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『「命の恩人を見つけたから、お前との婚約を破棄する!」――お嬢様を捨てた領主様、その“ミストロンの奇跡”は私ですが?』

掲載日:2026/08/18

「これで最後です!」


ずばっ!


魔物が悲鳴を上げて倒れた。


長い髪をなびかせた一人の女性が。


舞うように。


次々と魔物を倒していく。


剣は持っていない。


槍も。


弓も。


杖さえも。


武器も魔法も使わず。


ただ。


素手だけで。


周囲には。


すでに百体を超える魔物が倒れていた。


それは。


戦いというより。


まるで舞台の上で繰り広げられる舞のようだった。


私は。


あの日の光景を。


10年が経った今でも忘れない。


のちに。


『ミストロンの奇跡』


と呼ばれるようになった出来事である。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇


そして現在。


「お前を婚約者から外すことにする!」


領主様の声が広間へ響き渡りました。


私は。


お嬢様の後ろに控えながら。


静かに瞬きをしました。


まあ。


「お前は私の大切な恩人を探すと言いながら、その約束を守らず、私を騙し続けてきた!」


「……」


お嬢様は。


真っ青な顔で立っています。


「10年間だぞ!」


領主様は声を荒らげました。


「私は10年前、ミストロンの森で命を救われた!」


「はい……存じております」


「その恩人を探してほしいと、お前には何度も頼んだ!」


「はい」


「だが、お前は見つけることができなかった!」


「……申し訳ございません」


私は。


思わず眉をひそめました。


それは。


少し違いますよ。


お嬢様は。


領主様のために。


家のお金まで使って。


ずっと探していたのです。


何人もの人を雇い。


各地へ聞き込みをさせ。


10年前にミストロンの森周辺を通った人物まで調べていました。


それでも。


手掛かりがなかったのです。


「だが!」


領主様は隣に立つ女性の肩を抱きました。


「ようやく見つけた!」


「……」


そこには。


長い髪の。


美しい女性が立っていました。


騎士らしい装い。


背筋も伸びています。


「彼女こそ!」


領主様が誇らしげに叫びました。


「10年前、私を救ってくれた『ミストロンの奇跡』の女性だ!」


周囲がざわめきました。


お嬢様の身体が。


ほんの少し。


震えます。


「私は彼女と結婚する!」


「……」


「よって、お前との婚約は破棄する!」


お嬢様は。


何も言いませんでした。


ただ。


深く。


頭を下げました。


「……承知いたしました」


私は。


横にいる領主様を見ます。


容姿だけなら。


とても立派です。


若く。


端正な顔。


領主としての衣装もよく似合っています。


でも。


中身には。


何が入っているのでしょうね。


クズでしょうか。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「ねえ、エナメル」


屋敷へ戻る馬車の中。


お嬢様が。


小さな声で言いました。


「はい」


「私、騙していたわけじゃないのよ」


「分かっております」


「ちゃんと探していたの」


「はい」


「お父様にもお願いして、人を雇って」


「存じております」


「でもね」


お嬢様は。


膝の上で手を握りしめました。


「本当に、何も見つからなかったの」


「……」


「あの方が言うように、私が無能だったのかもしれないわ」


「お嬢様」


「でも」


お嬢様が顔を上げます。


「少しだけ、思ってしまったの」


「何をでしょう?」


「本当に、あの女性が『ミストロンの奇跡』の方なのかなって」


「……」


「あの人がそう言うんだもの。きっと、そうなんでしょうけど」


「……」


「私、嫉妬しているのよね」


お嬢様は。


寂しそうに笑いました。


「淑女教育では、嫉妬なんて見苦しい感情だと教えられたのに」


「……」


「私、ダメな子なんだわ」


くううううううっ!


お嬢様!


赤子としてお生まれになったとき。


取り上げたのも私。


おしめを替えたのも。


夜泣きをあやしたのも。


初めて歩いたときに。


横で手を叩いたのも。


全部。


私です。


そんなお嬢様を。


ここまで悲しませるとは。


あのクソ領主。


万死に値します。


なあにがミストロンの奇跡ですか!


「お嬢様」


「なに?」


「嫌なことは、食べて忘れるに限ります」


「え?」


私は。


用意していた器を取り出しました。


「ほら」


「わあ!」


お嬢様の顔が。


少しだけ明るくなります。


「これ、私の好きな!」


「はい」


「果実汁を使ったゼリーの盛り合わせ!」


「今日は少し多めですよ」


「いいの?」


「もちろんです」


「エナメル大好き!」


お嬢様が。


もぐもぐと食べ始めました。


ふう。


よかった。


少しでも。


ご機嫌が良くなれば。


今は。


それで十分です。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇


一方。


領主の館では。


新しい婚約者となった女性を囲み。


ささやかな祝いの席が開かれていました。


「10年前だった」


領主は。


周囲へ誇らしげに話します。


「行ってはいけないと言われていたミストロンの森へ、面白そうだからと入り込んだ」


家令が。


少しだけ顔をしかめました。


領主様。


そこは誇るところではありません。


「そこで魔物の群れに襲われたのだ」


「……」


「私を含め、子供が五人いた」


「はい」


「もう死ぬと思った」


領主は。


隣の女性を見ます。


「そのときだ」


「……」


「一人の若い女性が現れた」


領主の目が。


少年のように輝きます。


「素手でだ!」


「……」


「百を超える魔物を、素手で次々と倒していった!」


「まあ」


女性が。


恥ずかしそうに微笑みました。


「あなたが覚えていてくださったなんて」


「忘れるものか!」


領主が身を乗り出します。


「10年前から、ずっと探していた!」


「まあ……」


「だが」


領主は首をかしげました。


「あなたは10年前と、ほとんど変わらないように見える」


「あ」


女性が一瞬。


言葉に詰まりました。


「それは……」


「それは?」


「身体強化魔法です」


「ほう!」


「私は魔法で筋肉や肉体へ付与を行うことが得意なのです」


「なるほど!」


「その影響でしょうか。肉体の老化も遅いようで」


「そうだったのか!」


家令は。


黙ったまま女性を見ていました。


身体強化魔法。


そんな効果があるのだろうか。


魔法について詳しいわけではない。


だが。


何か。


引っかかる。


「年齢など関係ない!」


領主は。


女性の手を握りました。


「どうか私と結婚してくれ!」


「まあ」


「あなたほどの強者がいてくれれば、この都市もさらに強くなる!」


ここは。


ウィスタリア聖教国の衛星都市。


その周辺には。


魔物が多い。


さらに今は。


魔王軍が人族の国々へ侵攻を続ける未曽有の時代である。


都市の周囲には巨大な城壁が築かれていました。


領主に求められるものは。


血筋だけではありません。


力。


軍。


そして。


領民を守る責任。


だから。


一人でも強い戦士が欲しい。


その考え自体は。


間違ってはいないでしょう。


ですが。


家令には。


一つ気になることがありました。


領主が婚約を破棄した令嬢。


その家は。


この都市でも有数の武門。


都市防衛の中核を担う一族です。


その家との縁を切ってまで。


目の前の女性を選ぶ。


果たして。


その価値が。


本当にあるのでしょうか。


「……」


家令は。


静かに二人を見つめていました。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇


数日後。


都市の鐘が激しく鳴り響きました。


「魔物だ!」


城壁の見張りが叫びます。


「大量の魔物が接近しているぞ!!」


街中が。


一気に騒がしくなりました。


「来たか!」


領主は立ち上がります。


ですが。


その顔は。


どこか嬉しそうでした。


「ちょうどいい!」


隣にいる新しい婚約者を見ます。


「あなたの力を皆へ見せてほしい!」


「え?」


「10年前の、あの力を!」


「……」


「百を超える魔物を素手で倒した、ミストロンの奇跡を!」


女性の顔が固まりました。


「さあ!」


「あ……」


「皆も納得するだろう!」


「……」


女性は。


城壁の外を見ました。


遠く。


土煙が上がっています。


その向こう。


数え切れないほどの魔物。


「……無理」


「え?」


「無理です」


「何を言っている?」


「こんなの!」


女性が叫びました。


「私には無理です!!」


「……は?」


領主が。


固まりました。


女性は踵を返します。


「ま、待て!」


「嫌です!」


「おい!」


「死にたくありません!」


そのまま。


走って逃げてしまいました。


「……」


領主。


家令。


騎士たち。


全員が。


口を開けたまま。


立ち尽くしていました。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇


同じころ。


「お父様」


お嬢様が。


鎧姿で父親の前に立っていました。


「また魔物が襲ってきたそうですわね」


「うむ」


父親は。


重々しく頷きました。


「我が兵団も出撃する」


「私も参ります」


「……」


「お父様?」


「行くのか?」


「もちろんです」


「だが」


父親は。


険しい顔をしました。


「あのバカ領主は、我が家へケンカを売ったのだぞ」


「……」


「都市の東壁と北壁は、代々我が家が守っている」


「はい」


「西壁と南壁は領主家」


「はい」


「本来なら、それだけだ」


父親は鼻を鳴らしました。


「あの若造が領主になってから、自分を持ち上げる者ばかり集めて南壁の兵団を作った」


「……」


「弱い」


ずばり。


言いましたね。


「それでも南壁が何とか守れていた理由を、あいつは理解しているのか?」


お嬢様は。


黙りました。


父親が娘を見ます。


「お前が、こっそり助けていたからだ」


「……」


「我が家の血を濃く受け継ぎ、並の騎士では敵わぬほどの力を持つお前がな」


私は。


横でうんうんと頷きます。


その通りです。


お嬢様は強いのです。


もちろん。


私ほどではありませんけど。


「もう助ける必要はない」


父親は言いました。


「あいつが自分で切った縁だ」


「……」


「自分の兵団だけで、どこまでやれるのか見ものだ」


お嬢様は少し黙っていました。


そして。


「……お父様」


「何だ」


「それでも」


「……」


「都市の人たちに罪はありません」


父親が。


目を閉じました。


「……そう言うと思った」


「申し訳ありません」


「謝るな」


父親は立ち上がります。


「我が娘なら、そう言うと思っていた」


「お父様!」


「行くぞ」


「はい!」


私は。


お嬢様の後ろについていきます。


まったく。


本当に。


お優しい。


誰に似たのでしょう。


もちろん。


私ではありません。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「ぐはあっ!」


南壁。


騎士が。


魔物に吹き飛ばされました。


「まずい!」


「押されているぞ!」


「援軍はまだか!」


兵たちが叫びます。


魔物の数が。


あまりにも多い。


「くそっ!」


領主も。


剣を握って戦っていました。


「何なんだ!」


今までなら。


こんなに苦戦しなかった。


「婚約者だったお嬢様は来ないのか!?」


兵士が叫びます。


「無理だろ!」


別の兵が怒鳴りました。


「領主様が婚約破棄したんだから!」


「そうだった!」


「じゃあ、ミストロンの奇跡の方は!?」


「逃げた!」


「はああああ!?」


そう。


逃げました。


領主は。


歯を食いしばります。


何なんだ。


10年前。


あれだけの魔物を倒した女性ではなかったのか。


俺が。


間違えた?


いや。


そんなはずは。


だが。


女性は逃げた。


そして。


今まで。


自分の兵団が戦えていた理由。


それも。


ようやく。


気づき始めていました。


婚約者。


あの令嬢が。


いつも陰から助けてくれていた。


父親から領主位を継いだ自分を。


いつまでも小僧扱いする者たちが嫌だった。


だから。


自分を称賛してくれる者ばかりで兵団を作った。


強いと思っていた。


違った。


彼女が。


穴を埋めてくれていただけだった。


それなのに。


自分から。


切った。


「あ……」


正面。


巨大な魔物が。


こちらへ向かってきます。


剣。


振り上げられない。


身体が。


動かない。


「これで」


領主は。


乾いた笑みを浮かべました。


「俺は死ぬのか」


魔物の爪が。


振り下ろされます。


その瞬間。


「そこまでです!!」


剣閃。


魔物の腕が。


弾かれました。


「……え?」


目の前に。


見覚えのある背中。


「どうして……」


婚約を破棄したはずの令嬢が。


そこに立っていました。


「何をしているのです!」


お嬢様が叫びます。


「領主なら、最後まで立っていなさい!」


「……」


「あなたが倒れたら、この都市を誰が守るのです!」


「お前……」


領主の目から。


涙が零れました。


「すまない」


「今はその話をしている場合ではありません!」


「すまなかった!」


「だから!」


領主が。


お嬢様へ抱きつきました。


「うわっ!」


「あ」


私は。


遠くから。


それを見ました。


あのクソボンボン。


お嬢様へ抱きつきましたよ。


しかも。


泣いてます。


お嬢様。


困った顔をしながら。


頭を。


ぽんぽん。


しました。


……。


絆された!!


お嬢様!


いけません!


そこで許してはいけませんよ!


◇◇◇◇◇◇◇◇◇


まあ。


今は。


それどころではありません。


魔物が。


次々とやってきます。


「さて」


私は。


袖を少しだけまくりました。


お嬢様が。


あの領主を助けたいと思った。


なら。


メイドとして。


主人の望みを叶えるまでです。


魔物が。


こちらへ向かってきます。


私は。


身体の中を流れる魔力を見る。


足。


腰。


背。


肩。


爪。


牙。


魔物だろうと。


人だろうと。


魔力が身体を動かしていることに変わりはありません。


なら。


ほんの少し。


流れをずらす。


一体目。


突進してきた魔物の肩へ触れる。


「ぎゃっ!?」


進む方向がずれ。


隣の魔物へ衝突。


二体まとめて転がります。


次。


爪を振り上げた魔物。


腕の流れを。


ほんの少し外へ。


「ぐえっ!」


自分の勢いのまま。


地面へ。


次。


次。


次。


ふわり。


くるり。


どすん。


ごん。


ばたん。


「……」


周囲の兵たちが。


こちらを見ています。


「なんだ……あのメイド」


「魔物が勝手に転んでないか?」


「違う」


「え?」


「全部、あの人がやっている」


まあ。


そんなこと。


どうでもいいです。


それより。


お嬢様と領主様。


まだ抱き合っていますね。


……長くないですか?


そろそろ離れてくださいません?


魔物が来ていますよ?


「エナメル!」


お嬢様が叫びました。


「はい!」


「そちらをお願い!」


「承知いたしました!」


はい。


メイドとして。


お嬢様のご命令に従いましょう。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇


戦いは。


ほどなくして終わりました。


都市を襲った魔物たちは。


討伐されました。


お嬢様も。


無事。


領主様も。


無事。


街の人々も。


大きな被害はありません。


よかった。


よかった。


私は。


倒れた魔物を眺めながら。


ふと思いました。


なんだか。


懐かしいですね。


以前も。


こんなことがあったような。


森の中で。


休憩していたとき。


子供たちが騒ぎながら入ってきて。


魔物を刺激してしまって。


仕方ないから。


まとめて片づけて。


子供たちを森の外まで送った。


……。


「あら?」


あれ。


いつでしたっけ。


「エナメル?」


お嬢様が。


こちらへやってきました。


「どうしたの?」


「いえ」


私は首をかしげます。


「昔のことを少し思い出しまして」


「昔?」


「はい」


たしか。


10年くらい前。


ミストロンの森で。


魔物を。


百体くらい。


「……」


……。


まあ。


どうでもいいでしょう。


昔のことですし。


それより。


「お嬢様」


「なに?」


「あの領主様との婚約ですが」


お嬢様の顔が。


少し赤くなりました。


「……それは」


「簡単に戻してはいけませんよ?」


「わ、分かっているわよ!」


「本当ですか?」


「本当!」


「頭をぽんぽんしていましたけど」


「それは!」


「抱きつかれていましたけど」


「エナメル!」


「はい」


私は。


にっこり笑いました。


まあ。


お嬢様が。


幸せなら。


それでいいのです。


ですが。


あの領主様には。


しっかり反省していただきましょう。


お嬢様の信頼を。


一から。


取り戻していただきます。


それまでは。


私が。


じっくり。


見させていただきますからね。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇


後日。


ミストロンの奇跡を名乗った女性は。


領主家の調査によって。


まったくの偽物だったことが判明しました。


どうやら。


10年前の出来事を詳しく調べ。


それらしい話を作っていたそうです。


領主様は。


大変落ち込んでいました。


でも。


私には。


一つだけ。


気になることがあります。


「エナメル」


「はい?」


お嬢様が。


私をじっと見ています。


「10年前」


「はい」


「ミストロンの森で、何してた?」


「……」


「エナメル?」


「休憩を」


「そのあと」


「魔物が来たので」


「うん」


「少しだけ」


「うん」


「片づけました」


「何体?」


「……」


私は。


少し考えました。


「百体くらいでしょうか?」


「エナメル!!」


「はい!?」


「あなたがミストロンの奇跡じゃない!!」


「まあ」


そういえば。


そんな名前で呼ばれていましたね。


忘れていました。


10年。


私にとっては。


それほど長い年月ではありませんから。


「なんで忘れるのよ!」


「いろいろありましたので」


「百体の魔物を倒したことを忘れる!?」


「お嬢様」


「なに!」


「夕食のお時間ですよ」


「話を逸らした!」


今日の夕食は。


お嬢様のお好きなシチューです。


少しだけ。


果実酒を入れています。


きっと。


喜んでくださるでしょう。


昔のことより。


今のお嬢様の夕食の方が。


私には大切です。


だって。


私は。


メイドですから。


作中に登場した「ウィスタリア聖教国の衛星都市」や、「魔王が人族の国家へ侵攻している」という背景設定から分かる方もいるかもしれませんが、本作はシリーズ本編第2作『僕に仕えるメイドは世界最強の英雄です2』と同じ時代のお話です。

本作単体でも問題なくお読みいただけますが、よろしければそちらもご覧ください。

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