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紫と碧と橙の約束③




奏斗が倒れてから3日、本人も十二分に回復していたため帰宅が許された。


だが、声帯を傷付けないように歌うことは堅く禁じられた。


本人は不服そうな顔をしていたものの終始黙って医者の話を聞いていた。








奏斗は学校に行くものの忽然と姿を消すことが多くなった。



暫くすると帰ってくるが、教員たちも全力で奏斗から目を離さないように努めていた。



そしてある日の昼休み、楽斗が渡り廊下を歩いていると、学校の塀を飛び越えて脱走する奏斗の姿を目撃した。


当然楽斗は奏斗の姿を追った。










奏斗が行き着いた場所は隣町とを結ぶ橋の袂。




思い出がたくさん詰まった場所。



 


そこで奏斗は仰向けに寝そべってハミングを口ずさんでいた。


懐かしい旋律、"あの子"が泣いていたときによく歌っていた兄さんの曲。


楽斗は奏斗に気付かれないようにこっそりと袂に降りる。

ここは昔と違って草木が生い茂り、長い間人の通りが無かったことを物語っている。





楽斗「兄さん。」




楽斗が声をかけるとハミングが止み、無表情で奏斗が面を上げた。




奏斗「…何しに来やがった。」



楽斗「こんなところにいると身体に毒です。早く戻りましょう。また、病院に逆戻りになってしまいますよ。」



"病院"の一言を聞いただけで明らかに奏斗の表情が曇ったのが見て取れた。




奏斗「断る。」



ごねるのは予想の範囲内だった。

最も、この間のイギリスでの一件が奏斗の機嫌を損ねていると踏んでいた楽斗は素直に謝ることを心に決めていた。



楽斗「……この間はすみませんでした。僕も言い過ぎたと反省しています。」



深々と頭を下げる。

視界一杯に地面が広がり、奏斗の表情は全く分からないが、不穏な空気が流れていることだけは分かった。



奏斗「それで?お前は俺に何を求める」



楽斗は思わずぱっと頭を上げた。


相変わらずの不機嫌な顔でこちらを睨む奏斗。


でも、こんなことを言われたのは初めてだった。

いつもなら双方が謝って問題解決のはずなのに。


たまたま虫の居所が悪いのだと踏んで再度話し始める。



楽斗「見返りなんて求めるつもりはありません。僕は兄さんの側で音楽が出来るだけで十分です。」





奏斗「お前はいつもそればっかりだな、本っ当に腹立つ。」



…奏斗が何故こんなにも機嫌が悪いのか楽斗には理解できなかった。

自分はただ、脱走した兄を連れ戻しに来ただけなのに。



楽斗「腹が立つ?どうしてです?」


奏斗「…全部だよ。お前の全てが気に食わない。」



流石にこの一言にカチンと来た楽斗は淡々と述べてしまう。



楽斗「そこまで言うなら理由を述べて欲しいものです。何故そこまでして僕は毛嫌いされなければならないのでしょうか。」


奏斗「俺のやろうとする事の先には既にお前がいる。何にせよお前がいるから何もかも上手く行かない。」


楽斗「それは八つ当たりです。僕は決して兄さんの先に行こうなんて思っていない。…それは昔も今も未来も変わらない事ですから。」




売り言葉に買い言葉。

正にそんな感じで言い争った後、急に静寂が走った。


不味いと気付いたときにはもう時既に遅し。奏斗は肩をふるふると震わせていた。




奏斗「…っ、お前に、俺の何が分かるんだよ」


楽斗「え…?」



奏斗の中でせき止めていた何かが決壊したらしく、次々と怒りの言葉が溢れ出した。



奏斗「何もかも横からかっさらって行きやがるお前に腹が立って仕方ねぇんだ!!

今だってそうだ!!結局海外まで行って認められたのはお前だけ!!

何もしてないのに体調崩して、嫌々帰国した結果俺は声も出せず、歌も歌えずに野垂れ死ぬ運命だ!!

こんな話あってたまるか?…ふざけんな!!」



違う、僕は兄さんにこんなことを言わせるためにここに来たんじゃない。

こんな悲しい顔をさせるためにここに来た筈無いじゃないか。



楽斗「そんな…!!僕は…兄さんの幸せを願ってここに来たんです!!そんなこと聞きたくてここにいるんじゃない!!」






奏斗「じゃあ!!その健康な身体と俺のこのボロ雑巾みたいな身体今すぐ取り替えてみせろよ!!それが俺の幸せだ!!」


楽斗「…っ…!!」


奏斗「俺だって歌いてぇよ、自由に何度でも!!でもそれは叶わない!!一生叶わない願いなんだよ!!!!!!!」



失言だったと思っても、発した言葉は戻らない。


相手の心に深く突き刺さる刃となって永久に残り続けるのだ。




楽斗「兄さん…、」


奏斗「行け、」


楽斗「え…?」


奏斗「もう俺に話しかけんな。俺もお前を極力視界に入れないようにする。」


楽斗「…っ………。」


奏斗「行かないなら、俺が行く。」




奏斗はすっと立ち上がり楽斗に背を向ける。



楽斗「そんな…!!!!嫌です!!僕は、兄さんの側に居たい…!!」



こつん、こつんと革靴を鳴らして奏斗は楽斗と逆の方向へ歩く。



奏斗「居てどうする?もうアンサンブルなんて出来ない俺の側に居て、お前にメリットなんて微塵も無いだろうが。」



こつん、こつん



楽斗「違う…!!違う!!そうじゃない!!そうじゃないんです!!」



こつん、こつん…、



奏斗「俺はもう直ぐ死ぬ運命なんだから最後くらい好きにさせろ。」



こつん、こつん



楽斗「じゃあ……あの子との約束は!!どうするんですか!!」



こつん、



奏斗「知らね、その頃に俺がこの世にいるのかどうかも分かんねえし」



こつん…、



足音はやがて小さくなり、奏斗は完全に先へ行ってしまった。



楽斗「約束を、何よりも大切にしていたのは兄さんだったじゃないか。」






―――――――――――




この日から本当に奏斗は楽斗と言葉を交わすことは無くなった。


ただの仲違いだと思っていた楽斗も一日、一週間、半月、一ヶ月、半年、そして一年と時が経つにつれて奏斗が本気だったということを身にしみて感じた。


奏斗は中等科から進学し高等科へ進んだものの、二年生の時に大きく体調を崩し、三年になった頃には殆ど学校へ姿を現さなくなった。



もちろんそんな状態だと出席日数が足らなく、同級生との卒業は不可能だった。



そのため学園では奏斗の処遇を考えたが、これまでの成績や見込みを考えて異例の"留年"という措置をとり、奏斗を学園へ縛り付けることにした。



そして皮肉にも、奏斗が学園へ姿を現さなくなった頃から楽斗は学園外からのオファーが殺到し、たちまち音楽業界から期待の新星と謳われるようになったという。




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