SOS (ホラー ・ 残酷描写あり)
サブタイにもありますが、残酷ですし、後味悪いです。苦手な方はご注意ください。
わたしには霊感がある。
二十年間生きてきて、はっきりと断言できる。
会社員の父と、パートタイマーの母、弟一人、とごく普通の家庭で育ち、外見はどこにでもいるこれまた普通の女子大生のわたしだが、確かに霊感があるのだ。
幼いころからすうっと前を横切る白い影とか、蛍のように、だけど明らかに蛍ではない発光体とか、同じところを行ったり来たりしている足音(正体を確かめると決まって誰もいない)などに遭遇している。
たまに頭の後ろ半分がない会社員や、内臓を引きずって歩く老人、真っ赤なワンピースかと思ったら全身血まみれ状態だった若い女(そんな状態なのになぜかスマホをいじりながら、何食わぬ顔で歩いている)等にでくわし、さすがに驚くこともあった。
そして夢だ。
わたしは数年前から奇妙な夢をよく見るようになった。これも霊感の一種なのだろうか。年とともに霊感の出方というか、作用のしかたも変わるのだろうか。そういえば最近は、頭ぱっくりや、内臓垂れ流し、血まみれ人間等に出くわす頻度が落ちている気がする。
最初にその奇妙な夢というのを見たのは、おととしだった。
そのおととしからさらに半年ほど前に亡くなっていた祖母が、死に装束を着て何かを必死に訴えているという夢だった。
祖母はまるで貴方の後ろに凶暴な怪物がいるから今すぐ逃げなさい、とでも言っているかのように口を大きく開け、必死で、急げ急げと急かすような顔をしていた。
ただし一切音声はない。その夢は割と鮮明で、祖母の顔がはっきりと分かるくらいなのだが、無音なのである。したがって、けっきょく何を訴えているのかわたしにはさっぱり理解不能だった。
なんとも肝心なことが分からないというもどかしい状態だが、そこがわたしの霊感の限界なのだろう。よくよく思えば、今まで霊は見えても声を聞いたことは一度もない。霊感とはそういうものだ。テレビでも怪談番組でよくそういう演出がなされている。霊は好意的なのに、出現のしかたが曖昧なために、肝心なことが伝わらず、無駄に主人公が勘違いし、「呪い殺される~」などとおっかながるというのは王道の展開といえる。
少し話しがそれたが、結論から言えば、祖母は伴侶である祖父の病気の発生を知らせていたのだった。事実祖父は祖母が夢に出てきた最初の日から一週間後、脳梗塞で倒れた。祖母はそれまでの一週間夢に現れ続けてはいたが、一体何を訴えているかがわたし自身さっぱりわからなかったため、気がつくことができなかった。
去年はその数日前に死んだインコがピーピー頭の上をやかましくぐるぐる回る夢を見た。
わけがわからない夢だった、と夢から覚めた直後は思ったが、祖母のときのことを思いだし、もしやと思って死んだインコを埋めた家の裏を覗いた。
すると、やはり。インコの墓は野良猫かなにかに掘り起こされていた。前日の雨で上にかぶせた柔らかい土が流れてしまったのも一因だ。もっとしっかりと、深く埋めてあげればよかったと後悔した。
墓はインコ不在になってしまったが、わたしは改めて墓をつくり直し、心から手を合わせた。インコはその晩から現れなくなった。
一番最近の夢ではちょんまげ姿の男が怒り狂ったように何かをわたしに訴えていた。男はいかにも江戸時代以前の人間といった風体だ。
怒り狂っているのに、無音なので間抜けに見える。こんな夢を連日見続けるのも嫌なので、わたしは必死に心当たりを考え、先祖のお墓を思い当った。
菩提寺に行ってみると、案の定、墓石の一部が崩れていた。わたしは両親とともに寺の住職に修復をお願いした。
さて、前置きが長くなってしまったが、ここからが本題。
わたしは三日前からこれらと同じ類の夢に悩まされている。
そして困ったことに、悩んでいるのは夢そのものというより、夢に出てくる人物に、まったく心当たりがない、という点なのである。
普段使わない頭をこねくり回して、ありとあらゆる情報の引き出しと自分の記憶を照査してみたが、なんにも思い当らない。お手上げだ。
その夢で、ご多分に漏れず何かを訴えているのは、若い男だった。
しかもかなりの美形だ。綺麗とも言える。
しかもしかも全裸だ。
全裸のまま、空中に磔にされている。
十字架に磔にされているキリストから、十字架をとったような状態とでも言えばいいだろうか。
若くて美形でしかも全裸の男が大の字で(キリストは足を閉じていて、大の字じゃないけれど)空中に浮きながら何かを必死に訴えている。そんな夢をわたしは三日前から毎晩見続けているのだ。
可哀想なのでなんとかしてあげたいのだが、わたしは彼になんの心当たりもない。
同じ大学の人間だろうか。しかし会ったこともないのではどうしようもない。
もしかしたら、弟の友人かもしれない。
わたしの弟は三か月前、高校卒業と同時に、とっとと家を出て、さっさと仕事を見つけ、悠々と一人暮らしをはじめている。内向的で少々変わり者だったから、友人は少ないかもしれないけれど、その線はある、と思った。
わたしはとりあえず今は空き部屋となっている弟の部屋を覗いてみた。
六畳の部屋に、弟が置き去りにした私物と、何も入っていないカラーボックスやファンヒーター、ホットプレートなど、今は使わない家具や器具が混在している。ようはこの部屋は物置に変わりつつあるということだ。
ふと何気なく四方の壁を見渡すと、それは目に飛び込んできた。
そしてその瞬間、すべての疑問の糸がつながったのは言うまでもない。
壁に飾られていたのは、一匹の蝶の標本だった。
十五センチ四方の、文具屋で売っていそうな額にそれは寂しそうに収められ、部屋の壁の隅に吊るされていた。額の上部にはうっすらと埃が積もっている。わたしはその額をそっと外した。
薄汚れたガラスを手で拭くと、美しい蝶が現れた。いや、発見したときから思っていたのだが、なかなか綺麗な色合いをしている。翅の模様もグラデーションが素晴らしく、黒いラインがアクセントになっている。
あの磔になっていた若い男が頭に浮かぶ。
綺麗な男だった。そう、この蝶こそ、あの男の正体なのだ。
きっと、主不在のままいつまで自分をこうしておくつもりなのかと、霊感のあるわたしに訴えていたのだろう。
わたしはその蝶を土に返し、供養した。
そしてそのあと、弟に電話をした。蝶を埋葬したことを報告するためだ。それに、弟に、言っておかねばならないことがある。
「よう、姉貴。元気か」
弟の声は弾んでいた。仕事がうまくいっているのか、恋人でもできたのかは知らないが、あの哀れな標本の蝶のことを思うと、腹の底から怒りがわいてきた。夢に出てきた若い男に情が移っていたのかもしれない。
わたしは蝶の標本を供養したことを告げた。弟はああ、あれね、というような反応を示し、「勝手なことするな」と怒るようなこともなかった。ますますあの蝶が可哀想だ。
「あんたね、蝶の命を奪って、ああいう風にしているんだから、もうちょっと考えなさいよ。べつに、標本が悪いと言っているわけじゃないけど、あんな風に放置したら可哀想でしょ。いらなくなったんなら、きちんと埋めてあげなさいよ。それに、あんな普通の額に入れちゃってさ、ちゃんと標本箱っていうのに入れるんでしょ? わたし、ネットで調べたんだから。なんども言うけど、虫にも命ってのがあるのよ」
「ああ、わかってるよ。やっぱり間に合わせじゃだめだったんだ」
弟はめんどくさそうにそう言い、さっさと電話を切ってしまった。
あいつは、全く反省していないようだ。命の冒涜だというのに。
しかしこれで今晩は、妙な夢を見ずに済むはずである。
わたしはリラックスして布団に入った。
しかし磔の若い男はわたしの夢に再度登場した。泣かんばかりの顔で、口を空しくぱくぱく開閉して、わたしに何かを訴えている。
これは弟め、他にも粗雑に扱っている標本があるな。
わたしはそう睨み、思い切って次の日大学の帰りに弟のアパートへ寄った。
いくら美形といっても、こんな夢を延々と見続けるのはごめんである。
弟はわたしの突然の訪問に面食らっていた。最初は必死に押し返そうとしていたが、押し問答しているうちに諦めたのか、渋い顔で中に入れてくれた。
部屋には弟一人のようだし、奇妙な夢の件を解決しなくてはこっちの身が持たない。
ちなみに弟はわたしに霊感があることは知らないので、事情を話しても困惑されるばかりだろう。正直なところ、まったく「見えない」人間相手に「見える」と言い張ったところで、表面上信じたふりをされ、やるせない気持ちになるだけなのである。このことを、わたしはこの二十年間で嫌というほど思い知らされた。
案の定、部屋には蝶の標本がずらりと並んでいた。四方の壁に蝶の標本。どれもこれも綺麗に並べられ、蝶自体も美しいのだが、全て死んでいるのだと思うと少し不気味だ。生をかたどった無機質なものに囲まれる怖さは何とも言えない。
さて、これからどうしたものだろうかとわたしは思案した。見たところ、この部屋に飾られている蝶たちは、きちんと標本箱に入れられている。こうなると、漠然と「標本をやめろ」とは言えない。かと言って、あの夢の原因はこの蝶なのだし……。
その瞬間、頭に衝撃が走った。激痛。目がかすみ、意識が一気に遠のく。
がん、ごん、とまるで頭の中を大きな石が転がって、あちこちぶつかっているかのような、ひどく耐えがたい鈍痛にわたしは逆らえず、その場に倒れた。何が起こったのか、と考える余裕もない。
わたしは体を引きずられ、奥の部屋のベッドに仰向けに転がされた。薄目を開けると、目の前に灰色の影がある。弟の顔だと気がつくまで少し時間がかかった。
「わかったんだろ」
その灰色の丸は、低い声でそう言った。確かに弟の声なのだが、冷たいコンクリートのような無情さを含んでいた。
「ここまで押しかけてきやがって……昨日の電話で気がついたのか……あんたに恨みはないし、家族だし、こんなことしたくないけど、しょうがない。しょうがないんだ」
弟の手には、刃物らしきものが握られている。頭を殴られたせいで視界が狭まり、詳細を、よく判別できない。
だけど、弟の頭の後ろ、天井に奇妙なものが張り付いているのは、なぜかはっきりとわかった。
大の字に、磔にされている。
弟の頭の陰から、顔が見えた。
あの男だった。若くて、綺麗な顔立ちだが、目を不自然に見開き、微動だにしない。飾りものと化した人間だ。
生を失った、ガラス玉のような目と、目があった。
貴方だったのか。
鈍い痛みが嵐のように轟くわたしの頭でも、なぜかそのことが鮮明にわかった。
蝶ではなかったのだ。
そのままの意味。
弟が、これから自分のすることを正当化するかのように、自分に言い聞かせるような口調で言う。
「だって、仕方なかったんだ。蝶じゃ駄目だったんだ。俺は人間の男じゃなきゃだめだ。間に合わせじゃ、だめだ」
ああ、なんてことだろう。どうやら霊感があっても、弟の醜悪で、ねじ曲がった性癖は見えなかったようだ。
弟の手が振り下ろされた。