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階段を折り切り、その棟から出てきた洲田悠汰と矢川正継は辺りを確認した。変わった様子はない。ふたりの目にはそう映った。
「俺がヘリコプターで降りた地点……そこに向かって行けばいい、途中に大きな警察署がある。……この目で見たんだからな」
「疑ってませんって」
悠汰がそう言い返してから、三人と、赤子を抱くひとりという一団が、歩を進め始めた。
大通りを歩いていく。
まだ赤狼の気配はない。というより他の魔物そのものの気配が、だ。
赤子の父親、家主が赤狼と呼んだ。魔物同士で勝手に付けた呼び名なのか、それとも種族としての名なのか。悠汰はふと気にした。
(何となく名付けただけ?)
そうだとして、それならそこにいる赤子の父親をどう呼ぶべきか。守護体でもない、共存できそうな魔物だが、名前はどうなっているのか。
「あの。何て読んだらいいですか? 僕は洲田悠汰です。洲田! って言われますけど」
菫色の魂玉を、両手のあいだでバウンドさせながらだった。周囲へ気を配るのも忘れない。
「俺は兼倉与斗だ。家内が珠水で、うちのちっこいのが幸也だ。一応、人間として暮らしてるからな」
今どんな気分なのかと考えると返答し辛い――そんな気持ちが悠汰の胸に滲む。だから彼は適当に相槌を打ち、そして魂玉をもてあそぶ手はそのままに、正継に対し、密かに、
「魂素量に余裕はありますか?」
と訊いた。
連れ添う者には聞こえない程度のその声に、正継は助けられたと感じた。故に同程度の声で。
「俺には余裕はない。残っているのは大技一回分くらいだ」
大技と呼べるものは自分でも後ほんの十数回分だ――と、悠汰は言い難さとともに感じた。
(いいことばかりじゃない)
その時だ。前に三体、後ろに二体の狼。挟まれた。
赤い毛並みが風に踊る。
動物特有の生臭い吐息に息苦しくなった気がした悠汰だが、それは幻覚ではあった。威圧感だけは本物で――
「これで全部なんですかね」
と悠汰が聞いた。
一対一で正継が梃子摺り、悠汰が紫眼まで呼んだ相手。それが五体。一気に現れたそれらは今、彼らの動きを窺っている。
「同時の目撃例はない。一気に叩こうとしたのだとしたら、これで全部じゃないか?」
正継がそう答えると、悠汰も納得した。とりあえずひとまずの残りの退治はできそうだと。
その時、この大通りに出現したすべての狼が、燃え盛る炎を纏って突進した。
道路を踏み締め、躍動する巨狼。
目の前に、その顔が近付いた。かなりの速さでの跳び込み。
まだ互いのあいだに空間がある。だが正継とその目の前の一体との距離感は一瞬で縮まっていた。その一体とのあいだに、正継は、見事に新緑の魂玉を滑り込ませた。
「今度こそ喰らえ!」
「――迸る稲妻に抱かれよ!」
悠汰の魂玉から、火花を散らしながら、強烈な雷電が走った。一瞬だけの出来事。薄紫の雷は、巨大な衝突物のように、二体の赤狼を沈ませた。
それがふたり――悠汰と正継の振り向いた先にいた三体のうちの二体だった。
その停止が永遠のものとなってから――その横の巨大な一体が、音も無く裂け、崩れ落ちた。まるで巨大な刀で角切りにされたかのように。エメラルド色の魂玉からは、空を疾駆する風が、幾つかの刃のように襲い掛かっていたのだ。
任務遂行中の、振り返ったふたりの背後。さっきの前方からも巨狼は襲い掛かっていた。
「ふんっ!」
と、その一体へと力を込めたのは、問題の家主の与斗だった。酸素の魂術。操ったのは、襲い来る獣の中の酸素。呼吸の激しいうちの操作により酸素不足は著しくなり、呼吸困難と脳の活動低下、そして転倒まで引き起こした。
その隣で、家主のパートナーである珠水も念じていた。
すると――
倒れた赤狼の目と口内の水分が操られ弾丸となり、その獣の首元を貫いた。
動かなくなる。これで残りは一体。
その時だった。
「ふぎゃああ! ふぎゃああ! ふぎゃああ!」
三度目の泣き声の瞬間、最後の一体が、四つ足の足元を起点にして弾け飛んだ。地面から浮かされるようにして勢いよく離れ、近くの塀に激しくぶつかり、それも動かなくなった。
親の力を考慮するに、その魂術で使われたのは、水なのか酸素なのか。
とりあえず最後の一体が終焉を迎えた。それだけでもわかればいい――そう考えた悠汰はハッとしていた。
「珠水さん! あやして! あやして!」
「あ、はい! ほら、どうどう、ほーら、よーしよし……」
数秒かかってから、その子が泣き止んだ。
珠水の胸元に抱かれたままの赤子、幸也。今は親指を口に入れて遠くを見ている。
ほっと一安心。
悠汰は一息吐いた後で身震いした。
「……怖い状況ではあるな」
とは正継が。
「そうですね。まあ、その、解決の為にも。行きましょう」
「ああ」
四人はひたすら歩いた。ひとりは胸元。
辺りに注意しながら。
もう力を使えなさそうな正継の分も、悠汰は魂玉に集中。
そして辿り着いた。警察署。
「あ。ええと、対魔警軍――いや、訓練校舎の方ですね」
受付の近くにいた署員の男性がそう言った。
そしてその署員に案内されていく、その中で――
(那岸さんだっけ。あの人は大丈夫かなぁ)
少年、悠汰は、その日任務を言い渡されたもうひとりの同僚のことを思い出しながら、ヘリポートまでを歩いた。




