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8 スタート

一瞬躊躇したが、今日もいってらっしゃいのキスで送り出した。

夫も無表情で受け入れた。


家事ははかどらず、夕方までダラダラした。


気の重いまま出勤する。


どうしよう。

私はどうしたらいいんだろう。


支度を済ませて店に出ると、客席に樹がいた。


「昨日はどうも」

「ええ」

「あの後はあの男と一緒だったんですか」


店長が何か言いたそうにこちらを見る。


「私、仕事中だから」

「わかりました。終わるころ、また来ます」


コホンと咳払いして、仕事に集中する。

忙しく働いていれば、余計なことを考えなくて済む。


閉店間際、増井がいつも通りやってきてうどんを注文した。


「よかった。仕事休んだりしないかって心配してたんだ」

「大丈夫です」

「ね、ちょっと話したいから、終わるまで待っててもいいかなあ」


私は黙ってうなづいた。


増井が最後の客。

私はバイトの高校生と手早く片付けて、店を閉めた。


「お疲れ様です」

ドアを出ると、先に声を掛けてきたのは樹。


「彼女とちゃんと話し合いました」

「そう。それはよかった」

「でも、キス以上は覚悟が出来てないって断られました」

「怖いってこと?」

「リスクが大きいからまだダメだって」

「あら。堅実ないい子じゃない。大切にしてあげなさい」

「はい。大切にしてます」

「よかったわね」

「よくありません」

「?」

「ハッキリとダメって言われたから、希望が無くなりました」

「は?」


腰をつかまれ、引き寄せられる。

顔が近づく。


整ったキレイな顔だ。

今どきのイケメンなのだろう。


冷静に分析して、樹の唇に指を当てる。


「ダメよ。そんなことして、大切な彼女を傷つけると後悔するわ」

「・・・」

「ま、後悔ってのは、後からするもんなんだけどさ」

「高杉さんは何か後悔してるんですか?」

「うーん」


カタン

音がして、振り返ると増井が立っている。


「後悔してるのは、僕とのデートかな?」

「・・・」


「そうみたいだね。苦しませてしまったようだね。悪かった」

「いえ。楽しかったです」

「そうか。ありがとう。またうどんを食べに来てもいいかな」

「もちろん。お待ちしてます」


「じゃあ」

立ち去ろうとした増井に、樹が声を掛ける。

「ちょっと待てよ」


「詳しい事情はわからないけど、あんた、高杉さんのことが好きなんじゃないのかよ」

「好きだよ」

「スッキリしないなあ!そうやって余裕ぶって気持ち抑え込むのが大人なのかよ!」

「好きという気持ちで突っ走るほど、僕は若くない。彼女には家庭があるからね。それを壊す権利は僕にないし、彼女もそれを望んでいない」

「でも、好きなんだろ。欲しかったら奪ってみろよ」

「いやあ、うらやましいなあ。その情熱。でも、君だって、大切な彼女に手を出せずに悩んでるんだろう。男は、本当に惚れた女には弱いんだよ」

「な・・・」

「ああ、ごめん。さっきの会話、最初から聞いちゃったんだ。出ていくタイミングを見つけられなくてね」

「盗み聞きかよ」

「ごめんごめん」

「ったく、おっさんはこれだから困るよな」


何だか知らないが2人の男は和解したらしい。

男なんて、女には結局わからない生き物なのだ。


「僕は、あたたかいうどんを食べて君の笑顔を見るだけで幸せなんだよ」

増井は気を付けてね、と言い残して帰って行った。


「俺も、高杉さんと一緒に働けるのが幸せです」

樹は、懲りずにチュッとキスする真似をして走って行った。



自転車を漕ぎながら、考える。


今の状況は私も楽しい。

仕事も、人間関係も。


でも。


次の契約更新で相談をしてみよう。

昼間のシフトを増やしてもらえないか。

時々呼び出される日曜日も、ちゃんと休みにしてもらえないか。

そんなわがままが通るかはわからない。

じゃあ要らないと言われてしまうかもしれない。


それでも。


私たち夫婦の将来を考えたら、今、動かなければ。


増井とも樹とも会わなくなるだろう。

それで、いい。



帰宅してメイクを直す。

夫と出会ったころによく着ていた服は、ちょっとキツイけど、どうにか入った。

引っ張り出してきた服は、薄いグリーン。

そうだ。夫は、出会った学生の頃、この服をほめてくれたっけ。

「キレイなグリーンがよく似合う」と。

すっかり忘れてたけど。


間もなく帰ってきた夫。

私の姿に戸惑っている。


「どうした?」


「ねえ、私たち、何となくで付き合って、何となくで結婚してしまったわよね」


「突然何?別れ話かい?」


「ちがうわ」


夫の目をまっすぐ見つめる。

視線をそらさずに、言葉を続ける。


「私たち、ちゃんと恋をしよう」


「え?」


「恋って宣言してするもの?」


「いいじゃない。そういう恋だって。私は、あなたとちゃんと恋がしたいの」


「・・・」


「だめ?」


「いや、だめじゃないよ」


手を差し握手を求める。


「よろしくお願いします」


「改まると恥ずかしいんだけど」


「ふふ」


「ははは」


笑い合って互いの手をギュッと握りしめた。



私たち夫婦の恋は、ここからがスタート。

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