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眠りの椅子(サスペンス? ホラー)

かなり季節外れですが、読んでいただければと思います。

 暑い。もうすぐ日が落ちるっていうのに、ものすごく暑い。いくら夏だからって、暑すぎないだろうか。テレビでは残暑は九月の終わりまで続くでしょうとか言っていた。冗談じゃない、あとニ週間も続くって? 本当、偉い人たち、早く地球温暖化なんとかしてよって、思っちゃう。

 自宅への帰り道。わたしは駅を出て、ロータリーを抜け「蝉しぐれ通り」という、雑多なお店が並ぶ通りをひたすら歩いていた。その名のとおり蝉しぐれが容赦なく頭に降ってきて、イライラを増幅させる。さっきスーパーで、夕飯用のお刺身を買った。ドライアイス入れてあるけど、腐らないかな。わたしはちょっと心配になって自分が持っているボストンバッグをちらと見た。高かったけど、ピンク色が気に入って買ったやつだ。

 ま、大丈夫か。

 心配したところでこの暑さじゃ家まで走る気にもならない。なるようになれだ。

 わたしはそう思い直して、首筋に流れる汗を手で拭った。スマホでなにげなく時間を確認すると、ちょうど五時半。母からラインがきていてうんざりする。一応見てみると「近いうち実家に帰っていらっしゃい。いい話がある」と独身女へのテンプレートメールだった。十中十、見合い話だろう。いいだろう、今度の土日にでも手土産(・・・・)もって「そんな気ありません、彼氏いますから」ときっぱり宣言して来てやろうか。そのくらいしないと、母は諦めないだろう。ときには電話をしつこくかけてきて、「変な男に騙されたら、おばあちゃんみたいになっちゃうよ」と駆け落ちしたのち、行方不明になった祖母の話を持ち出す。そんな大昔のことを持ちだされてもねえ。亡くなった父方の祖母、つまり母にとっての姑のこともあれこれ悪口を言っていたから、わたしの母と言うのはおおかたそういう性格なんだろう。

 あーあ、ユウタとはケンカしちゃうし、お母さんはうるさいし、暑いし、最悪。

 暑すぎて、日陰を求め自然と脇道に入ってしまう。正直喫茶店にでも入ろうかなと思ったくらいだ。いやいやそれはマズイ。いやちょっとなら大丈夫か。

 と、なんだかレトロでいい感じのお店を見つけた。近づいて残念、雑貨屋さんかあ、とうなだれる。店の中に若い女の人が座っているように見えたから、勘違いしてしまった。よく見ると、それはただの椅子に座ったマネキンで、お店のディスプレイだった。二十歳くらいの、可愛らしいマネキン……。というよりなんだか生々しいような……。それに、どこかで見たことがあるような気がする。


「そちらの椅子に興味がおありで?」


 マネキンに魅入っていたわたしは突然の声に飛び上がった。みると、エプロンをした中年の女性がにこにこしながら店の入り口に立っていた。この店の店主だろうか。肌が異様に白く、この人もマネキンみたいだと思った。


「中へどうぞ。外はお暑いですから。うちは小さいですけど、カフェもやってるんですよ」

 声も抑揚がなく、一本調子だった。なんだか、こう言っちゃ失礼だけど、気味が悪い人。愛想はいいんだけれど、その笑顔はまるでお面のように張り付いた笑顔だった。けれどもわたしはすでにくたくたに疲れていて、それと同時に椅子に座ったマネキンに興味があったので、中に入ることにした。


 店内はエアコンが効いていて、ほのかに柑橘系の臭いがした。イライラさせる蝉の声もシャットアウト。まるで別世界のようだ。

 わたしは二人掛けの丸テーブルに腰をおろし、アイスココアを注文した。この丸テーブル以外には四人掛けのカウンターがあるだけの、本当に雑貨屋に付けたしたようなカフェだった。

 入口から入るとまず四畳半ほどのこのカフェがあり、その左の六畳ほどのスペースが雑貨コーナーとなっていた。アジアンテイストなランプやら、南米風の人形やら、北欧チックなタペストリーやらが「配置されている」というよりは、無理やりこのスペースに押し込まれているように見える。さっきの椅子に座った妙に生々しいマネキンは、アメリカンチックなカラフルなポールハンガーの隣、窓際に配置され、窓から見たときは横向きだったのだが、今は私と三メートルほどの距離をおいて、向き合う形になっていた。

 マネキンは、少しうつむきがちに、微笑んでいた。

「このマネキン、どう思います?」

 さきほどの店主らしき女性がアイスココアを持ってきながら、わたしに質問した。

「どう、とは?」

 わたしはそう聞き返して、ココアをストローで一口すすった。

「よく出来ていると思います?」

 どろりとした甘い液体が喉を通過して、わたしはむせそうになった。すごく甘い。

「あ、はい。まるで生きているみたいに」わたしは咳き込みながら、正直に言った。

「生きているんですよ。この椅子に座った人は、永遠に、眠りつづけるんです」

「は?」

 思わず聞き返した。

 そんな破天荒なことを言うときさえ、この女性はお面の笑顔を崩さなかった。

「言ったとおりですよ。そういう椅子なんです。なんでも大昔に中国で造られたとか。詳しくは分からないんですけどね」

「じゃ、じゃあ生きているってことですか」

「そうです。眠っているだけなんですから。近づいて見てみます?」

 そんなばかな。ファンタジーじゃあるまいし。永遠に眠ることが出来る椅子なんて、そんなものがあるはずない。

 いつもならそう思うはずだけれど、今のわたしにその言葉は魅力的に響いた。

 永遠に眠ることができる椅子。もしそれが本当にあるなら。

 わたしはボストンバッグ片手に立ち上がり、その椅子に近づいた。椅子に座る女性は、切りそろえた黒髪も美しく、まだあどけなさを残している。あごに、二つ並んだほくろがある。シンプルなワンピースを着ていて、それが、かすかに揺れている。息をしている。本当に、彼女は生きている。この椅子は本物だ。それに、彼女は。

 さっき外で窓越しに、この人見たことがある、と感じたのは間違いじゃなかった。気付けばわたしは口にしていた。

「この人……、多分わたしの母方の祖母です。昔写真で見て……。白黒ですけど、このほくろ、覚えてる」

 結構美人だな、と感じたのを覚えている。母にはあまり似ていない。

 と、いつの間にかわたしのすぐ傍に立っていた女性が、唐突に、衝撃的なことを一本調子に言った。

「じゃあ、あなたなら目覚めさせることができますよ。血のつながりがある者だけが、眠った人を起こせるのです」

「起こせるの」

「はい」

 わたしは驚きと希望でオウム返しに聞いた。ホントに? この人を簡単にどかせるってこと?

「血のつながりがあるなら、ですよ。ただ、そのお嬢さんは、とっても幸せそうに眠っているじゃないですか。起こしてしまうのですか」

「祖母は、母を産んだ後、母を置いて、本当に好きだった人と駆け落ちをしたんです。それ以来行方知れずで。本当に、なんでここに一人で座っているのか、なんで若いままなのか、分かりませんけど、だから、起きた方が」

 わたしは早口で起こすことの正当性を述べた。祖母は、駆け落ちした男に逃げられでもしたんだろうか、それとも男が途中で死んでしまったのだろうか。だから、いまこの椅子で、男の夢を見て微笑んでいるのだろうか。しかしそれらはわたしには関係ない。正直祖母の事情なんてどうでもよかった。はっきりいって邪魔だ。無理にでもどかしてやる。

「起こしていいですか」

 駄目だと言ってもやる。

「どうぞ」

「おばあちゃん、起きて、ねえ、起きてよ」

 わたしは手荒く若い祖母の肩を揺すった。祖母の肩は温かかった。本当に眠っているだけなのだ。だけどそのことに驚いている余裕はわたしにはなかった。何度か揺すっているうちに、薄目を開けて微笑んでいた祖母はその目に光を取り戻し、顔を上げた。座っていた祖母にわたしが屈みこむような姿勢になっていたから、自然とわたしたちは目が合った。

 祖母は化け物を見たような恐怖の表情を浮かべた後、霧のように消えた。祖母がいなくなり、わたしは重力のままに空になった椅子……どこにでもあるような椅子だ……に手をついた。

「なるほど。彼女の時間が動き出したから、もとの時代に戻った、ということなのでしょうか。はじめて見ましたけど、こう言うふうになってるのか」

 女性が淡々と何か言っているけれど、わたしの耳にはほとんど入って来ない。わたしはボストンバッグを開けると中にあったドライアイスと刺身をその辺に放り投げた。そして一番奥に入れた、丸いスイカのような物体を、慎重にゆっくりと取り出す。


 あーあ、このボストンバッグ、高かったのに。ユウタの血でベトベトだよ。しょうがないなあ。ユウタだから許してあげる。

 血は、ほんの三十分前はドロドロしていて、甘いにおいを放っていたけれど、今は固まってしまっていた。

 わたしは愛おしく、そのユウタの首に頬ずりする。本当は、家に帰って、首だけになったユウタと向き合って、ユウタの大好きなお刺身を二人一緒に食べるつもりだったんだけど、もういいや。これでユウタと永遠にいっしょになれるんだ。


「さっきあなたのお祖母さまがあなたを見て、まるで化け物を見たかのような顔をしていましたけど、なるほど、今のあなたを見ればそうなりますね」


 聞こえない、何も。わたしとユウタの世界に入って来ないで。

 本当はユウタと結婚したかったけれど、形なんてどうでもいいよね。ユウタがいけないんだよ、わたしがユウタの家の近くに引っ越したら「ストーカーだ」なんて言うから。本当はユウタのアパートの隣の部屋に引っ越したかったんだけど、満室だったから、駅のこっち側のマンションで我慢したのに。これで十分もあればユウタに会えるよ。まあ、アパートに空きがでるまでの間だけどね。


「あの、スマートフォンが落ちましたよ? あれ、お祖母さまから着信だ。そうか、あなたのお祖母さまは眠りから覚めて、本来の時代に戻って、結局家に帰ったのですね。歴史が変わったというわけですか」


 でも、もうそんな遠距離恋愛はもうお終い。あなたとわたしは永遠なの。永遠に愛し合って、眠りましょう。


「はい、もしもし」

「みーちゃん? おばあちゃんだよ、どうしたの風邪ひいた? 声がおかしいよ」

「うん、ちょっと。でも平気」

「そう? なんだか淡々としていてロボットみたい。お母さんはああいうことを言うけれど、そんなの関係なしに帰っておいで。おばあちゃん、待ってるよ」

「ありがとう」


 わたしは冷たく重い、ユウタの首を胸に抱き、静かにその椅子に座った。

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