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前編  文ちゃん先輩との出会い

はじめまして。瑚乃場茅郎です。

ふと思い立ちまして、こんな物語を書いてみました。

長編小説ははじめてなので、色々とぎこちないところもあろうかと存じますが、

ご覧いただけたら幸いです。

ではまた、後ほど。


少女は泣いていた。

その小さな身体を跪かせながら。

目の前には一面に拡がった真っ赤な血と。

そして無数に散らばる大小様々の肉片。肉片。肉片。肉片。

ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい…!!

…うわあああぁぁぁぁぁぁ…!!

やがて少女の嗚咽は号泣へと変わる。

彼女は泣いて許しを請うしかなかった。

たとえ、それがどこまでも無意味でしかないことであっても。

ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい…!!

どんなに謝罪を重ねた所で、肉片は肉片。

もう、元には戻らない無残な塊。それでも少女は謝り続ける。

いつまでも、いつまでも。


ぽん。

少女の肩に、優しく添えられる手があった。

それはほっそりした、まだ若い女の手。

“だいじょうぶ”

女は少女にそう言った。

少女は振り返り、女を見上げる。

そこには少女のよく知っている、あの微笑みがあった。


 

それは、僕がまだ高校生の頃。

巷じゃニュー・ミュージックなんてのが流行っててね。

ウチの地方じゃ二局しかないFMからは、いつも流れてくるのは甘ぁーいラブソングとかおカタいクラシックばかりだったんだ。

そりゃあね、そっちの方だって嫌いじゃなかったよ?

でもね、僕はどっちかというと洋楽、それも古いのばっか聴いてたから、クラスの連中とも、今ひとつ話が合わなかったんだ。

だから、趣味で始めたギターで、指をモタらせながら弾いてた曲だって、クラスの誰も分かってくれなかったし。

教室の片隅に置いたギター(宝物だもの、目の届かない所になんか置いておけるものか!)を目にした自称「音楽マニア」なクラスメイトも、僕にリクエストしてくるのはまさしだ千春だアリスだ…と、聴いたことあっても弾いてみようとは思わなかった曲ばかりで、内心困ってたんだよ。

それを極力、顔に出すまいとは思っていたんだけど、中には目ざとい奴がいて、

「お前、本当は弾けないんだろ?」

なんてお決まりの難癖をつけてくるのもいた。

下手にムキになるのも馬鹿馬鹿しいから、

「その曲は知ってるけどやったことない」

と、正直に答えることにしていたよ。

それでも「ああ、弾けない言い訳か」「カッコつけたいんだよな?モテたいんだろ」なんて、難癖が幾分ヒートアップしてくることもあった。

そうなると、こっちだってしょせんはまだ16歳の、少々こしゃまっくれたガキだもの、じゃあ弾いてやるよとばかりにケースのチャックを開けて、愛機(と言える程長い付き合いでもなかったけどね)を引っ張り出して、音叉鳴らしてチューニングを始めたんだ。

ああそうそう。言い忘れてたけど、当時僕が弾いていたのは国産のアコースティック・ギターだった。

今の時代からは想像もつかないだろうけど、あの頃のウチの区域のほぼ全校には「エレキギター禁止!」なんて馬鹿げた風潮があったんだ。

信じられる?

「エレキギターを弾くのは不良!」なんだそうだ。

笑っちゃうよね?

どこにそんな根拠があるんだよ。

先生にそう聞いても、まともな答えは返ってこなかったけどね。

中には「電気だし、感電する危険性があるんだぞ」

なんてトンデモ理論を返してくる御仁もおられました。

そんな話聞いたこともないけど。

どうせだったら、「学校の電気を無駄に使わせることはできない」なんて理由の方が、まだ説得力あったろうけどねえ。

まあそれも不景気な今だから出てくるネタだろうね。あの頃はまだ、電気なんてどこでも普通にコンセント刺し込んで勝手に使っても怒られなかったし。

今でこそ「駅の構内のコンセントを無断で使ってケータイの充電したら窃盗罪!」なんて話も耳にするようになったけどね。

それを世知辛くなったとか思ってしまう、僕ももう年なのかもしれないけど。

あの頃、ウチの学校はまだ新設校で、僕が入学してやっと全学年揃ったくらいだったから、伝統も何もあったものじゃなかった。

そのわりに何故か、県内でも色々と「実績」をお持ちのセンセイ方がけっこうおられてね、特に音楽の担任はどこかの交響楽団でピアノを担当していたとかで、そりゃあもうガチガチの古典音楽しか理解してなかった。

一度、僕が音楽室のステレオでビートルズの「ア・ハード・デイズ・ナイト」のカセットを流してたら、怒られこそしなかったけど、こんな感想をいただいた。

「お前の聴いている音楽は分からん」

おいおいいつの時代だよ。あの曲なんて僕なんかよりも当のセンセイの方がずっとリアルタイムで聴いてた世代のはずじゃないか。

…話を戻そうか。

6弦から順にチューニングし終えた僕は、とりあえず覚えたばかりのサイモン&ガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」のイントロを弾き始める。

すると「音楽マニア」さんたちは「…陽水?」なんて訝しげに聞いてくる。

「ちがうよ」

続いてちょっと難易度の高い「早く家に帰りたい」を弾いてみる。

3本の指でちょっと速いアルペジオで弾く曲だ。

いわゆる「スリー・フィンガー奏法」って奴。彼らの聴いてるニュー・ミュージックでもよく出てくるテクニックだったから、これはちょっとだけウケた。

でも、次に「何の曲?」って質問が飛んでくるのはお決まりのパターンだったさ。

結局、最後はいつも「ふーん。凄いね」でおしまい。彼らが興味あるのはギターでなくて彼らの好きな曲の方だったのだろうから。



僕は高校の3年間を美術部員として過ごした。

小学校の頃にほんのちょっとだけマンガもどきを描いてみたこともあったから、じゃあそこにするかなんて実に安直な理由で入学した時に決めちゃったんだけど、そんな動機で入部しちゃっただけに、筆を手にするモチベーションなんてちぃーっとも湧いてこない。

顧問の太田先生に言われて文化祭のノルマとして油彩も描いたけど。3枚だけ。

それも基本なんてなっちゃいなかったから、二週間かけて描いた力作は、キャンバス一面に散らばった、何だかよく分からない不気味な色の筋が縦横無尽にのたうちまわった様な作品だった。

先生、これを問うて、

「抽象画か?」

作者たるこの僕答えて曰く、

「いえ、校舎裏から見た榛名山です」

ばかやろう、って怒られた怒られた。

まあ仕方ない。だってテキトーに描いたのは間違いなかったもの。

人格者として定評のあった部長の蒼木(あおき)先輩はまあいいじゃないですかと苦笑し、副部長の倉澤(くらさわ)先輩は、どうせならもうちょっと基本を勉強しなさいねとお小言めいたご指摘を下さいました。

はあ、善処いたしますとは答えましたけど。

この美術室のお向かいにはさっきも言った音楽室があって、放課後になると、そこも部活動に使われてた。

もちろんギターを弾いている奴もいたけど、僕はその中に加わることはなかった。

だって彼らは「フォークソング部」って奴だったんだよ?そんな所に行っても、やっぱり「何の曲?」「ふーん。凄いね」がくることは分かってたし。

お向かいの部屋からは楽しそうな会話と、じゃかじゃかかき鳴らすコードストロークが聴こえてくる。

かといって、この美術室にいたところで筆を取って創作意欲が湧いてくるものでもない。


だから、僕はいつも北側校舎の屋上で、ひとりでギターを弾いてばかりいた。



 文系としては成績はそこそこよかったけど、実は英語はあんまり得意とは言えなかった。

これは洋楽好きとは別に関係ないことだと思う。

僕が好きだったのはギターの方で、歌の方は添物くらいにしか思ってなかったし。

屋上の出入口付近の壁にもたれてギターを弾いてる時も歌はなし。

時々は気分で、耳で覚えたデタラメな歌詞を口ずさんだこともあったけど、それだってちゃんと英会話のできる人が聞いたら吹き出すか、あるいは口をぽかーんと開けたまま、

「…何言ってんだこいつ」と呆れるくらいのシロモノだったろうさ。

陽が落ちて暗くなって、制服でも寒さを感じる頃まで、僕はそこで黙々とギターを弾いているのが日課だった。

いいじゃないか。ここならば、僕が何を弾こうとあの「何の曲?」「ふーん。凄いね」を耳にすることがないんだから。

そんな毎日を繰り返していたから、誰に邪魔されることもなく、ギターの腕前も少しは上達してくれたとは思う。

…でも。

上達したところで誰に聴いてもらえるでもない。

最初のうちこそ「みんながやってる軽い音楽とは違う、僕がやってるのは、もっとずっと本格的な音楽なんだ」なんて思い上がりもあったけど…虚しいものだよ?人に聴いてさえもらえない音楽を黙々と続けるのは。

今さらになって、じゃあ僕も流行りの曲をやって、みんなの仲間に入れてもらおうかなんて弱気な気持ちも浮かんできたけど、それと同時に、どの面下げて彼らの前に出てゆけようか、なんてヘンなプライドもあって、なかなか割り切った…いや、この場合は思い切ったというべきか、そんな行動も取れなかった。

結果。

僕はもやもやしたほの暗い気持ちを抱きながらも、相変わらず屋上でギターを弾く毎日を送っていた。


ある日のこと。

秋も終わりになって、周囲も薄暗くなってきていたし、屋上に容赦なく吹き込んでくる上州名物空っ風の寒さですっかり身体も冷え込んで指も動かなくなっていたから、今日もそろそろ終わりにして帰ろうかなんて思い始めていた時だった。

じゃあ最後に、と僕はいつものシメにやってた「スカボロー・フェア」を弾き始めた。

ネックの7フレットにカポタストを付けて奏でる、美しい高音のアルペジオのイントロを弾き終えた時、

“アー・ユー・ゴーイング・トゥ・スカボロー・フェア”という、あの有名な歌詞が聞こえたんだ。

え?と思ったよ。

だって周囲を見回してみても、こんな夕暮れの屋上にいる酔狂な奴なんていつもの様に僕くらいで、他に誰ひとりとしていなかったんだから。

“パセリ・セージ・ローズマリー・アンド・タイム”

それはとても美しい、女の人の声だった。

でもどこから?

“リメンバー・ミー・トゥ・ワン・フー・リヴズ・ゼア”

歌声はとても僕なんかとは比べ物にもならない綺麗な発音だったけど、耳を澄ませて聴いていると、まるで深い海の底に引きずり込まれてゆくような深遠さと、ある意味不気味さも持ち合わせているみたいだった。

それもそうだ。

この曲ってたしか、妖精が人間に意地悪な質問をして、それに答えてしまったら、魔界に連れ去ってしまう様な内容だったし。

“パセリ・セージ・ローズマリー・アンド・タイム”は、魔よけのハーブの名前のはずだ。

僕はオカルトなんて文学のいち分野くらいにしか思ってなかったし、実家の敷地のすぐ隣がご先祖様代々の墓地だったこともあって(当時はまだぎりぎり土葬が認められていた時代だった)、別にそういった場所への恐怖心も、それに幽霊とかの類も信じていなかった。

とはいえ、何の心構えもないままにこんな事態に巻き込まれちゃあ、内心は穏やかでもいられない。

“シー・ワンス・ワズ・ア・トゥルー・ラブ・オブ・マイン”

いつしかギターを弾くのも忘れて、僕はその恐ろしくそして美しくもある不思議な歌声に耳を澄ませていた。

すると歌声もやんで、代わりに

「…続きは弾いてくれないの?」

と声がした。

声の主は、もちろんあの歌声と同じだった。

唖然として声も出ない僕に、声は、

「驚かせちゃったかな?」

くすくすと笑いながら続けてきた。

その頃になってやっと落ち着いてきた僕は、声のした方、すなわち屋上の出入り口の上、給水槽のある天井の方を見上げる余裕も出てきた。

見上げたその場所には、真っ白な幽霊がいた。

いやいや幽霊じゃない。

そこにいたのは白衣を羽織った女の人だったんだ。

最初に気づけなかったのは、壁にもたれてギターを弾いていた僕の、ちょうど死角になる位置に彼女が腰かけていたからだったのだろう…それにしても、どうやってあそこまで登ったのか。

…ああ、この人だったのか。

僕はこの女の人を知っていた。

ウチの学校の養護の先生だ。

名前は剣城(つるぎ)鮎子(あゆこ)先生と言ったっけか。

まだ20代前半のはず(具体的な年齢は知らない)で、この春からウチに赴任してきた人。

光の角度によっては深緑にも見える、うなじまで伸びるふわっとした髪。

まるで深海の底の様な、見つめていると込まれそうな、これも深い深い吸い緑色。

一言でいえば美人と言って申し分ない整った顔立ちで、赴任してきた頃は男子生徒(もちろんこの僕も含めて)の間で話題になったっけ。

でも剣城先生は、いつもにこにこと笑顔を絶やさずに周囲を癒してはくれたものの、ほとんど保健室にこもりきりで、なかなか接する機会もなかった。

中には度胸のある奴もいて、やれ腹が痛いの頭が痛いのと何とか理由をつけて、彼女のおわします聖域へと押しかける輩もいたけれど、最低限の処置(時にはその必要もなかったけど)を済ませると、先生はただにこにこと笑顔を振りむけてくれるだけだったそうだ。

まあ、下心のある連中は、それだけでも満足していたみたいだったけれど。

剣城先生はまた、女子生徒の間でも人気があった。

穏やかな笑顔にほだされて、悩みを相談しにゆく女子も多かった。

それが恋愛関係なのかそれとも進路のことだったりしたのか…は女子ならぬ僕の知る所ではないけれど。

その時も剣城先生は時々「あらあらあら」とか「まーまーまー」と、ちょっと年齢にはそぐわない様な、少々オバサンめいた相槌をつきながら、ただにこにこと笑顔を振りむけてくれるだけだったとか。

それでいて、的確なアドバイスはちゃんとくれるそうだから大したものだ。

いつしか剣城先生は、生徒たちにとっては「気さくでとっつきやすいけれど、どことなく掴みどころもない不思議なおねえさん」的な存在になっていた。

彼女はもちろん僕にとっても憧れの先生ではあったけど、かといって他の奴らの様に、わざわざ理由をつけて保健室に押しかける様なことはできなかったし、とても残念なことに校内では体調を崩すことも怪我をすることも一切なく、彼女とお近づきになれる様な機会なんて、これまではなかったんだ。

まあそれでも、「憧れのセンセイ」はどこまでいっても「憧れのセンセイ」。

そりゃあお近づきになれれば嬉しいけれど、かといって別に無理してまでアピールするほどでもない。

何と言ったかな、愛読してた横山光輝の「三国志」でこんな感じに似た感情の描写を読んだ気がする。

鶏肋(けいろく)鶏肋(けいろく)

…たしかそんな言葉だった気がする。そうでなくても責任を取る気はないけど。

僕にとってはそんな存在だった剣城先生が、今そこにいた。

さっきの一言を最後に、剣城先生はこちらを見つめていた。

そう。いつもの穏やかな笑顔のままで。

気まずい…というほどの雰囲気ではなかったけど、言葉は出てこない。

不可思議な歌声への戸惑いと、それに続く不意打ちの様な出会いだったし、ロクに女子と付き合ったこともない様な田舎の童貞小僧が、こういう時どんなリアクションを取れば正解なのかなんて、分かる由もない…よな?

そうさ。今でこそ恋愛シミュレーションゲームなんてのがあって、気の利いた台詞のサンプルのひとつだってあるのだろうけど、「ときメモ」が出たのはもうちょっと後のことだ。

じー…と、目線だけは逸らせないでいると、スカートの中からすらりと伸びた、紺色のストッキングにくるまれた覆われた太腿が見えた。見えてしまった。

誓って言うが、見たくて見たわけじゃない。

そう…高低差のせいなんだ。ふたりの立ち位置からして、見えてしまったのは不可避なことなのだ。やましい気持ちなんてない…つもり。

「あ…あの…」

絞り出すような声で僕。

「ん?」

屈託なく首をかしげて剣城先生。

「…見えてます」

「何?」

「ふ…も…あ…」

目を逸らさねばと思いつつ、ついつい引力に引きずり込まれてしまう気持ちもご理解していただきたい。

「…その…脚が…」

きょとん。

マンガなんかだったらそんな効果音が聞こえてきそうな表情になる剣城先生。意外に子供っぽい、あどけない顔になった。

先生はああこれね、と、決して長いとは言えないスカートをぴらぴらさせた。

そういうのは止めていただきたい。

その肉感的な二本の凶器は、16歳の童貞には有害どころか取扱い危険指定を受けてます。

あらあらあらまーまーまー、と、今や彼女の決め台詞とも言える一言の後、くすっと笑って、彼女はごめんなさいねと微笑んだ。

ああ、太腿なんかじゃない、これこそがこの人の最大の凶器なんだな…などと今さらながら思ったよ。

さっきの戸惑いはどこへやら、何だか和んでしまったのもこの凶器の為せる技なのだろう。

それがいけなかった。

ほんの一瞬の油断だった。

だから彼女が取った次の行動なんて予測もつかなかった。

彼女はおもむろに立ち上がって、ひょいとそこから飛び降りたんだ。

さほど高くないとはいえ、それでも屋上の床まで3mはあるだろう。そんな高さから、それこそ何の躊躇いもなく、事もなげに飛び降りてしまった剣城先生。

あっ、と思った時には、彼女の体は宙に舞っていた。

そう、「舞う」といった表現がぴったりのダイヴ。

一連の所作は洗練された舞踊のようにも思えた。

今まさに妙義山の山麗に隠れようとする夕陽に映える、宙に浮かぶ彼女の全身。

綺麗だ…と思ってしまった時…え?

彼女の背中に、一瞬、うっすらと翼の様な物が見えた…気がした。

その次の瞬間には、彼女の姿は僕と同じ目線の位置にあった。

ああ何だ。今のは白衣が風で広がっていただけなのか。

剣城先生はそのまま僕の方に歩み寄ってくると、

「ギター、上手いね」

と、ちょっとだけ首を右側に傾けながら、いつもの笑顔で話しかけてきた。

「あ…どうも」

近くで見ると、本当に綺麗な人なんだなあ…と、この情けない童貞少年はこう思ってしまうのですよ。

「サイモン&ガーファンクル?今時の子にしては珍しいね」

好きなんです、と口にしてから、こんな美人に向かって「好き」なんて言葉を迂闊にも発してしまったことに戸惑いを覚えてしまう僕。

何とかとても照れくさい。対する相手が無防備なのは、こっちが年下、しかも自分の学校の生徒だからなのだろうか。

大人の余裕って奴なのですか。そうですか。

「スカボロー・フェア、好き?」

ここでまた「好きです」を繰り返してしまうのは、何だか妙に恥ずかしさもあって抵抗があった。だから素直にはいとだけ答えた。

「この歌の歌詞の意味、分かる?」

さっきから先生の言葉はどれも質問形が多い。それはもしかしてこの僕に興味を持ってくれたのか知れないという、ちょっとした期待も出てきた。

僕はそこでちょっとだけ見栄を張って、さっきの様な妖精が意地悪な質問をして云々といった無駄知識を披露してしまった。

「その通りよ」と、剣城先生は、僕が初めて見る様な表情になった。

「逢魔が(おうまがとき)って言葉を知ってる?」

「ええっと…こんな時間のことですよね」

「そう。他には黄昏時って言葉もあるけど…こっちの言葉の由来は?」

これも知ってた。たしか、「誰そ彼(たそかれ)」。薄暗くなって道をゆく人の顔も見分けがつかなくなって「あいつは誰だ」と訝しく思ってしまう、そんな意味だったと思う。

「うん。その通り。キミは物知りだね」

「あはは…無駄な知識ばっかですけど」

すると剣城先生は悪戯っぽくこう言った。

「逢魔が刻ってね、その言葉の通り『魔物』と出くわしちゃう様な時間よ。そんな時間にわざわざそんな曲をやっちゃうと…ね?くすくす」

「先生は魔物なんですか?」

「違う違う。そっちじゃない方」

意味が分からない。もしかしたら、ただ単にからかわれているのかもしれないが。

ともあれ、だ。

少なくとも、今日は何だかラッキーな日だ。男女問わず人気のある美人の先生と、それもふたりっきりでこうしてお話しできているのだから。

「先生も歌、上手いんですね。発音も綺麗だったし」

「え?ああ、昔、アメリカに行ってたことがあるの。サイモン&ガーファンクルのあの歌も、本人たちがモンタレーで歌ってたのを聴いたことがあるよ」

「え!生でですか?そりゃ凄い!いーなぁ」

実は、ちょっと引っかかる様な気もしたけれど。

「くすくすくす」

と、その時だった。

「あなたたち!こんな時間まで何をしているのですか!?」

と、開けっ放しだった出入り口の方からきつい声がした。

見ると、そこに立っていたのは一人の女生徒だった。どうやら2年生らしい。僕よりも1学年先輩だ。

ウチの学校の制服はブレザーと簡易型ネクタイだ。この、ホックでワイシャツに止めるだけのネクタイが生徒間では実に不評だったのだけれど、そのネクタイに刺繍された菱形の数を見ればすぐに学年が分かるという仕組みになっている。1年生ならひとつ、2年生ならば横並びにふたつ。3年生は三菱に並ぶみっつ。

その2年女子は背中まで届く黒髪と、理知的な眼鏡が印象的だった。かなり小柄でほっそりとしたスタイルだが、それでいて妙に威圧的な印象も覚えた。

「あら、(あや)ちゃん」と剣城先生。

その名前でピン!ときた。どうも見た覚えのある先輩だなぁとは思っていたのだけれど、

なるほど、そういえば先月の生徒会役員選挙で見た顔だ。

名前は…たしか「鬼橋(きばし) (あや)」。畏れ多くもこの度わが校の生徒会長にご就任あそばされた女傑だったっけ。

彼女の武勇伝は色々と伝え聞いている。

入試を過去(と言っても新設校だから、彼女の代ではまだ2回目に過ぎないが)最高点で通ってきた…というのは序の口で、入学早々、当時の担任と歴史問題について論争になり、これを見事に論破しただとか(その担任は夏休み明けに転勤になっていったらしい)、彼女がクラス委員を務めていたクラスでは、自習の時間誰ひとりとして咳ひとつ立てることがなかったとか、悪さの挙句に停学処分になった素行のよろしくないクラスメイトの家に単身乗り込み、何があったのか停学期間を終えて登校してきたそいつは、鬼橋先輩に心酔する様になっていたとか、市内で知られている彼女の徒名は「鉄血の魔女」だとか。

生徒会長になってからは、これが「鉄血宰相」と、まるでプロイセンのダルマ髭生やしたおっさんみたいなネーミングにグレードアップしたそうだけど。

まあたしかに制服の上に黒いマント羽織らせて頭の上にとんがり帽子被せてわははははとか高笑いでもさせれば魔女に見えなくもない雰囲気の先輩だ。

ああ、でも「魔女」というにはまだ高校生だし、どっちかというと「魔女っ子」かな?

あれ?そう書くと、彼女もちょっと可愛く見えてきたりもするから不思議だ。

「文ちゃん、じゃありません!鮎子先生!」

へえ。文ちゃん先輩(さっきの魔女っ子のイメージが頭に残ってて、ついこう呼んでしまう。脳内限定だけど)は剣城先生の事を名前の方で呼ぶのか。

…親しいのかな?

「鮎子先生まで何ですか!生徒の下校時刻はとっくに過ぎてますよ」

「だあってぇ」

「鮎子先生の『だって』、は聞き飽きました!校内に残っている生徒がいたら、それを注意するのが教師でしょう?それを何です?雑談してるなんて」

「じゃあ文ちゃんも生徒さんだからね。めっ」

眉間にしわをよせて文ちゃん先輩を睨む剣城先生。そんな表情もいいなぁ…って、はぁ…?

剣城先生のその突然のひと事に、僕はもちろん文ちゃん先輩までもが唖然とした。

文ちゃん先輩は少々肩を震わせて「あ…あの鮎子先生?もしかして…」

「うん。文ちゃんも校内に残ってちゃだめ」

どん!と地響きがした。

見れば文ちゃん先輩が、怒りのあまりに床を踏み鳴らした音だったりするんだな、これが。

「私は校内の見回りをしてるからいいんですっ!鍵だって預かってますし!職務を終えたらちゃんと下校しますっ!」

あらら…「職務」ときましたよ?「鉄血宰相」のふたつ名は伊達じゃないなぁ。

その鉄血ビームを放つ文ちゃん先輩の視線にも平然としている剣城先生。

年季かなぁ…

そんなことを考えていると、鉄血ビームのベクトルがこっちに向けられた。

「キミ!キミもキミです!」

黄身黄身なんて連呼されると、何だか夕食にオムライスとか食べたくなるなあ。

「キミ、1年生でしょ?クラスと名前は?」

「3組の志賀(しが)義治(よしはる)くん」

そう言ったのは剣城先生だった。

「え?僕の名前を知ってたんですか?」

これは意外だった。ほぼ初対面のいち生徒の名前までよく覚えてるなと感心した。

「そりゃあ、ね?これでも養護教諭だもの。全校生徒の名前とお顔に誕生日血液型、身長体重に既往病歴にここ半年間の自覚症状、所属部活に現住所と趣味…くらいはちゃあんとこの中に入ってますです、よ?」

と、何だか妙に自慢げに自分の頭を右手指先でちょんちょん突っついている剣城先生。

「…さすがに嘘、ですよね?」

いくら何でも、そこまで覚えきれるはずがないと半信半疑の僕。

「…【読み】ましたね?」

と、こちらは幾分声を落として文ちゃん先輩。何のことだろう?

「…志賀君!とにかく下校時間です。早く帰らないと校門を閉めますよ?」

「あ…ああ、はい。帰ります」

そうした方がいいと思う。何せ相手は「鉄血宰相」サマなのだから。

「えっと…じゃあ剣城先生も。失礼します」

「うん。志賀くん。またギター聴かせてね」

「あ…はい」

僕はギターをケースにしまうと、二人に一礼してその場を後にした。

階段を下ってゆく僕の後ろでは、二人はまだ何か話している様だった。



ウチの学校の通学区はけっこう広範囲に及んでいる。

中には自宅から10数キロもの距離を通ってくる生徒もいるそうだが、よそと違ってここ群馬という所はとにかく公共の交通網という物が絶望的に限られている。

電車などという物は東西南北にそれぞれ1本ずつしかない。

その上駅だって主要都市間には数えるくらいしかなく、これが学生にとっては重大な問題としてのしかかってくる。

となると通学の手段としてはバスか…後は自転車ということになるのだけれど、バスにだって「許容距離」という物がある。つまり、学校と自宅の距離が片道何キロ以上でないと許可が下りないのだ。

ほとんどの生徒にとって、結局最後の選択となるのは自転車という手段。

16歳ともなれば、一応法律上では自動二輪免許も取得できるはずなのだけど、あの頃は「バイクに乗らない、乗せない、免許を取らせない」という、いわゆる「三ナイ運動」と呼ばれた、先にもふれた「エレキギター禁止!」と並ぶ、あたかも生類憐みの法とか治安維持法、海の向こうであったという禁酒法みたいな悪法(いや法ではないけど)が吹き荒れていた時代だった。

余談になるけれど、僕はその後大学に進学してからアルバイトしてエレキギターも買ったし、バイクの免許も取得した。

いわば、一人前の「不良」になったわけだ。

一方的に締め付けているだけじゃ、いつかその反動がくるんだぞ、と、今になってそう言える様になったけれど、当時のいち高校生にはお上…じゃなかった、学校が決めた事には従うしかなかったので、僕も素直に自転車通学という選択肢に落ち着くことになった。

でも、この自転車通学という手段は過酷だった。ええ、それはもう。

ご存じの通り、群馬という所は北関東の端っこに位置する。広大な関東平野の末端だ。

平坦だった地形はそこから山間に向かって急に上り坂になる。

特に県道高崎渋川線付近を走ってみるとその変化がよく分かる。

次第に重くなるペダル。

そのペダルを間断なく漕いでいないと、すぐに止まってしまうホィール。

それだけではない。群馬という所は風が強い。とにかく強い。

冬になれば、赤城の山から吹き降りてくる空っ風と否が応でも戦わざるを得ない。

空っ風とは別名「赤城おろし」とも呼ばれる、冬に吹く乾燥した風だ。

風が山を越えてくる時に気温とか気圧が下がって、空気中の水蒸気は雪とか雨になってそこで降る。すると残った乾燥した空気だけが麓━━というか僕たちの住む所に吹き込んでくるというわけだ━━という事を、中学の頃に教わった覚えがある。

おまけにただでさえ空気がやたらと乾いているものだから、土も当然からっから。

この辺りは畑も多いから、そこかしこに収穫を終えてダークイエローの地肌をさらした所を目にすることができるのだけれど…そこにぴゅーっと強い風が吹いてくるわけで。

…目下帰宅途中の僕は、ゴビ砂漠もかくやという砂嵐の中を自転車で撤退中。

目指すは数キロ先の懐かしき我が家。

ああ、目が痛い。

ペダルを漕ぐ足が重い。

風に煽られて、ハンドルを真っ直ぐに保つことさえ困難だ。

おまけに、背中には虎の子の愛機を収納したギターケースを背負ってるから、これが無闇矢鱈と風の抵抗を受けてくれるんだよなあ…

もちろん、ケースのチャックはしっかりと閉めてある。大事な大事な大事なギターだ、

うっかりとチャックを閉め忘れて転がり落としでもしたら泣くに泣けないし、そうでなくとも、隙間から砂が入り込んだりしたら後で大変な事になっちゃうし。

できればこんな付属品のソフトケースなんかでなくて、ちゃんとした高価なハードケースが欲しい所だけれど、高校生のお財布事情ではそれも夢の様なお話だった。

だってあれ、2万円くらいするもんなあ…とほほ。

今の僕は、まさに身も心もお寒い状態だった。

…こんなのを、あと2年も続けるのかあ…と思うと、その心も折れそうだけど。

とはいえ。とはいえども。

今日は憧れの剣城先生とも色々と話せたし、それ以上に先生が僕の名前を知っていてくれたという事が何よりも嬉しかった。

こんな剣城先生との距離感を保てるのならその二年間も悪くはない。いやむしろ喜ばしい。

そんなことを考えながらえいこらほいこらと自転車を漕いでいると、数年前に開通したばかりの上越新幹線の側道に出た。

ふぅ。

ここまでくればひと息つけるんだ。高くそびえる新幹線の高架も、この先くらいからトンネルになるので、次第にその高さも低くなってくる。このおかげで線路の壁が風よけになってくれるので、さっきまで僕を悩ませていた強風も砂埃も凌げるのだ。

僕は自転車を止めて、制服についた砂埃を払い落とした。

大人だったらここで煙草でも咥えてジッポライターでもしゅぽっ!と点けたりもするのだろうけれども、さすがに未成年にはご法度だ。

こんな連想しちゃうのは、昨夜テレビでやってたイーストウッドの映画なんかを観たせいかな。

で、僕は紫煙ではなく白い息を吐いた。

晩秋の夜の足は速い。

今までは無我夢中で自転車を漕いでいたので意識していなかったけれど、気が付けば周囲はもう真っ暗になっていた。

夜の帳も下りてきて、という奴だ。

そろそろ自転車のライトも点けなければ…とは思ったものの、気が乗らない。

あの頃の自転車のライトって、今のように電池搭載のLED式なんて便利なものではなく、まだシャフト部をホィールに接置させてダイナモを回転させることによって自家発電させる原始的な仕組みの奴だったから、シャフトが当たって抵抗が大きくなる分、さらにペダルが重くなってしまうという難題があったからね。

さっきまでの空っ風とのバトルでいい加減バテ気味だった僕は、できることならもうペダルを漕ぐというガレー船の漕ぎ手まがいな重労働は御免こうむりたかったのが本音だった。

我が家まではまだけっこうな距離がある。

一刻も早く帰宅して温かいお風呂に飛び込みたくはあったけれど、もう一度サドルに跨って一歩を踏み出すのも億劫だ。

とはいえ、いつまでもこんな所に立ちんぼしているわけにもゆかない。

僕はもう一度肺から白い息を吐き出すと、自転車から降りたまま押して帰ることにした。

いつもならば、さほど気にならない(上州弁でいうと『クンナラナイ』)様な道筋だったけれど、今日に限っては何故かやたらと疲労を感じた。

それはいつも以上に空っ風のヤローの勢いが強かったせいなのか、それとも今日屋上で起こったラッキーないきさつが、思いのほか精神的にプレッシャーを与えたのか。

うむ。どうやら人間という奴は、過度の幸福感にも疲労を覚える時もあるのだな、などとひとりで哲学っぽいかもしれない気分に浸りつつ、僕は自転車を押しながら歩いて行った。

側道をしばらく歩いていると、やがてほんの小さな小川に架かった橋の上に差し掛かった。

相変わらず、周囲には人どころか車の1台も通らない。

ほんの3m程度の橋の真ん中付近で、僕はあることを思い出した。

僕の親父から聞いた話だけど、今から50年も昔、檀家回りで酒に酔ってお寺に帰る途中の坊さんが、この橋の上でムジナに化かされて自転車から川に転落して、首の骨を折って亡くなったという事件があったのだという。

高校に入学して、それまでは縁のなかったこの道を通う様になった頃、父からそんな話を聞いた時、僕はまさかぁ、と一笑に伏したものだ。

だってその小川は、水だってちょろちょろ程度しか流れていないし、橋から転落したとは言っても、川岸までの高さなんて1m半くらいしかなかったのだしね。

まさかそんな所から落っこちたところで人は死なないよぉ、というのが僕の感想だった。

そんな与太話(としか思えなかった)を耳にした後でも、僕は毎日この橋の上を往来する日々を送っていた。

そのうちには記憶の片隅の引き出しにでもしまってしまったのか、僕は父から聞いたこの話をすっかり忘れていたのだけれど。

なぜか今日、今になってそんな話を思い出してしまった。

間が悪い。

さっきもちょっとふれたけれど、僕はオカルトの類は信じていない。

ムジナが人を化かすのはおとぎ話の中だけだ。

もし坊さんが本当にここで亡くなったのだとしても、それは酒に酔った勢いでの不幸な事故という奴だろう。

今年の春から夏に移り変わる頃。日曜日の朝、市内のデパートまで自転車で出かけた時に、道路端の桑畑の中で、自転車をほっぽり出して大の字に倒れているオッサンを見た事がある。最初は死んでるのかな…と恐る恐る近寄ってみるといびきが聞こえた。

オッサンの身体からは熟柿の臭いがした。

ああ何だ酔っ払いかぁと呆れた僕は、オッサン起きろよ、こんな所で寝てると風邪ひくぞ車に轢かれるぞとそのでっぷりした腹をゆすっていたら、うるせぇとエルボーをくらってしまった苦い経験がる。

敬愛するウチの親父殿にしても似た様な物だ。

僕の世代の親としては珍しく大正年間の生まれの父は、戦時中、大陸への出兵経験を経て戦後は県職として定年を迎えた。今は家で植木屋との兼業農家を営んでいる。

僕とは半世紀も歳が離れているのでジェネレーション・ギャップという物がとてつもなく大きいのだが、酒に酔うと必ず「タンコウブシ」とか「ムギトヘイタイ」なんて僕の知らない様な歌を、兵隊上がり独特の銅間声でがなり立てている。

子供の頃はお父さんやめてよーうるさいよーと文句を言っていた覚えもあったけど、僕や母がいくら抗議しても治らないので、いつの頃からは我が家の黙認事項となっていた。

そんなわけで、僕は酔っ払いという人種には、あまりいい印象がない。

…ずっと後になって、血は争えないものだということを自覚したのは別のお話。

まあそんなわけで、父から聞いた昔話も僕は信じてはいなかったんだ。

信じてはいなかったけれど、今まさにくだんの場所の上に立っているという事実が

僕のおつむの中の引き出しを開けたのだと思う。

「…こんな所で人が死ぬかなぁ…」

ぽつりと正直な感想。

父の話では、その事件があった頃、この橋はまだ丸太で組んだ、床面だけで手すりもない様な粗末な橋(地獄橋という奴だ)だったという。

まあそれなら酔った勢いで転がり落ちるのも道理かな、と思う。

僕は何気なく、橋の側面のガードレールから下をのぞきこんでみた。

すでに周囲は真っ暗になっていて、こんな時分に見ると、橋の下からわずか1m半くらいの所にあるはずの川面もよく分からない。

あまり良くない視力をこらしてみていると、まだわずかに吹いている風のせいで小さな波が立っているのが見てとれた。

小川とはいっても、実際の所はドブ川といった方が相応しい様な有様の川だったから、こうしてまじまじとのぞきこんでいると、そこはかとない悪臭も漂ってくる。

こんな場所で死ぬのはさすがにイヤだなぁ…なんて事を考えていると、その川面に何やら小さな波紋みたいなものができた。

カエルか何かかなとは思ったものの、考えてみれば11月ももう終わりというこの時期にまだ現役続行中の剛の者がいるわけもない。

気になって見つめているうちに、その波紋は次第に大きくなってきた。

何だろう、イヤな予感がする。

その波紋はある程度の大きさになると、その中心部がにゅう、と盛り上がってきた。

え…?蛇…?

いや蛇だったら、少なくとも僕の知っている様な至極まっとうな蛇だったら、カエルと同じ様にこの時節には土の下でおねむになっているはずだ…よな?

突然の異様な何かの出現に、僕は混乱した。

その何かは妙に粘性を持っている様で、例えるならコールタールみたいな感じだった。

コールタールもどきは、次第に大きさを増してゆき、今や人の頭くらいのサイズを保ったまま、橋の高さの半分くらいまで伸びてきた。

「…え…え…?」

人は未知の物に対して最も恐怖を抱くというのを、前に読んだ何とかという海外のホラー作家の小説で読んだことがある。

あまりの恐怖心にかられてしまった場合は、悲鳴のひとつさえ出てこないみたいだ。

だってそうだろ?僕はこんなの知らないぞ?だってほら…そのコールタールもどきは今やガードレールを乗り越え、僕の目の前まで伸びてきていて…


その先端には、悪臭を放つ真っ赤な口があって。

その口の中で、まるで人間の様な歯並びをした歯が、がちがちと音を立てていたのだから。


何が何だか分からなかった。

ただ直感的に思った。

“下手に逃げ出したりした途端、こいつはきっと僕に喰らいついてくるに違いない”

今の所は、このコールタールもこっちの様子をうかがっているのだろう。

それが「こいつは食えるのか」とか「どんな味がするのか」「骨までかじろうか」なんて剣呑なことではないことを祈ろうにも、その希望は叶えられそうもなかった。

死にたくなんてないよ!

そう、死にたくなんてない。

ましてやこんな得体のしれないコールタールに噛み砕かれて最期を遂げるなんて冗談じゃない!

でも、コールタールの大きな口は、もう僕の目と鼻の先まで迫ってきていて…

ことさら大きく口を開いたかと思うと…僕の頭に…

ぐしゃ。

鈍く響いたその音を、僕の耳ははっきりと聞き取ることができた。

あれ?

痛みはなかった。

目の前に迫ってきていた大きな口も消えていた。

「…あれ?食われてないや」

その時に僕の口から漏れたのは、そんな間抜けなひと言だった。

脱力感を覚え、へなへなと僕は座り込んでしまった。その拍子に自転車は転倒し、大事なギターも転がって大きな音を立てたけれど、今はそれを気遣う余裕もなかった。

一体何が起こったのか周囲を見渡してみると、僕を襲ったコールタールは少し離れた所でのたうちまわっている所だった。

相変わらず下半身(?)は川の中だったけれど…って、あれ?この川なんて深さは大したことがないはずだから、もしかすると下半身は川の底よりもっと深い所にあるのかもしれない。

そのコールタールの意識(意識なんてあるのか?)は、僕の方には向いていなかった。

もっと別の所、空に向いているみたいだった。

つられて僕も見上げたそこには、人が浮かんでいた。

いや違う、飛んでいたんだ。

宙に舞うその人影は、闇にまぎれて細部が見れなかったけれど、かなりほっそりとしていて、どことなく女性の様なシルエットではあった。

でもただの女の人(?)が、空を自在に飛べるわけもない。背中にはちゃんと翼が生えている…って、翼!?

そう、まるで蝙蝠の様な翼を羽ばたかせていたんだ。

さっきの音は、あの女の人が、こいつに何か攻撃を仕掛けたのだろうか?それは定かではなかったけれど、どうやらコールタールは、女の人を敵だと理解したみたいだった。

コールタールはあのおぞましい歯をがちがちと鳴らしながら、女の人に向かってさらにその身を伸ばして襲いかかったけれど、女の人は器用に空中を舞いながら、間一髪のところでこれをかわし続けている。

何度目かのアタックをかわしきった時、その女の人はにぃ、と笑った。いや(わら)った。

暗闇でしかも機敏な動きをしていたから、僕には女の人の表情なんて分からなかったけれど、嗤ったと思えたのは、彼女の口が開いて上弦の月の様な形を取ったからだった。

笑ったのではない。嗤ったんだ。

明らかに自分よりも下等な存在に向ける嘲りの微笑。その冷徹さに僕は戦慄を覚えた。

彼女が嗤った時、その手に大きな鎌みたいな物を持っていることに気がついた。

タロットカードの死神が手にしている様な、いかにもな大鎌を。

さっきまでは徒手空拳だったはずなのに…ともう一度彼女を見て、僕は再度戦慄してしまった。

あの大鎌は手にしているんじゃない、彼女の左手そのものが巨大な鎌と化していたんだ。

コールタールは鎌を警戒している様だった。フェイントをかけているつもりなのか、その巨体をゆっくりと左右に揺らせながら、反撃の機会を狙っている。

対する女の人も宙に舞ったまま、大鎌と化した左手を構えている。

わずかの間ではあるが、沈黙ができた。

僕と言えば、さっきからへたり込んでしまったままだった。

と、コールタールの身体の中間部分辺りが急に膨張した。

その膨張部分は次第に上の方へと動いてゆき…それが先端部分まできた時。

げぇぇぇ!と、まるで嘔吐する酔っ払いの様ないやな音を立てて、コールタールは嫌な悪臭を放つ粘液を彼女に向かって吐き出した!

そのあまりにも吐き気をもよおす悪臭が、皮肉にもぼんやりしていた僕の頭を目覚めさせたみたいだった。

だから、その直後に起きた一連の出来事ははっきりと覚えている。

吐き出された粘液の勢いは凄まじいもので、彼女のいた位置よりずっと後ろに位置していた新幹線の高架壁にまで達していた。

粘液がびしゃっ!と音を立てて高架壁に飛び散った時、すでに彼女の姿は消えていた。

粘液を浴びた辺りの高架壁は、吐き気を催す臭いを発して溶けてしまい、重量に耐えきれずにがらがらと音を立てて崩れ落ちる。

やられた!と思ったのも瞬時。

彼女はこの攻撃すら見事にかわしていた。

そのまま身体をひねる様に旋回しながら、コールタールに向かってゆく彼女。

その先にはまだ大きく開けたままの真っ赤な口があったけれど、彼女はまったく躊躇することもなく突っ込んでゆき、そのまま大鎌と化した左手を振り下ろした!

十分に加速を伴った鋭利な鎌は、重力に従う様に真っ直ぐコールタールの巨体を引き裂いていった。

この時、僕は今日何度目かの、そして今日最後で今日最大の戦慄を覚えたのをはっきりと覚えている。

根元まで真っぷたつに引き裂かれたコールタールは、その断末魔にはっきりとこう言った。


《…痛テェ…》と。


僕にもはっきりと聞き取れる、低くてくぐもった日本語で。

明らかに人間の言葉のそれで。



その後どうやって家まで帰ったのかは、実はよく覚えていない。

ただ、少し後になって母から聞いた事には、その日、僕は息を切らせて家の玄関に

飛び込んできたのだという。

どうしたのかと聞く母にも、僕はコールタールが…女の人が…と要領を得ない事を口走っているだけだったそうだ。

これはただ事ではない、病院に行くかそれともその前に警察に届けるかという話にもなったみたいだけれど、何故か僕は大丈夫だから、とうわ言の様に繰り返してそのまま自室のベッドに潜り込んでしまったのだという。

そのまま、僕は熱を出して寝込んでしまった。

幸い次の日は日曜だったので欠席にはならなかったけれど。


 熱にうなされている間、夢を見た。

僕はなぜか身動きが取れなくなっていて。

目の前には悪臭を放つ、人間そっくりの歯を生やした大きな口があって。

その口は意地汚さそうに、歯をがちがちと鳴らしながら僕に迫ってきて。

がり。

嫌な音を立てて、僕の頭は噛み砕かれてしまった。

がり。がりがりがり。

ばりばりばりぐちゃぐちゃぐちゃ。

とっても嫌な音を立てて、僕は頭だけでなく首、胴体、右腕左腕、大事な指先まで噛み砕かれてゆく。

ああ、これじゃあギターが弾けなくなるじゃないか。あんまりだよ。

最悪なのは、そんな状態になっても僕にはまだ意識があって、おまけに大口が噛み砕いてしまった肉片のひとつひとつに、それぞれ独自の痛覚が遺っているらしい。奴がひと噛みひと砕きする度に、無数の激痛が走るんだ。

痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!

痛みを感じても、僕は悲鳴ひとつもあげられなかった。

だって僕はもう肉片だもの。

肉片だから、もう何も言えない喋れない。

そのくせ苦痛だけは無限に感じるのだから堪らない。

僕ができることはただひとつ。

この苦痛から解放してくれと祈るしかなかった。

それで死ぬことになっても、今の状況が続くよりましだ。

祈りは通じた。

永久に続くと思った激痛が、ふいにやんだ。

すでに眼玉も何もぐちゃぐちゃになっているはずなのに、僕はその瞬間をはっきりと「視た」。

大口の腹の中に溢れんばかりに詰め込まれていた「僕たち」は、奴の胴体がふたつに裂かれてゆくのを視ていた。

ゆっくり…ゆっくりと左右に分かれてゆく胴体。

ぽろぽろとこぼれて散らばってゆく「僕たち」。

今度は大口が《痛テェ痛テェ》とか喚いてやがる。

このやろう。大口の分際で僕のまねなんかするな。何様のつもりなんだ。

まっぷたつになった大口の前には、一人の女が立っていた。

すらりとしているのに、やけに肉感的なスタイルだった。

清楚と蠱惑。神々しさと禍々しさ。美と醜悪。

そんな両極端な印象を、その全身から漂わせている不思議な女。

でも、その顔だけが妙に曖昧で、よく分からない。

でも、その女はニンゲンじゃないと思う。

だってその女の背中には蝙蝠の様な大きな翼が生えていて。

左手は大きな鎌になっていたのだから。

大口が息絶えたのを確認すると、蝙蝠女は地面に散らばっている「僕たち」の所に歩いてきた。

蝙蝠女は「僕たち」を一瞥すると、くすくす嗤ってから「僕たち」ひとつひとつを拾い集めはじめた。

最初は鎌と化していた左手のままで拾おうとして上手くゆかず、首をかしげてたりもしたけれど、何かを閃いたのか何度か頷くと、左手を一振りした。

すると鎌は右手と同じくニンゲンのそれになった。これで作業もはかどりますね。

ある程度の数が集まると、蝙蝠女は「僕たち」をつなぎ合わせてくれた。

どれくらいの時間が経ったのか。

無数の肉半だった「僕たち」は、また一人の「僕」になった。

「…喋レル?」

蝙蝠女は僕にそう問い掛けてきた。

どこか懐かしい印象のある声だった。

「あ…うん」

「ヨカッタネ」

そう言うと蝙蝠女は、僕を優しく抱きしめてくれた。

豊かな胸の感触に、僕は不思議なくらい安らぎを覚えたのだった。


そこで目が覚めた。

身体中が汗でびっしょりと濡れていた。気持ち悪い。

夢のことを思い出して、自分の身体に何か傷とかないかと触りまくってけど、どこにもそれらしい跡は見つけられなかった。

そりゃそうか。夢だものな。

…やけに生々しい感触だけが遺っている気もしたけれど。

午後になる頃には熱も下がって、ベッドから這いだした僕は、部屋の中を見回してみた。

大事なギターはちゃんと部屋にある。あの時放り出してしまったので傷でも付いていないか気になってケースを開けてみたけれど、こちらも傷らしい傷はどこにもなくてひと安心。

次に家の外に出て、物置に置いてあるはずの自転車のチェック。

これも壊れている様な様子はない。

ちょっと冷静になってくると、昨日のあの出来事は、もしかしたらさっき見た夢の中での事に過ぎないのかもしれないなんて気もしてきた。

現実と夢の区別がつかなくなっていた…とかね。

でも母に聞くと、昨日の夜、僕が血相を変えて帰ってきたのは間違いなかったみたいだし、あの後大変だったんだからね、ときつく言われてしまった。

何があったんだい?と聞いてくる母にも答えようがない。あんな非現実的なことを、そもそも自分だって信じ切れていない様な出来事を、どうやって説明したものか。

下手をすれば、それこそ病院に行く羽目になってしまうだろう。

どう答えていいか分からず、僕は苦肉の策として「…ムジナに化かされちゃったみたいだ」と苦笑交じりに言った。

何ばかな事言ってるのと母も苦笑した。

母は風邪で熱でも出たんじゃない?という結論に至ったみたいだった。

「いつまでも寒い所でギターなんか弾いてるからよ」と、少々厳しい小言もついてきたけれど。

自分で口にした咄嗟の言い訳ではあったけれど、もしかして本当にムジナって奴に化かされたのではないか?なんて気もしてきた。

そこで僕は、庭の片隅にある温室で盆栽いじりをしていた父にも聞いてみることにした。

盆栽の松の枝を剪定バサミで整えていた父は、温室に入ってきた僕に向かって、

「熱は下がったのか?」と聞いてきた。

うん、まぁね、と曖昧に言葉を返すと僕は、

「…なあ親父」

「うん?」と枝の手入れを休めることなく父。口数の少ない、武骨な昔の日本男児らしい簡素な返事だった。

「ムジナってさ」

「ムジナがどうした?」

「…ムジナってさ、でっかい蛇みたいな奴?」

「何だそれは」

「前に親父が言ってた、死んだ坊さんを化かしたって奴」

「ああ、あの話か」

「…こう、ねばねばしてて、でっかい口をかぁっと開いてさ」

「そんなことあるか」と父。

父の話によれば、ムジナとは狸のことだという。他にハクビシンとかアナグマのこともこう呼ぶそうだ。なるほど、狸の類のことをそう言うのか。昔話なんかじゃ狸は人を化かす事も多いけど…もちろん、僕はそんな迷信は信じない…信じたくはないけれど。

昨日僕が目にしたあのコールタールもどきは、頭の上に木の葉を乗っけてぼわん!

変化(へんげ)する様な愛らしさとか滑稽さの欠片もなかった。

何だかもやもやした気持ちを引きずりながら、僕は部屋に戻った。

その頃にはだいぶ気持ちも落ち着いてきていたから、何か音楽でも聴こうかという気になっていたんだ。

部屋の床の間には、僕が高校に合格した時に無理を言って父に買ってもらったステレオ・コンポーネントが置いていある。

当時流行していたシステムコンポだ。

中央に縦長のガラスケースがあって、その上の段からアンプ・FM/AMチューナー・Wカセットデッキの順に積み重ねられていて、その下には大きく空間を取ってあって、ケースの中央付近の位置にはレコード・プレイヤーのターン・テーブルがある。

ガラスケースの両側には高さ1mくらいもある大きなスピーカー。

CDなんて物が出てくるまでは、僕の自慢のユニットだった。

ターン・テーブルの下はアナログ・レコードのラックになっている。

僕はその中から何でもいいや、と無造作に一枚を引っ張り出した。

そのレコードは僕も大好きなサイモン&ガーファンクルの「パセリ・セージ・ローズマリー・アンド・タイム」だった。

そう、昨日屋上で僕が弾き、それに合わせて剣城先生が唄ってた「スカボロー・フェア」を収録したアルバムだ…これも偶然なのだろうか?

剣城先生はこう言った。

『逢魔が刻なんて時間に、魔物を呼び込む様な曲なんてやっちゃうと…ね?』

夢かうつつかはっきりしないけれど、先生の言葉通り、僕は化物じみたものに出遭った…のかもしれない。

あるいはそんな言葉が頭に残っていて、しかもそれが憧れの先生の口から出た言葉だったからこそ、風邪の熱か何かでぼうっとした頭に浮かんだ幻覚だったのかもしれないけれど。

レコードをジャケット、そしてインナーから慎重に取り出して、ターン・テーブルの上にそっと置く。

アナログ・レコードを聴く場合、何よりも神経を尖らせるのは、盤面に針を落とす瞬間なのだけど、僕のプレーヤーはボタンを押せば自動的に目的のトラックの所で針を落としてくれる光学センサー付の優れモノだった。

今はとにかく聴いてみたかったので、一トラック目から再生することにした。

ぷつん、という盤面に針が下りた馴染みある音の後、ややあって流れてきたのは問題の「スカボロー・フェア」のイントロだった。

哀愁を誘うポール=サイモンのギター、そして耳元で囁く様なアート=ガーファンクルの澄んだ歌声。

僕が彼らの曲を好きになったきっかけは、小学校高学年の頃にNHK・FMで一週間ぶっ続けでゴールデンタイムで流していた彼らの特集を聴いたことだった。

世の中にはこんな美しい音を奏でる楽器があるのか、と感激したよ。

アコースティック・ギターをほぼメインに、後は最小限の伴奏と息の合った二人の美しいデュエット。

…そんな美しいサウンドを生み出していた彼らも、今はもう解散しちゃってるんだよなあ…と、僕はちょっと寂しさを覚えた。

とは言っても、僕が聴き始めた時には、彼らはとっくに解散していたのだけれど。

何でも、アルバム制作を巡って、二人の意見が対立してしまったという、よく聞く様なありふれた解散劇だったそうだ。

だから僕はリアルタイムでの彼らの活動を知らない。

いや、ちょっと前に一度再結成して、ニューヨークのセントラル・パークで大規模なコンサートを開催したそうだけど、それだってラジオで部分部分を断片的に聴いただけだったし…

やっぱ一度は生で観たいよなぁ…なんて思った時。

…そういえば昨日、剣城先生はアメリカで生で彼らの演奏を見た事があるなんて言ってたことを思い出した。

いいなあ…羨ましいなあ…今度先生に、その時のことをもっと聞いてみたいなあと、そこまで考えて。

…あれ?

そういえば、先生が彼らの演奏を観たのはどこって言ってたっけか。

あったかどうかも分からない様な昨日の夜の大騒動を経ても、剣城先生との会話はよく覚えている。

ええっと…先生はたしかこう言ってた。

『昔、アメリカに行ってたことがあるの。サイモン&ガーファンクルのあの歌も、本人たちがモンタレーで歌ってたのを聴いたことがあるよ』

…あれ?ちょっと待てよ?

あの言葉、ずっと心のどこかに引っかかっていたんだ。

サイモン&ガーファンクルが解散したのはいつだったっけ。

慌てて本棚から、いつも参考にしている彼らのギター・スコア集を引っ張り出してページをめくる。

彼らの代表的な曲のスコアを何曲も網羅したこの楽譜集は、ギターを始めたばかりの僕にとってはとても重宝なバイブルだった。

しかもその冒頭には、彼らの活動の簡単な年表も掲載されている。

そのページを開くと、僕は一文字も読み漏らすまいと目を通しはじめた。

ええっと…彼らが「サイモン&ガーファンクル」としてアルバム「水曜の朝、午前三時」で本格的にデビューしたのが1964年。「明日に架ける橋」の制作をめぐる意見の相違で解散したのが1970年。それ以降はそれそれソロ活動に専念して、1975年に一度シングル「マイ・リトル・タウン」を共同でレコーディングしたものの、公のステージにおける二人の共演は実現して…いない…?

81年のセントラル・パークでの再結成コンサートは、このスコアが出た後だった。

剣城先生は、この時のセントラル・パークで観たのかなとも考えた。

でも、彼女の口から出た地名はここではなかったはず。

再結成まで10年以上もの空白があったとすれば、剣城先生が彼らの生演奏を観ることができたのは解散した1970年以前ということになる…?

先生の言った場所はどこだったっけ…

今でこそインターネットなる便利なものがあるけれど、その頃に頼りになるのは書籍とかたまに特集される雑誌の記事だけだった。

モンタレー…モンタレー…?

日曜の午後を費やし、手持ちの雑誌とか資料をいくつも引っ張り出して読みふけった結果、僕はどうにかその地名を探し当てることができた。


モンタレー・ポップ・フェスティバル。

それは1967年にアメリカ合衆国カリフォルニア州モンタレーで6月16日から18日までの3日間開催された大規模なロック・フェスティバルのことだった。ママス&パパスやザ・フー、そしてイギリスでデビューしてから凱旋帰国したばかりの天才ギタリスト・ジミ=ヘンドリックスといった伝説的なミュージシャンが多く参加したことで知られる歴史的なイベント。サイモン&ガーファンクルは、その初日16日の夜の部の最後にステージに登場したのだという。


…1967年…1967年?

今からもう15・6年も昔のことじゃないか!?

…剣城先生って…いったい何歳なんだ?

今22・3歳くらいだとすると、当時はまだ6・7歳くらいということになる。

サイモン&ガーファンクルが出演したのは初日の深夜だったとか。

そんな時間、大勢の大人たちが熱狂していたであろうその会場に、まだ幼い、しかも外国人の少女がいることなんてできたものだろうか・・・?


もっと調べてみた。

元々はイギリスの伝統的な民謡だった「スカボロー・フェア」の彼らによるアレンジ版を世界的に有名にしたきっかけは、モンタレー・ポップ・フェスティバルと同く1967年の12月に公開された、ダスティン=ホフマン主演の映画「卒業」のサウンド・トラックに使用されたことだったという。

今僕が聴いている「パセリ・セージ・ローズマリー・アンド・タイム」は、その1年前にリリースされている。


…もしかしたら、剣城先生はこの映画の方をリバイバル上映か何かで観て勘違いしたのかな?…でも、「生の演奏を観た」とも言ってたし…?

単に先生が嘘をついている、という一番現実的にありそうなことは考えたくなかった。

だってそうでしょ?好きな人をすぐに疑えるほど、あの頃の僕はスレてなかったもの。



 月曜日の朝になった。

朝のNHKニュースでは「上越新幹線下り、高崎―上毛高原間が架線トラブルにより不通」なんてのをやっていた。

やはり地元のニュースが全国ネット局で流れているのは気にもなる。

朝食も済ませ、すっかり体調を戻した僕は、何事もなかったかの様に自転車に乗って登校した。

ちょっとだけ心配性の母はまだ懸念していたようだけど、質実剛健を以てする旧日本陸軍兵士だった父は、そんなことくらいで学校を休むなとも言っていた。

それに僕自身、昨日の疑問を剣城先生に直接聞いてもみたかったし。

今日は愛用のギターは自分の部屋に置いてきた。というよりも母に「また風邪引いちゃうから」とダメ出しをくらったのが真相だったけれど。

通い慣れた通学路。帰路は上り坂だけど、ということは往路は下り坂になるわけで。

上州群馬の空っ風も、朝のうちは吹いてこない。

いっそ逆だったらもっと楽だったのに…とは何度も考えたことだ。

朝の心地よいサイクリング気分で、僕は一昨日の悪夢の舞台となったあの橋の近くまでやってきた。

夜の静けさとはまるで様相を変えて、この時間はそれなりに人や車の往来がある。

それにしても、いつもよりも往来が賑やかかな…?と思いつつ、くだんの橋の前までたどり着くと、「通行止め」「迂回路」の看板があった。

この混雑は、ただでさえそう広くない田舎の側道の一部が、工事か何かで通れなくなっているかららしかった。

何だよ…こういうのって事前に通告の表示とかあるんじゃないのか?という疑問は近くの高架壁を目にした途端、消え失せた。

何台ものJRの工事車両がやってきていた。数台は狭い側道には収まりきらないので、側道付近の畑にも駐車している。

朝のニュースはこの事を伝えていたのだった。

そして。

修繕中の問題のコンクリート製高架壁は、何か強力な液体でもひっかけられたのか、無残にも溶け落ちていて、普段は壁に遮られて目にすることのできない線路の中側まではっきりと見ることができた。

…え?あの(あと)って…?

そして、一日半を経てなお微かに鼻孔に這い入ってくるあの悪臭。

…僕はそれらを知っていた。

さすがに怖くなって、僕は逃げる様ににその場を後にした。

学校に着いて、自転車置き場に愛車を置いてから生徒通用口へ向かう。

ウチの学校の生徒通用口は2階にあるから、校舎正面の外階段を上る。

途中で耳にする生徒たちの間では、今朝のニュースの話題で持ちきりだった。

そりゃあ、地元で起きたトラブルだもの、好奇心旺盛な高校生たちにとっては関心の的になってしまうのも仕方がない。僕だってこんなに直接関わってなければ、きっと彼らと同じ様な反応をしていたに違いない。

「事件」が━━という事を知っているのはおそらく僕だけだろう。他の誰もが、あれは「事故」と認識しているはずだが━━起きたのは、一昨日の夜のことだ。JRもきっと不眠不休で復旧作業に取り組んでいるのだろうけれど、まだ運航再開の目処は立っていないらしい。

ニュースでも言っていた事だけど、あの高架壁が溶けていたのが一番の問題らしかった。

その原因は、建造中、あの部分のコンクリートに何か腐食性の薬品が混入してしまったからだとか、コンクリートに規定以上の水を入れて嵩を増やしてしまう手抜き工事(シャブコンというそうだ)のせいではないかとか、様々な憶測が飛び交っていた。

…そりゃあなー。まさかコールタールの化物がゲロったねばねばが高架壁溶かしちゃいましたとさなんて与太話、誰が信じるものか。

…あ。

そういえばあの橋の所からさっさと逃げ出しちゃって気がつかなかったけど、あのコールタールの死体(?)はどうなったんだ?

あんなにでっかい図体だもの、おいそれとどこかに持ち去る様なこともできないだろうし。

もし発見されていれば、きっと大騒ぎになってたはずだけどな…

それに、あの女の人って何者なんだろう…


階段を上る途中で立ち止まって考え込んでしまった僕の背中をぽん、と軽く叩いた奴がいた。

誰だろうと振り向くと、中学時代からの悪友・森竹だった。

人懐っこそうな丸顔に眼鏡を掛けた森竹は、「よう、おはよう」と気軽に挨拶してきた。

「…あ…ああ、おはよう」と気のない返事の僕。

「何だ、ずいぶん気の抜けた挨拶だなあ」と森竹。「どうせまた昨夜も遅くまでギター弾いてたんだろ?」

僕はああ、まあねと適当な相槌をうってその場を誤魔化した。

「…程々にしろよ?」

「うん」

「それより義治、お前も見たろ?あれ」

「あれ?」

「今朝のニュースでやってた事故現場だよ」

ああそうか、こいつも僕と同じくあの道を通ってくるんだっけか。

「うん。来る途中に見た」

「すげぇよなー。コンクリが、あんなになっちゃうんだもの」

「そうだね」

何だよーもっと驚けよーと少々不満げな森竹だったけど、僕はとてもそんな気分にはなれなかった。

あの出来事が夢とかなんかじゃなくて、僕の目の前で本当に起こった事実だったのだという衝撃、そしてその事実は、事実でありながらおよそ現実離れしたマンガかアニメの様な展開だったという、にわかには信じがたい内容だったこと。

僕が目の当たりにしたそんな出来事を、いったい誰が信じてくれようか。

「…なあ森竹?」

「ん?」

「あれってさ、実はでっかいコールタールの化物と、空飛ぶ蝙蝠女の壮絶なバトルの結果なんだ」

「……はぁ?何だそれ」

「そう言ったらお前、信じるか?」

「はぁ…?馬鹿じゃねーの?」

ほら。笑われた。

でもこれは僕のせいじゃないぞ?


…それにしてもあのコールタール、本当にどこへ消えちゃったんだろう…?


その日の授業は、まるで身が入らなかった。

1時限目は僕が得意な日本史だったけど、先生の声も頭に入ってこない。

そのまま2時限3時限と実に機械的に授業は進んでくれたけど、僕の脳はこれらを華麗にスルーしてくれた。あーあ。期末試験も近いというのにな。

昼休み。

まだぼーっとしている僕に森竹が、「義治、お前にお客さんだよ…誰だと思う?」

そんな思わせぶりな態度で聞いてきた。

「…お客さん?誰だよ」

「聞いて驚け、何と鉄血宰相サマこと…」

「…ああ、文ちゃん先輩か?」

僕はまだあの魔女っ子イメージを引きずっていたらしい。

「あ…文ちゃんっておいお前、いつの間にあんな美人を“ちゃん”付けで呼べるくらい親しくなりくさりやがったんじゃあ?」と、なぜか義憤にでも駆られたかの様に憤りはじめた森竹をよそに、僕は教室の入り口の方を見た。

…なるほど。文ちゃん先輩…じゃないや、鬼橋生徒会長サマが腕を組んで僕の方を見つめていた。

目が合うと、文ちゃん先輩は腕を組んだまま、ちょいと顎を上げてこう申された。

「…志賀義治君とやら」

うわー。「とやら」ですか。逐一インパクトある口調の先輩だなあ。

この後に「汝にちょいと物もうす」とか続いても違和感なさそう。

「あなたに少しお聞きしたいことがあります。同行しなさい」

どうやら答えはイエスかイエス・マムしかないらしい。

最初からノーという選択肢は存在しないみたいだった。

僕は席から立ち上がって、仁王立ちする鉄血宰相の待ちうける入口まで歩いて行った。

「…何か御用ですか、会長?」

僕は彼女を見下ろした。

む、と眼鏡越しに下から目線で僕を凝視してくる文ちゃん先輩。相変わらず腕は組んだままだった。

こうして間近に並ぶと本当ににちっちゃいんだな。やっぱ「鉄血宰相」より「文ちゃん先輩」の方が向いていると思うけどなあ。

「む。…でっかいわね」

「いやそれほどでも」

「褒めてない」

「褒めてください」

「褒めないわよ。褒める必要性を感じません」

「僕は褒めていただきたいです」

「ではまず褒めるに値するだけの業績を示しなさい」

「わかりました。じゃあ何をすればいいんでしょうか」

「私の質問に答えなさい」

「答えたら褒めてくれるんですか?」

「この質問はキミの評価に影響を与える類のものではありません」

「褒めて伸ばすという育成法もありますけど」

「山本五十六の話はどうでもよろしいのです」

…何だろう。小柄でもおっかなそうなタイプの先輩なのに、彼女と話していると妙におちょくってみたくなってしまうんだな、これが。

対する文ちゃん先輩も大したもので、僕の挑発をポーカーフェイスで悉くスルーしている。彼女はきっと合気道の達人に違いない。

あ、何だか楽しくなってきた。

「あはは、何だか可愛いですね、文ちゃん先輩って」

いかん。脳内限定のニックネームがつい出てしまった。

ぱちーん、といい音。

「いい加減にしなさい」

僕の頬に平手をくださったまま、彼女はそう言った。

あらま。ちょっと赤くなってる。

「とりあえずここでは会話にもなりません。いいから同行しなさい」

そう言って文ちゃん先輩はきびすを返すと、僕のひとつ菱印の簡易型ネクタイを引っ張って歩き出した。

あんまり強く引っ張られるとホックが外れてしまうので、僕はこのままおとなしく付いてゆくことにした。

農耕牛か疾走前のゲートに向かう競走馬みたいに連行されてゆく僕の頬には、小さな紅葉の葉っぱの跡ひとつ。

僕を引っ張る文ちゃん先輩の頬も心なしか紅味を差している様にも見えるのは、やっぱ気のせいなのかなあ。



僕が連行されたのは案の定、生徒会室の前だった。

何だこの予定調和な展開は。

「ここでよいでしょう」

あ、部屋には入らないんですか。

てっきりよくあるマンガみたいに、生徒会室で何やら尋問…みたいな展開を予想していたのだけど。

尋問される様な覚えもないけどね。

「…先週土曜日の下校時、キミが見た物を答えなさい」

は…?それってまさか…

「…ええっと…剣城先生と文ちゃん先輩と…」

「それは下校前の屋上での事であって、下校時ではありませんね。あと文ちゃん先輩って呼ぶな」

「いけませんか?」

「私のことは姓の方か役職で呼ぶことを希望します」

「えー、可愛いと思いますよ?“文”って名前」

返答の代わりにぎろ、と眼鏡越しの鉄血ビームがきた。ああ、はいはい。

「じゃあ、逆に僕からお聞きしたいのですけど」

「何でしょうか」

「何であや…鬼橋先輩はそんなことをお尋ねになるんですか?」

「私は全校生徒に対するあらゆる危険や障害を除外排除し、安全を保障する責務を負っています」

「はぁ」

「先日の新幹線高架壁の崩落事故のことはご存知ですね?」

「…知ってます」

「あの付近はわが校の生徒も多く往来する通学路です。あの様な危険性を持った場所であるならば、生徒会長としては通学路の変更を検討指導せねばなりません」

おおー。さすがは会長殿。野次馬根性の一般生徒とは見る所が違うわ。

凡俗は小局に捕われ、賢者は大局を量るとでも言うのかな。

「お見逸れいたしました」

「職務にすぎません」

これには正直、敬意に値すると思った。あと何年かしたら文ちゃん先輩も社会人になるのだろうけど、いずれはきっとよい上司になるに違いない。もし僕も就職するのなら、彼女と同じ会社に入って、願わくば彼女の部署で働いてみたいな…とまで考えて、彼女にネクタイを引っ張られながら外回り営業をしているスーツ姿の自分を想像してしまった。

…何だ、今の僕とおんなじじゃないか。

そう、文ちゃん先輩はここまで僕を引っ張ってきたまま、いまだにしっかと僕の簡易ネクタイをんでいたのだった。

「…ところで先輩」

「何でしょう」

「…いい加減、僕のネクタイ放してくださいませんか?」

思わず瞳を見開く文ちゃん先輩。あ、また赤くなった。可愛いなぁ。

「こ…これは失礼を働いてしまいました。謝罪します」

「いえお気になさらず」

「分かりました。では気に病むことはいたしません」

素直なのか気持ちの切り替えが速いだけなのか。文ちゃん先輩、やはり侮り難し。

「それよりもさっきの話ですよ。鬼橋先輩は、何でこの僕に事故の事を?」

「あなたの通学路は、問題の現場を通過するからです」

「ええ?でもあの道を通ってくるのは僕だけじゃないですよ?」

何故か「俺もそこ通ってまーす」と自己アピールする森竹のイメージが浮かんだ。

「分かってます。でも」

「でも…?」

「事故が発生したのは土曜日の午後七時頃と耳にしています。当日、屋上で鮎子先生と私に会った時間からかんがみるに志賀君、キミがその付近を通過したであろう時間に、崩落が起きたのではないかと私は推測しているのですが…違いますか?」

何という慧眼。名探偵文ちゃん先輩ここにあり。ちょっと動揺してしまった。

だからこんな言葉が口から出てしまった。

「…あ…あの、もしもですよ、僕がその事故が起こる所を目撃したと言ったら、会長はどうします?」

すると文ちゃん先輩ってば、一点の曇りもない澄んだ瞳でこう申されましたよ?

「JR並びに工事を担当した業者に、わが校の生徒に危険を及ぼした旨を即刻抗議します」

うん。この人なら本当にやりかねない。

「では志賀君。やはりキミは事故を目撃していたのですね?」

あちゃあ。この切り返しは選択を誤ってしまったようだ。ほぉら、せっかくの文ちゃん先輩の澄んだ瞳が、獲物を狙う猛禽類のそれになってしまったではないか。

「え…えっと…」

「どうしました?」

…困ったぞ。

目撃していない、といえば嘘になるけど、さすがにあんなコールタールVS蝙蝠女が云々なんて与太話は言えないよなあ…ましてや相手は文ちゃん先輩だ。迂闊にそんなこと言ったりしたら、「ふざけるな!」と鉄血ビームが鉄拳制裁にシフトアップしかねない。

はてさてどうしたものか…と思案しかねていると、そこに午後の授業の予鈴が鳴った。

おお、何という天恵。

「…おや、もうこんな時間になってしまいましたか。では志賀君。この話はまた放課後に聞かせていただきます。失礼」

律儀に胸に手を当てて深々と一礼すると、文ちゃん先輩は自分の教室の方に去って行ったのだった。

後輩相手でも律儀な文ちゃん先輩は、決められた時間にも律儀なのだった。

教室に戻ると、僕はすでに「かの鉄血宰相のお呼びがかかった奴」という、実に有難くもないレッテルを貼られていたらしい。クラスの連中の僕を見る目が明らかに違うわな。

特に森竹などは無駄に興味を持ってしまったらしく、何を話してきたとかどういう関係なんだとかしつこく聞いてきたけれど、面倒なので彼女の職務とやらに付き合っただけだよと答えておいた。

ところが、これがいっそう火に油を注いでしまったらしく、挙句の果てには何で生徒会役員でもないお前にお声が掛かるんだとか抜かしはじめてきたので、お前は文ちゃん先輩のファンなのか?と聞いたらそうだ、と即答しやがった。

これ以上ああだこうだと質問責めにされるのも億劫なので、彼女に聞かれた高架壁崩落の質問のことを話したら、普段あまり話さない様なクラスメイトまでもが「え?お前その場にいたのかよ!?」と、こっちの件でも質問責めになってしまった。

…くっ、逆効果であったわ。

かくして。

彼女の質問に対する適切な解答例を模索する余裕もないままに、僕は午前中と同様、授業内容を脳内に入れそこなってしまったのだった。



で、放課後。

結局、上手い言い訳なんぞとうとう思いつかなかった僕は、最終手段を取ることにした。

つまりは逃げの一手、という高等戦術である。

彼女が再び僕の教室に襲来する前に、退路を確保しなくては…と、終業のベルが鳴ると同時に、僕は慌てて机の荷物をカバンに詰めはじめたのだった。

目指すは一路、自転車置き場。かの地までたどり着ければ、あとは高跳びと洒落こめる。

…が。

鉄血宰相は、そんなことはとっくにお見通しだったのである。

担任の河辺センセイが教室を出る前に、教室の入口の扉ががら!とが勢いよく音を立てて開けられた。

そこに立っていたのはもちろん我らが文ちゃん先輩その人であらせられたわけで。

…。先手を打たれてしまいました。

「さあ志賀君。昼の話の続きを聞かせなさい」

開口一番で剛直球がきた。ど真ん中のストレート。…何だか楽しそうにも見えるのだが。

「おや鬼橋か。どうした、突然」

「おやっさん」の愛称で生徒たちにも親しまれている、教師生活35年の河辺センセイは、鉄血宰相の奇襲にも動じることがない。さすがだ、おやっさん。

「河辺先生。このクラスの志賀義治君に所用があります。面会を希望します」

おやっさんはふむ、と人差し指で顎を掻きながらこっちを向いて、

「おおい志賀、生徒会長がお前を呼んでるぞ?」と、よせばいいのに仲介役を買って出てくださった。

クラスメイトたちはというと、昼休みに続く伝説の女傑の再登場に動揺する奴もいれば、ありがたやありがたやと手を合わせて拝んでいるのもいる…ああなんだ森竹か。

ふぅ、と僕はため息をついた。

潜伏先のアジトを強制捜査された指名手配犯の心境だった。

さらば夢の逃亡生活。僕ぁここまでだ。今後僕を待っているのは、無実を訴えながらも有罪判決が確定している被告人の立場でしかないだろう。

あとは鉄拳制裁という刑の執行を待つのみ、というわけだ。

ほんと、あんな荒唐無稽な出来事をどう説明すればよいというのか。

ともあれ、僕は全面降伏。ホールドアップして自ら前に進み出た。

「降伏します。降伏しますから撃たないで」

「撃ちません」

当たり前のことを聞くなとばかりに涼しい顔で答える文ちゃん先輩。

「…おまえたちは夫婦漫才か」

おやっさんのツッコミひとつ。クラス中がどっと笑いに包まれた。

『違います!』

文ちゃん先輩と僕の、それはそれは見事なハーモニーとなった。これではまるで「2人の初めての共同作業でございます」ではないか。

ひゅーひゅーという、実にお約束的な声が飛び交いはじめ…はしなかった。

一部のお調子者たちの発した最初の「ひゅー」の所で、即座に鉄血ビームがそれを迎撃してしまったからである。

こほん、と文ちゃん先輩は咳払いをひとつくれると、「では志賀君」と僕を促して教室の外に出たのだった。

そのまま文ちゃん先輩は僕を先導してずんずんと廊下を進んでいった。さすがに今回はネクタイも引っ張られてはいない。

万策尽きて仕方なく同行したとはいえ、いまだに正直に事実を言う覚悟なんてできていなかった。

当然、廊下を進む速度にも差ができてくる。

気がつくと、彼女と僕の間には、けっこうな距離が開いていた。

先を進む文ちゃん先輩自身は、まだそれに気がついていない模様。

捲土重来。よし逃げようと機をうかがいはじめる僕。

彼女はどうやら、北校舎一階にある視聴覚室を尋問の場に選んだらしい。

そこに行くには南校舎一階の職員室と保健室の前を通って、その先にある渡り廊下を通らねばならないのだが、僕は内心、この渡り廊下を脱走のスタート地点に定めた。

あそこならば周囲を阻む壁もないし、何といってもそこから南校舎の生徒通用口会談の前を通れば、わが愛車の待つ自転車置き場はもうすぐそこなのだ。

こんにちは、愛しき逃亡生活。またお目にかかれる日がこようとは。

一縷の希望は活力の源となる。持ってろよわが愛車「自由の翼」号。名前はたった今決めたのだけれど。

念のために先をゆく文ちゃん先輩の様子をしげしげと観察してみる…あ。

何という事だ。

文ちゃん先輩は、まさしく「鉄血宰相」なのだった。この徒名の由来であるプロイセンの髭のおっさんの場合は「鉄」は兵器、「血」は兵士の事を意味したそうだが、彼女の場合はその小さな身体に流れている血の色の事を指すのだろう。

よく見ると、彼女のブレザーのポケットからは、キーホルダーが見え隠れしている。

見慣れたキーホルダー。それはそれは見慣れた、上州名物・少林山(しょうりんざん)縁起達磨(えんぎだるま)の小さなマスコットが付いたキーホルダー。

…そいつは、わが「自由の翼」号の盗難防止キーに付けていた奴だった。

鉄血宰相は、僕が逃亡を図ることを最初から見抜いていたのだった。

逃亡した僕がまず最初に向かうであろう場所に先回りして、抜かりなく先手を打っていたに違いない。

根が無精者の僕は、学校と家に自転車を置く時なんか、盗難防止キーなんて掛けたことがない。こんな田舎の街で、自転車泥棒なんてそうそうお目にかかることもないからね。

でも今はそれが裏目に出てしまったらしい。

くぅ…無念。

一度抱いた希望が崩れ去る時ほど絶望を感じることはない。鉄血宰相がそこまで計算していたのだとしたら恐ろしいことである。

そんな僕の絶望を知ってか知らずか、文ちゃん先輩は保健室の先にある渡り廊下に出る角を曲がっていった。

これはもう観念して渡り廊下に出るしかないな…と諦め気分の僕…ん?

音もなく保健室の扉が開くと、ほっそりとした手がにゅっと出てきて、おいでおいでと僕を招いた。

その手に誘われる様に近づいてゆくと、そこには悪戯っぽく微笑む剣城先生がいた。

「あ」

しぃ…と人差し指を口元にやって沈黙を促すと、剣城先生は僕を保健室に招き入れた。

そのまま首だけ扉の外に出して、周囲の様子をうかがう剣城先生。気付れてはいないことを確信すると、彼女はそのまま保健室の扉を閉めてしまった。

もちろん扉を閉める時に「外出してます。鮎子(はぁと)」と書かれた自作のプレートを掛けておくのも抜かりない。

「…剣城先生?」

「しっ。もうちょっと待ってて」と小声の剣城先生。

耳を澄ましていると、やがて

「ああっ!いないっ!?」

という文ちゃん先輩の絶叫と、たたたたたーというえらく慌てている様な足音が、僕たちの潜む保健室の前を通り過ぎて行ったのだった。

足音が十分に遠のいたことを確認すると、剣城先生はくすくす笑った。

「文ちゃんたらもう…おっかしい」

うん。やっぱこの笑顔は凶器だ。問答無用で逆らえなくなる。

「…あの子もねえ、悪い子じゃないんだけど、昔から融通が利かなくてね」

ほう。やっぱ剣城先生は文ちゃん先輩のことを昔から知ってたのか。

片や超然として掴みどころのないおねえさんと、片や「鉄血宰相」の異名をとる鉄壁の女傑。案外、二人はいいコンビなのかもしれないね。

…それが「ボケとツッコミ」という、絶妙の組み合わせだとは言うまい。

「え、先生は文ちゃん先輩がちっちゃい頃から知ってるんですか?」

「え…あ、うん。今もちっちゃいけれど」

「ですよねー」

これには二人で大笑い。声が保健室の外に漏れないか、はたと気づいて慌てて口をつぐむ僕。そう、身の安全は確保された(?)とはいえ、僕の立場は「逃亡犯」なのであった。

官憲文ちゃん先輩のことだ。声を聞きつけでもしたら、間違いなく一直線にここにくる。

断言できてしまう所が何だかいとをかし。

「…剣城先生?」

「鮎子でいいよ?」

「じゃあ鮎子先生。先生は文ちゃん先輩のことをそんなに昔から知ってるんですか」

「うん。こーんなちっちゃな頃からね」と、右手の人差し指と親指でほんの四・五センチくらいの幅を作る鮎子先生。…あのぉ?

「嘘ですよね?」

「うん。よく分かったね」

またもやくすくす笑い。よく笑う先生だなぁ。またそれが品をくずさず嫌みがないというのは一種の才能なのかもしれない。

それを人は「人徳」とでも言うのだろうか。はぁ…僕にゃまるでそっち方面の才能なんてないからなぁ。

それにしても。

鮎子先生ってけっこうお茶目なんだな。それにもっと口数が少なくて、あんまり喋らない人だと思ってたよ。

「文ちゃんはね、昔はとっても可愛かったのよぉ?私の事を『鮎子おねえちゃん』なんて呼んでたし」

へぇ。それは見てみたい。

天使の様な満面の笑みを浮かべて、鮎子先生にじゃれついてくる文ちゃん先輩かあ。

うん。想像するだに可愛いかったろうなぁ…。なぜその場に僕がいなかったのか。

「それって鮎子先生と文ちゃん先輩の家が近かったとか?あ、もしかしてご親戚か何か?」

「うぅん。そういうわけじゃないよ?文ちゃんの一族を、私が昔から知ってただけ」

…?どういうことだろう。

『一族を昔から知っていた』?

妙な言い回しだなあ。たとえば『一家を知ってた』とかならまだ分かるけど。

「一族」なんて言うと、もっとスケール…というか歴史を感じてしまうよなあ。

「で、志賀くん?」

ちょっと考え込んでいた僕のほんの目と鼻の先には、いつの間にかぐーんと接近した鮎子先生のきれいな顔があった。

「…!?うわほぅ!!??」

思わず仰け反ってしまった。

「志賀くんは本当に面白い反応をするよね」と、またもやくすくす笑う鮎子先生。この人は、お箸が転げても可笑しいお年頃のままでここまできたのだろうか。

「なななななんですかかかかか!!??」

「うん。聞きたいことはあるんだけどね。その前に、もうちょっと声を落とさないと、くるよ?文ちゃん」

そ…そいつはいただけない。セルフ・コントロール、セルフ・コントロール。

「はい、そこで深呼吸―」

にっこりとほほ笑む鮎子先生のお言葉に従う僕。すーはー。すーはー。

「落ち着いた?」

ええ、まぁ。ほどほどには。

「じゃあ落ち着いた所で」

「はい?」

「志賀くんは、何で文ちゃんについて歩いてたの?何だか嫌そうに見えてたけど」

えっと…何から話したものか。

「もしかしてデート?」

いえそれはありえませんと首をぶんぶん横に振る僕。

「それもそっか。文ちゃんだものねー」と、またくすくすくす。「志賀くんは、文ちゃんみたいな子は苦手?嫌い?」

またもや首をぶんぶん横に振る僕。今度は「いえそんなことはないです」というニュアンスを加味してみたつもり。

実際、好みかどうか…と言われれば好きなタイプではあると思う。ただ如何せん、相手は伝説の「鉄血宰相」である。さっきのキーホルダーの一件にしてもそうだ。あの先輩とまかり間違ってお付き合いでもすることになってみろ?それこそ一瞬の隙も見せられない様な緊張した時間が続くだろう、延々と。…そんな将棋の竜王戦みたいな男女交際はいかがなものかと思ってしまうのだ。

僕はふぅ、とため息をついて言った。

「…まー、ちっちゃくて可愛いとは思いますけどね、文ちゃん先輩って」

「…ほほう。私はそんなに可愛いのですか。ちっちゃいのですか」

地獄の亡者もかくや、という怨嗟めいたお声がひとつ。

恐る恐る声のした方、すなわち北側校舎側に向いた方の通用口を見ると、それはそれは可愛らしいリトル閻魔様がお見えになられておりました。

ああ、何だか肩を震わせておられますねえ…もう11月も終わりですし、きっとお外はお寒いことでせう。

…そういえばあっち側の通用口は開いたまんまになってたっけ。渡り廊下からは室内も丸見えではないですか。

「で、志賀君。その『とは』の続きをぜひ拝聴願いたい。それと文ちゃん先輩って呼ぶな」

なぜ逃げた、とは聞いてこない所に得体のしれない恐怖を感じてしまうなあ。

いかなる時も直球勝負、「疾風怒濤の鉄血宰相」らしからぬその婉曲っぷりが恐ろしい。

鮎子先生に目線で助けを求めてみると…あ、いつの間にか椅子に腰かけて事務机に頬杖なんかついてこっちを見てる。何でそんなに楽しそうなお顔なんですか。

カンダダのしがみつく蜘蛛の糸を、なぜか満面の笑みを浮かべながらハサミで切ろうとしているお釈迦様がいますよ?今まさに。わが校の保健室には。

「どうしました?キミには聞きたいことがありますが、その前にまず、キミの私に対する評価の方に興味がわいてしまいました」

あ、いかん。文ちゃん先輩のキュートな唇が上弦の月の形になってる。

「や…」

「…や?」

彼女の目がすぅーっと細くなる。ああ恐ろしい。

「…山本五十六が…」

とりあえずフェイントに軽めのジャブひとつ。有効打狙いではなくて、相手の出方を見たいがための威嚇射撃だったのだが、

「褒めて伸ばすというアレですか?残念ですがその方法では私の身長は伸びません」

…威嚇射撃にもなりませんでした、はい。

「…やっぱそうですよねーあはははは」

「…何かおかしいですか?私は何かおかしなことを申してしまいましたか」

ゆらぁり、と負のオーラをまき散らしながら、それでいて口元だけは薄く笑みの形を保ったまま。

文ちゃん先輩は一歩また一歩と僕の方に歩み寄ってきた。

ろ…ロープロープ!子供の頃、2歳年長の従兄に無理やりプロレスごっこに付き合わされた時の記憶が蘇った。

僕は旧帝国陸軍で狙撃兵を務めたという(本人談)父の遺伝なのか、それなりに恵まれた体格ではあるけれど、どうにもそういった武張った方向には興味がなかった。父の勧めもあって小学校中学校と柔道をやって、この体格のおかげでいつの間にか「一本背負いの志賀」なんて呼ばれたりもして(実はそれしか使えなかったのだけれど)、一応黒帯も取得はしたけれど、それだって中学生部門での事だったしね。高校に入ってからは美術部のほぼユーレイ部員として、こうして日々平和に過ごしてますです。

だから従兄がプロレスごっこやろーと僕を誘ってきても、内心は嫌で嫌でたまらなかった。

だってあの頃はマスカラスの空中殺法とかがブームで、従兄ったらタンスの上によじ登ってボディアタックとかカマしてくるんだもん。

そういう時、僕は乏しかったプロレスの知識を頭の中から引っ張り出しては、決まって「ヘイ!ロープ!ロープ!」と喚きながら逃げまくっていたのだった。

でもこの保健室にはしがみ付くべき3本ロープもありゃしない。広さだけは四角いジャングルと同じくらいなのにな。何となくだけど理不尽なモノを感じてしまう。

あと頼るべきは公正なジャッジを為すべきレフェリーなのだけど、白衣を着た我らが麗しき審判サマは、何だか楽しそうに頬杖なんかついてらっしゃいます。とりあえずブレイクとかの警告を出す気はまったくないみたい。

あまり嬉しくもない思い出に浸っている間にも、負けを知らないチャンピオン様はにじり寄っておられます…どうせよというのか。

「…志賀君。キミとは一度じっくりとお話ししたいものですね。色々と」

口元は笑ってるのに、何でそんなに声が低くなってらっしゃるのですか。

今や文ちゃん先輩は僕の目の前に立っていた。およそ30センチ下方からの下から目線で言葉も出ない僕の顔をじぃぃぃっと見つめている。

うん。この表情が一番彼女らしい、と思う。何にはばかることもなく、一途にただ一点を見据える瞳。だからこそ彼女は「鉄血宰相」なのだ。森竹あたりがファンになるのも分かる。僕だって、こうして直に接してみると、彼女の魅力もよく分かってきた。

…分かってはきたけれど。

とりあえず、今はこの場をどう切り抜けるかが大問題ではある。

「キミは、どうも私の事を恐怖の対象とでもと感じているみたいですね」

はあ。否定できません。

「それもよいでしょう。私は誰に対してもこの様な態度しか取ることができませんし、その結果周囲からは煙たかられているのも承知しています」

いやあ。そんな事はないんじゃないですか。

「…ほう?何故でしょうか」

一瞬、僕を見据える彼女の瞳が大きくなった気がした。あれ?今の、口に出てた?

「出てました。その言葉にも興味ができましたが。志賀君。キミがそう思う理由を聞かせてください」

…ホント、真っ直ぐな人なんだなあ。文ちゃん先輩って。

「え…ええっと、だって、ただ煙たかられているだけなら、あんなに圧倒的な支持で、こうやって生徒会長に当選するわけないじゃないですか」

「そうでしょうか?」

「文ちゃん先輩とは、まだそんなに話したわけでもないですけど、ためらいもなく真っ直ぐに向かってくる先輩は…苦手ではありますけど…嫌いではありません。尊敬に値します。みんなだってそう思ったから、先輩に票を入れてくれたんじゃないですか?」

少なくとも、僕はそうだった。

よくは知らないが凄い先輩が二年にいる、という噂だけは知っていた。そして役員選挙の演説会の演壇上で彼女の語った「みなの学校の為に、私は礎となってこの身を捧げたい」という言葉に心打たれて一票を投じたのだった。

…それっきり、すっかり忘れてたのだけど。

文ちゃん先輩をヒロインとした学園ドラマにおいては、せいぜいその程度の脇役に過ぎなかった僕の前に、当の生徒会長サマが疾風のごとく現れるまでは。

見事生徒会長に当選した文ちゃん先輩は、さっそくその公約を次々と実行していった。

僕が彼女と初めて直に話すきっかけとなった、下校時刻の校内パトロールもそのひとつ。

彼女は毎日、必ず最後まで校内に残って、戸締り火元の確認電気の消し忘れなどを確認してから下校するのだそうだ。

それに今僕がこうして問い詰められている崩落事故の一件だって、あの場所を通って通学する生徒たちの身の安全を思っての事だろう。

いくら何でも、そんな事は学校側・先生たちに任せておけばいいじゃないか…という言葉は彼女には通じない。

だって彼女はこういった。『礎となってこの身を捧げたい』と。

文ちゃん先輩は、自らの意志で発したあの言葉に忠実でいるだけなのだ…と。

彼女と直に話してみて、僕はそう思った。だから思う所を素直に述べた。

ぱちぱちぱち。

「うん。その通り。文ちゃんはそういう子なの。志賀くんは人を見る目があるね」

鮎子先生は拍手しながらそう言ったのだった。いつもの微笑みで。

「おっ、おねえちゃん!」

妙に狼狽する文ちゃん先輩。照れているのか、呼び方が「鮎子先生」から「おねえちゃん」になってる。きっと無意識に素が出ちゃったんだろう。

「鮎子おねえちゃん!と…とにかく私は志賀君に用があるのです。彼の身柄を確保いたします。…あと志賀君。文ちゃん先輩って呼ばないで・・・ください」

そう言って、文ちゃん先輩はまたもや僕の簡易ネクタイをつまんで、保健室を後にしたのだった。

今度はさっきよりも、ずっと優しい力で。

でも、彼女の瞳はどことなく寂しそうにも見えたけれど。

彼女に引っ張られながら、そういえば、僕も鮎子先生にも聞きたいことがあったんだよな…と、僕は今さらながらに思ったのだった。



 文ちゃん先輩に連れてこられたのは、当初の予定通り(?)北側校舎の一階にある視聴覚室だった。

入口の扉を閉めると、文ちゃん先輩はやっと僕のネクタイを放してくれた。

少し俯き気味に彼女は、

「…鮎子おねえちゃんは…昔からああなのです」

と、鉄血宰相にふさわしからぬ小声で口にした。

「鮎子…おねえちゃん?」

「…い、いえ!、剣城先生のことです!」

ほほう。いつもの「鮎子先生」ではなく名字の方が出てきましたか。さすがに動揺されているとお見受けいたしましたが。

「仲がいいんですね」と僕。

二人を見ていると、おっとりした姉としっかり者の妹というイメージがあるんだよなあ。

「仲がいいというか…鬼橋の家は代々、おねえちゃんの側にいますから…」

何だか歴史的なお話になってきた。もしかして鮎子先生ってば、戦国時代辺りの名家の出身で、文ちゃん先輩の家はその家来の家柄とかなのだろうか。

だとすれば、さっきの鮎子先生の『文ちゃんの一族を昔から知ってただけ』という言葉も納得できるというものだ。

ここ群馬という所は「関東三国志」なんて言葉があるくらいで、戦国時代には甲斐・信濃の武田、越後の上杉、そして小田原北条それぞれの巨大勢力が領土拡大の果てに激突したフロントラインとなったという歴史がある。

そのせいかどうかは知らないが、県内にかつて「城」と呼ばれた場所はおよそ270もあるのだそうだ。ウチの近所にも、自転車でちょっと走れば、道路の脇に「○○城跡」なんて標識を見かけることがよくある。あり過ぎる。

実際そこに行ってみると、天守閣とか石垣とかがあるわけでもなく、小山の上にある寂れた様な公園の片隅に、風雪にさらされて消えかかった様な手書きの文字で「本丸跡」なんて書かれた柱が建ってるだけだったりするけれど。

僕の場合、元々歴史好きということもあって、子供の頃から自転車で行ける範囲にある「城跡」には足を運んだ。もっとも、本当に子供の頃は、夏休みの昆虫採集が目的だったけど。

ああいう場所って大抵繁みとか林があるから、朝早くに行くとカブトムシとかクワガタとかが面白いくらい捕れた。何度も足を運んでいるうちに、ひっそりと建っている柱の文字が何となく気になりはじめて、それから色々と調べたり親に話を聞いているうちに、いつの間にかこういった歴史好きな変わり者になってしまった…というのが今の僕。

そんな、歴史の息吹を身近に感じることのできる土地柄なのだ、わが群馬という所は。

いや土地だけじゃない。お城がたくさんあった、ということはそこに仕えた武士も多かったということで。

ウチのクラスメイトの中にも「○○和泉守の末裔」とか「○○豊後守の流れをくむ家系」なんてのが普通にいたりもする。

わが群馬県からは二人の総理大臣も出てるけど、片や武田信玄に従って攻めてきた武将の家柄だというし、片やそれに対抗した「上州四天王」の末裔だという噂もあったし。

ちなみにわが志賀家はというと、どうやら戦国の終わり頃にこの地に流れてきた、ごくありふれたお百姓の家系なのだそうだが。母方のご先祖は江戸の中期まで全国を行脚していた旅芸人だったそうだ。そのせいか、そっち側の親戚には東京で役者やってるのとか写真家になったのとか、芸事方面に進んだ奴が多い。まあ僕だってギターなんかにハマってまったのはそっちの血筋の為せる(わざ)、という奴だろう。

だから鮎子先生と文ちゃん先輩の家の間にそういった関係があるとすれば、「ご先祖様からのお付き合い」みたいな物もあるのだろうな…と、僕はそこまで考えた。

…ん?ちょっと待てよ?

それはそれとして、だ。

文ちゃん先輩は今何て言った?

『代々、おねえちゃんの側にいますから』

…たしかにそう言ったよな?

代々…?代々…??

「…あの?」

「何でしょうか」

「文ちゃん先輩は今、『代々』って言いましたよね?『代々、側にいる』」って?」

あ、と言う表情になる文ちゃん先輩。

「それが何か?」

「それじゃあ、まるで鮎子先生が物凄いおばあちゃんみたいじゃないですか」

言い間違えなのだろうけど、ちょっと面白かった。

「あ…ああ、そうですね。単なる言い間違えです。私としたことが、少々動揺していた模様です」

頬を赤らめて、ちょっと舌足らずな口調になる文ちゃん先輩。

なるほど。さっき鮎子先生に褒められたのが、よほど恥ずかしかったらしい。この人は意外に人から面と向かって褒められる様なことがないのかな?色々と凄い経歴の持ち主なのにな。

それとも相手が「おねえちゃん」と慕っている鮎子先生だからなのかな?

いずれにせよ、この僕が「文ちゃん先輩」って言っても気づいていないくらいは心穏やかでもないらしい。うん、やっぱこの先輩、可愛いなぁ。

「も…もうすぐ12月だというのに、今日は何だか暑いですね?」なんて言って、文ちゃん先輩は制服のポケットからハンカチを出そうとして。

ぽと。

その拍子に、ポケットに入っていた達磨のマスコット付キーホルダーが落ちて…あれ?

そこに付いていたのは僕の愛車「自由の翼」号の盗難防止キーではなくて。

たぶん、家か何かの…鍵?

「あれ…そのキーホルダー?」

「あ…ああ、これは私の家の鍵です」と、文ちゃん先輩はかがんで鍵を拾った。

「だ…達磨のマスコット…なんですね?」

「はい。なかなか可愛らしいので気に入っています」

あらららら。僕はとんでもない思い違いをしてしまっていた様だ。考えてみれば、直球勝負を是とする「鉄血宰相」が、逃亡防止に鍵を抜いておくなんて姑息な手段を使うというのもそぐわない気もするしなあ。

人間、自分にやましい事があったりすると、不必要に人様の事まで疑ってしまうんだな。

これは大いに反省するべきである。そんなままではロクな大人にはならないだろうし。

反省、反省。これは大いに自戒すべきことであることである。

そんな考え方をしてしまうのは、あれ?僕も文ちゃん先輩に感化されたかな?

「あはは。実はそのマスコット、おんなじのを僕も持ってますよ」

それで文ちゃん先輩のことを疑ってしまった、とは言いづらいのだが。

「む、そうでしたか。奇遇です。キミとは趣味が合うのでしょうか」

くすくすと笑う文ちゃん先輩。…ほお、こんな表情もするんだな。

「志賀君。キミはつくづく興味深い」

それは僕も同じだった。「鉄血の魔女」とか「鉄血宰相」、果ては中世の拷問器具だという「アイアンメイデン」の異名(これ、決していい意味じゃないよなぁ)まで持った生徒会長の、知られざる可愛らしい一面を見ることができたのは幸運なのか、そうでもないのか。

とはいえ、150センチにも満たないであろう小柄で華奢な彼女の外見からすれば、むしろこっちの方がよっぽど似つかわしいとは思った。

「ああそうだ。志賀君、これをどうぞ」と、文ちゃん先輩は、ハンカチを出したのとは逆のポケットから缶コーヒーを取り出した。

「あ、どうも」と受け取った缶は、もうあまり温かくはなかった。

「申し訳ありません。キミをわざわざ呼び出したのですから…と思って用意したのですが、すっかり冷めてしまったみたいです」

なんと、そんな気遣いまでしていただいていたのか。そんな人を疑うなんて、僕ぁ…。

ああ、自己嫌悪だ。

「だ…大丈夫ですよ、まだ。それに僕はここのメーカーの大好きですし」

「それはよかった」と、彼女も自分の分の缶を開けて微笑んだ。

僕たちは視聴覚室の椅子に座って、ぬるくなったコーヒーをいただいた。

たしかにもうぬるめになっていたけれど、それが逆に彼女の人柄の温かさの様にも思えて、舌に馴染んだ味のはずのコーヒーが、いつも以上に甘く感じたのだった。

 こくんこくんと細い喉を動かしながらコーヒーを飲み終えた文ちゃん先輩は、

「さて志賀君」

と、今日僕を悩ませ続けてきた本題に入ろうとしてきた。

・・・どう答えるべきか。

あんな夢かどうかも分からない様な荒唐無稽な話を切り出しても、信じてもらえるとは思わないけど、かといってこれだけ真っ直ぐな文ちゃん先輩に対していい加減なことは言いたくもない。僕はもう、それだけ文ちゃん先輩という尊敬すべき先輩の「本質」を知ってしまった。

そもそも、彼女がここまで僕に執着してきたのは、生徒会長としての責務による所が大きいと思っている。原因はともかく、生徒の身に及ぶ危険はまず排除すべしというのが彼女の考えの根底にあるのだろう。だから彼女なりに考えて、あの崩落事故(本当は事件だけど)に遭遇した僕の証言を参考にしたいのだろう。

「衛生」、なんて言葉を思い出した。

先日テレビでやってたのだけど、この言葉を聞くと、多くの人は普通「清潔にする」なんてイメージを抱くと思う。それも間違いではないのだが、この言葉は本来、「有害な物を排除する」という意味を持つのだという。

文ちゃん先輩の発想の根底にあるのは、この「衛生」という概念ではなかろうか。

決して潔癖症とかではなく。

「…あの崩落事故のことですよね?」と、僕は心の中で襟を正した。

「む、キミはあまり話したくはなさそうでしたが、気が変わったのですか?」

「えっと…はい」

うなずく僕。

「あの件は、話すのは色々と問題があって…」

「それはそうでしょう。あの様な事故を目の当たりにした衝撃、お察しします」

いえ、そうでなくて、と口にしてから、僕は口をつぐんだ。

文ちゃん先輩は、そんな僕が自然に口を開くまで待ってくれている。いつものように真っ直ぐ僕を見つめているその瞳は、心なしか柔らかそうだった。

葛藤を整理する時間をそれなりに費やした後、僕は意を決して言った。

「…こんな事を言うのも何ですが、実は、僕は土曜日の一件は現実だったのかどうかもまだ確信してないんです」

「事故は間違いなく起こったことですよ」

「それはそうですけど…」

「志賀君は、あの事故が起こった時に、あの場所に居合わせたのですよね?」

「…いました」

「やはり…」

文ちゃん先輩の瞳が、至極真剣な物に変わった。ここから先は生徒会長としての顔になるのだろう。

決めた。ここまで真剣に生徒の事を考えてくれる生徒会長には、たとえ怒られようと、あるいは呆れられようとも、やっぱ嘘は言いたくないよなあ。

信じてもらえないかもしれませんが、と僕は前置きした。

とりあえず話してください、と文ちゃん先輩。

僕はあの夜、新幹線の側道沿いの小さな橋の上で目撃した異様な出来事を、記憶に残っている限り話してみた。

小川から出現したコールタールもどきに喰いつかれそうになったこと。そこを空飛ぶ蝙蝠みたいな女の人(?)に助けられたこと。あの崩落事故はコールタールもどきが口から吐いた悪臭まじりの粘液で起きたこと。そしてコールタールもどきは、手を鎌みたいに変化させた女の人に一刀両断されてしまったこと。

そして。

コールタールもどきは、最期に人間の言葉をはっきりと口にした…こと。

最後まで話しているうちに恐怖心が蘇ってきてしまったらしく、どうやら僕はガタガタ震えていたらしい。

思い出したくもない様な恐怖は、それを記憶の片隅に封印させてしまうのだという。そうすることで恐怖のあまり精神が崩壊するのを防いでいるのだそうだ。だから僕は今まであの異様な出来事を断片的に、そして曖昧にしか覚えていなかったのだ。その封印を今、僕はこじ開けてしまった。


…アレハ、ヤハリ夢ナンカジャナカッタ…?????


「あ…あ…あ…」

「…志賀君?」

僕の異常な変化に戸惑っている文ちゃん先輩。

「あ…あれは…間違いなく人の言葉だ…った…その声を出している口だって、どう見ても人間だったし…何あれ?…何だアレ…!?」

ゲシュタルト崩壊。

全体性を持ったひとつのまとまりから全体性が失われてしまい、それぞれが個別の、ばらばらの存在として再認識されてしまう心理現象をこう呼ぶ。今や僕の脳内にはがちがち音を立てる無数の歯、うねうね動くコールタールの大蛇、小川に浮かんだ波紋、宙から降ってくる鋭利な大鎌、嘲笑うかの様な女の口元…そして食いちぎられて首から上が無くなった僕の…胴体。

あの夢の中で見た、そんな嫌なイメージが次々とフラッシュバックを起こしながら僕の脳内を駆け巡っていた。

「あ…あ…ああ…!」

そんな時、文ちゃん先輩が何かつぶやいた気がした。

すると何か温かい感触が僕を包んだ。

それはとても柔らかなものだった。

何か不思議な感覚が、僕の身体の中に流れ込んでくる。

その感覚が浸透してゆくにつれて、次第に意識がはっきりとしてくるんだ。

「…志賀君!」

文ちゃん先輩の声は、今度ははっきりと聞き取れた。

その声で正気を取り戻せた僕は、その小さな身体で僕を抱きしめている文ちゃん先輩に気づいた。

…え?

「しっかりしなさい!もうだいじょうぶだから!だいじょうぶだから!ね?」

「文ちゃん…先輩?」

制服を通して、お世辞にも大きいとは言えない、実にささやかな胸のふくらみ具合まで感じ取れてしまうこの密着度は…ナンデスカ?

「もうだいじょうぶだから!ね?ね?」

「あのぅ…文ちゃん先輩?」

「ね?ね?私がいるから…ね?」

「…文ちゃんさん?」

「だいじょうぶ!だいじょうぶ!」

…。聞いちゃいねえ。

「…胸、ちっちゃいんですね。でも僕はどっちかっていうとそっちの方が」

「……!?」

いまだに僕に抱きついた…というよりも、冷静になってみればむしろしがみついたと表現した方が妥当なままの状態で、文ちゃん先輩は、またもや「あ」、という顔をした。

……。

時が止まった。

それでも文ちゃん先輩はまだ僕にしがみつき、僕はというと、なぜかそんな華奢な文ちゃん先輩の腰に手を回しているという、何このホールド・ミー・タイト。

「…志賀君?」

「何だいはにー」

「…私ははにーではありません」

「…軽いんですね」

「私の体重は39Kgですから」

女の子がそんなに軽々しく自分の体重を公表しないでください。男の夢がなくなります。

「…戻ってこれた様ですね」

「そのようで」

すると文ちゃん先輩はこほん、とひとつ咳払いをして僕から離れた。

「それは何よりです」

極めて冷静な素振りで言う文ちゃん先輩。でもよく見るとちょっぴり頬に赤みが差してる。

とりあえず、ここは感謝すべき…なんだろうなあ。

「…落ち着きましたか?」

「え…っと、はい」

一度落ち着いてみると、今度は無性に気恥ずかしくなった。

振り返れば、今日の僕は最低だ。

まず、生徒たちの安全を考えてくれている文ちゃん先輩から逃げ回っていたこと。そして文ちゃん先輩の前で喚き散らす醜態を披露してしまったこと。

…その上、そんな彼女に慰めてさえしてもらった。

はは、最低だな僕ぁ…。

男としてのメンツがどうのなんてことじゃない。人としての自分が、とてつもなく自分本位で嫌な奴に思えた。情けなくなった。

……。

何も言えず俯いているだけの僕に、文ちゃん先輩は言った。

「…志賀君。私は信じますよ」

「…え?」

「私は信じます。キミの言葉を」

「だ…だって、こんな馬鹿げた話ですし…」

「キミは私をからかうために、あんな態度を取ったとでも?」

「……」

「キミの身体を抱きしめた時、身体の震えを感じました。あれは心の震えがそのまま滲み出たものだと確信します」

「心の…震え…?」

「人は、基本的には嘘をつくものだと私は思います。それは自分の心の奥底を見せたくない、自分のもっとも弱い部分をさらしたくないという防衛衝動からくるものだとも」

嘘をつく、かあ。…そういえば「人の本性は悪なり」なんて武田信玄も言ってたっけ。

「でも、どんなに嘘をついていても、時にはそれを隠しきれないで表層に出てしまうこともあると思うのです。…たとえば」

「…たとえば?」

「強い感情。たとえば憎悪とか…恐怖とか」

「…もしかして、恋愛感情とかも…でしょうか」

「…それは私には分かりません。私は恋愛感情という物を抱いたことがまだありませんので」

そう言う文ちゃん先輩は、どこか遠い目をしていた。

「…私には縁遠い感情です。先程のキミの怯え方は尋常な物ではありませんでした。何かよほど恐ろしい体験をしないと、あの様な感情の爆発は起こらないと思います」

感情の…爆発か。火山の噴火みたいなものか。

「心の奥底、心の深淵に押し込みきれないほどの強い感情は、きっかけがあれば表層に噴き出してしまうものです。先程のキミの身体の震えは、まさに心の震えが吹き出したものだった…それが私がキミの荒唐無稽な話を信じる理由です」

「文ちゃん先輩は…」

「はい?」

「…文ちゃん先輩も、そういった『心の震え』を持ってるんですか?」

文ちゃん先輩はしばらく目を瞑っていた。

そして沈思黙考の後、こう言ったのだった。

「…私にも…ありますよ」

文ちゃん先輩の…心の震え…か。「鉄血宰相」の心の震え。おいそれと踏み込んではいけない事かもしれないけど、正直なところ関心はある。

「それよりも」

「それよりも?」

「それよりも、まず私の不用意な質問がキミを混乱させてしまったことを謝罪いたします」

文ちゃん先輩は深々と小さな(こうべ)を下げた。こういう所は本当に律儀で真面目で、フェアな人なんだなあ。

「いえ、気にしないでください。こんな馬鹿な話です。信じてもらえるなんて思ってませんでしたから。正直、予想外でした」

「…私が、キミのことを糾弾して手を上げるとでも思っていましたか?」

「…もうすでに一回、平手をいただいてます」

またも「あ」、という顔になる文ちゃん先輩。この表情、何だか気に入ってきたな。

「そ…それもそうでしたね」と、彼女は照れ臭そうに笑った。その表情がとても可愛らしくて、つられた僕の顔も緩んでしまう。

文ちゃん先輩はくすくすと笑いながら、言った。

「…私はまた過ちを繰り返してしまう所でした」

「…また?」

文ちゃん先輩の笑顔がやんだ。

そのままちょっと俯き気味にため息をつくと、彼女は、

「…キミの心の深淵を引きずり出してしまった責任は私にあります」と言った。

「それは…気にしないでください」

「いいえ。私の責任でした。ですからそのお詫びとして、私自身のことも少しだけお話しましょう」

「文ちゃん先輩…自身のこと?」

「詳細は申せませんが、過日、私は取り返しのつかない過ちを犯してしまったのです。その過ちを少しでも償うために、私はこの学校の生徒みなの為に、礎となってこの身を捧げる決意をしたのです」

「それって…生徒会役員選挙の時の…?」

「そうです。今の私は、贖罪の為に、自らに職務を負わせているだけなのです」

「え…だって、そんなことで」

「それだけのこと、なのです」

「鉄血宰相」と呼ばれた彼女の肩が、何だかいつもよりも小さく見えた。

「でも、それでも文ちゃん先輩は凄いと思います。何があったかなんて知りませんけど、現にこうやって日々、生徒会のために尽くしてくれてます」

「…私は、そんな聖人君子ではありませんよ…?」

そう言って、彼女は寂しそうに微笑んだのだった。

そのまま、二人の間には沈黙が生まれてしまった。

さすがに気まずい。この雰囲気はよろしくない。どうにかしないとな…

しかしその沈黙を破ったのは、僕ではなく文ちゃん先輩の方だった。

「…それはそうと志賀君?」

「はい?」

「その…キミの言う『コールタールもどき』は、その…『蝙蝠女』?が倒してくれたのですね?」

「確証は持てませんけれど、たぶん死んでると思います。あんなに真っぷたつにされて、まだ生きてるとは思えません」

「そうでしたか。…それと志賀君。もうひとつ、お聞きしたいのですが」

「何でしょうか」

「志賀君は…その…『蝙蝠女』?の姿は覚えてますか?」

文ちゃん先輩は、どうやらあの蝙蝠女の事も気になっている様子だった。

「へ。…?姿…ですか」

「はい。その様な生物がいるとは思えませんけど、どんな姿だったのか、関心があります」

「うーん…それがですね、実は良く覚えてないんですよ」

「…覚えていない?覚えていないのですね?」

彼女は、僕の「覚えていない」という言葉が気になった様だった。

「はい。何となく覚えているのは、蝙蝠みたいな翼があったことくらい…です」

「でも、『女』だったというのは…?」

「ああ、その事ですか。全体的にほっそりしていて、女の人みたいな体型に見えただけなんです。『蝙蝠女』というのは、ただの僕の印象に過ぎませんよ」

僕は苦笑した。

「そうでしたか。ともあれ、その様な得体のしれない怪物は、もう倒されてしまったのですね。よかった」

心の奥底から安心した様に、文ちゃん先輩は微笑んだ。

「本当に、よかった」

同じ言葉をもう一度繰り返した文ちゃん先輩。

その言葉は、どんなことでも、生徒の安全を最優先する生徒会長としてのものだと、その時の僕は思った。

…でも。

安堵しきった彼女のその笑顔に、僕は何故か分からない、どうにも不可解な感情も抱いてしまったんだ。

何だろう、この感情は。

彼女の意外な一面を見てしまった驚き?

「鉄血宰相」の、誰も知らなかった可愛らしさへのときめき?

僕自身の心の中を晒してしまったことへの気恥ずかしさ?

いや違う、これは……

……そう。これは。


違和感。


10


 次の日の朝。

まだ母は反対していたけれど、僕はもう大丈夫だから、寒い所じゃ弾かないからとギターを背負って登校した。正直言うと、最近やっと覚えはじめた曲があって、ちょっとでも弾かないでいると、すぐに指がモタれてしまう気がしたからだ。

「ザ・ボクサー」。これもサイモン&ガーファンクルの後期の名曲だ。オリジナルは彼らの最後のアルバム「明日に架ける橋」のB面1曲目に収録されている。アルバム・タイトルの「明日に架ける橋」はピアノ主体のアレンジになっていて、あまり彼ららしくもなく、好きじゃなかった。「ザ・ボクサー」は明るい曲調なのに、その歌詞は都会に出てきた少年の挫折を描いている所が凄かった。まぁ、彼ら…というかポール=サイモンの書く歌詞って、やたらとそういうのが多いんだけど。その内容は「早く家に帰りたい」と同じ様な感じ・・・もしかしてこの2曲の主人公は同一人物か?…たぶんポール自身の経験とかが元になってるんだろうと勝手に推測してみたりもする。

 「ザ・ボクサー」は全弦が半音下げチューニングになっていて、しかも6弦のアコースティックだけでなくて12弦、ガット・ギターなど1曲の中に5~6本ものギターがオーバーダビングされていて、そのどれもが全く違ったポジションで弾かれていて…云々。

教室に向かう廊下で、僕はそんな実にマニアックな話題を悪友森竹に熱く語っていた。

森竹自身はギターには全くと言っていいほど興味を持たなかった。でも一度、奴の家に遊びに行ったら、奴の部屋には僕も持っていなかったガット・ギターがあって、しばらく弾かせてもらったことがある。どうせ弾かないのならくれと言ったら断られてしまったが。

そのくせ、僕のこういった話題にはけっこう付き合ってくれるのだからいい奴だと思う。

「義治。お前はホントーにギター好きだなあ」と、少々呆れ気味な顔はしていたけど。

この当時、まだ「オタク」なんて言葉は発明されてなかったんだ。

「…それよりも、だ」

「ん?」

「昨日の話を聞かせろ」

「昨日の話?」

「鬼橋会長との話だよ。何があった?何がどうしてどうなった?」

「ん…ああ、文ちゃん先輩のことか」

森竹は一瞬ぽかん、と口を開けた後。

「あああああ、『文ちゃん先輩』、だぁ?!」

と、まるで首振り人形の様にアタマを左右に揺らせながら僕ににじり寄ってきた。面白い奴だな。

「義治、テメ、昨日も鬼橋会長サマをそう呼んでたよな?!いつからだ?」

「へ?」

「いつから会長の事をそんな親しげに呼べる様な仲になってやがったんでありまするか?」

「いつからって…うーん。…最初から?」

うん、そうだ。先週の土曜日の夕方、北側校舎の屋上で彼女と初めて時から心の中ではそう呼んでたし、昨日じっくり話した時だってそう呼んでた…様な気がする。

「…さっ、最初から、だとぅ…?????」

「うん」

森竹の表情が面白いくらい次々と変化した。

「…ででで、会長はそう呼ばれて怒らなかったのか?」

「うーん…最初は何回か注意されたけど、別に怒るというほどじゃなかったかなあ」

森竹は唖然として、それからしばらくそうかぁ、とかなるほどなぁその手があったかとか

何やら色々とぶつぶつ呟いたかと思うと、突然地団駄を踏み始めた。

「…ちくしょー!俺は奥ゆかし過ぎた!」

何を悔しがっているのだろう。

「そうだ、押し!押しが足らなかったんだ!しくじったー!」

どんどんどん。

奴の地団駄はなかなか気合が入ってるなあ。すれ違う生徒たちが何事かとこっちを見てる。

しかし、奴の地団駄もそう長くは続かなかった。

今話題の人物、鬼橋 文ちゃん先輩生徒会長サマご当人が、この場にご来場あそばされたからである。

「これこれそこの1年生。廊下で四股(しこ)の稽古などしてはいけない」

と文ちゃん先輩。うーむ、微妙に違っているよーな。

「ちく…」

しょーとか続けたかったであろう森竹は、文ちゃん先輩の一言で固まってしまった。

「ほかの生徒の迷惑になる様な行為は慎んでほしい…何だ志賀君。キミも一緒か」

「あ、おはようございます。昨日はどうも」

「もう気分は晴れましたか?」

「ええ、それはもう。おかげで昨夜はぐっすり眠れましたし」

「む、それは上々」

こういう時の文ちゃん先輩は、本当にいい笑顔になるなあ。

文ちゃん先輩は森竹の方を向くと、

「この練習熱心な相撲部員はキミの友人ですか?」

はい友人です。友人ですけどわが校に相撲部はありません、と僕。

「ああ、そうでしたね。くすくす」

「1年3組!森竹(もりたけ)修二(しゅうじ)ですっ!部活には入ってませんっ!帰宅部ですっ!文ちゃん先輩!」

「…文ちゃん…先輩ぃぃぃぃ…?」

あ、鉄血ビームだ。

文ちゃん先輩にぎろ、とひと睨みされた森竹はまたもや硬直してしまった。メドゥーサか?

「すすすすすみませんっ!!鬼橋会長!」

今度は水飲み鳥の置物の様に何度もぺこぺこ下げまくる森竹。

「以後気をつけてください…では志賀君、また後ほど」

そう言うと文ちゃん先輩は軽く会釈して、2年の教室がある2階への階段を下りて行ったのだった。

彼女の姿が見えなくなると、森竹はふぃー…とため息をついた。そんなに緊張することもなかろうになあ。

「…義治」

「ん?」

「…どこが怒らないんだ?」

「怒ってなかったと思うがなあ」

「いや、あれはどう見ても怒っておられたわ」

「そうかなあ。普通だと思うけどなあ」

すると森竹はまたもやため息をつくと、

「…お前って奴を、つくづく尊敬するよ、俺は」

とか抜かした。いやそれほどではないと思うけど。

「…それともやっぱ、お前だけは特別なのかぁぁぁ…?!」

特別…特別ねえ。

昨日の一部始終を振り返れば、たしかにお互い、普段は人に見せない様な所まで晒してしまったし、特別といえば特別…なのかなあ。

…コールタールもどきの話も含めて、さすがに人には言えない内容だったし…

そうかやっぱりそうなのかぁ、俺は出し抜かれたもう二度と恋なんかしねーぞなどと妙に悔しがっている森竹をなだめながら、僕らは教室に向かった。

安心しろ森竹。文ちゃん先輩は、まだ恋愛感情という物を抱いたことがないそうだ…という言葉は教えないでおいたけど。

人様のプライバシーを大っぴらに話すほど口は軽くない…というのは建前で、本当はそれを教えたくなかった…というのが本音の方。

…いいじゃないか。本音と建前を使い分けるのが日本人、なのだそうだから。


 その日の放課後。僕はさっそくギターを手にして、また北側校舎の屋上に向かうことにした。例の「ザ・ボクサー」を一刻も早く練習したかったからだ。

この曲は、オリジナルのスタジオテイクと同じキーで弾くためには、全部の弦を半音下げにしなくてはならない。今でこそ半音単位で調弦可能の電子チューナーとかもあるけれど、当時、ギターのチューニングには音叉を叩いてポーンという響きが消えないうちに5弦開放のA音に合わせて、それを基準にする必要があった。それからその音を基準に6・4・3・1弦の5フレットと、2弦の4フレットという異弦同音を使って自分の耳で音を合わせてゆくのが普通だった。「チューニングパイプ」なんていう、吹けば開放弦とおんなじ音が出る道具もあったけど、ギターを手にパしながらパイプをぷーぷー吹いている姿がとてつもなくダサく思えたので使う気はさらさらなかった。あんなの使ってる姿を人様に晒したくないという、いわばギター弾きとしての美意識だ。…文句あっか。

でも、「ザ・ボクサー」はこのレギュラー・チューニングで弾くとレコードのキーと合わなくなる。そこでレギュラー・チューニングから半音下げる必要性が出てくるのだけど、これが実に頭の痛くなる様な作業で、慣れるまではいたずらに混乱するばかりだった。

5弦開放のA音に合わせたら、今度はその弦の4フレットを抑えたまま4弦開放音を弾いて音を合わせる。これで4弦はレギュラーのD音より半音低くなるわけだ。後はいつものレギュラー・チューニングと同じ様に合わせてゆけばいいのだけど、最後に大元の5弦も半音下げてAフラットにしなくてはならない…という、何とも手間のかかるチューニング法だった。

何でポール=サイモンは、わざわざこんな面倒くさいチューニングを使ってこの曲のアレンジを手掛けたのだろうか・・・なんて疑問に思ったこともあったけど、コピーにチャレンジしてしばらくしたら謎が解けた。

この曲のキーはB。ギター初心者がまず最初にぶち当たる壁が「F」と「B」のコードの押さえ方だという。

これらのコードは「セーハ」と言って、1弦から6弦まですべての弦を人差し指1本で押さえなくてはならない。

コツさえつかんでしまえば何てこともないのだけれど、初心者はにはこれが実に難しい。

弦をちゃんと押さえきれず、ミュート(消音)させてしまうのだ。こうなると綺麗な響きにはなってくれないし、しかも無駄に力が入りがちで手首が死ぬほど痛くなる。ここで挫折してしまい、後はギターも部屋のインテリアのひとつにしてしまう初心者も多いと聞く。

かくいう僕も、ギターを始めたその日にこの最初の「壁」にぶち当たった。音は出てくれないし手首は痛いしで泣きたくなったのを覚えている。まあそれでも、僕はポール=サイモンみたいに華麗にギターを弾きたい一心でギターを続けてきたのだけれど。

で、だ。この「ザ・ボクサー」はその「B」のキーになっている。

レギュラー・チューニングでBのキーを弾くのは、運指の都合上手間がかかる。ましてや彼の様にアルペジオ主体で弾くスタイルのギター弾きには厄介なキーだといえる。ところが半音下げたチューニングにして弾くと、「C」という一番基本的なコードのポジションで弾いても、実際の音はそれより半音低いBになる。厄介なキーを一番基本的なフォームでできてしまうという、何このコロンブスの卵。

僕はこの天才的な発想に感激して、おお凄ぇ凄ぇと無我夢中でコピーした。夢中で練習してたらそれなりに弾けるようにはなってきたけど、この曲、やたらと独特のフレーズとかも出てくるんだよなあ。歌の伴奏的お決まりの様なアルペジオでは、この曲は弾けない。

だから授業が終わった以上、すぐにでも屋上で練習したかったのだが。

その希望は叶えられなかった。

北側校舎の3階にある美術室と音楽室の間の階段の所で、僕は美術部副部長の倉澤先輩に呼び止められてしまったんだ。

「あら?志賀君。今日もこれから練習?」と倉澤先輩。

「…ええ、まあ」と僕。

美術部員でありながら部室にはロクに顔も出さない僕の幽霊的行動は、とっくに黙認されてしまっていたりする。これは喜ぶべきか否か。

同じ美術部にいながら、僕はこの2年の先輩とはほとんど話したことがない。まあ、ほぼ幽霊部員なのだから当然と言えば当然か。よくよく考えてみれば彼女だけでなく、部のほとんどの仲間ともロクに会話していなかったりするが。たまたま同じクラスの室崎(むろさき)くんと、趣味の合う塚村(つかむら)さんくらいだったっけ、美術部員で比較的よく話すのは。

あ。そういえば。

その室崎くんが今日、何か言ってた様な気もする。…何だっけ。

「…好きなことの練習もいいけれど、たまには部室の方にも顔を出してね、美術部員なんだから。一応」

一応、という所に絶妙なアクセント。はあ。ごもっともでございます。

「それにね、今日だけは出てもらわなけりゃ困るの」

腰に手を当てて、いくぶん前のめりになってくる先輩。

「えっと…何かありましたっけ?」

ウチの文化祭は5月にあるから、そっち関係のことでもなさそうだけど。

「え?室崎くんから聞いてないの?」

呆れ顔の倉澤先輩。彼女ははぁ、と溜息をつくと、

「1月の部展の話よ!今日はこれからその打合せがあるの、聞いたでしょ?」

あ…ああ、そういえばそんな事を聞いた様な覚えもあった。何でも年明けの1月、高崎駅の駅ビルの画廊で、ウチの部展を開催することになったらしい。あそこのオーナーさんとウチの顧問の太田先生が大学の先輩後輩の間柄だったとかで、去年から年に2回、あそこで部展を定期的にやることになったそうだ。今回でまだ3回目だそうだけど、こういうのはいずれ「伝統」って奴にもなるのだろう。

今はまだ黎明期だけどね。

「その黎明期だからこそ、ちゃんとやってもらわないと困るのよ」

「そういうもんですか」

「そういうものよ!ウチはまだ新設校だからね、みんなで伝統を作ってゆかなくちゃならないの。…幽霊部員なんてもっての他だわ」

…反論できませんです。

「それにね、志賀君。君だってちゃんと描けば、それなりの物があると思うよ?」

そうでしょうか?

「春の文化先で君が描いた榛名山もどき」

…あはは、「もどき」ですか。

「先生や部長はよく分からなかったみたいだけど、あたしにゃちゃーんと分かったもの」

「榛名山の絵だってことですか?」

「そうよぉ。あたしにはすぐ分かった。だって君はいつも屋上でギター弾いてばっかだったから、見てる風景なんて榛名くらいだもの」

いやそれは状況分析であって審美眼の対象とかではないのでは…とは言わなかった。

言ったらまたお小言がきそうな気がしたし。

と、階段の下の方から声がした。

「おいおい。僕はそんなに見る目がないわけじゃないよ?」

そう言いながら階段を上ってきたのは、三年の蒼木(あおき) (つよし)部長だった。

わが校が設立した初年度に入学して、文字通り1…いやゼロから美術部を作り上げてきた人だ。いつもにこにこしていて、怒った顔を見た事がない…というのは幽霊部員の僕だけでなく、生徒の誰もが彼に抱く感想なのだそうだ。

油彩の腕前の方もなかなかの物で、中学・高校と何度か市のコンクールに入選したこともあるとか。来年の春にはわが校最初の卒業生のひとりになる予定で、本人の志望でそのままカナダ(…だったけな?)への留学が決まっているらしい。

「…僕だって、あれは榛名かなー?くらいは考えていたさ」

さすがに苦笑交じりのお言葉ではありましたけど。

後で聞いた話だけど、あの時僕が描いた「榛名山もどき」は、部内においてはすでにその名称で定着しているらしい。それなりに評判にもなっているみたいだ。悪い意味で。

元々思い入れがあって描いたわけでもないので、どう呼ばれようとかまわないのだけど、さすがにその存在だけは抹消したい。

「でもなあ、さすがにアレを部展に出すのはなあ…」

それは僕も同感です。願わくばさっさとツブして他の人のキャンバスに使ってください。

「あたしはアレでもいいと思いますけど?」

こっちは何だか意地悪そうに倉澤先輩。

「他の部員たちの励みになると思います」

…それは反面教師、という奴でしょうか。

その通りです、ときっぱり言われてしまいました。

「それがイヤだったら、もうちょっと気合入れたの描いてね、志賀君?」

「はあ。前向きに考えたいと思います」

僕は政治家の答弁みたく答えたのだった。

そのまま三人で美術室に入ると、クラスメイトの室崎くんたち部員はすでに集まっていた。

で結局。その日は部展開催に向けてのきわめて事務的な打ち合わせに終始した。

誰が何を何枚描くか、展示のレイアウトの構想、受付役とか搬入とかの役割分担などなど。

チケットとか告知ポスターのデザインをどうしようか、なんて話題に一番時間がかかる辺りがいかにも美術部らしかった。

僕は油彩だけはもう描きたくなかったので(その後2枚は描く羽目になったけど)、まだ得意…とまでは言えはしないけど、それなりに経験のある水彩画とイラストを2枚描くことになった。

マンガチックなのでもいいですか?と蒼木部長に聞いたらいいよ、とのお答えが帰ってきたので少しだけ安心したけれど。

とはいえ、

「志賀君。これから忙しくなるからね、試験期間が終わったら、ちゃんと部室に毎日顔を出して、少しずつでもいいから作業を進めていってね?」

なんて倉澤副部長サマに念を押されてしまったのは痛恨だった。

ああ…貴重な「ザ・ボクサー」の練習時間が…

いやね、絵を描くのだって嫌いじゃないんだ。嫌だったらさっさと退部届を出してる。

ただヘソマガリな性分で、「ああせよこうせよ」なんて指示されたりノルマとか課せられたりすると、途端に創作意欲が減衰しちゃうのは自分の悪い所だとは思う。

僕はまた、あまり手際のよろしくない政治家みたいな答弁をするしかなかった。


11


 それから試練の日々が始まった。

最初の試練は期末試験。その結果については深く触れないでおく。僕の名誉のためだ。

12月最初の五日間を試験の為に費やしたのは、まあそれが学生の義務と言ってしまえばそれまでなのだけど。

ほんの1年前の今頃、必死でやってた受験勉強のことを思えば、今年くらいは羽を伸ばしてもいいのになあ…ということを、試験初日の前日、たまたま廊下で会った文ちゃん先輩に話したら、志賀君ちょっとこっちにきなさいとまたもやネクタイを引っ張られて今度は生徒会室に拉致されておよそ1時間あまり、きっちりとお説教をいただいてしまった。

…どうやら彼女は、試験という制度に対して何やら肯定的に思う所があるみたいだったのだが、これは実に長くなるので割愛させていただく。ただ、彼女の熱意ある申し出によって、試験の間、毎日図書館でみっちりと「文ちゃん先生」による個別指導のカリキュラムが追加されたことだけは特記しておきたい。

 この時期、図書室の人口密度は驚異的に跳ね上がる。ここに通う生徒は、何も僕たちだけではない。好学心旺盛な優等生集団はもちろん、ノートの貸し借りとそれを写しまくる連中、書棚の蔵書に一縷の望みをかける必死な一派、それに図書館という独特の雰囲気を持つ場所にいるだけで、何だか勉強した様な気になっている思い込みの激しい方々とか。

そういった面々の中でも、やはり「鉄血宰相」の存在感は群を抜いていた。当然、その女傑に従者のごとく付き添うこの僕も無駄に目立ってしまうわけで。

僕たちがお付き合いしているのではないか?という噂は、あっという間に全校生徒の間に広まってしまったのだった。もっとも、僕と文ちゃん先輩の間には、この時点では「男女交際」という概念などまるでなかったのだけれど。

実際、二人でいる間の会話を耳にすれば、睦みゴトめいた内容など皆無だったことに気付いていただけたかと思うのだが。

アレは実に質実剛健、教条主義一歩手前の殺伐とした軍事教練にほど近い物だったとしか言えないもの。

まず第一の条件として、「試験期間中はギターに触らないこと」を約束させられてしまったことは言うまでもないと思う…くうっ。

僕は、文系としてはまあそれなりに上位の成績を保つことができたのだが、いかんせん理数系という奴が壊滅的だった。文ちゃん先輩…いや先生に元素記号の問題を出されて、うろ覚えの知識をオツムの奥から引っ張り出して、ノートに「水兵りーべ僕の船」と漢字で書いたら唖然としてたっけ。

優しい優しい文ちゃん曹長殿は何かをこらえる様にため息をついて、僕の両肩に手を置くと、「…志賀君。私はキミを見捨てたりはしない。共に最善を尽くそう」と申された。

その瞳に何か悲壮な決意を感じてしまった僕は、またもや政治家の様な玉虫色的答弁をするしかなかったのだけど。

まあそれでも、献身的…というか滅私奉公あるいはあしながおじさん的ボランティア精神に充ち溢れた文ちゃん先輩のおかげで、僕の高校生として最初の師走冒頭の五日間はとっても内容の濃い、充実しまくった日々となった。

 試験の最終日、最後にして最大の難関である物理の試験を終えた僕は、そのまま文ちゃん先輩のクラスに赴き、任務を完遂したことを報告に行った。

僕の報告を、腕を組んでうんうんと頷きながら聞き終えた文ちゃん先輩は、

「よくここまで頑張りましたね。今のキミはもう昨日までのキミじゃない。私も誇りに思います」などと、キャンプ期間を終えて巣立ってゆく新兵を見送る教官の様な顔で迎えてくれた。

思わず涙ぐんでしまう僕に、何故か教室内の先輩方は温かい拍手を送ってくれた。

あれは映画みたいな、実に感動的なエンディング・シーンだったと今でも思う。

そこで終わっていればよかったのだけれど。

映画と違って、現実とは人生の終着まで延々と「続編」が続く。

後で耳にしたのだが、この時「出来の悪い後輩を徹底的に教育し直した生徒会長」という、新たなる鉄血宰相伝説が、また生まれたとか生まれなかったとか。

まあその「結果」の方が話題にならなかったのは幸いだったとは思う。成績が発表された後、僕は文ちゃん先輩に何度も謝られてしまったけれど。

「すみません志賀君。私の努力が足らなかったせいで、キミをこの様な無残な結果に…」

さすがにこちらも恐縮してしまい、いやそれは僕が悪いんです、気にしないでくださいなどと謝り返したら文ちゃん先輩いわく、

「学年末試験がキミの汚名返上の場になるべく、私が責任を取ります。責任を持ってキミを男にします。一人前の男にしてみせます」

と、新たなる決意を顕わにされていた。ありがたやありがたや。言葉の受け取り方によってはけっこうきわどい意味にも受け取れてしまうけど、ご本人にその気はまるでなさそう。

 それはまた後日の話として。話を試験終了の時に戻そう。

ひとつの試練の終焉は、また新たなる試練の幕開けでもあった。

鬼軍曹文ちゃん先輩も、いまだ結果が出ていなかったこの時ばかりはまだご機嫌で、「よし志賀君。頑張った褒美に、これから私がどこか美味しい店に連れて行ってあげましょう」

などと申し出てくれたのだが、そこに、

「ごめんなさい鬼橋さん。志賀君はこれから部活なの」と、満面の笑みで進み出たのは意外や意外、倉澤(くらさわ)由美子(ゆみこ)・美術部副部長でありました。

あらま。倉澤先輩が文ちゃん先輩と同じクラスだったとは存じませなんだ。

「あ…倉澤さん…」

副部長の声を聞くと、文ちゃん先輩の表情が急に曇ってしまった。

「お二人の仲を裂く様で悪いけど、美術部の方も忙しいのよねー」

「あ…二人の仲とか…私たちは別にその様な…」

副部長相手だと、いつもの自信に満ちた張りのある声にも勢いがなくなってしまうみたいだった。…もしかして仲が悪いのかな?

そう思って文ちゃん先輩と倉澤先輩、二人の顔をそれぞれ見比べてみる。

まずは倉澤先輩。

うーん…たしかに少々キツめな物言い、だとは思うけど。

それはむしろ幽霊部員の僕の方に対する、ちょっとした苛立ちみたいなものだとも受け取れた。別に、文ちゃん先輩に対して何やら思う所はなさそう…に見えるんだよな。

一方、文ちゃん先輩は。

いつもなら真っ直ぐに相手を見つめてくる彼女らしくもなく伏し目がちで、しかも口数もめっきり少なくなってしまっていた。

ホント、いつもの彼女らしくない。

少なくとも、そこにいる小柄な少女は、「鉄血宰相」と呼ばれる女傑とは別人に思えた。

そんな僕の視線に気がつくと、文ちゃん先輩は、

「そ…そうでしたか。志賀君、それは悪いことをしてしまいました。ご褒美はまた後日にいたしましょうか。それでは、失礼します」

と、微かに微笑んで一礼すると、教室から出て行ってしまった。

彼女の姿が見えなくなってから、僕は倉澤先輩に聞いてみた。

「…あの、副部長と文ちゃ…鬼橋先輩は、何かあったんですか?」と。

ところが倉澤副部長は、

「え?何それ。別にそんなこともないけど?」と、何でそんな事を聞くのかといった不思議そうな顔で僕を見返してきたのだった。

「…うーん…そういえば、最近はあんまり話さなくなったかな?前はけっこう話すこともあったんだけどね」

え?文ちゃん先輩の女子トーク?

想像もつかない。ちょっと聞いてみたい気もするぞ。

「どんなことを話してたんですか?文…鬼橋先輩と」

「ん?ごく普通の内容だってば。映画とかテレビとか音楽とかの話題」

音楽?…そういえば文ちゃん先輩って、どんな俳優とか音楽が好きなんだろう。凄く気になる。実に気になってしまう。

「…えっとね、俳優はピーター=オトゥールとかマックス=フォン=シドー。音楽はグレン=ミラーとかチェット=アトキンスとか言う人だったけな…あとはスコット=ジョブリン…?って人って言ってた。あたしはどれも知らないけど」

『アラビアのロレンス』に『エクソシスト』か。洋画派でしたか。

音楽の方の嗜好は実に渋い。渋すぎる。…ところでスコット=ジョブリンって誰だ?

…何だか文ちゃん先輩という人が、いっそう身近に思えてきた。

…サイモン&ガーファンクルは好き、かな?

それにしても。

二人の間…いや、文ちゃん先輩は、どうして副部長にあんな態度になってしまったのだろうか。

倉澤先輩はまるで覚えがないという。

何かを隠しているといった風にも見えない。もしかして倉澤先輩自身も気づかないうちに、文ちゃん先輩を傷つけてしまった…とか?

…それも違う様な気がする。

僕は文ちゃん先輩という人を、まだそんなに永い間知っているというわけでもないけれど、たとえば自分に向けられた批判は真っ直ぐに受けとめ、自分に非があるならば素直に認め、云われなき誹謗中傷ならばこれを正面きって論破するのが「鬼橋 文」という人だと思う。

良くも悪くもON/OFFのはっきりした人なんだ。最初に会った時から僕はそう感じた。

それなのに、今の彼女はまるで。

…まるで、怯えた小さな女の子みたいに見えた。

「そんなことより志賀君。美術室行くよ?」

倉澤先輩は、僕の心の中に浮かんだ疑問なんて、まるで気づいていないみたいだった。

 先輩に促されて美術室には来たものの。

さて困った。ネタがない。

「絵を描け」というミッション自体は数日前に下されていたけれど、ここの所はずっと文ちゃん先輩の特別授業に掛かりっきりだったし、禁止令が出ていたギターのことを思う事は多々あっても、部展の事はロクに考えてなかったし…

「ザ・ボクサー」。弾きたいなあ…

「思い立ったが吉日」なんて言うけれど、試験勉強にせよ部展作品にせよ、どちらも思い立ったのは僕ではないというこの事実はいかがなものか。

…もしかして、僕って流されやすいのかな?

それとも、文ちゃん先輩と倉澤先輩という指導力のみなぎりまくる方々が凄いのだろうか。

まあ、わが群馬が誇る名物は「かかあ天下と空っ風」ではあるけれど…

上州群馬のオトコンシ(男性諸氏)のDNAは、地元の女性には頭が上がらない様な遺伝子配列になっているのかもしれない。

ちなみに12月に突入して、赤城山から吹き降りてくる空っ風の方にも、そろそろ身体が馴染んできてもいるしなあ。

…美術室にいても、僕の頭に浮かぶのはそんな無駄な事ばかり。

思いつきでテキトーなテーマを決めてみて、鉛筆を手にして描きはじめてもみたのだが。

温室で盆栽をいじっている父を描いた『戦前の生き物』。

…植木って意外に難しくて没。

袋物の細工師を営んでいる母の作業中の姿を描いた『夜なべ』。

針仕事のポーズって難しいよな。没。

夕食の時間をどうやってか正確に覚えていて、その時間になると吠えまくる愛犬ポール=サイモン(♂)を描いた『愛犬』。

…犬って奴ぁ、どうしてこうもデッサンしづらいんだよ?…没。

中学時代からの悪友森竹を描いた『腐れ縁』。

…本人からの「似てない!」という強硬なリコールによって却下。

文ちゃん先輩の肖像画は…発覚した時のお説教が目に浮かぶので論外。

人物とか動物は動くから難しいのだな、とひとり納得して、では静物画はどうか?

まず思いついたのは、愛機モーリスW20アコースティック・ギターのスケッチ。

…ギターってのは、左右対称に描くのがとっても厄介だった。こんな絵を公表するのはいちギター弾きとしてのプライドが許さないや。

風景画…はかの悪名高き「榛名山もどき」を再生産するつもりはない。第一、風景ってのはスケールが大きすぎて、僕には一枚の紙の中に収める技量なんてないし…

じゃあ小物はどうだろう?

ほら、よくあるじゃないか。お皿に盛った果物なんかの構図の定番。これならば…。

あ、だめだ。どうしても美味しそうに描けないわ。こんなの食べたら絶対にお腹を壊してしまうことは必定。描いた本人が保証するのだから間違いない。

蒼木部長には「マンガチックでもいいですか?」なんて言っちゃったけど、僕が描くマンガ系の絵って結局は「似顔絵」レベルだったりする。プロのマンガ家さんの人まねになっちゃうんだよなあ…

ヒソカな愛読書である少女マンガ(川原由美子さんとか成田美奈子さんとか)みたいな可憐な絵柄には憧れもしているけど、憧れは憧れであって憧れ以上の物ではなくしょせんは憧れに過ぎない。

もっと一般的なシンプルなイラストもあるけど…小説なんかの挿絵に使われる様な、ペン一本で描かれた様な簡略した構図の奴。

…実はああいうのが一番難しい、ということを、今回見よう見まねでやってみて僕は痛感させられた。ああいうのって、まず描く対象の特徴をよっく捉えてないと描けないんだよな…センスがないと描けませんよ、あんなのは。

…あああ、作業がまったく進んでいない様な気がする。

ホント、僕ぁ絵画の才という奴を持ち合わせずに生まれてきたんだなぁ…と天を仰いで嘆いてみた。

今にも雪が降ってきそうな曇天は、そんな僕に師走の冷たい空っ風を浴びせてくれるだけだった。

描いては没、描いては没。せっかく脳裏に浮かんだイメェジを、白い紙の上に再現しようとしては、己の未熟な技量で雲散霧消させてしまうこの虚しさよ。

あ、そういえば好きな随筆家の寺田寅彦先生も、そんな文章を書いてたっけな。

文豪夏目漱石の一番弟子にして東京帝国大学の理学教授、そして一流の随筆家でもあった文学者とおんなじ様な心境を感じた気にもなって、何となく嬉しかったりもしたけれど。

まあそんなこんなで、放課後は美術室でいたずらに無為な時間を過ごすこと数日間。

最初のうちは色々とアドバイスをくれた蒼木部長や倉澤副部長だったけど、絶望的にセンスという物を持ち合わせていない僕には、内心ではお手上げみたいだった。

よく、芸術は技術じゃない、センスだハートだパッションだなんて言う声も耳にするけど、残念ながら僕にはそのどれもが欠けているみたいなんだよなあ。もちろんそれ以前に技術もないときた。

…何で僕ぁ美術部なんて所に入っちゃったんだ?今年の春に戻って入部届を出している自分に向かってちょっと待て早まるなお前の安易な選択は不幸を招くだけだぞ、なんてお説教してやりたいよ、まったく。

趣味でやる分には構わないけど、義務になるとそこに責任と言う物ももれなく付いてくる。

いたって無責任な僕には、少々荷が重い。

とはいえ、自らが選んでしまったベクトルである以上、やるべきことはやらなければならない。

こういう時こそ、弛んだ僕を叱咤激励してくれる文ちゃん先輩の存在が懐かしかった。

でも、試験最終日の一件以来、彼女とも何となく距離ができてしまった。

というよりも、美術部にいる時間が多くなったという事は倉澤副部長と一緒にいる時間も多くなったということで、そうなると文ちゃん先輩の方が彼女を避けているのか、以前の様に二人で話せる機会もめっきり少なくなってしまっていたのだった。

…文ちゃん先輩が倉澤副部長を嫌っている、というわけでもなさそうだ。

あの人嫌い、なんていう態度を見せる文ちゃん先輩…?

…それは彼女からもっとも遠い所にある様なイメージだよなあ。

どんな相手にも真っ直ぐに向き合うのが文ちゃん先輩という人だ。

試験勉強の時に文ちゃん先輩が教えてくれた「電気陰性度」という言葉を思い出した。

ちゃんと授業を受けているはずなのに、化学なんてまるで未知の領域に感じている僕ではあるけれど、この言葉はすんなり理解できた。

電気陰性度。それは原子同士の間で起こる力を表す値のことだ。

それぞれの原子の中で対になっていない電子(不対電子)は原子から外に出されて、これを原子間で共有することによって結合する(共有電子対)。この時、この共有電子対は結合した原子の間で、それぞれの方向に引き寄せられている状態にあるのだが、この強さを示すのが電気陰性度。

これを教えてもらった時、「自らの方向に引っ張るなんて、まるで僕のネクタイを引っ張ってく文ちゃん先輩みたいですね」と彼女に言ったら妙にウケたっけな。

…そうさ。

「美術部」というひとつの原子の枠の中では「対」になれなかった僕は、たとえて言うなら宙ぶらりんな「不対電子」みたいな物だ。

その「不対電子」を、強烈な個性で引っ張ってくれたのが文ちゃん先輩だった。

彼女のおかげで、僕は自分の居場所、立ち位置を見出すことができたのかもしれない。

でも。

今の僕は倉澤副部長…というか美術部の方に陰性度が偏っていて、その分、文ちゃん先輩との距離が大きくなってしまった。

…結局、「志賀義治」という名を持つ不対電子は、またもや宙ぶらりんのまま。

僕がいまだに絵のひとつも描けないのは、それが理由なのかもしれないな。

 

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