第3話:猫
「ねこさんどこ!!?」
「ちょっと、ミズヤ様! 走らないでください!」
ねこの鳴き声を聞き、ミズヤは駆け出していた。
草の上を走り、木々の影を確認しては次の木へと移る。
少年の後をすかさずメイラも追うが、ズボンのような軽杉という和服のミズヤと違い、着物のメイラは小股で走るために追いつけない。
木陰を見て回っても猫の姿を見つけられず、ミズヤは屋敷の方へ向かった。
「いた!」
「ニャーッ」
屋敷の玄関付近にある柱、その影に猫は隠れていた。
ミズヤの見た猫は金色の毛並みを持ち、赤い目をしている。
顔の下半分やお腹は白いが、影に隠れてグレーに見えなくもない。
子猫なのか、体長は15cmほどである。
「お、おいでっ! ほら、こっちだよ〜っ」
ミズヤはしゃがみ、手を叩いて猫を招く。
この世界で彼が初めて見る小動物。
ドラゴンなどは見たことがあっても、猫のように可愛い生き物は今まで見ていないのだ。
「ニャーォ……」
金色の毛を持つその猫はミズヤの顔を見た。
怖がるでもなく、つぶらな瞳で少年の笑顔を見据える。
やがてゆっくりと、その身を影から出してミズヤの方へと歩いた。
「わっ、わっ、ねこさん……。えへへ、おいで〜♪」
近づいてきた事を嬉しく思い、ミズヤは頰を綻ばせる。
猫もその笑顔に釣られ、彼の足元まで近付いた。
「ニャーォ」
「よしよし……わっ、すっごくさらさらしてる〜」
ミズヤは猫を抱き上げてお腹のあたりの白い毛を撫で回す。
猫も嫌ではないようで、彼の腕にすりすりと気持ち良さそうに頬擦りした。
「ミズヤ様! 何をしてるんですか!」
「にゃー?」
「ニャーッ」
ようやく追い付いたメイラがピシャリと一声掛けるもの、1人と1匹はにゃーと鳴くだけだった。
悪びれもしない様子にメイラは頭を抱える。
「あの……それ、野良猫ですよ? どっから入ってきたのかはわかりませんが、汚いです。お召し物に泥でもついたら……」
「えー? 綺麗なんだけどなぁ〜っ」
言いながら、ミズヤは猫の頭を撫でて次に頬ずりをする。
ふわふわでさらさらの毛並みを堪能し、笑っているが、メイラは唖然として大口を開けていた。
「えへへ、かわいい〜♪」
「ニャー?」
「……ミズヤ様。それ以上その猫とお戯れなさるというなら、私は力ずくにでも――」
「逃げろ〜〜っ!!!」
「あっ、こら!」
メイラが怒りをあらわにする前にミズヤは逃げ出した。
ピューッとそのまま玄関の中へ走っていき、その後をメイラが追いかける。
赤いカーペットの続く邸内をミズヤは軽快に駆け抜け、窓拭きをしている他の使用人には遅れてくるメイラだけが目に留まる。
「ひゃーっ!」
ミズヤは笑顔で走っていた。
それこそ年相応の子供のように、可愛らしい笑顔で。
しかし、その前に2人の人が立ちはだかる。
「あら、ミズヤ」
「おにーしゃま!」
「はぅっ!?」
いや、通り掛かったのだ。
ミズヤの母であるフィーンと、3歳になる妹のリヤが。
リヤは母親譲りの白い髪が方まで届こうとしていて、瞳の色は黒色だ。
2人が立ちはだかり、ミズヤは停止することを余儀なくされる。
停止したミズヤの足元にリヤは抱きついた。
「えへへ、おにーしゃま〜っ」
「リヤ〜っ! 今はやーめーてーっ!」
「追いつきましたよミズヤ様!」
足止めを食らっている間にメイラに追いつかれ、ミズヤはビクリと背筋を伸ばしてしまう。
「……あら? その猫は……?」
フィーンはミズヤの抱える猫を見て首をかしげる。
ミズヤの悪ふざけもここまでのようだった。
◇
「あーっ、ねこさんねこさん〜っ!」
父親のカイサルの脇に抱えられ、ジタバタと暴れるミズヤ。
その視線の先には猫を抱えたメイラが立っていて、側には母親のフィーンとリヤが立っていた。
カイサルの居る書斎に強制連行されたミズヤは猫を取り上げられたのだった。
「いいかミズヤ……。シュテルロード家の長男にペットなどいらぬ。いたとしても、ただの動物はダメだ」
「ただの動物じゃないよーっ! ねこさんは可愛いんだよーっ!」
「……お前がこんなに反抗するなんて珍しいが、この家ではあってはならないことだ。さぁメイラ、帰してきなさい」
「メイラだめぇぇええええ!!!!」
ミズヤが手足を振り回して父親の手を逃れ、退室しようとするメイラに全速力でしがみつく。
その様子にカイサルは頭を掻き、フィーンはクスクスと笑った。
「まぁまぁ、アナタ。ペットぐらい、いいじゃありませんか。こんなに大人しいのですし、ねぇ?」
彼女はニコニコと笑いながら少女の抱える猫の頭を撫でる。
カイサルはいつも良い子のミズヤのみならず、妻まで敵に回ったことで気持ちがどっちつかずになった。
カイサルは目を閉じて考える。
あんなに小さくて家の壺とかを壊しそうな猫をミズヤに飼わせて良いのかを。
(そもそもこの豪邸を囲う塀は結構高く、侵入してくる猫など見たことがない。誰か外部の者が関わってるとも知れん……が)
カイサルはミズヤを見た。
猫を欲してメイラと取り合いになり、その様子をフィーンが笑っている。
微笑ましい日常の一コマに見えるその様子に文句が出る者はいない。
そして、カイサルは猫を見た。
猫など見ても何かわかるでもないが、猫は大人しい。
しかし――
(――なんだ?)
絶賛取り合いになっている猫の赤い瞳は、カイサルを見て揺るがなかった。
そのまっすぐな瞳に見られ、カイサルは思う。
(……可愛いな)
まっすぐ見つめてくる猫の可愛さに魅入られる。
(……本当に野良猫だというなら、そうだな。飼っても構わんだろう)
先程までの思考とは一変した考えになり、ミズヤを呼びかける。
「ミズヤ、飼っても構わないぞ」
「ええっ!!? 本当ですか父上!?」
取り合う手を離し、父親の元まで駆け寄るミズヤ。
喜ぶ息子の様子に、カイサルは微笑んだ。
「ああ。ただし、猫が悪さをしたらその責任はお前が取ること。わかったな?」
「はいっ! メイラ、ねこさん返してっ」
「わかりましたよ……」
ミズヤは猫を受け取って頬擦りをした。
微笑ましい様子に先程まで走らされたメイラ以外は微笑んだ。
「ところで、名前はどうするんだ?」
ふと思いついた疑問をカイサルは口にする。
ミズヤは一度父を見て、それから猫を見つめた。
背中には金色の毛、お腹は白、目は赤い。
特徴かあるとすれば、毛並みがサラサラであることだ。
だからミズヤは一つ頷いて、こう答えた。
「……名前はサラにします。毛がサラサラなので、サラ、と」
「そうか。しっかり飼うんだぞ?」
「任せてくださいっ」
カイサルの言葉に、ミズヤは笑顔を返すのだった。
小さな猫、サラを抱きしめて。
そして月日は流れ、ミズヤ・シュテルロードは10歳を迎える――。