6 (改稿)
高所から落下するなかふと思う。
最後にラーメン食いたかったな、と。
まるで場違いな思考に苦笑が浮かぶ。
だが、それ故に自身にはまだ抗う余地が精神的にも体力的にも残っている事を認識した。
どうせ死ぬなら抗ってみるか。
こんな呑気な思考だから未だに精神防壁は崩れないのだろう。
あれは、精神の動揺の振れ幅を極端に低くする自己暗示のようなものだから、ひとたび精神が振れれば崩れるのも早い。
なんにせよ、まず落下までの速度を落とさなければ。
俺は、近くの、螺旋階段へと向けて念動を働かせる。
ゆっくりと体をそちらの方へと引き付けるが、落下のエネルギーを相殺する程の念動は生み出せない。
体がガタガタなせいもあるだろう。
肉体から離れるごとに念動によって生み出せるエネルギーは小さくなることも関係している。
慌てず、焦らず、正確に。
壁の間近に手を伸ばして、その表面に念動による防御を施し壁へと押し当てる。
不可視の壁を通して建材と手のひらがこすれ合う、ゴリゴリとした振動を受けつつ、今度は体勢を変え両足を張り付かせるが、体を丸めたとき、胸に激痛が走り反射的に身をのけぞらせたせいで右腕が壁から離れる。
ヒヤリ、とした感覚が襲うが、何とか両足を取りつかせることに成功。
もう一度、歯を食いしばり、半身をかがめ、右手を壁に叩き付けた。
後は地上につくまでにスピードを落としつつ、耐える。
完全に自身の落下を制御できたのは二階層の層床まで三メートル程の所。
「疲れた」
ため息を吐くと、緊張も途切れたのか、念動が緩まり、背中から落下する。
衝撃を、念動で弱めつつ背中で着地する。
空を見上げるとやはり青空が広がっている。
ただし、それは切り取られた空。
コンクリートを塗り固めたような重厚な壁は天高くまで伸び、空を支えていた。
目を凝らせばわかるが、あの空は天井のパネルに映し出された単なる映像に過ぎなかった。天蓋の継ぎ目が薄らと見える。
だが、それでも青空。
随分懐かしくなって寝転がったままそれを眺めていた。
暫くして身を起こした俺は荷物の中から街で買った痛み止めと、もらい物の治療用のパッチを取り出すと胸に張った。
本当は腕も直したかったのだが、治療パッチは一枚しかなかった。
どの傷も痛み止めに任せても良かったが、折れたアバラが肺に刺さってしまえば笑えない事になると聞いた事がある。それに、減速の際、胸部に負担でもかかったのか、痛みが最初の頃よりも酷くなっていたと言うのもある。
だから、胸の傷を治療することを優先した。
治療用パッチはディープミストの雑貨屋に売ってあるのだが、訓練生には手が出せない程の値段売られており、本来なら俺は手に入れる事が出来ない。
だけど、以前アイヴィにお守り代わりだと貰ったものを念のために持ってきていた。自分に使う予定ではなかったが。
帰ったら、お礼を言いに行かないとな、俺は依然ふらつく足を使い立ち上がると、何とか上を目指そうと階段を見上げた。
だが、ここでまた愕然とすることになる。
落下の最中は気が付かなかったが、螺旋階段は半ばから破壊されていた。
今の状態の俺がそこを登ることは非常に難しい。
いや、万全の状態だったとしてもそれも怪しいか。
ポーチの中には数日分の食料と水。
歩くしかない。
まずは状況の確認からすることにした。
周囲を見回すと、どうやらこの場所はちょっとした高台になっているらしい。
目線の先には巨大なビル群が並んでいるのが見える。
第二階層も円形のはずだが、反対側の壁は白く霞みがかって見える程遠い。
一体どれ程広いのか。
少なくとも第一階層よりは確実に広い事は確かだ。
このあたりには自警団は居ないのか、それともあの魔獣に殺されてしまったのか人の気配はない。
視線を巡らせると昇降路、螺旋階段の脇にパーテーションで区切られた休憩所のような場所がある。
中を覗けばパイプ椅子と、長机があり、その上にはつい最近まで人が居た形跡がある。
中身の入ったコップに水筒、携帯食料の食いカス。
そして、また血の臭い。
机の影には自警団員らしい青年の死体がある。
無残な引き裂かれた死体だったが、その死に顔は安らかで、きっと自分がどうやって殺されたのかも分からないままだったろう。
傷口から察するに、と俺は死体の傍に膝をつく、あの牛頭の妖魔に違いなかった。
本当にイレギュラーな事態だったのだと何となくだが推測する。
頻繁にあのような妖魔が出てくるのであれば、こんな貧相なパーテーションで区切られた天井もないものを休憩所にすることは考えにくい。
つまり、この場所は比較的安全だと言う事。
あるいは、本来の第二階層で出てくる妖魔や魔獣はそれほど脅威にはならないか。
周囲の気配を探るが、付近には怪しい気配はない。
どころか人の気配すらない。
嫌な静けさだ。
出来ればここで救助を待つのが正解だろうが、昇降路があんな状態では直ぐには期待できない。
やはり、歩いて戻る以外の選択肢はない、か。
肩を落とすと、休憩所に何か役立ちそうなものが無いか探す。
とはいえあるのは小さなラックが一本だけ。
それ以外は休憩用の長机と椅子。
ラックの中には日誌と、応急キット、ロープに毛布。
それと団員の暇つぶしの為の本が数冊。
この世界に出版社等は無いから、きっと訓練所の書庫から持ち出されたのだろう。
応急キットの中は湿布と痛み止め、包帯、止血スプレーが二本。
治療用パッチは見当たらない。
止血スプレーを一つだけ拝借すると回収袋に入れる。
それから、壁に掛かっていた第二階層の地図。
地図が一番の収穫だった。
この地図は第二階層の主要道路だけしか書き込まれていなかったが、どのあたりに危険な魔獣、妖魔が出てくるかが詳細に書き込まれていて、そこには自警団の巡回ルートも記されていた。
隣の昇降路に駐在する自警団員の巡回ルートを選んで進めば保護される可能性は相当高まるだろう。
地図を折り畳み、これも回収袋に納める。
そして、最後、デバイスだ。
恐らくは、テーブルの向こうの人物が使っていたものだろう。
自警団支給の杖型FSDで、長さは九十センチほど。
柄の部分は両手持ちがしやすい太さに調整してあり、杖の頭の部分は長方形の箱型が縦にくっついている。
以前訓練所で習ったデバイスの構造や特性からして、この長方形の部分がメイン装置だろう。
何度か彼らが使っているところを見たことがあるが、剣にもなるし、射撃武器にもなる。複合型のデバイスだ。
俺はそれを手に取ると握りを確かめる。
少し、自分には大きいようだが、無理なく振り回せる。
問題は起動か。
FSDは、人間の生体エネルギー、オーラを利用して起動し、武器としての性能を発揮する。
武器として生み出されるのはエネルギー体と呼ばれる高密度の念動力場で、刃状にして使う事もあれば弾丸として射出する事もある。破壊に調整されたエネルギー。
そのエネルギーは本来の念動や感応に変換しきれないオーラを使う為、使い手の技量に合わせて細かに調整する必要がある。訓練所でデバイスの造り方を必修項目として習うが、これはその辺の事が関係しているのだろう。
俺は杖型デバイスを手にすると、深呼吸する。
掌に触れる部分に意識を集中し、そして、オーラを流し込む。
瞬間、ぐらり、意識がぶれて掌に異常な熱を感じる。
まるで体内のオーラが無理矢理に吸い取られているように……。
俺は慌てて杖を投げるようにして手放した。
ドっ、と汗が噴き出る。
どれほど大量のオーラが起動に必要なのか、根こそぎ持って行かれそうになり、せっかくかけていた精神防壁も崩れ去った。
「使うのは無理か」
大きく息を吐き、地面に転がる杖を睨む。
お蔭で無駄な体力を使った。
少し休んでから出発しよう。
死体と一緒に休むのは嫌なのでパーテーションの外に出ると、昇降路の一番下の段に腰掛けた。
時間を確認すると、ここに落ちてから時間にして四十分程。
十分休んだら移動開始だ。
腰を下ろしつつ、空を見上げる心裡には先ほどの事があった。
自警団が使う装具はどうしてああも出力が高いのか。
あんなに吸い取られてしまえばまともに動けるはずがない。
いや、もしかすると訓練生ってのは本当にまだまだひよっこであれくらいの武器が普通って事なのかもしれない。訓練所を出てない俺達みたいなのを保護名目で探索規制をかけるのも無理はないか。
考えにふけっている所、時間が来たことを示すアラームが腕時計から鳴り響く。
アラームを止めてから立ち上がると、精神防壁を築き直し
「行くか」
気合を入れ直した。
目指すは第十昇降路。
あそこに行けば恐らくはましろが辿り着いているはずで、事情を説明してくれていればスムーズに保護してもらえるだろう。
高台から目的の昇降路を見る。外周壁に張り付いて一本の黒い筋が霞みがかって見える。
距離感がいまいち測れないが、向こう側の昇降路の近くの建物の大きさが米粒の様に見えるから、結構な距離があるはず。
位置と方向を確認し、脇の階段を降りはじめる。
痛み止めが聞いているのか、部分的に引きつる個所があるものの、動きに問題は無い。
階段を降りるにつれ、広かった視界はビルの壁によって次第に狭まっていく。
日影が増え、空気もどことなく肌寒い。
階段を降りた先は薄暗い路地で、どことなく湿っぽい空気が満ちている。
慎重に、建物の角に移動すると進行方向に魔獣が居ないか目視で確認する。
第二階層は構造、特徴、特に危険な魔獣、妖魔については全く情報を持っていない。そういう意味では休憩所にあった地図を手に入れられた事は非常に大きな収穫だった。
通りに危険な存在が無い事を確認すると、慎重に、壁沿いを進む。
生きて帰る事を強く願って。