7(改稿)
ビル群によって構成された第二階層に唯一見慣れた存在があった。
瓢精だ。
あちらこちらに漂うそれは、ちょっとした安心感を与えてくれていた。
彼らはまるでこちらの状況などお構いなしに通りを漂っては別の瓢精と追いかけっこをしたりしている。
疲れを感じた時は休みつつそれを眺めて気を紛らす。
半日ほど歩いて、この階層が一筋縄ではいかない事を知った。
メインストリートと思しき場所を闊歩する魔獣たち。
彼らがここの住人であり、支配者。
コイツ等は、第一階層に居る小型の魔獣と違い、一目見ただけで敵わないと悟ったし、数も多い。
何度か見つかりそうになったが、その度に息を潜めて建物の物陰に隠れてやり過ごした。
こんな状態でまともに上階層への昇降路までたどり着けるのかも分からない。
それに、運が悪いのか他の探索者に出会う事も無かった。
もし、他の探索者に出会う事が出来れば事情を話し昇降路までの護衛を頼めたかもしれないが今の所それもない。
神経を尖らせたまま、歩き、疲れたら無理をせず安全そうな場所を選んで休憩をする。
それを何度か繰り返す。
その日の夕暮、弱々しいながらも助けを求めるサインを感じ取る。
大気中に人間独特の気配を纏った感応波が漂っていたのだ。
そのサインは、外周壁に沿って建てられたビル群の一つから発せられていた。
安い貸しビルのようなその建物は、第二階層の上空から見た中でも相当小さな部類位に入るが、高さは三十メートルはある。
建物一階の入り口、ガラス扉は割れて砕け散っていて、そのガラス片には血がこびりついていたが、既に乾ききっていたし、分解が始まっているらしい、血は徐々にだが薄れて消え始めていた。
「まさかと思うが、この感じ」
念動や感応、オーラ、あるいはフォースと纏めて呼ばれる事がある、は人によってそれぞれ特徴がある。触れる事でその特徴を細かく知る事が出来るし、人によってはその特徴から人物の性格等を読み取ると言う。
そして、このオーラの特徴は良く知っている。
サインの主はどうやら建物の三階のどこかに居るらしい。
建物を見上げてから、最上階に居られたら昇るのが大変だったな、と呑気な事を考えつつビルの中に入って行った。
建物の中は整然としているが、それは机や書棚のようなオフィス用具は無く、広々とした部屋と柱が林立していたからそう感じたのだろう。
階を登ってもそれは同じで、少し埃っぽかったりしたが、特に金になりそうなものは無かった。
問題の気配の主が居る階。
辺りを探りつつの侵入。
薄暗い中に、外からの光で薄らと柱が姿を浮かび上がらせている。
窓際では埃が舞っているのがキラキラと反射して良く見えた。
大きく息を吐き、視線を巡らせる。
何処に居る。
開けた空間には人らしき姿はない。
まだ死んでいないのは、より濃く感じられるようになった感応波の波で分っている。
一歩フロアに踏み込むと、それが、息も絶え絶えだ、という事が良く分かる。
「ああ、ったく死にかけじゃねーか。クソったれ」
悪態をつきつつ、フロア内の柱の影を見て回る。
フロアの中央の柱の裏側に、井坂は居た。
弱々しいが、深く長い呼吸。
訓練所で痛みを緩和する呼吸法という事で習ったものを律儀にやっている。
生きていた、と安心する思考は浮かばなかった。
むしろ、助けるには時間との勝負、という予感が脳裏をよぎる。
手足の骨は砕け、頭部には切傷があったのだろうか、血止めのスプレーが乱雑に吹きつけてあった。
乾きかけの白い泡が黒髪にこびりついている。
一目でわかった。
井坂の怪我では救助を連れて戻ってくる間に死んでしまうことが。
いつ来るかも分からない自警団の巡回路で待つわけにもいかない。
となると背負っていくしか選択肢はない。
それも、具合を見る限り走っていくしかない。
ポーチの中から痛み止めを取り出すと、纏めて何錠も口に放り込んで一気に水で押し流す。
井坂の傍に膝をつくと傷口を改めて確認する。
指も、腕も何をどうしたらそうなるのか分からない程ボロボロで、見ているのが辛くなってくるほど。
「おい、分かるか?」
頬を軽く叩くが、反応は無い。
「仕方ない」、小さく呟くと回収袋から止血スプレーを取り出す。
この止血スプレーには痛み止めの効果もあり、皮膚から浸透して効果を発揮する。それに炎症を抑える効果もある。
手足の骨折している部分に吹きかけると、残りを傷口に吹き付けていく。
その間も反応は無い。
眠っているのか、気絶しているのか判然としない。
どちらにしろ、意識を失いながらも助けを呼び続ける事が出来たことに感心しながら、
「痛くしても、文句は言うなよ」
ボロボロの身体を背負うと、ベルトで縛り付け、自らの傷に違和感を覚えるのも無視して走り出した。
全身を念動で保護して、一気にビルを駆け下りると魔獣たちの位置を念動波と感応波を駆使して探りつつ全力で駆ける。
最短でディープミストに戻るにはどうするか、元の第十一昇降路は登れない。
やはり、現在位置から最も近い第十昇降路を目指すしかない。
俺と井坂の体力が地上まで持つことを祈りながら、俺は走るスピードを上げた。
「……ここ、は?」
背中で声がする。
「今、昇降路を登ってるところだ。無理に話すな」
喘鳴が吹き抜けの螺旋階段を通り過ぎる風の音に紛れて流されていく。
眼下には既に都市の姿が見下ろせる。
後少し登れば自警団の居る昇降路口。
「……直衛、か? 助けに来てくれたのか」
「見つけたのは偶々だが、とにかくしゃべるな」
強風に掻き消されないように声を大にして言う。
「のど、乾いた」
喋るな、と言っているのに。
状況が分ってないのか、それとも痛みの感覚が無いせいで自覚がないのか。
俺は舌打ちすると、前に抱えるようにしてかけていた回収袋から水筒を取り出すと井坂に渡す。
「いいか、助かりたかったら、それ飲んで大人しくしてろ」
井坂は黙って動かせる方の手で水筒を受け取ると、背負われたままそれを一口飲む。
が、走っている振動の為か、上手く飲めないらしい。
背中に冷たい、水が掛かる。
「あ、わるい」
「気にするな。それより、気張れよ」
目の前には第一階層へと続く扉。
扉は風を通す為か開け放たれている。
中には人の気配が一つだけ。
自警団員だろう。
「ちょっと、君達とまっ――」
一気に走り抜けた為か、声は最後まで聞き取れなかった。
俺は、後で事情を説明しにでも行けばいい、と割り切って足を動かす。
正直言ってもう限界だ。
少しでも動くのを辞めてしまえばその場に倒れて二度と動けない、そんな確信がある。
体を動かせているのは、全身を覆う念動、それを使った駆動技術のたまものだ。
地道に訓練していて良かった。
このディープミストの訳の分からない技術に初めて感謝の念が浮かぶ。
「外辺区を抜ける。もう少しで街の北西に出られる」
元気づけるように。
施療院まで行くことが出来れば、何とか助かるはず。
生きてさえいれば頭だけになっても必ず助かる、と言わしめるオーバーテクノロジーの塊。
それがディープミストの施療院。
例え体のあちこちを失っていても、脳が生きてさえいれば……。
「あ……りが、とう」
弱々しい声。
「喋るなって言ったろ」
もう少しだ。
浄水施設の区画を越えて、地上に向かう階段。
切り出した岩を組み合わせたかのようなゴツゴツとしたそれは非常灯の明りを受けて赤黒く、嫌な色に鈍く輝いている。
背後で、何かが落下した乾いた音が聞こえる。
背負った井坂から急激に生命の塊のようなモノが抜け落ちていくのが、肌を通して伝わってくる。
「くそ、井坂、井坂一郎、馬鹿野郎、死ぬな」
声を張り上げるが、反応はない。
まだだ、まだ、たどり着けば何とかなる。
死なせたくない。
ここまでやって死なれてたまるか。
俺は、全身全霊を傾けて、わき目も振らずに駆ける。
地上に向かう階段。
丁度誰かが地下へと降りてきた。
扉が開く。
タイミングが良い。
開け放たれたドアに体を滑り込ませ、背後から放たれる罵倒を無視して走った。
自警団の監視人も突然の事に間抜けな表情で見送るだけ。
とにかく時間が無い。
施療院までの道は何となくだが覚えている。
階段を登りきると、そこは白い霧に覆われていた。
ディープミストの夜だ。
視界を覆う程の霧はその印。
この時間なら人通りは少ないし、全力で走っても咎められることもない。
俺は、近道をするべく、路地へと入り込んだ。
覚えているのはそこまでだった。