、読めたことが不思議なくらい、私の視界は滲んでいた。目頭が熱くなって、手紙にぼたぼたと薄暗い染みができる。目の前がぼやけて何も見えない。読めない。
手で目元を拭うと、その文章の下に、殴り書きがなされていることに気づいた。手紙の端に書かれたそれは、注意深く見なければ分からないほどに、血痕に侵されていた。
辛うじてその一文を読みとれた時、もはや私の中にはなにも残っていなかった。ただとりとめのない、どうしようもない悲しみだけが、私を空っぽに満たしていた。
そうして、手紙とともに同封された拳銃が目に留まる。震える手でそれを掴み取るも、弾倉は抜かれていた。失意の底で、私は彼の行動を思い出す。
しゃくとり虫のようなトグルを引っ張り、恐る恐る薬室を覗き込めば、一発だけ、弾が込められている。
安堵の中で、ゆっくりと、銃口を首に押し付けた。
「すまない、約束は守れそうにない」
情けない言い訳だ。一筋の涙が、また頬を伝う。私は引き金を引いた。
カチっという乾いた音が、部屋に響き渡る。拳銃が手から滑り落ちて、床が硬く鳴いた。
その拳銃は、撃針もまた、抜かれていた。
読んでいただきありがとうございます。
学徒出陣において、沖縄戦では中学生の少年兵まで駆り出されたそうです。
ちなみに、手紙の最後の一文は小田桐仁義さんの曲からとっています。