紫と碧と橙の約束②
一方奏斗はと言うと、
帰国後直ぐに両親に出迎えられ、手厚く看病された。
長旅の疲れもあり、奏斗は泥のように寝込んでしまったが、3日程休むと幾分かは疲れも取れたらしく顔色も戻ってきていた。
そしてその日のうちに、近所で一番大きな病院、"向日葵総合病院"で精密検査を受けることにした。
後日、数々の精密検査の結果を聞きに再び病院へ訪れる。
同伴した奏斗の母は顔色がすこぶる悪かった。
幼い頃から奏斗は病弱で、小児喘息が判明してから壊れ物を扱うかのように育てられてきた。
その反動で比較的やんちゃに育ったと言えばそれまでなのだが…。
そして、診察室に通されて椅子に掛けるよう進められる。
医師の表情の雲行きも怪しかった。
医師「イギリスから送られてきたルルード先生の紹介状を元にして瀬川君を診察しました。
難しいことを申し上げるつもりはありませんので簡単に言いますね。」
奏斗は無意識にぎゅっと拳を握り締める。
医師「声帯にある腫瘍は悪性でした。このまま放置しておけば命に関わるものになります。
手術をして声帯ごと腫瘍を摘出しなければなりません。」
母「そんな!!奏斗さんが…!!先生本当なんですか!?うちの奏斗さんに限ってそんな!!」
医師「お母様落ち着いて下さい、
…喘息の方も治ってはいたかと思われましたが、何らかの理由で再発していますね。激しい動きや運動をすると発作が現れる危険性が高まります。
また、消化器系の機能も落ちてきています……―――――で、――――が」
奏斗はガツンと頭を殴られた感覚がした。
心臓が早鐘の如く激しく高鳴る。
声帯を、摘出する…?
奏斗「先生、声帯ごと取るって、俺。歌、歌えなくなるんですか?」
声が掠れたのは腫瘍のせいなのか、絞り出したか細い声のせいなのか…、奏斗は震えていた。
医師「……命と声、どちらが大切かよく考えなさい。
いずれにしてもいつかは声が出せなくなる。そうなったらもう手の施しようがない状態ということになるんだからね。」
暫くの間、夢を見ているのかと思った。
声帯の腫瘍は悪性。
呼吸器や消化器が悪い。
腫瘍は摘出が必要。
代償は……、声を失うこと。
もう二度とメロディーを口ずさむことすら出来なくなる。
命を取るか、声を取るか。
そんなの決まってる。
奏斗「俺、手術は受けません。」
母「奏斗さん!?なんて事を言うんですか!!」
半狂乱になって奏斗に訴える母親を制して奏斗は震える唇で言葉を紡ぐ。
奏斗「母さん、俺にとっては…声が命そのものなんだ。
ずっと歌っていたい。死ぬまで。
俺は…歌が好き、大好きなんだ。」
――――――――――
母親や医師の説得も聞き入れず、結局奏斗は腫瘍を薬で何とか縮める治療法を選んだ。
勿論、闘病生活はこの先長くなることを告げられたがそれで満足している様子だった。
そして…、病院で告知された翌日から学園へ通い始めた。
登校して中等科の教室へ向かうだけの間でも数多くの人間に話しかけられた。
「奏斗くーん!!病気は大丈夫??」
「聞いたよ!!イギリスで倒れたって!!」
「身体大切にしてね!!」
「奏斗先輩、お大事にして下さい!!」
「奏斗先輩!!」
「奏斗!!」
「奏斗くん!!」
いつの間にか学園中に奏斗の噂が広まり、たくさんの人間から好奇の目で晒されることになった。
学園のトップ2の座に君臨する瀬川兄弟の片割れが病気で声が出なくなるかもしれない。
ある者は哀れみの視線を向け、
ある者は蔑みの視線を向け、
ある者は勝ち誇った笑みを浮かべた。
それでも奏斗は歌うことを止めなかった。
半ば自暴自棄になっていたのかもしれない。
どうせ消える灯火ならば大いに活用しよう。
…あの"約束"を果たすために。
――――――――――
そして、1ヶ月程過ぎたある日の昼下がり。
漸く楽斗が帰国した。
奏斗の事を日々思い心配を重ねていた楽斗だが、あの日以来奏斗宛に手紙を送ることは疎か、電話やメールさえもせず、楽斗は奏斗の現状を知るために何度も両親に電話をしていた。
帰国の日も楽斗は両親と連絡を取り、時間通りに待ち合わせ場所にやってきた。
笑顔で出迎えてくれた両親と軽く買い物をし、昼過ぎには帰宅した。
ガチャッ、
楽斗「ただいまー」
久しぶりに我が家に帰宅するとどっと安心感がこみ上げてくる。
後方でたくさんの荷物を持ってくれている両親の方を見やると2人ともにっこり笑ってくれた。
父親「お帰りなさい。」
母親「お帰りなさい楽斗さん。」
やっと帰ってきたと安心するのも束の間で、一通りの荷物を片付けなければならない。
自室まで荷物を運ぶと、片付けを開始した。
この日は平日で、帰国したことを学園に伝えるために一度制服に着替えて登校しなければならない。
あまり片付けに手間取っていられないのだ。
そこそこ片付けてから制服に着替え、必要な書類を整えていた時だった。
Prrrrrrrr…、Prrrrrrrr…、
突如家に電話が鳴り響いた。
電話なんていつも鳴っている物だからそんなに気に留めたことはあまり無かったが、何となく嫌な予感がしていた。
母親「はい、瀬川でございます。…ええ、楽斗さんは今からそちらに…、え?奏斗さんが…!!」
奏斗が、学校で倒れた。
救急車で緊急搬送され、命に別状は無かった物の、声帯に出来た腫瘍は明らかに肥大していた。
短期間で喉を酷使した為に負担がかかってしまったと医者は言う。
両親と楽斗が青ざめながら病院に駆けつけた時、奏斗は病院のベッドですやすやと眠っていた。
そして、これが奏斗と楽斗の仲を完全に引き裂く事件となったことをまだ誰も知る由は無かった。
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