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妄想論

なろうファンタジーとテンプレ

作者: とびうお君

 テンプレの話で難しいのは、それが元は希少だったって点。これはエヴァが分かり易い。私が何故エヴァが傑作なのか?でSAOも同様に傑作だと書いてる点。新しいテンプレの登場こそ一番面白い。所謂セカイ系の誕生になる。最終的に見る影もなくなる。ある意味まどマギが後継者とも言えるが、ファンタジーはセカイ系になりにくい。


 中抜きこそセカイ系の本質だと見てて、それはSFのようなリアルな世界作りとの帳尻あわせのような設定だから意味がある事で、そもそもそういった世界の作りこみが雑にナリガチなファンタジーでそれを語ってもあまり意味が無い。魔法世界を作りこむという点では異世界物とローファンタジーでは比較にならない。


 それは置いておいてもその後セカイ系はエロゲに潜ってしまうわけだが、端的に言えば飽きられたんだ。ただエヴァを何故わざわざと言うのは、私小説的文学臭漂うセカイ系は飽きられる運命もあった。その点今のなろうテンプレとは質が違う。シンプルな娯楽性に乏しいから。ただそれでもテンプレはスタートは数多くのテンプレに飽きた人達に迎えられたと言うのがある。


 当然なろうファンタンジーもそうなる。異世界ファンタジーって従来の型を逸脱した部分にエポックメイキング的な部分があった。


 テンプレで分かりやすさばかり取り上げられるが、それはセカイ系と言うちょうど良い素材があるため都合が良いのだが、決して分かりやすさだけがテンプレのキーではない。シェアワルードの持つ説明不要ばかり持ち上げるけど、実際は面白い作品をパクッて増殖する漫画文化の基礎がキーになってる。もっと言うと物語の基礎になる。


 前から書いてるようにそれが漫画文化で独特なのは、頭使わない受け手相手なのですぐ飽和状態になってしまうからテンプレートと言うシンプルな型が見えてしまうと言うのこの話しのキーだと思ってる。


 シェアワールドによるテンプレの分析は私は浅はかだと思ってる。もちろんそれはある。ただそれは悪いって言いたい部分が出てしまってる。もちろんそのメリットも語られる。だがその裏に作り手が楽をしてるように受け取れる部分と外の世界の人に全く通用し無い面白さが強調されてしまう。


 シェアワールドによる説明不足はどっちかと言えばその後の発展の副産物でしか無いと私は思ってる。


 なろうは文芸批評などの観点から見て異質な大衆向けを意識して分析する人が多いが、そんなの漫画文化に慣れた私から言えば基礎すぎてあまり重要に思えない。ライトであると言うことだが、ライトであるのが当たり前の中でライトは武器にならない。ライトか非ライトか?で最初に選別された後にその次の競争はより軽いものが受けるわけじゃない。


 レベルの高さが発展していく競争の段階は次は質が違う競争になりがちなんだ。


 シェアワールドによる分かってるものにはすぐに楽しめる分かりやすさ、こんなの当たり前すぎて差別化されない。結局こういう視点が出てくるって中に入り込んで楽しめてない部分がある。だから受けないんだとは言わない。暗黙知というものがあって、意識下におかないでも知性はあるって話しになる。職人のカンの様な部分。


 人気作家でも多分何故自分が受けてるか?分かって書いてる人はあんまり居ないと思ってる。レベルが高くなるほど言語化は難しくなるからだ。深い部分で体感的に捉えられてる作者って多分あまり居ないと思う。正直見よう見まねで書いても受ける可能性が高いから。それはランキングの性質のせい。


 これは特別だってものを選び出すのにあんまりランキングは向いてない。ランキングは以前から書いてるけど見てられない作品の足きりにこそその高い機能が発揮されてると見ている。


 作者はどうしても文芸的視点になりがちだと思う。ラノベアニメ漫画ばかり見てて、文芸作品なんて1つも読んだ事が無いけど人気作家になった人もいるだろう。だが多くの作者は大体文芸作品もある程度読んでるんじゃないか?と見ている。


 テンプレの似たようなものってキーだけに囚われてテンプレをシェアワールドで一面的にしか分析しない言及は、なろうファンタジーの理解を狭くする元だと私は見ている。私は比重としてはどっちかと言えば、テンプレは結果論的だと見ている。こういうのが好きだって目的意識が合って、そのニーズに答えていたら重なってしまった。


 そっちの方がメインだと見ている。なれてくると何でも説明不足になりがちだが、それ自体が面白さになってるのか?は私は疑問がある。ある程度心地良さはあるだろうが、そもそもそれは好みによって似たような作品ばかり見てる副産物でしか無いと思ってる。


 その点マニア的オタクか?大衆的ライトか?どっちが大切なのか?ならまずはマニア的オタクだと見ている。ただこれで古臭いマニアックなオールドオタクの視点になっては駄目。


 萌えとかそんなんじゃない。今はオタクが大衆的な視点になってる。私はそこでもやっぱエヴァだなと見ている。セカイ系のうっとしい文学臭に愛想を付かした人たちが作り上げた流れがその後多くの人に受けてオタクの裾野が広がったと見ている。だから今のオタク系は文芸と正反対の流れになって当たり前なんだ。それを拒絶した人たちが多数派になったのだから。


 漫画アニメが本来持つ子供向けゆえの分かりやすさを忘れたセカイ系が衰退して、シンプルなものに回帰した結果がこれだと思う。その中でも磨かれない感性も慣れや飽きによって独特の好みが出るわけで。


 そういった数多く作られた過去のテンプレの中から選び出された異世界ファンタジーをさらにリニューアルしたエポックメイキング的なオタ刺激がここにはある。それに古いものが嫌いな若者も飛びついたと見ている。


 若者が古いものを嫌うのは何故か?はさっぱり分からない。1つ言えるのは、上の世代がすでについてるものを嫌う傾向がある。だがそれ自体何故?と問えるわけで、それが分からないんだ。一番簡単なのは、上の世代が会話になって絡んできて薀蓄を語られるのが煩いのと、マナーとか常識が出来上がっていて、それを学習するのが面倒だからだ。


 だが、それだけなのか?と言うと違うと思う。本能的に何か前の世代とは違うものを好みたがる何か?があるんだろう。


 子供向けがベースなのでわかりやすいし、その分かりやすさが特に年齢に顕著に反応する点からも若者が飛びつきやすいのは当たり前なのだが、私はそういったシェアワールド的な見てて一端慣れるとらくだからだけに囚われると本当に大事なものを見失うとは思ってる。


 古ぼけたテンプレ=ロボット物の衰退を見てて、やりつくしによるオールドオタの拒絶、若者のとにかく古いものの拒絶とか考えると、テンプレが何故受けるのか?を広い視点で分析するのは良いのだけど、それをなろうファンタジーを完全に説明できた気になってると片手落ちだと私は見て今回の話を書いてる。


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