5 (改稿)
第十昇降路前の広場の片隅、パーテーションに区切られた中にあるベンチに私は腰掛けていた。
今は自分だけがここに居る事を強く後悔していた。
「気を落とさないで、って言っても無理かもしれないけど……。私はアイヴィ、あなたは?」
「ましろ、です。鈴木ましろ」
ただ機械的に答える。
きっと無愛想だって思われたに違いない。
「そう、よろしくね。マシロ」
優しい音色だ。
声を聴くたびに心のしこりが解れていく、そんな気がする。
「あの、助かりますよね?」
アイヴィは目を瞑り、大きく深呼吸をする。
「嘘は言いたくないから正直に話すわ。助からない」
はっきりと口にした。
「そう、ですか」
口にした言葉は震えていた。
私が巻き込んでしまったと言う罪悪感が芽生え、再び心が闇に染まり始める。
「あれは、廃妖魔はどうしようもない。私達自警団だって相対してまともに戦える者は数えるくらいしかいないの」
廃妖魔とは、上位の妖魔が魔獣の死んだ肉体を素材に物質としての身体を得た存在をさし、その強さは通常の妖魔の枠を遥かに超える、とアイヴィは教えてくれた。
そんな存在が相手だとしたら、アイヴィの言う通り彼の、吉住直衛の生存は絶望的だと言われても仕方ないだろう。
「そんな、じゃぁ、あの人たちは」
「下手したら誰か死ぬかも。隊長が上手い事やってくれると思うけど、こればっかりは祈るしかないわね」
悲しげに微笑む。
「そこまでして……」
「そこまでしなきゃいけないのよ。私達は自警団だもの。あんな化け物を街に入れるわけにはいかない。時には命をかけるのも仕事だから」
私は、アイヴィの強い言葉に顔を上げて彼女を見る。
すでに先ほどまでの表情は無く、強い意志を秘めた瞳が私を見ていた。
「ところで」とアイヴィは表情を崩して「一緒に探索に来てたって人、友達?」
「違います」
そう、違うのだ。
偶々訓練所で一緒の講座を受けていた人で、偶々行方不明になった同じ日本人の行方を知っていそうだったから無理に誘っただけ。
私が誘わなければきっと彼は今頃呑気に煙草でも吸いながら繁華街あたりでお酒でも飲んでいたのだろう。
「あんな事になるなら案内なんて頼むんじゃなかった」
ここに来るまでの経緯を話し終えたあと、私は呟いて、いつの間にか頬を濡らしていた涙を袖で拭う。
「そっか、確かに迂闊な行動だったけど、あなたは私達の所まできてくれた。本当に最悪な状況になる前に手が打てたんだもの、良く知らせてくれたわ」
そう言って私の頭を撫でた。
再び瞳に涙があふれ、頬を伝い落ちた。
アイヴィは私が落ち着くのを待ってから、
「ところで、こんなタイミングで聞くのもアレなんだけど、一緒に探索に来た彼の名前、教えてくれるかな。後でも聞かれると思うけど、報告しなきゃいけないの」
制服の上着のポケットから手帳を取り出す。
「彼は、吉住直衛、さん、です」
まだ動揺が残っているらしい、かすかに震える声で、だけどはっきりと告げる。
名前は聞こえたはず、なのに彼女の手は動かない。
それどころか、急に顔色が悪くなり、手は震えている。
「ナオエ、そう、彼が一緒だったのね」
絞り出すように、アイヴィは言う。
「知り合い、ですか?」
「少し、ね。彼がディープミストに来たとき、私が案内を担当したのよ。初めて担当したのが彼だったから良く覚えてる。ついサービス精神が働いて色々と融通したりアドバイスをしたりもしたわ。上の人からはそういうのは止めるように言われてたんだけど、……きっとこういう事があるって知ってたのね」
アイヴィの言葉に、私は胸が締め付けられた。
ああ、私は馬鹿だ。
時を同じくして、第十一昇降路。
螺旋階段最上部の踊り場。
血だまりの中、仰向けに転がる人影があった。
喘鳴が彼の生を教えるが、一目では生きているとは思えないだろう。
腹部には大きな、えぐられたような切り傷。
右腕は肩口から失っており、両足もない。
引きちぎられたような傷跡が痛々しい。
流れ出す血を止めるために止血剤の混じったスプレーを吹き付けてあるが、それでも血は徐々にだが漏れだしている。
地に伏す男は、異様にはっきりとした意識の中で思いを巡らせる。
隊長や部隊の仲間の敵も討てた。
こんな幕切れも悪くは無い。
気がかりはあの訓練生。
この高さからの落下では、訓練生の技量ではとても助かるまい。
だが、あのまま廃妖魔におもちゃにされて死ぬよりは幾分かましな死に方が出来ただろう。
皮肉に口元が歪む。
体温が下がって来たのか、男は寒気を感じはじめ、徐々に眠気に襲われ始める。
いよいよダメか。
隊長、俺もそちらに行きます。
男は目を閉じた。
反響する足音。
遠くから何人もの声がする。
来るのがおせーんだよ。
そして、男は意識を手放した。