2 (改稿)
繁華街。
暗闇の支配するこのディープミストでは常に街灯が照らし、連なる店の看板は明るく照らし出されていた。飲食店の看板は妙に凝ったデザインでどの店に入ろうかと迷ってしまう程だ。この街に慣れるまでは……の話だが。
この霧の街では飲食店は三種類しかない。
一つは吉松家という丼もの屋でメニューは一種類。味噌汁付。
一つはバーガークイーンというバーガーショップでメニューは一種類。ポテト付。
一つはブラックロックという酒場でビールが飲めるがメニューは黒かエールのみ。つまみはない。欲しければ雑貨屋で缶詰(地下探索者用の携帯食)を買うか他の飲食店でテイクアウトをする。
どれほど繁華街に軒を連ねていようが、看板のデザインが異なっていようが選べるものは変わりない。
むしろ、何でこの二つのチョイスなのか、しかも微妙にどこかで聞いた風な名前をしているのはなぜだろうか、首をひねる奴は多い。特に日本人であれば吉松屋なんて名前はパチものとしか思えない。
「今日も牛丼か……」
俺はため息を漏らしながら店先のテイクアウト用カウンターで並盛の弁当を受け取ってため息を漏らした。
訓練所に通い始めてから早くもひと月が経過していた。
学べることは様々で戦闘技能、追跡、探索技能、それから料理等の趣味に渡るまであり両手では効かない。だが、午前中に関しては誰が受けようとも授業内容は同じだ。
この異空間において何故か使えるようになっている念動と感応と呼ばれる超能力の訓練。そして探索者向けの武器の造り方だ。大抵一時限目は念動か感応の授業があり、その後武器作成の為の講座を受けて午前中が終わる。
その後の時間は自由選択授業が待っている。
「まるで舞台装置だな」
俺の後ろから続いて出てきた黒髪黒瞳の青年で、名前は井坂一郎。年のころは十代半ばくらいで背格好、顔かたちも平凡。
井坂は高校生でバイト帰りにこの世界に呼び出されたと言っていた。
「まったく。さっさと帰りたいぜ。コイツも食いあきたし」
と手提げの中の弁当を覗き込んでため息を漏らす。正確には食べ飽きただけが理由ではない。この弁当の中身は確かに牛丼なのだが、牛丼に似ている「何か」なのだ。コメの触感も肉の歯ごたえも違和感しかない。バーガーも同じで最初に口に入れた時は見た目や味はそれっぽい別物を口にした気持ち悪さだけが残った。
「スシ食べたいなぁ」
井坂は俺の隣を歩きつつ盛大にため息をついた。
二人揃って肩を落とす。
俺と井坂は歳で言えば八歳近く離れていて、人によってはどっちかが遠慮して友人付きあいをしないことの方が多いと思うが、訓練所の同じクラスで講座を受けており、尚且つ同じ建物の部屋が隣同士という事もあり自然と友人付きあいが始まった。
それに、人種雑多なこのディープミストでは同国の友人は貴重だ。
三千人近い強制転移者が居るにも関わらず訓練場に日本人は十人と居ない。以前世話になったアイヴィの話だと訓練場を出て探索を行っている日本人は五十人近く居るらしいが今の所見かけた事もない。
「スシなんて贅沢野郎だな。俺は、そうだなラーメンでいい。出汁のきいた魚介系スープの奴が……」
とスープの味を思い出してか口の中に唾液がにじみ出る。
「くぅ、そういうのも捨てがたい。無事帰れたら暫くは好きな物食べて過ごしたいよ」
そう、ここに暮らす連中の多くは変わり映えしない食事に辟易している。
皆何かしら故郷の食べ物を思い出しては肩を落とす。そういう意味では牛丼が食べられる点で日本人である俺達はまだ運が良い。
「ああ、そうだちょっと寄り道していいか」
「何だよ、また酒か?」
井坂は顔を歪める。
「なに、水代わりだ」
と繁華街の通りの一角にある地味な看板の建物に入る。
「俺はここで待ってるよ」
井坂は俺が戸に手をかけるのを立ち止まって見送った。
「あいよ」
ギイという軋んだ音を立てて両開きの扉が開くと薄暗い照明の中、何人もの探索者がビール片手にカウンターやテーブル席に好き勝手に陣取ってあれこれ話に興じている。
ぐるりと建物の中を一瞥すると、カウンターに向かう。
カウンターでジョッキを磨いているのは霧人間と呼ばれるこのディープミストの住人だ。
「持ち帰りで黒を二本頼む」
カウンターに赤茶色のコインを二枚置く。
霧人間はそれを一瞥すると素早くそれを仕舞いバックカウンターの棚から大瓶二つを取ってカウンターに置く。
「瓶は戻す、お願いします」
その声は壊れたスピーカーから聞こえてくる合成音声の様で酷く歪だ。
「わかってるよ、明日の朝持ってくるさ」
カウンター上の瓶を受けとり鞄に押し込むと店先で待つ井坂の所に向かう。
どうやら井坂は酒に対して悪いイメージを持っているらしく、俺が酒を飲むのをどうも良く思っていないらしい。
「ったく、オッサンみたいだよ」
と呆れ調子だ。
「そのうちみんなオッサンになる」
言われるたびにこう返すのだ。とはいえ俺だってまだ二十代になったばかりだ。オッサン呼ばわりは心外なのだ。
「それで、今日はどうするよ」
どうする、とはどっちの部屋で飯を食うのか、だ。
俺達は飯を食いがてらその日に学んだことを復習がてらあれこれと情報交換やら研究やらするのが日課になっている。当初は店で飯がてらにやっていたのだが、気の短いどこぞの国の連中と喧嘩になりかけた(実際には喧嘩の後、自警団の世話になっている)ので飲食店での食事はしなくなった。
「酒飲むんだろ、ならお前の部屋にしてくれよ、俺の部屋は酒とたばこは持ちこみ禁止」
「へいへい、分かってるって」
井坂は自分のペースでさっさと歩いて行ってしまう。
俺は肩を竦めつつその後ろを追うのだった。
俺や井坂の住むアパートは、ディープミストの建物の例にもれず石造りの頑丈な三階建てで、家賃のような面倒くさいものは存在しない。訓練所に行ったときに自警団によってそれぞれの部屋が割り当てられるのだ。言ってみれば寮みたいなものだ。
「うっわきたねー」
井坂は俺の部屋に入るなり顔をしかめる。
「そうか、これでも片したんだがな」
部屋の中を見回す。
入り口から入ってすぐにトイレがあり、向かいに小さな流し、そこからダイニングのような空間があって更に奥には寝室がある。ダイニングにおかれたテーブルは作業用の道具やメモなどが所せましと乗っかっていて基本的に飯を食べる場所ではなく単なる作業部屋になっている。あと、部屋の隅にはゴミ袋が幾つか。
「三日前に片づけ手伝った時言ったろ、ゴミはこまめに捨てろって」
「捨ててるんだがなぁ……」
年下に説教を受ける状況に苦い顔をしつつテーブルの上の書類や道具を一か所に集め積んでおく。
「これで飯も食えるだろ」
空いた場所に弁当を広げ、ビールの栓を抜く。
「こんな事なら俺の部屋でもよかったよ」
文句を言いつつ井坂は向かいの椅子に座り同じように弁当を広げた。
「まぁ、そう言うなよ」
俺は瓶から直接ビールを流し込み、咽喉を潤す。
「食い終わったらまずは片づけからだ」
井坂は柳眉を立てて強く言う。
何度かそういう事があったが、またか、とは口には出せなかった。ひと月くらいの付き合いしかないが、コイツは潔癖症とまではいかないが、中々の綺麗好きで一日に二度は片づけをしないと気が済まない性質らしい。
「んで、今日の講座の奴だが……」
飯を食いつつ、ノートを取り出し、該当する部分をメモしたページを開いてテーブルの真ん中に置く。
「ああ、感応系技能の応用技だな」
ノートには走り書きで感情を相手にぶつける方法、と書かれていてそれを使った際の相手の反応等が書かれている。
「そ、一応確認したんだが、好感度を上げるにしても怒りをぶつけるにしても相手が構えてちゃ効果が薄い。いきなり強い感情をぶつけるよりは気づかれない程度に弱い印象を与える方がやりやすかったな」
井坂は目を丸くして俺を凝視する。それから慌てて飲み物で口の中の物を押し流す。
「ちょっと待った、人に使ったのか? お前この間それで注意されてたろ」
基本的に訓練所内では訓練中以外で他者に能力を使うのを禁止されている。
明確な訓練所のルールではなく、訓練生が私闘を行うのを禁止する為に自警団が決めたルールの延長で、自警団によって定められた風紀委員がそれらを取り締まっている。
だからこそ俺と井坂は訓練所が終わると復習なんて事を集まってやっているのだ。最初は他の日本人転移者も一緒だったのだが、そいつ等は一週間もすれば参加しなくなっていた。
「大丈夫だって、悪意ある行いじゃないんだ。でだ、霧人間にも使ってみたが、連中はやっぱりダメだったよ。あいつらまるで手応えが無い。前にリーディング試した時みたいに何も無かったよ」
「ったく、碌でもない奴だな」
「だが、お蔭である程度の使い道は思いついたぜ」
と残りの飯を一気に掻っ込みつつ。
「使い道?」
「そうだ」
味噌汁を飲みつつ答える。
「思いついたのは二通り、一つは授業でも言っていたが印象操作。相手に好印象を抱かせる方法。もう一つは気当てだな」
「印象操作は何となくイメージつくよ。要は相手を油断させるための、だろ」
「そ、でもここの連中に使うにはどうも難易度高くてな。例えばクラスの鈴木ましろっているだろ」
現在同じ進度で講座を受けている数少ない日本人のうちの一人。
同じ日本人から見れば相当な美少女と言える。
「あの人に試したのか!?」
途端に井坂の顔が険しくなる。
「まぁな。あの堅物に少しな。だが失敗した」
失敗した、という言葉に井坂の目元は緩んだ。
「そう、それで?」
「ああ、原因は相手が警戒していたのと、こちらが送り込んだ感応系のオーラが濃すぎたせいだ。そのせいで鈴木に気付かれてな。で、反省点を活かして次は別のクラスのヤツに試した。今度は本当に相手に分るかどうか、ってな具合のよわ―いヤツ。微かに香る香水のような、本当に意識しないと分からないくらい弱い奴だ。そうすると、普通に話しかけた時より若干だが好意的な反応が得られた。相手を惚れさせるとかならこの技術をもっと研鑽して心を操れるくらいにならんと無理だろう。相互干渉の事もあるし」
「そんなに女に飢えてたのかよ、お前」
井坂は若干引き気味だ。
「今は興味ないな。だが、男に使うよりはいいだろ。それでな、使い道としては今後、本格的に地下探査を始めた時の情報交換時、有利に交渉を進める為の小細工程度に使えるんじゃないかと考えてるんだが……。何か? 井坂はそういう使い道をする予定なのか?」
「ち、違う、俺はそういうのに、頼りたく、ない」
顔を真っ赤に声を荒げる。
「ま、使うかどうかは別にしてこういう技術があるって覚えておけばいいと思う。で、もう一つの方だが」
「気当てだっけ」
「コイツはあれだ、映画とかであるだろ。殺気を放って相手に気付かせるってシーン。あれを意図して行う」
「おお、何か急に格好良くなった気がする」
バトル漫画を読むような奴だから食いついてくると思ったが予想以上だ。
「だろ、念動波に織り交ぜて使えば集団の敵のうち一人を意図して釣ることもできる、と思う。それにチームを組んで探索する場合、単純な暗号を決めておいてお互いに飛ばす感情の種類で合図を送り合う事も出来る、ハズ」
「へー、結構考えてんだ」
「後の方は微妙だがな。資料庫で調べた限りだと感応による通信手段にはテレパシーってのがあるんだと。で、自警団の知り合いに聞いたら使えるヤツは少ないって話だ。なんでも、受信者が発信者と同等の言語感覚を持ってないと発信した意味を具体的に理解できないとか問題があるらしい。深層部の探索チームはチーム内である程度のサインを作ってるらしいけど、今の俺達には無理だな」
「ダメじゃん」
「だな。現実的な方向としては気当てだが、これも問題がある」
「何だよ」
「怒りは再現できても殺気の方がいまいちわからん」
俺の中のイメージでは殺気と怒りって似てると思うんだが。
「ダメじゃん」
「だが、できる事もある。最初思いついたのとは経路が違うんだが、これも自警団の知り合いが教えてくれたんだ。実は助けを呼ぶときに使えるらしい。自力で倒せない魔獣に追いかけられてる時、怪我して動けないときなんかに使えるんだってよ。むしろ気当てみたいなものよりも、むしろ助けを呼ぶ方法を優先して覚えてくれ、って言われたよ」
最後にそう締めくくる。
「お、おぅ」
井坂はどうも最初のテンションが何処かに行ってしまったようで微妙そうな顔をしている。
「んじゃ、今日はそれの練習って事で」
「……わかった」
どうも乗り気じゃないらしい。
むしろ、死のリスクを少しでも避けられるような技術は覚えて損じゃ無いと思うんだがなぁ。
「ああ、そうそう、今週末なんだけど俺地下探索行くことになったんだよ」
練習を終えて一息ついていると井坂は思い出したように言う。
「そうか、その頃には武器の造り方も一通り習った事になるんだったか」
訓練生が地下探索を行う際、最初の一階層であってもそこに行くことは自警団によって規制されている。
武器も持たずに地下へと向かう事は非常に危険なのだ。
ただし、講座でFSD(PCFSD、デバイスとも呼ばれる異能を使える前提で制作する特殊な武器の事)を自力で作れるようになる事でその規制対象から外れる。
二階層以降に進むには訓練所の初期講座を終えたという証明書が必要になるのだが、それでも俺達にとっては目に見える大きな前進だろう。
「中島に誘われてさ」
中島とは同じ初級講座の奴で井坂の一つ年上だったか。仕切りたがり屋でお調子乗りだが、その分年下の面倒見はいい。俺は騒がしくて苦手だったりするが。
それに、最初に勉強会をしようと提案したのはその中島だった。それにも関わらず真っ先に集まりに参加しなくなり、気まずいのか向こうから話しかけてくることは無い。
だが、どうやら歳の近い井坂とは交流を保っていたようだ。
「ま、怪我せんようにな」
「するかよ、じゃーまたな」
井坂はニヤリと笑みを浮かべると部屋を後にした。
そういえば、と顎をかく。
そろそろ最初に支給された生活金がそこを尽きそうなんだったか。俺も条件をクリアしたら地下に行ってみるか、と思案するのだった。