ハイスペック
練習室は教室棟とはまた別の建物の中にある。
ここまで移動する間にどれだけの人間に睨まれてきただろう。
理由は私の腕を無理やり引くこのイケメンノッポ先輩にあることは言わなくても分かるであろう。
って言うか、先輩の歩幅が広くて私は早足で合わせるしかなくて、
つ、疲れた!!
足がもつれる!!
そして、練習室AS-155前にたどり着いた頃にはもうくたくたになっていた。
和音「せ、先輩っ!!…あ、足、長い…っす。」
楽斗「あ、ゴメンゴメン!!いつもの癖で歩いちゃった。」
喋りながら練習室の扉を開けると、まあ。何時も通りめちゃくちゃ綺麗なお部屋で。
私なんかが使うの勿体ないって位です。
楽斗先輩は早々に部屋の換気やらピアノの準備やらを済ませると、私にピアノの前に来るようジェスチャーをした。
あ、ってかヤバ、先輩に準備やらせちゃったよ。
和音「先輩すいません!!準備させちゃって…。」
楽斗「いや、そんなことはどうでもいいよ。ほら、座って。」
ピアノ椅子を引き、座るようにアピールする先輩。
あー、これはダメだ。梃子でも動かない雰囲気。
若干奏斗にもそんな雰囲気はあったけど。流石兄弟ってところですね。はい。
仕方なく、椅子に腰掛けて高さを調節し、鍵盤に指を添える。
ポー……ン
先輩は後ろの椅子に腰掛けてこちらを見ていた。
なんか、緊張するけど。クラスで発表するよりマシだ。
よし、弾こう!!
私はとりあえず、指慣らしをしてから革命を弾き始めた。
***************
最後の一音を弾いた。
すごくドキドキした。
ヤバい。口から心臓デュルンって出そう。
恐る恐る先輩を見ると。
楽斗「…………………。」
で、ですよねー。
やっぱり私の演奏なんて、絶句するくらいのレベルですよ。
こっちが気恥ずかしい。
そう思いながら楽譜を畳もうとすると、先輩に腕を捕まれた。
楽斗「どうしたの?まだレッスンは終わってないよ?」
和音「え、だって先輩、絶句してたじゃないですか。……私の演奏が酷すぎて。」
語尾が小さくなったことは否めない。けど、何とか気まずさを押し殺して伏せ目気味になっていた顔をちらりと先輩の方へ上げる。
楽斗「違う。勿体ないって思ってたんだ。」
…………ん?勿体ない?
もったいない?
MOTTAINAI?
和音「な、何が勿体ないんですか??」
先輩は椅子から立ち上がり、私の方へ歩いてきた。
楽斗「基礎は文句無し。これは反復練習が生きてる証拠。毎日頑張ってるみたいだね。」
和音「え、いや…えへへ。」
人に誉められるのなんて久しぶりで、正直照れる。いや、照れた。
楽斗「…基礎は、問題無いんだけどね。」
基礎"は"問題無い。
=他が問題だらけ
ってことですよね。
そんなことを考えていると余計に悲しくなってきた。
楽斗「和音さん。」
和音「は、はい。」
思わず身構えてしまう。
誉められてから落とされるなんて耐えられるかな。
先輩は私の目を見据えて一言。
楽斗「君は、一体何に怯えて演奏しているんだ?」
和音「私が…怯えてる?」
チクリと、胸の奥が痛んだ気がした。
何だか自分でもよく分からないけど、確信を突かれた気がしてならなかった。
楽斗「基礎、応用の技術云々よりも大切なこと。和音さんは何かに追われるように、逃げなきゃって思いながら演奏している気がするんだ。それは怯えでもあり、悲しみでもある。僕はそう思ったよ。」
手の、震えが止まらない。
っていうか、私の演奏を聞いただけでここまで見透かされてしまうなんて予想外過ぎて。
どうすればいいのか分からなくて、思わず笑顔を繕った。
和音「や、やだなあ先輩!!私は別に何にも追い込まれて無いですよ!!そんな、悲観的な!!私は何時だって元気です!!」
シーン、と。
静寂が走った。
窓の外は新緑の季節により、気持ちの良いくらい青々としている。
天気だってすごく良いのに。
何たってこの教室はこんなにもピリピリして、嫌な空気なんだろう。
楽斗「それが、君の答えなんだね。」
和音「え…?」
先輩は溜め息を一つ吐くと、悲しそうに笑った。
楽斗「今は、それでいいよ。でもね、何時か僕が思いっきり、楽しく演奏させてあげる。なんの柵にもとらわれないよう自由に。」
和音「は、はあ…。」
自分の中でも上手く処理出来ていない所も先輩は見通してしまったみたいで。
何時しか悲しそうな笑顔は何時も通りの綺麗な優しい先輩の笑顔に変わっていた。
楽斗「いい?和音さんは言わば"誰も磨こうとしないダイヤ"」
ビシッと効果音が付きそうなくらい立てられた指を突きつけられる。
さっきの雰囲気とは打って変わった先輩の様子に圧倒されてしまう。
和音「…私にダイヤなんて表現使っちゃアカンですよ。強いて言うなら河原の石ころ…とか?」
楽斗「君って楽観的に見えて実は悲観的なんだね。」
楽斗先輩は私と席を代わり、ピアノ椅子に腰掛けた。
楽斗「和音さん。今から僕が演奏するからそのときに、頭の中にバラバラになったパズルを思い浮かべてほしい。」
そう言うと先輩は、革命のワンフレーズを弾き始めた。
……~♪
あれ、技術はさることながら何だか物足りない気がする…。
楽斗「但し、ただバラバラになっている訳じゃなくて、所々ピースは繋がっているんだ。」
先輩は弾きながら調子を少しずつ変えていった。
~♪…~~♪
あ、今度はしっくり来た!!
革命の曲調に合う雰囲気っていうか、表現がぴったり。
……♪
~♪~~♪
と、思ったらまた。今度はテンポが曖昧になった。
うーん、何だかちぐはぐで、落ち着かなくて、不安定な演奏。
先輩は演奏を終えるとこちらの方を見やる。
楽斗「和音さんの演奏を極端に再現したらこんな感じ。勿論こんな顕著に表れている訳じゃないけど、僕の耳に聞こえたとおりに再現してみたんだ。」
……成る程、先輩の言っていた"中途半端にピースが合っているパズル"っていう表現がぴったりな演奏だ。
ぐっ、と。息が詰まってしまう。
……あれ、っていうか。
和音「先輩、ピアノめちゃくちゃ上手いですね。」
楽斗「ああ、僕。声楽の教室とピアノの教室どっちも通っていたんだ。」
成る程それでこのハイスペックさですか。
常人には適わない訳です。
今度は私と先輩の席を代わり、私がピアノ椅子に腰掛ける。
だけど、どうしてだろう。
手が震える。
楽斗「…大丈夫。落ち着いて。」
そっと、先輩が私の右手の上に左手を重ねる。
楽斗「とりあえず、今日の模擬試験では落ち着いて。誰も君を追いつめたりしないから。音を楽しんで弾いてみて。」
《 …音楽ってのは"音を楽しむ"って書くんだよ。音を楽しまなきゃ音楽にならないんじゃねぇのか? 》
ああ、やっぱり兄弟ね。
その後、私は先輩の時間が許す限り、がむしゃらに練習をした。
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