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3 グラッドアイ

ほぼ毎晩、閉店ギリギリに1人で来る男性客がいる。

いつも決まって、温かい素うどんを頼む。

何だか幸せそうに汁を飲み干し、ニコリと笑いかけてくる。

「ごちそうさま。遅くまでご苦労様」

そう言って食器を返しにくる。


3年前に入った時には、既に常連だった。

当時一緒に厨房にいた主婦が教えてくれた。

「バツイチらしい」

「どこかの会社の役員らしい」

「ちょっとミステリアスで素敵」

噂好きの彼女は、ワイドショーのリポーターのようだった。

もう辞めちゃっていないけど。元気だろうか。


「ここのうどんを食べないと1日が締まらないんだ」

「家で1人で食べるのは、わびしいからね」

「料理は嫌いじゃないけど、凝り性だから休日しかしないんだ」


1度に交わす言葉は少ないけれど、何度も話すと、色々わかってくる。


増井 ひろし45歳。

バツイチ。

娘が3際の頃に一緒に食べたうどんが忘れられない。

その娘とはもう5年会ってない。

別れた妻が会わせてくれない。

ほとんど家に帰らなかったから、娘は自分の顔を覚えていないだろう。

会いたがることも無いだろう。


自分の不貞が原因だから、仕方ない。

仕事盛りで調子に乗っていた。

肩書と金に釣られてやってくる女達を、拒まなかった。

最愛の家族を悲しませた自分が許せない。


閉店間際で他に客もいないせいか、増井は美絵に身の上をポツポツ語った。


もし自分がもう少し年を取っていたら、慰め方がわかったかもしれない。

もし自分がもう少し弱っていたら、傷を舐めあったかもしれない。


「君みたいな美しい奥さんを夜遅く働かせるなんて」

増井は夫を責めた。

「ちがうんです。私が働きたくて働いてるんです。どうせ家にいても1人で寂しいし・・・」

ついこぼした言葉に、増井が反応を示す。

「今日も旦那は遅いのかい?」

「たぶん・・・」

「だったら、仕事の後で一杯付き合ってくれないか?」

「・・・一杯だけなら」


今日も夫は飲んでくると言っていた。

少しくらい遅くても大丈夫だろう。



バーなどという店に来た事のない私は、何を注文していいのか戸惑ってしまった。

「お任せします」

増井に告げると、すかさずバーテンダーに注文してくれた。


「グラッドアイです」

目の前に置かれたのは、鮮やかな緑色のカクテル。


「君にはこの色が似合うと思って」


飲んでみると、甘さの後に爽やかなミントの香りが広がった。

爽やかな後味。


そういえば樹も、私には緑色が似合うと言っていたっけ。

自分ではわからないけど。

今度何か買う時には緑色を選んでみようかな。

そしたら、誉めてくれるかな。


誰が?

樹が?増井が?


夫は・・・何も気づかないだろうな。



たわいない話をしていると、グラスが空になった。


「そろそろ帰ります」


一杯だけの約束だ。


「そうだね。送っていこう」

「いえ、大丈夫ですから」

「そうかい?じゃあ、タクシー使ってくれ。夜道を1人で歩かせるのは心配だから」

そう言って1万円札を握らせる。

「ありがとうございます。お気持ちだけで」

金を返す。

不服そうな増井。

「大丈夫。ちゃんとタクシー乗りますから。ここは、ご馳走になりますね」

ウインクをして見せた。ちょっと幼すぎる演技だったかしら。


「ああ、もちろん。とても楽しかったよ」

「はい。楽しかったです。またお店でお待ちしてますね」

営業スマイルの私に、増井もつられるように笑った。


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