小説家な姉と弟くん 2
「ダメだわ。全然ダメ」
都内某所。
小さな喫茶店の隅で、姉が頭を抱えていた。
俺はバターをたっぷり使ったふわふわオムレツを食べながら、
「別に悩むほどのことでもないじゃん」と一応慰める。
「だってっ! スランプなのよ? スランプ!
せっかく新人賞も取ったっていうのに、
次の作品が書けないなんて……最悪よ。私の小説家人生始まって以来の!」
気がはやいよ!
プロの小説家になってまだ3ヶ月くらいだよね!?
「ということで、今日は私のスランプ解消に付き合ってもらうわよ」
オムレツを平らげ、一息ついたところで、
俺は眉をよせて「……俺、今日予定あるんだけど」と神妙そうに言った。
「キャンセルよ。
大事なお姉ちゃんと、その予定、どっちが大事だって言うの?
大事なお姉ちゃんのほうが、大事に決まってるでしょ!」
「何回言った!? いま大事って!
……まあ、それはともかくとして……
夕方くらいまでは付き合えるからさ」
俺はマスターに、
ミルク増し増しエスプレッソを注文した。
「いいよ。一緒にスランプ克服しよう」
「弟くん!」
姉は俺を抱きしめると、
豊満な胸に俺の顔をねじ込んだ。
「姉ちゃんは嬉しいよ!
最高の弟だね! あんたは!」
「やめてよ姉ちゃん、
他の人が見てるって……」
「見てるって言ってもマスターだけでしょ。
気にしちゃだめ」
ミルク増し増しエスプレッソが運ばれてきた。
俺はそれを姉に勧めると、姉はそれを一口、静かに飲んだ。
「これ、ほとんど牛乳じゃない?」
「そうだけど! それはいいじゃん、一旦さ。
……で、スランプ克服って言ったって、どうするの?
なにかアイデアでもある?」
「ある!」
姉は自信たっぷりに、
カバンの中から本を一冊取り出した。
「これ……某破天荒サラリーマンマンガの作者の自伝じゃん」
「そうよ。今日はこの本から、スランプ脱出の方法を学ぼうと思ってるの」
「はぁ……」
「これを読んでいて、私は意外な方法に気が付いたの」
姉は、テンション高く息巻く。
「アシスタントを雇って、アシスタントに話を書かせればいいのよ」
「根本的な問題!?」
「それで、話を書いたアシスタントには金一封渡してね。
どーんと車なんかボーナスしちゃうわけ。
私は、ちょこちょこっと2・3行書いて終わり。これよ!」
これよ!
じゃねぇよ。
「姉ちゃん、それはゴーストライターっていうんだよ。
ちょっと前に問題になったろ?
それに、そもそもそんな金姉ちゃん持ってないだろ!」
「そうなの。それが問題なのよね。
でも、私はそれも解決する方法を思いついたのよ」
「なに?」
「世の中には、消費者金融ってのがあってね」
「はぁ!?
借金する気なの? ゴーストライター雇うために?」
あきれた。
俺は席を離れ、「付き合いきれないよ。勝手にしたら」と言って店を出た。
「弟くん! 待ってよ!!」という姉の声が聞こえたが、関係ない。
ここまで、姉がダメなやつだったとは……俺は涙が出てきそうだった。
「あれ?
帰るんですか、弟さん」
店の外では、マスターが植木の手入れをしていた。
「……はい、姉ちゃんのぶっ飛んだ発想には、
もう耐えられません。俺、残念です」
「はっはっは。そうですか。まあ、そういうこともあるでしょうね……。
家族っていうのは、悪いところも見えやすいものです。
でもね弟さん、大事にしたいって思ったとき、大事にできることほど、
幸せなことってのはないんですよ。気が付いた時にはもう、
何にもしてあげられなくなることもあるんです。
今の決断は、あとから後悔しませんか? 後悔しないならいいんですが、
もし後悔しそうなら、私はあなたたち二人に、そんな風にはなってほしくないんですよ」
「マスター……!」
俺は……、俺は何を意地張ってたんだ。
「わかりました。俺、もっと姉ちゃんの話をしっかり聞いてみます!
スランプ克服するまで、相談にがっちり乗るって決めました!
ありがとうございます!」
マスターの笑顔がまぶしかった。
俺はきびすを返すと店の中に戻り、
それから姉ちゃんの話に夜まで付き合った。
だが、結局スランプは解消されなかった。
そしてその晩、俺の携帯電話には一通のメールが届いていた。
『夕方、あの場所でずっと待ってたけど、来てくれなかったね。
私たち、合わないのかな。私だけ盛り上がって、バカみたい。
それじゃ……もう二度と連絡してくんな!このスカシ野郎!!』
しまった……初めてできた彼女だったのに……!
俺は姉ちゃんのスランプ解消に付き合うあまり、
自分の大事な用事を忘れていたのだ。
くそっ……なんだよもう、これが後悔かよ!
俺は気持ちのやり場がないまま、その夜はひとり、泣いて明かした。