私の嫌いなもの
ちょっと怖いかも?
そういうのが苦手な方はご注意ください。
学校の帰り道にボタン型スイッチを見つけた。
表面が楕円形に盛り上がった、赤いボタン。
それは電信柱に土台ごとくっついていて、押してくださいと言わんばかりに光っていた。
今朝登校する時にはなかったはずなのに。
不思議に思って私は立ち止まった。ちょっとワクワクしながら注意深く観察をして、押しても大した問題はなさそうだと判断する。
土台はそんなに大きくないし、電信柱と連動しているようにも見えないし。
辺りをキョロキョロと見回して人がいないことを確認し、それでもいつでも逃げられるように重心は曲げた右脚に乗せ、恐る恐るボタンを押す。
えいっ。
しかし何も起こらない。ボタンは光ることをやめたが、音が鳴るわけでも何かが動くわけでもなかった。
なーんだ。
ガッカリしながらもちょっとだけホっとして、私は家路を急ぐ。
遠くの方で打ち上げられたそれに気づかないまま。
翌日、教室へ入ると何となく違和感を覚えた。だけどそれが何かはわからない。
気のせいかな。
そう思って私は鞄を机に置いた。ほとんど同時に先生が教室へ入ってきた。
「はーい、朝のホームルーム始めるわよー」
ワイワイガヤガヤ。教室のあちこちへと散っていた皆がそれぞれ自分の席へと戻っていく。
「じゃあ出席取りまーす。相葉くん」
「はいっ!」
「宇田くん」
「はーい」
「遠藤くん」
「はい」
いつも通りの朝だった。
私は自分の番が来るまでを、鞄から教科書を取り出しながら待つ。
男子が終わって女子の番。
「飯島さん」
「はい」
「大島さん」
「はい」
「小菅さん」
「へっ? は、はい」
急に名前を呼ばれて少しだけびっくりした。
「どうしたの?」
「いえ、あの加藤さん抜かしてますよ」
名簿の読み飛ばし。先生もおっちょこちょいだなあなんて、思いながらもあまり仲が良くない加藤が飛ばされてちょっとだけ楽しい。ざまあみろ。
だけど先生は首を傾げて、
「加藤、さん?」
「んん?」
まるでそんな名前の子は知らないとでも言うようなその反応に、私も首を傾げる。
流石にこんな反応をされたら加藤も怒っているだろう、と加藤の座っているはずの席を見て驚いた。そこには宮野さんが座っていた。加藤の後ろの席に座るはずの、宮野さんが。
あれれ?
宮野さんの後ろには佐々木さん。いつもの宮野さんの席に佐々木さん。
その後ろには机がなかった。
加藤の列の女子が、皆一つ前へとずれていた。そしてその女子全員が、皆私のことを見ていた。
あの子は何を言い出したんだ。そんな目で。
気づけばクラスの全員が私を見ていた。まるで私が変なことでも言ったみたいに。
「小菅さん?」
「あ、いえ、何でもないですすみません」
結局その視線の圧力に負けて、私は自分の勘違いだとそう思い込むことにした。
いじわるな加藤の存在は、自分の妄想だったんだと思い込むことにした。
そうしないと何だか気が狂っちゃいそうな気がしたから。
そんなモヤモヤを抱えたままお昼休みになって、明美と聡子とご飯を食べている時だった。お調子者の憲明がニヤニヤしながら近づいてきて言った。
「なあ小菅、お前朝のあれ何だったんだよ」
せっかく勘違いだと思い込んで忘れようとしてるのに、蒸し返すなバカ。
私はちょっとだけイラっとしてつっけんどんに、
「別に、何でもいいでしょ」
「何だよー面白くねえなー」
憲明は意外とすぐに諦めて自分のグループへと帰っていった。それから友達数人に、私の真似をしてみせた。
「別にうぃ、何でもうぃうぃでしょおん、だってさ」
「何だそれ」
「結局何もわかんなかったじゃねーか」
憲明は友達に肩を突かれてわははと笑う。
何だあれ、むしゃくしゃするなあ。
「何よあいつら、ムカつくね」
「ホント、ガキみたい」
明美と聡子にそう言われ、ちょっとだけスッとして笑う。
「いいのよ、ほっとこ。それでさ」
昨日観たドラマの話で盛り上がり、時間はあっという間に過ぎた。
そして放課後。
部活でラケットをふりふり、適度な汗をかいての帰り道。私はまたそれを見つけた。
昨日も見た、赤いボタン。道路脇に置かれた、赤いボタン。
それを見て、私は何となくピーンときてしまった。
ああ、もしかしてそういうことなのかな、なんて、ちょっとドキドキワクワク。
また周りに人がいないことを確認してから、えいっと一声、ボタンを押した。
「わあああああああああああ!」
途端に後ろから悲鳴が聞こえた。
びっくりして振り向くと、憲明らしき影がものすごい速さで空へと打ち上がっていくのが見えた。靴の裏からロケットみたいに炎を噴射して、ゴゴゴゴゴゴゴゴ。
悲鳴はあっという間に聞こえなくなった。
何だかその光景がとっても面白くて、私はしばらくそこで笑い転げた。
くふふ、うひひ、わははは。
翌日登校してみれば、やっぱり憲明の席はなかった。
誰も憲明のことを覚えてはいなかった。
私はやっぱりちょっと笑ってしまう。うふふふ。
その後もその打ち上げボタンは度々私の前へと姿を現した。
山田がスカートめくりをしてきた日、梨沙子がお母さんに買ってもらった携帯電話を自慢してきた日、生活指導の木川田が変な目で見てきた日。
その度その度私はボタンを押した。えいっ、えいっ、えいえいえいっ。
すると皆、悲鳴を上げながら打ち上がっていった。大きな炎を上げながら、ぐんぐんぐんぐん上っていった。
彼らが消えた後は誰もが皆彼らのことを忘れてしまった。
だから私が罪に問われることもない。
いつしか嫌なことが楽しみになっていた。
嫌なことがあった日は、必ずボタンが現れる。
それを押せば私の嫌いな人がいなくなるのだ。バカみたいな顔をして、空へと飛んでいってしまうのだ。
だんだん私のストレスの種は少なくなっていく。より良い世界ができていく。
明日は誰を消そうかな。
そうしてクラスメイトが私と明美と聡子だけになった頃、段々事態がおかしくなってきた。
明美と聡子だけの、ストレスフリーな学校生活を楽しんでの帰り道。
それでもボタンが目の前に現れたのだ。近所の渡辺さん家の塀に、土台ごとくっついた赤いボタン。
でも今日は何にも嫌なことなんてなかったよ?
これを押したら誰が打ち上がるのかな、としばらく考えてみる。
今日は明美と聡子としか話してない。一日中教室で話したり、校庭で遊んだりしただけ。何もムカつくことなんてなかった。
ああ、でも聡子の声がちょっとだけ大きいなって思ってしまったかもしれない。でもでも、そんなことで聡子を嫌いになるわけじゃないし。
もぞもぞぐじゅぐじゅ考えて、私はピコンと思いついた。
嫌なことがなかったなら、押さなければいいんだ。
何でこんな簡単なこと、すぐに思いつかなかったんだろう。
誰も見ていないのに、そこには誰もいないのに、私は照れるように頭をかいた。
そしてそのまま歩き出す。静かな住宅街を歩き出す。
するとしばらくして、またあのボタンが現れた。
今度は電信柱にくっついている。
もうっ、こんなの無視だ無視。
何だかちょっとだけ怖くなって、私は家へと駆け込んだ。
まだ寝るには早かったけれど、布団をかぶって目を瞑った。
お母さんがご飯ができたよと呼びにくることもない。このまま寝ちゃえ。明日明美と聡子とまた遊んでれば気分も晴れる。
そう思っていたのだけれど、そうもいかないようで。
翌日学校へと向かう途中、三回ボタンを見かけた。
学校で遊んでいる間、教卓の上でボタンは光り続けていた。
帰り道は、朝の倍ボタンを見かけた。
だんだんだんだんイライラが増していく。
何なのよ、もういらないって言ってるのに!
明美と聡子にはボタンが見えていないらしかった。
上手く誘導して、教卓の上のボタンを押させてみたけれど、ボタンの光は消えなかった。
夜になり、お腹が減ってコンビニに行くとレジの上でボタンが光っていた。
それを無視しておにぎりをモショモショ食べる。何だかちょっと酸っぱいかも。
小さな小さな雨雲が、頭の中を漂い始める。
だけどそんな不安も、明美と聡子に会えば吹っ飛ぶだろう。
そう思ってまた早めに布団に入った。ぎゅっと目を閉じてみたけれど、なかなか寝付けない。
それでも朝はやってきて、私は学校へと向かった。明美と聡子に会いにいった。
ボタンの数は、昨日よりも増していた。どこへ行っても赤いライトが目に入る。
もうやだもうやだもうやだもん!
放課後自分の部屋へと逃げ帰り、布団をまくって驚いた。
敷き布団の上に、びっしりとボタンが敷き詰められていた。これでは布団で寝られない。
私はその日、仕方なく床で掛け布団に包まって寝た。だけど、目を閉じても瞼を明るく照らすボタンのライトが鬱陶しくて、やっぱり私はほとんど寝付けなかった。
そうしてとうとうやってきた最後の日。
朝目を覚ますと、私は赤いボタンに取り囲まれていた。
足の踏み場がない、どころの騒ぎではない。身動ぎ一つでもすれば、すぐにボタンを押せてしまうくらいの密度で、ボタンが私を覆っていた。
赤いライトが辺りを明るく照らす。だけど床は見えない。壁は見えない。天井は見えない。
見えるのは、赤いボタンとその土台だけ。
その光景をしばらく無言で見つめて、私は何だかどうでも良くなった。
明美と聡子が打ち上がろうが、もういいや。だって、そうしないと動けないし。
私は長く息を吐いて、お馴染みのえいっと共に目の前のボタンを押した。
当然、明美か聡子の打ち上がる音は聞こえない。彼女らの家は、私の家からは遠いから。
やけくそになって、私は手当たり次第にボタンを押した。
えいえいえいえいえいえいえいっ。
身体を覆うボタンを押しのけるようにして、敷き詰められたボタンの上を転がるようにして、壁のボタンに掛け布団を投げつけて。
えいえいえいえいえいえいえいっ。
不意に、近くで何かの打ちあがる音が聞こえた。
ゴゴゴゴゴゴゴゴ。
不思議に思って、ボタンをかき分け何とか見つけた窓から外を見る。
小さな物体が、炎を上げながら飛んでいくのが見えた。
それは、悲鳴も上げずにただ打ち上がっていく。
ボタンだった。
それが雲間に消えていくのを見送ってから、私は何だかおかしくなって笑い声を上げた。
ひひひひ、あーはっはっは、あひょひょひょひょ。
おかしくっておかしくってたまらなかった。
ぶほほほほ、ぐえーっはは、いはははは。
部屋の中で転げまわる。ボタンの海を転げまわる。
外からも中からも、次々とボタンが打ち上げられていく。
吹き上がる炎の熱ささえ、面白くて笑ってしまった。
ぎひひひ、ぎゃぎゃぎゃぎゃ、みょみょみょみょ。
笑う。ひたすら笑う。いつまでも笑う。笑い続ける
ぴろぴろぴ、ぺろぺろぽー、にゃにゃにゃにゃにゃ。
私の嫌いなものは、いつまでも消えない。