『「命の恩人を見つけたから、お前との婚約を破棄する!」――お嬢様を捨てた領主様、その“ミストロンの奇跡”は私ですが?』
「これで最後です!」
ずばっ!
魔物が悲鳴を上げて倒れた。
長い髪をなびかせた一人の女性が。
舞うように。
次々と魔物を倒していく。
剣は持っていない。
槍も。
弓も。
杖さえも。
武器も魔法も使わず。
ただ。
素手だけで。
周囲には。
すでに百体を超える魔物が倒れていた。
それは。
戦いというより。
まるで舞台の上で繰り広げられる舞のようだった。
私は。
あの日の光景を。
10年が経った今でも忘れない。
のちに。
『ミストロンの奇跡』
と呼ばれるようになった出来事である。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
そして現在。
「お前を婚約者から外すことにする!」
領主様の声が広間へ響き渡りました。
私は。
お嬢様の後ろに控えながら。
静かに瞬きをしました。
まあ。
「お前は私の大切な恩人を探すと言いながら、その約束を守らず、私を騙し続けてきた!」
「……」
お嬢様は。
真っ青な顔で立っています。
「10年間だぞ!」
領主様は声を荒らげました。
「私は10年前、ミストロンの森で命を救われた!」
「はい……存じております」
「その恩人を探してほしいと、お前には何度も頼んだ!」
「はい」
「だが、お前は見つけることができなかった!」
「……申し訳ございません」
私は。
思わず眉をひそめました。
それは。
少し違いますよ。
お嬢様は。
領主様のために。
家のお金まで使って。
ずっと探していたのです。
何人もの人を雇い。
各地へ聞き込みをさせ。
10年前にミストロンの森周辺を通った人物まで調べていました。
それでも。
手掛かりがなかったのです。
「だが!」
領主様は隣に立つ女性の肩を抱きました。
「ようやく見つけた!」
「……」
そこには。
長い髪の。
美しい女性が立っていました。
騎士らしい装い。
背筋も伸びています。
「彼女こそ!」
領主様が誇らしげに叫びました。
「10年前、私を救ってくれた『ミストロンの奇跡』の女性だ!」
周囲がざわめきました。
お嬢様の身体が。
ほんの少し。
震えます。
「私は彼女と結婚する!」
「……」
「よって、お前との婚約は破棄する!」
お嬢様は。
何も言いませんでした。
ただ。
深く。
頭を下げました。
「……承知いたしました」
私は。
横にいる領主様を見ます。
容姿だけなら。
とても立派です。
若く。
端正な顔。
領主としての衣装もよく似合っています。
でも。
中身には。
何が入っているのでしょうね。
クズでしょうか。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「ねえ、エナメル」
屋敷へ戻る馬車の中。
お嬢様が。
小さな声で言いました。
「はい」
「私、騙していたわけじゃないのよ」
「分かっております」
「ちゃんと探していたの」
「はい」
「お父様にもお願いして、人を雇って」
「存じております」
「でもね」
お嬢様は。
膝の上で手を握りしめました。
「本当に、何も見つからなかったの」
「……」
「あの方が言うように、私が無能だったのかもしれないわ」
「お嬢様」
「でも」
お嬢様が顔を上げます。
「少しだけ、思ってしまったの」
「何をでしょう?」
「本当に、あの女性が『ミストロンの奇跡』の方なのかなって」
「……」
「あの人がそう言うんだもの。きっと、そうなんでしょうけど」
「……」
「私、嫉妬しているのよね」
お嬢様は。
寂しそうに笑いました。
「淑女教育では、嫉妬なんて見苦しい感情だと教えられたのに」
「……」
「私、ダメな子なんだわ」
くううううううっ!
お嬢様!
赤子としてお生まれになったとき。
取り上げたのも私。
おしめを替えたのも。
夜泣きをあやしたのも。
初めて歩いたときに。
横で手を叩いたのも。
全部。
私です。
そんなお嬢様を。
ここまで悲しませるとは。
あのクソ領主。
万死に値します。
なあにがミストロンの奇跡ですか!
「お嬢様」
「なに?」
「嫌なことは、食べて忘れるに限ります」
「え?」
私は。
用意していた器を取り出しました。
「ほら」
「わあ!」
お嬢様の顔が。
少しだけ明るくなります。
「これ、私の好きな!」
「はい」
「果実汁を使ったゼリーの盛り合わせ!」
「今日は少し多めですよ」
「いいの?」
「もちろんです」
「エナメル大好き!」
お嬢様が。
もぐもぐと食べ始めました。
ふう。
よかった。
少しでも。
ご機嫌が良くなれば。
今は。
それで十分です。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
一方。
領主の館では。
新しい婚約者となった女性を囲み。
ささやかな祝いの席が開かれていました。
「10年前だった」
領主は。
周囲へ誇らしげに話します。
「行ってはいけないと言われていたミストロンの森へ、面白そうだからと入り込んだ」
家令が。
少しだけ顔をしかめました。
領主様。
そこは誇るところではありません。
「そこで魔物の群れに襲われたのだ」
「……」
「私を含め、子供が五人いた」
「はい」
「もう死ぬと思った」
領主は。
隣の女性を見ます。
「そのときだ」
「……」
「一人の若い女性が現れた」
領主の目が。
少年のように輝きます。
「素手でだ!」
「……」
「百を超える魔物を、素手で次々と倒していった!」
「まあ」
女性が。
恥ずかしそうに微笑みました。
「あなたが覚えていてくださったなんて」
「忘れるものか!」
領主が身を乗り出します。
「10年前から、ずっと探していた!」
「まあ……」
「だが」
領主は首をかしげました。
「あなたは10年前と、ほとんど変わらないように見える」
「あ」
女性が一瞬。
言葉に詰まりました。
「それは……」
「それは?」
「身体強化魔法です」
「ほう!」
「私は魔法で筋肉や肉体へ付与を行うことが得意なのです」
「なるほど!」
「その影響でしょうか。肉体の老化も遅いようで」
「そうだったのか!」
家令は。
黙ったまま女性を見ていました。
身体強化魔法。
そんな効果があるのだろうか。
魔法について詳しいわけではない。
だが。
何か。
引っかかる。
「年齢など関係ない!」
領主は。
女性の手を握りました。
「どうか私と結婚してくれ!」
「まあ」
「あなたほどの強者がいてくれれば、この都市もさらに強くなる!」
ここは。
ウィスタリア聖教国の衛星都市。
その周辺には。
魔物が多い。
さらに今は。
魔王軍が人族の国々へ侵攻を続ける未曽有の時代である。
都市の周囲には巨大な城壁が築かれていました。
領主に求められるものは。
血筋だけではありません。
力。
軍。
そして。
領民を守る責任。
だから。
一人でも強い戦士が欲しい。
その考え自体は。
間違ってはいないでしょう。
ですが。
家令には。
一つ気になることがありました。
領主が婚約を破棄した令嬢。
その家は。
この都市でも有数の武門。
都市防衛の中核を担う一族です。
その家との縁を切ってまで。
目の前の女性を選ぶ。
果たして。
その価値が。
本当にあるのでしょうか。
「……」
家令は。
静かに二人を見つめていました。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
数日後。
都市の鐘が激しく鳴り響きました。
「魔物だ!」
城壁の見張りが叫びます。
「大量の魔物が接近しているぞ!!」
街中が。
一気に騒がしくなりました。
「来たか!」
領主は立ち上がります。
ですが。
その顔は。
どこか嬉しそうでした。
「ちょうどいい!」
隣にいる新しい婚約者を見ます。
「あなたの力を皆へ見せてほしい!」
「え?」
「10年前の、あの力を!」
「……」
「百を超える魔物を素手で倒した、ミストロンの奇跡を!」
女性の顔が固まりました。
「さあ!」
「あ……」
「皆も納得するだろう!」
「……」
女性は。
城壁の外を見ました。
遠く。
土煙が上がっています。
その向こう。
数え切れないほどの魔物。
「……無理」
「え?」
「無理です」
「何を言っている?」
「こんなの!」
女性が叫びました。
「私には無理です!!」
「……は?」
領主が。
固まりました。
女性は踵を返します。
「ま、待て!」
「嫌です!」
「おい!」
「死にたくありません!」
そのまま。
走って逃げてしまいました。
「……」
領主。
家令。
騎士たち。
全員が。
口を開けたまま。
立ち尽くしていました。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
同じころ。
「お父様」
お嬢様が。
鎧姿で父親の前に立っていました。
「また魔物が襲ってきたそうですわね」
「うむ」
父親は。
重々しく頷きました。
「我が兵団も出撃する」
「私も参ります」
「……」
「お父様?」
「行くのか?」
「もちろんです」
「だが」
父親は。
険しい顔をしました。
「あのバカ領主は、我が家へケンカを売ったのだぞ」
「……」
「都市の東壁と北壁は、代々我が家が守っている」
「はい」
「西壁と南壁は領主家」
「はい」
「本来なら、それだけだ」
父親は鼻を鳴らしました。
「あの若造が領主になってから、自分を持ち上げる者ばかり集めて南壁の兵団を作った」
「……」
「弱い」
ずばり。
言いましたね。
「それでも南壁が何とか守れていた理由を、あいつは理解しているのか?」
お嬢様は。
黙りました。
父親が娘を見ます。
「お前が、こっそり助けていたからだ」
「……」
「我が家の血を濃く受け継ぎ、並の騎士では敵わぬほどの力を持つお前がな」
私は。
横でうんうんと頷きます。
その通りです。
お嬢様は強いのです。
もちろん。
私ほどではありませんけど。
「もう助ける必要はない」
父親は言いました。
「あいつが自分で切った縁だ」
「……」
「自分の兵団だけで、どこまでやれるのか見ものだ」
お嬢様は少し黙っていました。
そして。
「……お父様」
「何だ」
「それでも」
「……」
「都市の人たちに罪はありません」
父親が。
目を閉じました。
「……そう言うと思った」
「申し訳ありません」
「謝るな」
父親は立ち上がります。
「我が娘なら、そう言うと思っていた」
「お父様!」
「行くぞ」
「はい!」
私は。
お嬢様の後ろについていきます。
まったく。
本当に。
お優しい。
誰に似たのでしょう。
もちろん。
私ではありません。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「ぐはあっ!」
南壁。
騎士が。
魔物に吹き飛ばされました。
「まずい!」
「押されているぞ!」
「援軍はまだか!」
兵たちが叫びます。
魔物の数が。
あまりにも多い。
「くそっ!」
領主も。
剣を握って戦っていました。
「何なんだ!」
今までなら。
こんなに苦戦しなかった。
「婚約者だったお嬢様は来ないのか!?」
兵士が叫びます。
「無理だろ!」
別の兵が怒鳴りました。
「領主様が婚約破棄したんだから!」
「そうだった!」
「じゃあ、ミストロンの奇跡の方は!?」
「逃げた!」
「はああああ!?」
そう。
逃げました。
領主は。
歯を食いしばります。
何なんだ。
10年前。
あれだけの魔物を倒した女性ではなかったのか。
俺が。
間違えた?
いや。
そんなはずは。
だが。
女性は逃げた。
そして。
今まで。
自分の兵団が戦えていた理由。
それも。
ようやく。
気づき始めていました。
婚約者。
あの令嬢が。
いつも陰から助けてくれていた。
父親から領主位を継いだ自分を。
いつまでも小僧扱いする者たちが嫌だった。
だから。
自分を称賛してくれる者ばかりで兵団を作った。
強いと思っていた。
違った。
彼女が。
穴を埋めてくれていただけだった。
それなのに。
自分から。
切った。
「あ……」
正面。
巨大な魔物が。
こちらへ向かってきます。
剣。
振り上げられない。
身体が。
動かない。
「これで」
領主は。
乾いた笑みを浮かべました。
「俺は死ぬのか」
魔物の爪が。
振り下ろされます。
その瞬間。
「そこまでです!!」
剣閃。
魔物の腕が。
弾かれました。
「……え?」
目の前に。
見覚えのある背中。
「どうして……」
婚約を破棄したはずの令嬢が。
そこに立っていました。
「何をしているのです!」
お嬢様が叫びます。
「領主なら、最後まで立っていなさい!」
「……」
「あなたが倒れたら、この都市を誰が守るのです!」
「お前……」
領主の目から。
涙が零れました。
「すまない」
「今はその話をしている場合ではありません!」
「すまなかった!」
「だから!」
領主が。
お嬢様へ抱きつきました。
「うわっ!」
「あ」
私は。
遠くから。
それを見ました。
あのクソボンボン。
お嬢様へ抱きつきましたよ。
しかも。
泣いてます。
お嬢様。
困った顔をしながら。
頭を。
ぽんぽん。
しました。
……。
絆された!!
お嬢様!
いけません!
そこで許してはいけませんよ!
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
まあ。
今は。
それどころではありません。
魔物が。
次々とやってきます。
「さて」
私は。
袖を少しだけまくりました。
お嬢様が。
あの領主を助けたいと思った。
なら。
メイドとして。
主人の望みを叶えるまでです。
魔物が。
こちらへ向かってきます。
私は。
身体の中を流れる魔力を見る。
足。
腰。
背。
肩。
爪。
牙。
魔物だろうと。
人だろうと。
魔力が身体を動かしていることに変わりはありません。
なら。
ほんの少し。
流れをずらす。
一体目。
突進してきた魔物の肩へ触れる。
「ぎゃっ!?」
進む方向がずれ。
隣の魔物へ衝突。
二体まとめて転がります。
次。
爪を振り上げた魔物。
腕の流れを。
ほんの少し外へ。
「ぐえっ!」
自分の勢いのまま。
地面へ。
次。
次。
次。
ふわり。
くるり。
どすん。
ごん。
ばたん。
「……」
周囲の兵たちが。
こちらを見ています。
「なんだ……あのメイド」
「魔物が勝手に転んでないか?」
「違う」
「え?」
「全部、あの人がやっている」
まあ。
そんなこと。
どうでもいいです。
それより。
お嬢様と領主様。
まだ抱き合っていますね。
……長くないですか?
そろそろ離れてくださいません?
魔物が来ていますよ?
「エナメル!」
お嬢様が叫びました。
「はい!」
「そちらをお願い!」
「承知いたしました!」
はい。
メイドとして。
お嬢様のご命令に従いましょう。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
戦いは。
ほどなくして終わりました。
都市を襲った魔物たちは。
討伐されました。
お嬢様も。
無事。
領主様も。
無事。
街の人々も。
大きな被害はありません。
よかった。
よかった。
私は。
倒れた魔物を眺めながら。
ふと思いました。
なんだか。
懐かしいですね。
以前も。
こんなことがあったような。
森の中で。
休憩していたとき。
子供たちが騒ぎながら入ってきて。
魔物を刺激してしまって。
仕方ないから。
まとめて片づけて。
子供たちを森の外まで送った。
……。
「あら?」
あれ。
いつでしたっけ。
「エナメル?」
お嬢様が。
こちらへやってきました。
「どうしたの?」
「いえ」
私は首をかしげます。
「昔のことを少し思い出しまして」
「昔?」
「はい」
たしか。
10年くらい前。
ミストロンの森で。
魔物を。
百体くらい。
「……」
……。
まあ。
どうでもいいでしょう。
昔のことですし。
それより。
「お嬢様」
「なに?」
「あの領主様との婚約ですが」
お嬢様の顔が。
少し赤くなりました。
「……それは」
「簡単に戻してはいけませんよ?」
「わ、分かっているわよ!」
「本当ですか?」
「本当!」
「頭をぽんぽんしていましたけど」
「それは!」
「抱きつかれていましたけど」
「エナメル!」
「はい」
私は。
にっこり笑いました。
まあ。
お嬢様が。
幸せなら。
それでいいのです。
ですが。
あの領主様には。
しっかり反省していただきましょう。
お嬢様の信頼を。
一から。
取り戻していただきます。
それまでは。
私が。
じっくり。
見させていただきますからね。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
後日。
ミストロンの奇跡を名乗った女性は。
領主家の調査によって。
まったくの偽物だったことが判明しました。
どうやら。
10年前の出来事を詳しく調べ。
それらしい話を作っていたそうです。
領主様は。
大変落ち込んでいました。
でも。
私には。
一つだけ。
気になることがあります。
「エナメル」
「はい?」
お嬢様が。
私をじっと見ています。
「10年前」
「はい」
「ミストロンの森で、何してた?」
「……」
「エナメル?」
「休憩を」
「そのあと」
「魔物が来たので」
「うん」
「少しだけ」
「うん」
「片づけました」
「何体?」
「……」
私は。
少し考えました。
「百体くらいでしょうか?」
「エナメル!!」
「はい!?」
「あなたがミストロンの奇跡じゃない!!」
「まあ」
そういえば。
そんな名前で呼ばれていましたね。
忘れていました。
10年。
私にとっては。
それほど長い年月ではありませんから。
「なんで忘れるのよ!」
「いろいろありましたので」
「百体の魔物を倒したことを忘れる!?」
「お嬢様」
「なに!」
「夕食のお時間ですよ」
「話を逸らした!」
今日の夕食は。
お嬢様のお好きなシチューです。
少しだけ。
果実酒を入れています。
きっと。
喜んでくださるでしょう。
昔のことより。
今のお嬢様の夕食の方が。
私には大切です。
だって。
私は。
メイドですから。
作中に登場した「ウィスタリア聖教国の衛星都市」や、「魔王が人族の国家へ侵攻している」という背景設定から分かる方もいるかもしれませんが、本作はシリーズ本編第2作『僕に仕えるメイドは世界最強の英雄です2』と同じ時代のお話です。
本作単体でも問題なくお読みいただけますが、よろしければそちらもご覧ください。




